天上の昼時分

以下の要素が含まれます。

  • ※2023年5月4日に発行した『すくわれたマリア』のp238-275の内容が前提の話です
    そちらをお読みになっていない方でも、本編後に色々あって戦闘能力を失くした1号が復活済の2号(CC勤務)と同棲してるということを把握していただければ大丈夫かと思います
  • ガンマの身体機能に関する捏造(飲食描写など)
  • 1号はナチュラルに弱ってる

 

「弁当を持って行く気はないのか?」
「……へ?」

 今日の昼食——ミートソースを乗せたパスタを絡めたフォークが、2号の口に触れる寸前で止まった。
 上げかけていたフォークを下げた2号は、向かいの席に座るオレを食い入るように見つめる。悪ふざけを親に叱られた途端に深い後悔に駆られ、許しを乞おうとする子供というのは、こういう顔をするのだろう。
 そんな顔をさせたかったわけではない。2号のことを咎める意図など、ほんの少しも。

「毎日、昼休憩の度にここに戻ってくる手間も省けるはずだ」

 「ニンゲンのような食事をしてみたい」。そう頼んでくれた2号に応えるようになってから、ひと月ほど経っただろうか。
 一日三回分の献立を考え、食材を揃え、料理をすることは苦ではない。寧ろ好きと言ってもいい。2号のためだからだ。今や恋人を通り越して内縁の夫のようになっている、この弟機のために生きると決めている。彼のためなら何だってしたい。それこそがオレのすべきことだと思えば、その行動が好きかどうかを考える余地などないかもしれないが。とにかく、そのことで2号がオレを気遣う必要はない。
 心配なのは2号の方だ。出勤前の朝食、そして退勤後の夕食をこの家のダイニングで摂るのはいいのだが、昼食の際にはカプセルコーポレーションからわざわざ一時的に帰宅している。——手間としか思えない。

「……あ、そういう意味か。良かったあ……。てっきり、無理させてたんじゃないかと」
「そんなことはない」

 安堵の溜息をついた2号が再びフォークを持ち上げ、パスタを噛む。上がってそのままになる口角と、蕩けたように細くなる目が、味の感想を言外に伝えてくる。美味しいという言葉は一口目の時点でたくさんもらえていたのだが、そう思ってくれているという様子を見る度に、オレも胸を撫で下ろしたくなる。ちゃんと作れていた。

「……で、弁当だっけ。考えたこともなかったなあ。ここに戻るの、手間だとも思ってないし」
「そうなのか? ……確かに、おまえの飛行速度では往復のための時間も要しないし、疲れが生じることもないだろうが……」
「そうそう。それに、やっぱり1号に会いたいからさ。……あ、1号のことが心配で心配で仕事が手が付かないとか、そういう意味じゃないから気にするなよ。ほんとにただ、ボクがおまえに会いたいだけ。向こうの休憩室より、1号がいるとこにいたいよ」
「2号……」

 ——嬉しい。2号に、好かれている。好いてくれている。無力な存在へと零落したオレのことを、まだ。
 以前であれば呆れるようにしていたことを言われている気はするが、今は喜びが大きく勝った。その温情こそが、今のオレに命をくれているものだ。

「だから弁当はいいかな。明日からも昼にはまた戻ってくるよ。……いや、でも……」
「?」
「1号が作ってくれるお弁当っていうのも……正直かなり捨てがたいな……。ま、迷う……!」
「……興味があるなら、一度やってみるか?」

 そう提案すれば、頭を抱えていた2号は勢い良く顔を上げ、「いいのか!?」と目を輝かせる。

「じゃあ、頼んでもいいか!? 今週末、弁当箱二つ買ってくるからさ」
「二つ?」
「ボクと1号の分。ボクがお弁当食べるなら、1号だってお昼ご飯は弁当の方がいいかなって」

 ガンマとしては不完全になったとはいえ、まだ機械ベースの人造人間だ。飲食をせずとも生命は維持されるし、活動もできる。それでも日に三度、2号と食卓を共にしているのは、2号が最初に「1号も一緒に」と言ったからだ。そのことに異存はない。
 ——が、オレがひとりで家に残ったまま、自分で詰めた弁当を食べるというのは些か変ではないだろうか。弁当というものは、外出先で食事を摂るために携帯するものでは。——まあ、2号が望むのであれば、このくらいは別にいいのだが。

「楽しみだなあ……。1号と一緒に弁当食べるの……」
「!? おまえ、弁当箱を手に入れてもここに戻ってくるつもりか?」
「そうだけど」
「なっ……!」

 それじゃあ弁当の意味がないだろう。——2号の様子を見ていると、そう指摘できなくなってしまった。当然のことだとでも言うような調子で簡単に言ってのけてから、副菜のサラダを味わいつつうっとりとし始めている。

「やっぱり食事って好きなひとと一緒にしたいしさ。……あ、でも、一回くらいは向こうで1号の作ってくれたお弁当食べてみてもいいかも! ボクと1号の仲を見せつけてるみたいでいいと思わない?」
「弁当を食べているだけでそんなことになるのか……!?」
「なるなる。なんというか……誇らしい、って感じかな。1号がボクのためにお弁当用意してくれたんだ、ボクは1号のおかげで幸せなんだ……ってことが、どうしても周りの人にバレちゃうからな~」
「に、2号……!」

 オレのおかげで幸せ、など、そんな。そんなことが。
 今のオレ——人造人間ガンマの代替機が、戦闘能力が欠落していることを除けば、元の身体と限りなく近いもので良かった。もしニンゲンのような構造になっていたら、この瞬間顔が真っ赤になっていたに違いない。そんな変化が起こらない今でさえ、両頬は熱を錯覚している。
 だが、恥ずかしいからやめてくれ、などと誰が言えるだろうか。2号はただ食事をするだけだ、何も悪いことはしていない。結果として2号の言った通りのことが起こったとしても、仕方がなかった。オレが2号のために進んで食事を用意することは事実なのだから、知られたところで。

「……どちらでも、おまえの好きなようにするといい」結局、オレもそんな結論を出した。
「それじゃあ決まりだな! とりあえず、今週末にでも弁当箱買ってくるよ。1号、どんな感じのがいいとかあるか?」
「……っ、そう、だな……」

 2号は、単なる興味だけでそんな質問をしているわけではない。——オレが、買い物に同行できないから。この身体で人前に出ることを、心のどこかが拒んだままだから。
 凶悪な敵との戦闘に備えた強靭さを持たないこの身体は、精神の些細な機敏にもパフォーマンスを左右されることがある。病は気から、というニンゲンの俗説の通りになってしまった。ここに越す前はそれで死にかけた。
 あれ以降心身共に不調をはっきりと自覚することはないが、外に出ようとするとどうしても躊躇を覚えてしまう。世話になった皆に、快気祝いの品を渡しに行かなければならないからと、その躊躇を振り切って踏み出そうとしたときは2号に止められた。——まあ、オレよりも2号の方が、オレのことには詳しいのだろう。彼は、オレのことをよく見てくれているから。そのときも、引き留められて初めて、身体がひどく重くなっていたことに気が付いた。
 焦らなくてもいいと2号は言ってくれた。その通りにしようとしてはいるが——。

「……特に、具体的な希望はない。だから、2号の選んでくれたものがいい」
「りょーかい! 1号が気に入りそうなもの、探してみせるからな」

 任されたことが嬉しいのか、2号は得意げに胸を張る。その様が眩しくて、目を細めた。
 ああ、できるだろうな、おまえなら。おまえがくれるものなら、何だって嬉しいから。
 だが。本来、なら——。

「……それとも、1号も一緒に行くか?」

「————!」

 本当に、すごいな、おまえは。おまえの言葉は、いつも、オレを。

「……いや、いい。おまえの帰りを楽しみに待っていよう」
「分かった。期待しててくれよ」

 たとえ憧れがあっても、最終的には断ることを見越して尋ねたのだろう。2号は深く追求することはせず、コンソメスープに口を付けた。
 ——ありがとう、2号。今はまだ、その誘いだけで十分だ。
 だが、いつかはきっと、おまえと一緒に外に出てみたい。かつて身を置いていた軍事要塞よりも、今はずっと、穏やかで居心地のいい空間で過ごせている。だが、おまえとなら、どこへでも行きたい。オレの生が2号の最大の望みであった以上、あのときはこの星の外に共に行くことは叶わなかった。そこへさえも、今なら物見遊山として行けるだろうか。
 ——いや、この身体は宙を舞うことはできないから、それは無理か。

 

「ごちそうさま! お昼ご飯、美味しかったよ。ありがとな」
「それは良かった。……!」

 2号に続いて席を立ち、テーブルの上のティッシュをつまんで、2号のいる反対側へと向かう。
 「1号?」と首を傾げる2号の口元にティッシュを添え当てると、「むぐ」と声が上がる。そのまま数度動かした。

「パスタのソースがついている」

 何度か拭ってからティッシュを離す。赤色は2号の唇のあたりから消えた代わりに、白いティッシュの一角を染めていた。
 ティッシュとオレの顔を交互に見比べていた2号は、しばらくして状況を把握したらしい。きょとんとした表情を解いて、

「……ふふ、ありがと、1号」

と、微笑んだ。何だか機嫌が良さそうだ。

「またミートソースのパスタ作ってよ。美味しいし」

 先ほどまでソースが付着していたところを人差し指で撫でながら2号が言う。味以外にも好むところがあるような、やや含みのある言い方だ。——まさか、拭われることが気に入ったのだろうか。ご満悦という言葉がよく似合う顔で、ずっと口元に触れている。まるで、先ほどの感触を思い出すかのように。
 出過ぎた真似をしてしまったかもしれないと思ったが、この様子では、恐らく杞憂で済んだようだ。

「……いいぞ。また、いつでも」

 2号。困った子だな。だが、おまえがそうしてオレのことを求めてくれるから、オレは生きていられる。おまえの望みを、叶えてやれる。

 

 ボロボロの青いマントを翻して飛んでいく2号を見送り、キッチンに戻った後で、ミートソースを作るためのトマト缶の残りがあるかどうかを確認した。