総帥のマゼンタや、超天才科学者のドクター・ヘド——彼らをはじめとした、レッドリボン軍の首脳陣たちが一堂に会する定例会議の幕が上がった。
マゼンタの傍らには、彼の懐刀であるカーマインが相伴う。ヘドも同様に、彼にとっての側近とも言うべき存在である人造人間ガンマを同行させて出席するようになった。
だが、カーマインとガンマとの間には、あまりにも大きな差があった。
『予め伝えておくが、議事の場において我々に発言権はない』
『えっ!? なんで!?』
ガンマ2号にとって初となる会議が開かれた日。僅差ではあるものの先輩に値する1号から説明された心得に、2号は驚きと戸惑いを覚えた。
『発言権はないって……。一体何のために参加するのさ』
『ヘド博士の警護のためだ。それと、席も用意されてはいない。会議中は所定の位置にて待機するように』
『所定の位置って……』1号が指し示した間取り図の一点に目を向けた2号は顔を顰める。『ここ、隅っこじゃないか。これじゃあ博士のお傍に控えてることだってできない』
『我々ならば万一の事態が起ころうとも、その程度の距離はすぐに詰めて対応できるだろう』
『そりゃそうだけどー……』
『ごめんな、ガンマ』ヘドは申し訳なさで肩を落とした。『ボクが何とかしてやれれば良かったんだけど、総帥が聞かないんだよ』
愛機を蔑ろにされた不満で口を尖らせるヘドを、ガンマたちは『博士は何も悪くないですよ』『お気になさらないでください』と口々に労わる。彼らに慰労されたヘドの表情は微かに和らいだ。
『ちなみに、総帥は何て?』
『……ガンマは軍の隊員として登録されてるわけじゃなくて、軍需品に区分されるものだからって……』
『あー……』
言い淀むヘドの言葉で、2号は自分たちが爪弾きにされる理由を察した。あくまでレッドリボン軍に扱われる立場ということを考えれば、作戦立案や軍の舵取りを左右する権限が与えられずとも不思議ではないと。「ただ正義のために命令を実行するだけ」という、いつか1号が言った言葉が彼の頭をよぎった。
理解には至れた2号だったが、完全な納得には達せずにいた。
『でも、ボクたちだから言えることって何かあるんじゃ……。実際に作戦に沿って、前線に行くのってボクたちだし。ほんのちょっとでもダメなのか?』
『ダメだ。その権利はない』
『……ダメもとで試してみようかな……』
『推奨しない』
1号は苦々しい表情で忠告したものの、2号は宣言通りに口を開いた。そして、、それが徒労でしかない行為だということを身をもって思い知った。
ヘドをはじめ、多くの出席者は2号の発言を汲み、議論を展開しようとした。だが、軍の最上部であるマゼンタとカーマインにそれが届くことはなかった。この二人に撥ね退けられた議案は、なかったことになるようなものだ。ガンマはいくら関係者各位の理解や納得を得たところで、この場の頂点にとっては、所詮自由意志を認めるに値しない存在でしかない。そのため、彼の言葉は水泡に帰す以外の道を失うこととなった。たとえどれほど的を得たものであろうとも。
そんなガンマに対し、ヘドは会議の後で『次は、ふたりで楽にしてていいから』という許可を出すことしかできなかった。
そして今日、2号にとって二度目の会議が開かれる。
前回は終了後、「本当にごめん」とヘドに頭を下げられてしまった。そのこともあって、今回は大人しく隅に立ち続けようと決めていた。自分の行いのせいでヘドに謝罪をさせてしまうのはあまりに忍びない。
「——さて、ドクター・ヘド、セルマックスの開発状況はどうなっている?」
「またそれですか? 前とほとんど変わりはないですよ」
「一切の進展はないのか? 何かあるなら、報告を」
「やれやれ。コイツについて特に言いたいこともないんだけど」
セルマックスをめぐるマゼンタとヘドのこのやり取りは、前回にも交わされていた。今や会議の場のみならず、この二人が顔を合わせるとき、必ずといっていいほどマゼンタの側から投げ掛けられる話題である。
ヘドが渋々と説明する開発状況は、彼が言った通り前回との差異が見受けられない内容となっていた。そのため、質疑応答も心なしか聞き覚えのある響きでしかない。
「この会議さあ、やる意味ある?」
そう口にしたのは、参加者の一人ではなく、そこから外れた場所に立つガンマ2号。セルマックスに対し個人的な拒絶感を抱いているということは否めないものの、早くも堂々巡りを予感させる会議の意義を純粋に疑問に感じての苦情だった。
とはいえ、彼に参加者たちを本気で挑発する意図はない。ただ、隣に立つただひとりからの同意を求めていた。
「いいから黙って聞け」
しかしそれは叶わず、会話はそこで打ち切られる。
「何か聞くことある? 三日前もこれと全く同じ話してただろ」
「いいから」
食い下がったところで、1号の姿勢が変わることはない。2号は小さく溜息をついた。
1号は真剣な眼差しで円卓を見つめている。彼を見習って、2号も仕方なく議論に耳を傾けることにした。
「……状況は分かった。では今後の開発についてだが……。セルマックスの開発スピードを上げることは可能なのか?」
「前にも言ったけど、これでも十分やってるんですよ。こんな怪物の制御には万全を期さないといけないし、下手に完成を急いだら逆効果だ」
「できないと言うのか? その万全な制御を試みる傍らで、高性能の人造人間を新たに二体も造り出したというのに」
「できるできない以前にやる必要も感じられないね。その人造人間ふたりで全部事足りるんだから」
「……もう一度、セルマックスの意義について確認しておく必要がありそうだな」
ヘドから寄せられた真っ直ぐな期待と信頼が、ガンマふたりを喜ばせる。
思わず「ありがとうございます!」と言ってしまいそうになった2号だったが、「今は喋るな」とでも言いたげな1号の視線に気付き、口を噤んだ。
「……後でならいい?」
2号の問いに、1号はこくりと頷く。ヘドの言葉を聞いたとき、1号が顔を微細ながらも綻ばせたところを2号は見ていたため、その返答は予想できたものだった。
「それにしても、総帥も分からず屋だな。いい加減博士の言葉を信じてくれればいいのに。もうボクたちだっているんだし、セルマックスなんて無駄にコストがかかるだけだろ」
「やめなさい、2号」
1号に鋭く止められた2号は再び黙るしかなかった。
そして、愉快ではない時間もまたすぐに訪れる。マゼンタの意図を汲んだカーマインの手により、軽快な音楽と共にプレゼンが再生される。
そこに映し出されているのは、緑色の身体に黒い斑点を持つ奇怪な生物。セルマックスの前身である人造人間の情報について纏めたものだった。マゼンタとカーマインは代わる代わるにそれを称えると共に、後身であるセルマックスの意義深さを説き続ける。
参加者同様にモニターを見上げていた1号に倣い、モニターを視認できる角度まで少し移動した2号は、その画面を見るなりげんなりとした表情を浮かべた。
「これ、前も見たやつだ……。二回目だけどもう飽きたな。1号は飽きないのか?」
「……飽き……。……静かにしていろ2号」
「あ、今『飽きた』って言いかけただろ」
込み上げる嬉しさを抑えつつ、2号は1号に揺さぶりをかける。
不満気なヘドは欠伸を噛み殺して涙目になっている。ガンマはどれほど興味のない長話を聞かされようとも、その無関心による退屈が、眠気という備わってもいない感覚を伴って表れることはない。だが、気分だけなら今のヘドと自分は同じだろうと2号は確信した。そして、1号もそうだろうと。
——いや。正確に言えば、ヘドと2号が同じだったのはつい先ほどまでだ。今の2号の胸中にあるものは、純粋な喜び。1号も自分と同じ退屈を持て余しているということが、1号も同じ気持ちであるということが、嬉しくてたまらなかった。
「……2号」
「やっぱり飽きるよなー。もしかして、ボクより多く見てたりする?」
「これが五回目……。……2号、もういいだろ」
暗に何度目かの「黙れ」を突き付けはしたものの、1号が徐々に2号のペースに乗せられている。そしてそれを見逃す2号ではない。
「五回! じゃあ、ボクがまだいないときで三回か。すっごいな……」
「私語はやめろ……! 話をしたいだけなら、後でにしろ……!」
「そりゃあ、これが終わった後でもたくさん話したいけど。でもさあ1号、時間は大切にしようよ」
「は……?」
「隅に突っ立って総帥の同じ話聞いてるだけで時間過ぎてくってのもさ……。それなら、1号と話してたい」
「諦めてくれ。わたしたちに発言の権利はないと言っただろう。頼むから早く静かにしてくれ」
「発言権っていうのはあくまで会議の中の話で、ボクたちがここで勝手に喋ってる分にはいいんじゃないか? それに博士だって、『次はふたりで楽にしてていい』って言ってたし」
「な……!」
良く言えば適切な、悪く言えば都合の良い、ヘドの許しを含めたルールの解釈。2号が用いた説得の手札は、1号には覿面だった。
清く正しい存在である以上、ガンマ両名とも法規は当然のように重んじる。だが、1号の規範を絶対視する姿勢は、2号のそれすらも上回る。だから、彼から何か許しを得たいならば、それがルールから外れたものでないということを示せば良い。1号に比べれば柔軟な思考を擁する2号が、そこに辿り着くことは容易だった。
ちなみに、2号が遵守する法規というものは正義感に基づいた倫理に等しいものであり、それとは直接関係のない細かな軍規は彼に軽視されている。会議中の私語の正当化は、そんな2号だからこそ為せるものと言ってもいい。軍議を主催する側に蔑ろにされているのだから、こちらも真面目に尽くす必要はない。お望み通り参加してやらない権利がある——というのも、2号の言い分の一部だ。
さらに、彼らにとって価値基準そのものであるヘドの言葉も2号の味方をしている。それらの提示に成功した2号は、自分の望みが叶うことを確信しつつあった。
「だからと言って……! 会議中だぞ……」
「でも、ボクたち会議に参加してないじゃん」
「それは……」
「別に、大声で騒ぐわけでもないんだし。……この場では、ボクらの言葉が向こうに届くことにはならない。1号だって分かるだろ?」
「……」
「あとさあ、ボクたち……もう既にけっこう喋ってるぞ」
「…………」
1号の反論の勢いはみるみるうちに弱まり、遂には沈黙に陥った。
しばらく経ってから、じっと待つ2号に向き合い、おずおずと口を開く。
「どう、してもというなら……おまえから何か言ってくれ。……雑談の仕方なんて、わたしには分からない……」
「もちろん! たくさん話そう、1号!」
1号の答えに、2号の表情が輝かんばかりの明るさを帯びた。2号に押し切られる形となった1号は戸惑いながらも、穏やかに、小さく微笑んだ。
「そうだな、じゃあ……」2号はなおも続くプレゼンを見上げた。「セルの形態、全部で三つあるけど、どれが一番好き?」
「え……。どれも別に……」
「はは、ボクも。セルマックス見ちゃったからそう思うのかな。それに、ボクたちが一番カッコいいしね」
「ヘド博士の傑作だからな」
「それにしても、ボクが2号で良かったよ」
「なぜだ?」
ガンマふたりの雑談よりも、会議の方が早く終わりを迎えた。椅子を引く音や機材を片付ける音が響く中でも、彼らの言葉は途切れなかった。
「だって、1号だったら三回も独りでこの会議出なきゃいけなかったんだろ? ボクは耐えられる気がしないというか……。1号はその三回の間、暇だとか、雑談したいとか思わなかった?」
「思わなかったな。こういうものだと思っていた。『飽きた』という感情も、先程おまえに言われて、初めて考えて気付いた。雑談は……やり方も分からないが、そもそも相手がいないだろう」
「そりゃそうだ。でも、今はボクがいるからな。これからは、1号が独りで静かにしてた二回目と三回目の分も、話したくても話させてもらえなかった一回目の分も……ふたりでたっくさんカイギしてよう」
「……なに?」
話したくても話させてもらえなかった一回目の分。2号がそう発したとき、1号の目が見開かれる。
2号が知る由もないはずの自分だけの記憶が、共有した覚えもないというのに知られているのだ。
「ほら、ボクにとって一回目で、おまえにとっては四回目の会議のとき、ボクは色々発言しようとしたけど、結局聞いて貰えなくて失敗しただろ。あれ、1号も同じことやったんじゃないかなって思って」
「…………!」
「あ、当たり?」
「……当たりだ。……なぜ分かった?」
「ボクでさえそうしたんだから、ボクより真面目な1号ならそうするんじゃないかと」
ばつが悪そうに俯く1号に、2号は明るい調子で続ける。
「でも、ボクも1号も無視されて過ごすのはその一度でお終いだ。ボクは1号のこと無視しないし、1号もボクのこと無視しない。そうだろ?」
「……ああ。そうだな。約束する。……先ほどは、おまえに二度目の黙殺を味わわせるような真似をしてすまなかった。今後は、許容される範囲内でなら……好きなだけ喋るといい」
「ああ! 約束する! そうする!」
今も1号が浮かべた、柔らかい静かな微笑が、2号に一つの幸福を教えた。
三度の空虚な時間も、1号は眉一つ動かさず耐えてしまえるのだろう。けれど自分と同じように、1号もまた、誰かとの安穏なかかわりに喜びを見出すことができる。その権利があるのだと確信した。
生まれてきて良かった、1号が独りにならなくて良かった——そんな思いが、2号を満たした。
「ガンマ、遅くなってごめん」
「博士!」
「お疲れ様です……!」
望まぬ製作物についての議論から解放されたヘドは、ようやく最高傑作ふたりとの合流を果たした。疲弊していると、誰の目にも分かる調子だった。
「すっかり長引いちゃって……。……せっかく来てもらってるのに、毎回ごめんな、つまらなかったろ。会議、毎回こんな調子なら、次からはボク一人で……」
「いえ、我々のことならお気遣いなく。苦では、ありません」
「そうそう! 次も出ますよ。博士一人に頑張らせちゃってるから……せめて同じ空間にいさせてください」
「そ、そう……?」
ヘドの目に映ったふたりのガンマの雰囲気は、心なしか明るい。
——特に、ガンマ2号。かなり機嫌が良さそうだが、何かいいことでもあったのか。こんな、何の面白味もない時間の中に、そんなものがあるはずはないのに。だが、現に彼は嬉しそうに、そして楽しそうにしている。気遣う姿勢を見せてくれたが、それとは別の意図を、この時間に見出したのではないか?
(……やめだ、やめ)
関心に疲労が勝った。その疲労のせいで錯覚してしまっているという可能性も踏まえ、ヘドが疑問を口にすることはなかった。
こうして二体の人造人間は、彼らの主さえも預かり知らぬところで、またひとつ、共に過ごすようになっていく。