結局そこなんだよな~~ 晋作実装イベでの晋作と松陰の別れは史実も感じられて大変美なんだけど、生前や初出特異点・異聞帯での未練をカルデアで解決できてる鯖なんていっぱいいるんだから、松陰だけが史実通りに綺麗に終わらなきゃいけないのは不公平…では…!?
現パロでも高杉はやっぱ社長やってんのかな~と思ったけど、FGOの高杉が「(ワンマン)社長」になったのは「『ひとり』ではできないことを『みんな』でやり遂げる」「松陰先生も久坂も死んだから俺が『ひとり』でやらなきゃいけない」という異なる二種の精神が混じり合った結果だと思うので、みんな無事な現パロならみんなで大学教授吉田ゼミの学生・院生して、卒業後も助手やってる感じのが見たいな~って
でも社長のイメージもかなり強いからなあ……片手間で起業しつつ吉田教授の助手やっててくれんかな
吉田先生の研究のスポンサーになるため、研究資金を稼ぐために企業経営してる晋作!?
でも弟子に劣らず破天荒なあの先生が大学教員の枠に収まってられるだろか……史実通り私塾やってんのが一番似合うとこではあるよなあ
松陰がそこらへんぼやいたときに助手晋作が「大学教員辞めて塾開きませんか! この晋作がお手伝いしますよ!」って言ってくれるやつですか?
吉田教授の助手だけど学生と同じ席に座って授業聴いてる晋作はいる
松陰先生って田舎出身で遊びとは縁遠くストイックな学問の人なのに人を狂わせる力がやたら強いよな これで都会在住だったりやんごとない身分の人だったりメイヴみたいな価値観の人だったら国傾けてたでしょ いや弟子らもああだし間接的に国(幕府)傾けてたわ
松下村塾の人たちみんな松陰先生のこと大好きだし、もし本人や晋作以外の弟子ら実装されたら円卓勢中のアルトリアみたいな感じにもなりそうだけど、CPまでいくのは晋作だけだよな(円卓とアルトリアも別にCPではない)晋作も自分が一番松陰のこと好きなつもりだったらしいし、松陰の最愛も晋作っぽいんだよな……FGOでも最期にそういう発言してたし
もちろん松陰は弟子全員のこと好きだろうけど、何かあったときに真っ先に脳裏をよぎるひとりは晋作だろうなって感じ
晋作実装イベの松陰の目的というか思い描いてたシナリオ、もしかして「徳川怨霊を抑えつつ自分の野望(カルデア奪って外の世界を見る)は果たしたい」「それはそれとしてメンブレしたまま死んでいった晋作のケアがしたい」→「晋作(カルデア側)とは対峙して、生前のような厳しい指導をもって志を思い出させる」「生前以上に厳しくして、自分への敵意を抱かせる」→「晋作は敵になった自分を討ってメンブレを治し、自分の中にいる徳川怨霊もなくなる、めでたし」って感じだった? 違ってたらごめん ここまで言ってるわけではないもんね…
それ前提だけど、未実装ゴーストで戦った後の「よくやってくれましたね……」の意味はは「自分が徳川怨霊抑えてたのに何してんだ」だけじゃなく、「なんで徳川怨霊ごとちゃんとトドメ刺さないんだ」なのかな……いや違ってたらごめん でももし合ってたら最高だなって……
「もし晋作が立ち直らなかったら晋作を倒して自分が野望を叶える」にはならなかった気がするんだよな 立ち直った晋作が二臨姿で再戦挑んできたときも晋作のこと心配してたし
師弟揃って相手にトドメ刺せなさそうでかわいいね♡
もしカルデアとの交渉が成立してたら、カルデアに移りつつそっちで晋作の面倒見るつもりだったのかな……
そう思うと、なんか……やっぱ松陰実装しない? 晋作に後を託し、託された晋作がカルデアにいるのは彼らの史実っぽくて素敵だけど、一時的にでもカルデアに行きたがった松陰本人がカルデアに来れないのは……いやだから晋松(史実)っぽくはあるんだけど……でも生前の未練をこっちで解決してる鯖なんてたくさんいるだろうし……
史実の話なんだけど、松陰の老中暗殺計画を知った晋作の反応が「さすが先生! 面白いこと考えるな!」じゃなく、「先生やめてください! 先生の志は分かりますけど先生に死んでほしくないんです!」なのが推しポイント
FGO内でも生粋の享楽主義者として描かれてて、史実でも酒と女が大好きな遊び人だった晋作が、松陰のことは真っ当な感性で敬愛しているのが好き
普段飄々としていて自分の本心を気取らせないところのある晋作が、実装イベ内で松陰と対峙するときには激情を露わにしているのが好き
史実履修中なんだけど、松陰の死がなければ晋作は英雄になれなかった気がするんだよね
当時(松陰刑死前)の晋作に対する仲間内からの評価って「あいつ優秀で強くはあるけど結局口だけだし、いざというとき何もせんよなw」って感じ、そして松陰への敬愛の念は彼ら以上に深く抱いていたつもりだったらしいので、松陰が死ななければ、彼や久坂に追従するだけの人間になっていたような気が…ね…FGOのプロフィールでは倒幕に傾いた切っかけは松陰の死っぽい書かれ方してるし
松陰や久坂に先立たれて「どいつもこいつも俺を置いて死んだ! 俺が独りでやるしかない!」ってメンタルになってたのは実装イベで描写された通りだし そのメンタルの善し悪しはともかく、そういう心境に至ったことが、晋作の英雄の道の一歩でもあるのかなって
もちろん晋作が英雄になるために松陰が必要なかったかと言われると全くそんなことはない 松陰がいないと恐らく晋作は倒幕や維新の方にいかない 元々名門武家の出で、反りが合わない親や祖父にも逆らえず、いざというときには殿様守って戦って死ななきゃ…という考え方の持ち主だった(史実)っぽいし
史実とFGOの描写合わせて、松陰の死は「英雄」高杉晋作に光を、「人間」高杉晋作に闇をもたらしたなって印象
晋作は松陰(や久坂ら)の死を前向きに消化できてなくて、救えなかったことをずっと悔やんでたって感じだったし 今読んでる本(notCPnot同人誌の真面目史実本)では久坂まだ死んでないけど、少なくとも松陰の死に関してはほんとにそんな感じがする 史実本一冊目だから脚色なのか史実なのかわからんけど、松陰の死について「自分のせい」って捉えていたし
FGOの高杉晋作の設計として、「ワンマン社長的人物」という属性が上手いなと思ってる
「『ひとり』ではできないことを『みんな』でやる」っていう、当時の晋作が邁進した維新や奇兵隊の性質はまさしく現代における会社・企業のようであり、その一方で晋作は「松陰先生も久坂たちも死んじゃったから俺が『ひとり』でやらなきゃ」という思いを抱えている 矛盾しているようなその二つを同時に人物像に落とし込んだのが、「ワンマン社長」なんだろうなって
早逝したとはいえそれで英雄になれたから歴史的にはいいんだけど、本人のメンタル的に幸な人生だったかというとそうではないので… あの実装イベは自責と孤独に駆られた破壊者の英雄になってしまった晋作への、松陰からの死後アフターケアなんだろうな 素敵だ…
妄言かもしれないんですが、松陰の死の運命を知らず無邪気に彼を慕っていた頃の晋作が「この世界つまらんから俺が全部ぶっ壊して面白くする」と思っていたはずがないんですよね
そしてプロフィール6的に、晋作の言う「つまらない・面白くない」は「間違ってる・狂ってる」(ここでいう「狂ってる」は松陰の「諸君狂いたまえ」とはまた別のニュアンスの、負の意味なんだと思う)と同義であり、その印象を世界全てに向けているのが晋作の前提なんだよね
だから、なんていうかその……松陰の存在が晋作の世界に「面白い」という光を灯してくれたけど、松陰が幕府=当時の世界の頂点=世界に殺されてしまったから、晋作は「この世界つまらない=面白くない=間違ってる」「だから俺が全部ぶっ壊す」という思考に至り、それが彼の維新となったのかなって
松陰先生、晋作の世界の全てだったのかな……
やっぱ晋作はアヴェンジャーの素質あると思うよ(イドが気に入ったオタク) 正直なところ私もアヴェンジャーの条件とかよくわかってないんだけど、憎悪や悲哀を怨敵一人に向けるんじゃなく、絶えず世界に向けてるところがそれっぽいよ
憎悪悲哀を絶えず世界に向けてる、に関連するところだけど、生前に復讐完遂してたらアヴェンジャーにならなくて、まだ復讐しようと思ってたらアヴェンジャーになるとか? 清姫とかクリームヒルトはそんな感じする、彼女らは復讐対象も世界じゃなく個人だしね
一・二臨のテンションが松陰存命時、三臨のテンションが松陰死後って感じする