Novel/BLL-潔カイ
延長線・境界線(全2ページ/1ページ目)
以下の内容が含まれます
- 原作301話(34巻)までの内容・カイザー過去前提
- 青監後・潔カイBM所属if・付き合い済み・同棲済み
- 潔もカイザーも落ち込む カイザーは落ち込んだまま終わる
- 糖度高め
- その他自己解解釈要素強め
「なあ、他の選手や試合の分析って、どんな感じでやってる? もし良ければ、参考までに教えてほしいんだけど」
言葉以下も以上の意味もない。ひとりのフットボーラーとしての、至って真面目な質問。それに、同じ視点を思考を持つ、自分と延長線で結ばれたストライカー——カイザーが是とする手法であれば、きっと自分にも適しているのではないかという、純粋な期待もあった。
苦虫を噛ませようなどという些細な敵意一つ、今の潔にはなかったが——問われた側であるカイザーの表情は途端に顰められた。
「……ハァ」
大きなため息一つ吐き、長い脚をわざとらしく組み替え。そしてソファの傍らに立つ潔の方へ、手にしていたタブレットを放り投げたのだった。さながら軽くて小さな不要物を、ゴミ箱へと投げ入れるかのような態度で。
「っ、と……!」
あっぶねえな。今の質問のどこに地雷があったんだよ。床に激突して液晶割れたらお前とんだピエロだぞ。——浮かび上がる疑問や文句を、宙を落ちるタブレットを無事掴み取れた安堵とともに、ひとまず呑み込んだ潔。
傍若無人な皇帝は後回しにすると決め。一瞬の焦りを乗り越え手にした画面を覗き込むことにした。皇帝の機嫌はよく分からないが、質問への返答として寄越してきたモノだ。百聞は一見に如かず、かもしれないと。
(……あー……)試合中のフィールドの様子と思しき動画が、シークバーの中央部分で再生を止められている。(丁度、分析中だったのか……)
画面を一目視れば詳細な情報よりも先に察せてしまう状況に、潔は呑み込んだ疑問と文句をいよいよ完全に撤回した。
自身が正に没頭していた思考についての説明の要求を、皇帝は煩わしく思った——潔がかつて凪に、「うるせえよ天才、今いいトコなんだよ」と言ったように——のかもしれない。覚えのある感覚を内心反省した潔はカイザーの技術を手早く盗んでしまおうと思い直し、改めて画面へと眼を落とす。
(まず、ちょっとくらいは動画も視させてもらおう……)
シークバーのポイントを左端まで動かしてから再生する。返却時には真ん中に戻すつもりだ。
——一試合の映像ではなく、複数の試合・複数のシーンを繋ぎ合わせた切り抜きらしい。それも、ひとりの選手の動きを捉え続けたものだ。彼がカメラの中央を彩って圧巻のプレーを魅せる姿も、画面の端で隠密——数秒先の戦局を大きく変容させる——に徹する場面も網羅した動画は、優れた超越視界の持ち主である皇帝の参考資料となるだけの質を誇っていた。潔にとっても見応えが——。
「……マメというか、お前らしいっていうか。一人一人についてファイル作ってん、のな——……」
「…………チッ」
当たり障りのない第一声では誤魔化し切れない光景。動画の主役は明らかに、よく見知った人物だった。そもそも、ファイルのタイトルに明記された名前から目を逸らし続けるのがそろそろ苦しい。潔の眼も脳もそれを直視し始めたコトを悟り、そっぽを向いたカイザーが舌打ちをする。
その鋭い音が響いた直後、潔は瞬時にカイザーとの距離を詰めて、同じソファに腰かけた。悪戯を思いついた悪童のようにぎらぎらと、そして無垢な好奇心を掲げる子供のようにきらきらと輝く眼で、タブレットの画面が双方に視えるように——ずいとカイザーに寄せる。
「俺じゃん!! なんだよ、お前ずっと俺の研究してたの!?」
「……気付いてて聞いたんじゃねえのかよ」
「そっか!! そのタイミングで俺に分析のこと尋ねられたから、バレたと思って不機嫌になったのか!! ふふ、バレてなかったって! 画面切り替えてから俺に渡せば済んだのにな……! クソ早合点してそのまま渡すこと、なかったのに……!」
「……。……それ以上言うなら、ソレ力尽くでクソ奪ってクソ壊すぞ」
「はは、お前のタブレットじゃん! 壊したところでお前が困るだけだろ! いや、ごめんって、別にお前をバカにしてるつもりはなくてさ……!」
カイザー本人にしてみれば、そう受け取られても無理はないと思いつつ——制御しきれないほど嬉しくて仕方がない。それが潔の本意だ。
強力なライバルに——いや、その程度の認識には留まらない。あの〝カイザー〟に意識されている。〝潔世一〟が〝カイザー〟の思考の中にいる。それは何度経験しようとも褪せることはない快楽で。しかもその思考を本人に晒すコト要求されたカイザーは恥じらいと拗ねと引き替えにほんの冷静さを失って早計を起こし、最大の証拠を自らの手で潔へと明け渡してしまった。潔にとっては愉快極まりない。ありったけの愛情を込め、ピエロ呼ばわりしてやりたい衝動に駆られてしまう。
——だが、悪意なき表現を敢えて選ぶのなら。
「ただ、なんか……! ……カワイイな、お前……!」
そもそも、偶然にもこの瞬間に潔世一を研究していたとして、恥じらう必要性など本当はないのだ。自身の脅威となり得る選手——たとえ同じチームに属していたとしても——の情報を集めておく程度、不思議でも何でもないのだから。つまりここで〝恥じらう〟という感情が生じることは、潔に単なる一ライバルへの対抗心以上の想いを寄せていることの表れでもあって。
「……クソ殺すぞ」
「やってみろよクソ薔薇。……おい、眼据わらせんのやめろ。こっちはフィールド上の話してんだよ」
「…………」
「分かったからもう怒んなって、このくらいにしとこうぜ。そう拗ねることねえだろ」
両想いってことじゃん。——とは言わないでおいた。余裕と皮肉をもって上から手を差し伸べてやるのも悪くはないが、今はどちらかというとひとりで愉悦に浸りたい気分だった。それに、自分たちの両想いなんて口にするまでもない既知の事実だ。
フィールド上でこそすっかり互いへの私情を克服した喰い合いまたは連携を繰り広げるようになった潔・カイザーだったが、厳密には克服というより、両者ともが思考の取捨選択や削ぎ落しの技術に長けているがゆえに至れた妥協点だ。そして互いへの私情は、他の誰に対しても向けられないほどの巨大な激情で、一度削ぎ落してもまた何かの拍子に容易に拾い上げてしまう。時にそれは彼らの勝敗を左右する要因と化す一方で——今こうして、同じ家の同じ部屋で、身を寄せ合って過ごす間柄をも与えてしまった。
「あ、下の方についてるメモ書きはお前の分析だよな? そこは読んでないから安心しろよ。動画はちょっと視ちゃったけど、それ自体は、俺自身に覚えのあるプレーでしかないから、ノーカンってコトで」
潔本人に見られてしまうということが想定外であっただけであり、あくまで、フットボーラーのカイザーが冷静な視点をもって記したファイルだ。であれば敵として認められた潔がそれを読んでしまうのはルール違反なような気がした。自身の課題の発見と克服、それによるカイザーの凌駕には繋がるかもしれないが、カイザーがカイザーのために書いた分析である以上、それを自分が読むという行為は、喩えるならテストの模範解答を事前に、不正に入手するようなもの。少なくとも潔はそう認識した。
目的のため手段を選ばない道具の立場に徹し、無遠慮に眼を通して脳に刻んでしまうことも実のところ可能ではあったが、〝両想い〟にはしゃいでしまった今の潔はそれを選ばなかった。ただ画面のスクロールを続け、カイザーが積み重ねた研究の〝量〟に浸ることに終始する。それらは潔への〝新手の I LOVE YOU〟の重なりと言ってしまっても良いものだ、だから余すことなく視ておかなければ——という、浮かれた使命感に従った。
「あ……! ここに貼り付けられる写真、U-20日本代表と戦ったときのヤツだよな! ……なるほど、そっか! 俺のコト、この試合から知ったのか……!」
ファイルの底の方に辿り着いた潔が感嘆する。〝青い監獄〟初の大舞台にして、最後の最後の瞬間で、潔が自ら運命を変えた戦い。数年越しに振り返っても、潔世一にとって特別で大切な一戦だったと断言できる。
——その戦績が皇帝の関心を買ったというのなら、なおのコト。聴いていて鳥肌を立ててしまった挨拶だったが、それでも潔は思い出さずにはいられない。
『俺はお前に逢いに来たんだ』
『〝青い監獄〟のエースストライカー、潔世一』
新世代世界11傑に名を連ねていたカイザーは、〝新英雄大戦〟参戦者の中でも群を抜いた実力者のひとりだった。その圧倒的な力でチームに君臨するエースが、〝青い監獄〟を見下し尊大に振る舞い、特に潔相手には敵チームそっちのけでの対立関係を強いてきたのだから厄介極まりない。おかげで潔をはじめとした〝ドイツ〟メンバーは内戦も含めた険しい四試合に挑むコトになってしまったが、しかしカイザーのいない〝新英雄大戦〟なんてゴメンだと、潔は密かに想うのだ。
「クソ当然。〝青い監獄〟プロジェクト自体は、この試合の前から発足していたんだろ? だが、日本に出現した超エースくん……。それがお前の最低条件だ。いくら当時の俺でも、それ以下の無名のクソザコを獲物にしようとは思わねえよ。そもそも無名なんだから見つけようがないだろ」
「そりゃそうだよな。……ん?」
無名のクソザコ。過去の潔へのその評価に反論する気はない。しかし、カイザーはなぜ、潔がそうだったと断じられるのか、という疑問は湧いた。
例えば糸師凛は、カイザー同様の〝11傑〟である冴との血縁だけでなく、自分自身が〝日本一〟に至った戦績を既に得ていた。潔世一にだって、小さな栄冠の一つくらいあってもいいとハズとは思わないのだろうか。なぜ、〝無名〟だと分かったのだろう。
——改めて人差し指を添えたスクロールバーは、まだ下げられそうだ。
「……! け、県大会のときの写真! な、なんで出てんの!? こんなのどこで見つけたんだよ!」
「件の戦いやお前について述べてある記事に付いていただけだ」狼狽える潔に対し、カイザーは事もなげに返す。「お前の経歴を洗おうとした記者が見つけたんだろ。新興勢力の〝青い監獄〟はとにかく情報がクソ薄かったから、使えるネタは少しでも拾っておきたかったんじゃないのか?」
「ウッソだろ……!」
高校生の部活間のものとはいえ公式戦。ネットにその内容や写真が載せられること自体おかしくはなかった。ただそうして選ばれてしまったエピソードの結果を思うと、潔は頭を抱えずにはいられない。
「『負けた』って書くだけで、記事は膨れねえだろ……!」
苦い記憶の不意打ちを喰らい、瞬間的になすすべを失った潔は、カイザーが指差した画面上の文章——カイザー直々のコメントではなく記事に書かれたモノであるらしく、読んでもいい、というコトなのだろうと解釈した——を眼で追ってしまう。大会当時の潔のプレーを評価する、短い一文だった。
しかしプレー内容の詳細、何より試合の結果への言及を極端に避けた文は、潔にはもう、無理矢理捻り出された世辞としか思えなかった。あの戦いの主役は、誰がどう視ても吉良涼介。〝潔世一〟の方を求め記すメディアなど一切なかったことくらい、潔自身がよく分かっている。そしてその事実を直接知らずとも、フットボールに造詣の深い者ならば、かつての脇役の僅かな戦績をも掘り起こさなければならなかった記者の苦心を、精一杯の短い紹介に留まった文章から察せてしまうだろう。だから〝U20戦〟で名を馳せる前の潔のコトを、カイザーは〝無名のクソザコ〟と呼んだのだ。
その後に収めた勝利一つで、世界は苦い過去すら肯定的に捉えてくれる——などと思ってしまうコトもできるのだが。
(ここで、負けたから……)
自身の原点を呼び起こした無念となれば、そう簡単に昇華してしまえるはずもない。そして下手に昇華などしてしまえば、そのエゴをまた忘れて停滞し、迷走することにもなりかねないと分かっている。だから、どれほど——かつてとは比較できないほどの強者になろうとも、潔はあの叫び泣くほどの悔しさを克服することだけはできない。その想いは、「勝ちたい」という渇望に等しいからだ。
(けど、まあ……)
敗戦に次いで潔の脳裏に蘇った記憶は、〝新英雄大戦〟の〝フランス〟戦にて、絶望のさなかに響いたカイザーの声。潔と同じ敗北への絶望、しかしその絶望への激怒と戦意を剝き出しにした叫び。
自身の原点、しかし忌まわしい敗北——でも、カイザーにバレるのは、別に悪いコトではないかもしれない。何なら、もう既に打ち明けていたような感覚さえあった。自分たちを「秀才」だと認めての共闘の誘いは、言外に自らの立場《過去》全てを明かしたことと同義なんじゃないのかと、潔はひとり納得した。
「〝U20〟戦では英雄になれたのに。カッコ悪いトコも知られちまったな」晴れやかな観念をもって過去を認めた潔は、続けてカイザーの様子を窺うように語りかけた。
「別に」カイザーは液晶に視線を落としたまま、その首を緩慢な速度で横に振る。「……喰い潰されるだけだったクソ惨めな子供《ガキ》が、僅かな幸運と才能の芽を買われるように拾われて、別の環境へと放られる。そこでめでたく才能を開花させ、今度は他人を潰す側に回る。……クソ夢物語だが、ない話じゃないだろ」
「はは。確かに、そーいうモンか」
潔は感心しつつ苦笑した。高校生活を抜け出し、〝青い監獄〟プロジェクトに身を投じた自分の姿を視てきたかのような、正確な説明だ。
「……カイザーも、そうだったり?」
「——は?」
伏せられていたカイザーの眼が、即座に見開かれ潔を捉える。
「……なぜ、そうなる?」
「だって今、めっちゃリアルに語ってたじゃん」
「……世一の経歴について、想像のつくコトを述べただけだが?」
「そうかもしれないけどさぁ」
普遍的な物語を述べただけにしては、妙に具体的でしかも彼らしい言い回し。潔へと返されなかった視線。潔の過去に対してぽつりぽつりと紡がれた、素っ気なく遠回しな肯定。それらの態度について、潔や誰かの人生についての単純な推測を淡々と進めたというよりは、カイザー自身についての回顧を含ませた想像だったという方が、潔は聴いた側として大いに納得できた。指摘した瞬間の驚きようも、図星を突かれた反応としか思えなかった。
(……まあ、ホントは)
潔の想像は、今この場のやり取りに留まる思考ではなかった。——あの日のカイザーの叫びこそが、何にも勝る根拠だ。あれは即物的な癇癪ではなく、積年の悲嘆と絶望を薪とする憤怒だったんじゃないか。何も知らないながらに潔は想う。カイザーは生まれながらに常勝を欲しいままにしていた皇帝だったのではなく、潔と出逢ったときには既に、挫折や辛酸を味わい、それを引き摺っていたんじゃないのかと。
「じゃあ、お前はどんな選手だったんだよ」
詳細な経歴も思い出話一つも知らないまま、潔はカイザーと結ばれた。ムカツク相手、どころか生まれて初めて心の底から憎み嫌った、苛烈な殺意対象にして——潔世一の理想を体現する、誰よりも鮮烈なフットボーラー。潔がカイザーに心奪われるには、出逢って以降に獲得したそれらの印象だけで事足りたからだ。二度ほど同じ戦場に立てばすっかり完成してしまった敵意も恋情も、同じ想いをカイザー以外の誰かに向けるコトはもうできなくなっていたし、戦いを重ねるにつれ募り続けていくそれらが、秒速で更新され進化する未来ではなく、振り返る間もない過去によって補強されるコトもなかった。その機会も必要もなかった。
しかし〝青い監獄〟プロジェクト終了後、茨の柵を恋心を以て超え続け、今この瞬間に至るまで、不必要なそれに一度として関心を向けなかったと断言してしまえば、実は嘘になってしまう。惚れ込んだ相手に対して当然生まれた知識欲、その中には彼の人生そのものへの興味だって含まれていた。——そしてその中に、潔世一が何か共感できる思い出があればいいという、「理想」の存在へのほのかな期待もあった。
「お前が〝青い監獄〟に入る前の俺の失態知って、こうして保存までしてんだから、俺も対価として、昔話の一つくらい要求しても良くね? ……希望としては、高校時代の俺みたいな失敗談」
「…………」
これまで思考と言葉と時間を割いてこなかった私欲ではある。翻せば、それを刺激されてしまった今こそ、欲を叶える絶好の機会。潔のコトしか述べていないタブレットの画面には最早眼もくれず、潔はまたカイザーに対して前のめりになった。
「……なぁ世一。至って真面目な動機で行った情報の収集と閲覧に、対価って発生すんのか?」
「ハッ、真面目な動機とかよく言うぜ……」
近年の行動に絞るなら、「真面目な動機」を疑うコトはないだろう。だが出逢った当初やそれ以前の情報をカイザーが集めていた理由なんて、当時の彼が敷いていた帝政と紐づけてしまえばムカツクほど簡単に見当がついてしまう。
『クソお邪魔します、PART2』
『お前の武器は『直撃蹴弾』だったな……。てこたぁつまりこーやって体勢を崩し、ワントラップさせりゃ、死ぬ才能』
『ホラ世一、お前の最終局面、俺がクッソ台無し♪』
倒したい相手のプレーとその特性を研究するため——と言えば聞こえは良いが、自陣の選手すら標的として嘲弄した皇帝の行いはあまりにも悪質で理不尽だった。その悪行遂行のための情報収集を、果たして「真面目」と言えるだろうか。所詮そんな情報なんて、意地の悪い勝利の美酒と、それに合う肴を判断するための材料に過ぎないのでは。
「……ある意味真面目か……」たとえ目的が非合理な悪行でも、そのための下準備にせっせと励んでいたというのは。「でもまぁ、ここは一つ、被害者権利ってコトで」
「胸倉掴んで凄んでたヤツが『被害者』かよ。あのプレーがあってこその、お前の勝利だったよな? それに、俺もどこかの誰かからストーキングの被害を受けていたが、俺は対価を要求するどころか歓迎すらしてやったぞ」
「——好きだわ。……お前のそーいうトコ、マジで好き」
「あ!?」
カイザーが言及した出来事も全て、〝新英雄大戦〟にてマンシャイン・Cと戦った際の一幕だ。——しかし潔は幾度となく、数試合に渡って圧政に晒された。「被害者」の自称一つだけでは、それらの内の特定の試合や場面は指し示せない。
にもかかわらず、潔がまさしく思い返していたマインシャイン・Cとの戦いを、カイザーは述べてみせた。言葉なくとも、潔と思考を共有してみせた。
「……イカれてる……」
悪行や言い訳を咎めるどころか突如好意を告げてきた潔に、カイザーはかの試合で思わず口にしたものと同じ評価を告げるしかなかった。——ただし今度は、その頬をほのかに赤く染めながら。
「……そんなに知りたいなら、お前もまた、勝手にストーキングすりゃいいんじゃねえのか」狼狽と頬の熱を誤魔化すように、カイザーはすげない対応に切り替える。「誰かに聴いても、調べても。いくらでも出てくるだろ。……いくらでも」
「うーん……」一理ある。手元のタブレットに詰まった潔の情報だって、カイザーは自力で集めたのだから。「……いや。お前の口から直接聴きたい。……聴いてみたい」
「……なんで」
「それが一番、確実……だから?」
自らの過去を思い出し、戦い方を変えたあの瞬間、自分の全てを曝け出し眼の前の相手に明け渡したようなモノ——というのが潔の認識だ。カイザーは真性のエゴ以外の全てを投げ打って選んだ契約者だ。そうであるからには、カイザーの欠片にだって、この手で直接触れていたい。
それに、高校時代の潔が経た惜敗のように、そして潔がカイザーに要求した通り、皇帝の弱みを示すような欠片だとしたら。なおのこと、部外者から得たくはない。ただの事実として伝えられるならまだ良いが、もしもその提供者がその情報に皇帝への嘲りを含めようものなら、事と次第によっては自分がどう反撃してしまうか潔は分からなかった。この曝し合いは、ふたりだけの契約でいい。
——逡巡の末、思考二点の全容は心に留め、「それが一番確実」だけをカイザーに告げた。それだけで理由として成立するだろうという、合理的判断だ。詳細を話せば話すほど、そこから話題自体が逸れていく可能性——理想共有者との会話は、いつも弾みに弾んでしまうので——も考慮して避けた。あと、ちょっと恥ずかしかった。
「……。……どんな〝選手〟だったか、か……」
潔から眼を逸らして押し黙った後、カイザーは問いの内容を反芻する。——何か、落とし所を探しているように。
「……まったく。世一くんは知りたがりだな」
潔がそう直感したときには、カイザーはもう顔を上げて、潔を真っ直ぐに見据えていた。複雑な思案に捕らわれていたような表情は暴君の微笑へがらりと変わっていて、直感を確かめるすべはなくなっていた。
「無名時代のお前はまだ十七歳だったか? クソ残念だが、その頃の俺は、世一がお求めのような思い出を持ち合わせていないな。『負けた話』なんて縛りさえなければ、代わりの演目を用意できるぞ。ドルトムントの下部組織にいた世間知らずの超新星に、現実を教えてやった話とか。落ち目の元スーパースターに、引退を決意させてやった話とか」
「うわー! 出た! お前の嫌なトコ!」凄い方ではなくムカツク方の想い人像を拒みかき消すべく、潔は全力で叫ぶ。「どうせ勝った話すんなら別のにしてくれよクソ皇帝様! ジャイアントキリングの経験とかさぁ!」
「うーん……。1…….5流のベテランを負かしてやったときの話、とかか……?」
「おい、今小声で『.5』って言っただろ!」
「分かった分かった、U20W杯のときの話で手を打とうじゃないか」
「大分飛んだな……。てか、〝新英雄大戦〟以降のコトなら知ってんだよ。渡独前から、お前の戦績は追ってた、し……」
「……それはそれは。ストーキング継続自白をクソどうも」
「……もぉ……」
潔が思わず口走った〝I LOVE YOU〟に皮肉を返しながらも、さっきまで意地悪く吊り上がっていたハズの眦は微かに緩み蕩けていて。それを視てしまえば、潔は抗戦の意思を呆気なく放棄し、同じく眼元口元を緩めてのため息をついてしまうのだった。
——皇帝様の良いように、はぐらかされたと分かっていても。
まず、過去全体から潔の要求に見合う物語を抽出するのではなく、発端となった潔の記事を口実に〝当時の潔と同じ十七歳の頃〟まで過去そのものの範囲を狭め、潔の要求を回避。次いで、かつて暴君らしく耽った享楽で、潔の反感と拒否を招き——潔の気を要求から逸らす。そこまでの目論見は、少し思考を馳せれば読めてしまえた。目論見自体があくまで〝そこまで〟であり、潔からの思わぬ反撃だけは素で喰らっているコトも理解している。
もちろん、その計算外の事態だけでなく、本題である計算の目的まで。
(……言いたくねーのかな)
否定はできない。誰だって負の経験、しかも激しい悔恨に駆られて咽び泣いたほどの思い出を、軽々と述べたくはないだろう。
そもそも潔自身、カイザーに全て打ち明けたような気になっているだけで、実際に洗い浚い全てを語ったワケではなかった。潔が自らの敗北経験に懸けた想い、そして自分が少なからずそこに結び付けられているコトなど露知らず、カイザーは「かつての潔は無名だった」「頭角を現したのは〝青い監獄〟入監後」という端的な事実だけを捉えているのかもしれない。——その経歴に一瞬でも見出した、自分自身の影を踏み隠しながら。
試合内外で発揮し合う言語外の意思疎通能力は決して万能ではないのだと潔は思い直す。その一方、カイザーの影を踏む足を退けてほしい、隠したものを教えてほしい、悪いようにする気は微塵もないのだから——と要求する、私欲塗れの好奇心も健在で。
(カイザー相手だと、自他境界度々バグるよな……)
前髪越しに額を抑えて、潔は眼を閉じ静かに嘆息した。
好意を自覚して接するようになって以降、自分がカイザーに向ける激情も冷静に分析できるようになっていた。そうして思考するうちに自覚した、対カイザー特有の距離感、そして彼への愛憎——その正体の一つだ。
他人との距離感の判断や安易に越えてはならない一線の見極めは、本来であれば潔の得意分野だ。その視点を存分に発揮しながら自己を弁える選択を取るコトで、どんな他人とも良好な関係を築ける方だという自負もあった。——カイザーだけが、その自負の例外。戦場を出てもなお嫌った。他人には向けなかった殺意を覚えた。一線を承知で踏み越えて、抉ってやろうとしたコトもある。その反面、理想視した彼を誰よりも好いて、近付きたいと願ってもいる。
(良くも悪くも、「他人」じゃねえんだよな、コイツ)
ただの「目標」ではなく、「自分の理想の体現者」「潔の上位互換」という捉え方をしてしまった。そして高次元な論理を完璧に疎通し合えてしまった。それらの経験のせいだろうか。時には、自分のありえない過失を悔いて猛省するように、時には、自身の可能性の輝きを追及するように。無遠慮に嫌って、際限なく好いている。
今この瞬間も全く落ち着く気配を見せないほどの知識欲にも、恐らくその非「他人」視が絡んでいる。そちらは潔の経歴を知ったのだから、カイザーの分だって——という交渉名目ではあるものの、対カイザー知識欲そのものは、徹底的な自己分析に励むコトと何ら変わりない感覚だった。「他人」になら慮って尋ねないような情報でも、カイザーになら日記上でペンを弾ませるくらいの軽さと高揚をもって要求してしまえそうだ。
「……やっぱ潔・カイザーってイカれてるのかもな……」
「なんだ急に。世一の自己紹介に俺を巻き込むな」
「いーや、道連れだクソ皇帝」
「クソふざけんな」
親しき仲であろうとも、境界線を敷いて守るのは当たり前。人付き合いの基礎中の基礎と言えよう。しかし潔・カイザー間に限っては、互いの境界線上に立ててしまった事実が無二の特権の源となっている。潔ひとりの自意識上の話ではなく、カイザーも潔をそのような存在として認識し、そのように扱っている節がある。カイザーと過ごす時間や交わすやり取りを積み重ねる中で、潔はそう確信していた。
だから、カイザーが進んで明かそうとしなかった経歴を尋ねるという言動自体は、自分たちの間でのみ、不正解とはならないハズだ。
(境界線人頼りてえ……!)
しかし今この瞬間、この手の判断に長けていそうな彼を思い起こすくらいには、潔はその自信をぐらつかせた。
カイザーの遠回しな黙秘を察したコトで、容易く越え合ってきた曖昧な境界線が、はじめて輪郭を伴ってしまったせいだ。もしかすると、曖昧でいられた今までの方こそ、境界線の生まれない話題ばかりを選び続けてきたという幸運の下に成り立っていたのかもしれない。潔がカイザーの昔話を要求したのもこれが初めてで、カイザーも自分から語ろうとはしてこなかった。
明確になった境界線を前にすれば、迷いも生まれる。自分たちを結ぶ赤い糸の材質と強さへの全幅の信頼をもって、これまでのようにカイザーを手繰り寄せ、皇帝を守る境界線を破壊するか。それともその糸が千切れてしまうのを恐れ、皇帝が敷いた境界線を遵守すべきか。——正直、どう考えても後者が正しい。
(……今回に限った話でもないんだよな……)
カイザーとだけは、境界線が欠如したままでいられる。言い換えれば、他多数の人間関係で当然保たれる原則を欠いたカイザーとの関係は、やはり「まとも」ではなく、どこか背徳的だ。戦場外でも言葉抜きで心を交わし、踏み込み合う——潔はその関係を実感する度に、引き返すべき道を突き進み、戻れなくなっていくような心地とともに、カイザーへの高揚や愛情を掻き立てられてきた。
潔はそれで良かった。引き返す気は最初からなかった。カイザーもまた、潔が自分と「まとも」な恋愛観を要求し合うような人物であれば、そもそも惹かれはしなかったのだろうと。
しかし、自分たちのそんな関係を再認識・再構築すべき機会が訪れてしまったのかもしれない。少なくとも今は、カイザーが自ら境界線を敷いた。境界線の欠如という、自分たちの特権であり続けた状態を覆し、NOの意思表示をした。
(だったら、とにかく、カイザーだけは……)
「まとも」な世界に、戻してやるべきなのかもしれない。
「——。……なあ、カイザー。……『サッカーは十一人でやるスポーツ』……なんて言い回し知ってるか?」
「——は?」
「高校時代のチームの哲学だ。結果や勝敗よりも、チームプレーを重視する。で、その哲学を体現していたのが俺」
——「潔」は、戻れなかった。引き返す気はとうに失せていた。
だから、カイザーにこれ以上の追及をしない代わりに、「潔世一」の開示を進めた。
潔にとって精一杯の妥協案で、折衷案で、自分たちの〝特権〟を放棄はしないという意志表示だ。
「……世一?」
「GKと一対一の場面で、味方にパス出しゃ確実に一点って思って……。それで、負けた」
この場において、潔がカイザーにこれ以上踏み込むコトができないのだとしても、潔は変わらずカイザーに全てを明かしてしまえる。カイザーとの境界線の欠如を良しとし続ける。潔は境界線を解いたまま、そこにカイザーが立つコトを許すから——カイザーが隙を晒したときには、また容赦なく挑んでやる。
〝特権〟を認め合う未来への僅かな期待、けれどそれ以前に〝特権〟を明け渡す自己満足。カイザーを懐に迎え入れる姿勢だけは確かなものとする一方的な自己開示が、今の潔にできる最大限のI LOVE YOUだった。
——ひとりで停滞していると謗られようが構わなかった。潔にとって、この特権は不要物なんかではなかったので。
「ストライカーとして生きてる今じゃ考えられないような失敗だけど……。アレはアレで、俺が染まってしまいやすい環境だったんだろうな。何せ俺自身が、気付けば他人の顔色うかがって、率先して相手を立てながら過ごしてきたんだからさ」
「…………!」
「それでも結局、負けたコトには納得できなくて、悔しくて大泣きした。……それで、変わりたいって思いながら、〝青い監獄〟で戦った」
「……。『悔しい』と思えたんなら、染まりきってはいなかったんだろ。……だとしても、例の施設に入るまでは……やっぱり、エゴイストじゃなかったんだな。……他人の顔色うかがうなんてクソ特技ばかり発揮して、ひたすらに譲って、自我の原液をクソ薄めて……」
「まぁな。でも、件の負けの遠因になった特技自体は捨てたモンじゃないとも思ってるぜ。他人の強みや精神の質を見抜ける視点は、今じゃ戦場の敵味方全体を掌握する観点に役立ってる。要はエゴ次第だろ。『勝ちたい』って自我を薄めていたあの頃の俺は、武器となり得るせっかくの特技だって、自分を腐らせる敗因にしちまってたってコト」
「……クソ生意気」
「はぁ? じゃあ俺がそのまま燻り消えていくクソ弱者のままで良かったって言うのか、よ——」
カイザーに真っ直ぐ語りかけていたつもりでも、次第に夢中になって話し続けていた潔は、ようやくカイザーの表情を捉え直し——言いかけていた文句を、途中で止めた。
潔の眼に映った皇帝は、言い放ったふてぶてしい口振りとは裏腹の表情をしていた。柳眉の根はきつく寄せられ、眼は鋭さを保ちながらも力なく伏せられ、その美貌はくしゃりとした陰りを帯びて。——決壊の気配こそなかったが、今にも泣いてしまいそうな危うささえ纏っていた。
(……「『やっぱり』、エゴイストじゃなかった」、って言ったよな……。ってコトは……)
先ほど、潔が推測した通り。かつての潔への想像は、やはり既視感にも等しい明瞭さを伴って、カイザーの思考に存在している。潔の敗北とその先の物語——さらには敗北に至るまでの物語にまで、自分の影を重ねている。部の方針やそこに適応してしまった潔の性格が語られたとき、カイザーは狼狽え息を呑んでいたコトに、潔は気付いていた。
(間違いない。カイザーにも、あったんだ……)
他者を慮り続け、自己主張は避け、彼らの上に立とうとはしなかった頃が。「エゴイストじゃなかった」時代が。
傲岸不遜の皇帝像には程遠い振る舞い。しかしかつての自分と同じと捉えてしまえば、潔はむしろ心底の納得を覚えられる。——カイザーは自分と同じなんじゃないかという、ほのかな期待と私欲が叶う気配を確信しての喜びさえ。
そしてカイザーもまた、潔の言葉を一切疑わずに、潔の昔語りを受け入れた。「〝青い監獄〟の申し子」と名高い潔世一の、エゴを欠いた姿をだ。カイザーへの仮説に想いを馳せる潔同様、潔が辿った一連の現象について身に覚えがあるからこそ、「エゴイストではなかった潔世一」を理解できたのでは。
——自分たちの共通項について、潔はさらなる確信を募らせたものの。
(じゃあ……一体、何を恐れて……?)
引かれた境界線までも思い出し、そしてカイザーが境界線に込めた目的への疑問を抱く。
自らの領域に侵入しようとする潔を拒むためのモノ。それが、境界線に対する潔の推測だった。しかし、潔の領域だけを明るみにする一方的な昔語りにまで、カイザーは大きく動揺して表情を変え、その話に理解を示す返答を述べながら、最終的には口を噤んだ。カイザーが真に忌避しているのは潔に領域を許してしまうコトそのものではなく、その状態を感受した先で自分自身に起こる何かなんじゃないのかと、潔は想定を改める。
——カイザーがぽつりと零した「クソ生意気」は、潔の躍進に向けた皮肉じゃない。潔を直視せず告げられたそれは、恐らくカイザー自身に向けられた独り言。潔の話に、自らの影を見出してしまったコトへの自戒。
潔との間、ソファの上に投げ出された王冠の拳を視て、潔はそう直感した。視ている側にまで痛みが伝わりそうなほど固く握られたそれは、懸命に皇帝の身体を支えながら、一切のぐらつきを封殺しているようだった。——カイザーとはしばしば緻密な心理戦を繰り広げているが、自分の延長戦上の存在でもある彼の思考には、時として直感を働かせてしまえる。
(俺を、退けようとしてるんじゃなくて……。……俺に共鳴してしまえそうなカイザーを縛るため……。俺に近付くコトを許さないための線、って感じだ——)
思考がそこまで行き着くと同時に、潔は途端に息苦しさを錯覚した。
カイザーが自らに課しているその状態。潔世一の起源にも等しいかもしれないカイザーの記憶や自我を縛り上げる境界線。それらは潔にとって執拗な不自由であり、持ち前の想像力で御せる範疇に無い。眼前に奔るそれは最早、人と人との間に当たり前に存在する境界線——潔自身も、今まで誰かとの間に意識してきたような——なんて生易しい代物ではなく、深く暗い、底無しの溝のように思えてしまった。——そんなモノが自分たちの間に存在するというコトも、信じたくなかった。
そして、溝に直面した思考は今度こそ行き止まる。潔が想像できたのは目的までだ。——なぜカイザーは、そんな裂け目を創らなければならなかったのか。その理由が分からない。
(——。『不自由』、か……?)
『自由』志向である潔とは大きく異なるカイザーの性質。自身の能力を存分に生かすために自在な振る舞いを通すのではなく、抑圧され手段を奪われる環境こそを、その抑圧を突破するための能力を発揮できる本領とする。境界線の融解が進行していたとはいえ、同じ戦場に立つ、喰わなければならないフットボーラーの欠かせない情報であるのだから、忘れていたワケではなかった。
しかしその差異を現状の答え合わせに繋げられるかと考えれば、潔は首を捻りたくなった。元々、何もかもを等しくする間柄ではなかった。細かい相違点や対照性など挙げていけばキリがない。——しかしそれらは、自分たちを繋ぐ延長線に勝る要素ではない。延長線が全てに勝ったから、自分たちは結ばれた。その、ハズだ。捻った首を、さらに何度も横に振る。
(……情けな……)
浮かんだ可能性を拒む自分を客観視してしまえば、新たな嘆きと呆れが生じた。
カイザーが線引きを望むならと思い直したばかりでありながら、想定以上の溝だと気付いた途端にまた揺らいだ。変革を恐れずに戦い続けてきた自負も、境界線を欠いた心地良い関係を保ちたがる自分と衝突してしまった。
仕方がないだろうと言い訳する。延長線を裂いてしまうほどの境界線ではないと思っていたのだから。カイザーの意を汲んで彼の過去を追及するのをやめ、代わりに自己開示に及ぶという思考転換も、結局はその自信に支えられていた。しかし、それが見縊りであったなら。本当に、境界線が延長線を侵食し断ち切ってしまう酷烈な溝であるなら。
——同じだと思っていた自分たちが、そう感じて魅かれた相手が、実は完全に分断されるべき、異質な存在だったとしたら?
現に今、潔はカイザーの「不自由」を、全く理解できずにいる。
(今までの全部、全部、俺の勘違いだったとしたら——)
身体中が血の気を失い強張っていく。唯一ぐるぐると止まらずにいる思考に沈むように俯いた先の視界で、震える両手で拳を作った。
潔とカイザーとの接点全てが幻として壊されてしまうなら、潔だけが境界線の解除を続ければ済む話じゃない。カイザーと通わせたモノ全てを諦めて、正真正銘、0から関係を創り直さなければならなくなる。それ自体はまだいい。破壊と再構築の思考は、「秀才」の得意とするところだ。——しかしその局面を迎えたところで、選びたいと思うに足る欠片を浮かべる違う道が——カイザーを、自分と同型だと思わずにいられる自信がなかった。自由を阻まれ、耐え難い不自由を強制されるコトと同義でしかなかった。灯火一つ許されずに暗がりに放り込まれるような心地だ。一歩踏み出せばその恐ろしい谷底に転落してしまうかもしれないというのに。
(カイザー……)
自ら境界を裂いて、一足先に分断を認め受け入れたであろう、賢い想い人のカオを視れずにいた。底に落ちゆく潔を冷徹に見下ろす美貌にさえ、自分は焦がれ、「ああなりたい」と思ってしまうのだろうと予感すれば。
(お前は、それで良かったのか……?)
潔世一と、隔てられても。
「——おい、クソ世一」
「ん……? ——な、何!?」
——突如、カイザーに寄りかかられた。
重たく沈んでいた身体は、預けられた別の体重に飛び跳ね上がる勢いを与えられた。——実際、ひとりでにソファから立ち上がってしまいそうになるほど驚きはした。しかし潔は身動き一つ取らなかった。今は、離れたくないという欲望が勝ってしまった。
「何何何!? マジで、いきなり何……!?」それでも驚愕は健在なので、紡げる言葉は同じ疑問ばかりだ。
「クソうるさ……。こんなコトくらいで狼狽えんなよ、クソ童貞って呼ぶぞ」
「はぁ……っ!? いや、狼狽えるだろ! そーいう誘いの意図がないからこそビビるわ……!」
「へえ、分かってるじゃないか」
「——」
また一つ重ねてしまった意思疎通から逸らそうと努めた意識は、よりこの半身に溶け込んだ存在に捕らわれてしまう。至近距離で浴びせられる無遠慮の叫びに「うるさい」と苦言を呈しながらも、カイザーは離れるどころか、さらに潔の身体に擦り寄ろうとする。その光景に釘付けにされる視覚と、分け与えられる体温に捕らわれる感覚が、潔に己の鼓動を思い出させ、高鳴る胸を締め付けた。
飼えているのかどうかさえ危うい、限りなくつれない猫でも、飼い主の暗鬱や孤独を敏感に察し、寄り添おうとするらしい。どこかで聴いた噂を思い出してしまった潔は、咄嗟に唇を噛んで、眼の奥の痛みを堪えた。——感激ではなく、カイザーの行動原理を都合良く解釈しようとした自惚れを、その自惚れへの自省ごと失くしてしまいたかった。
「……まったく。世一がそんなカオすんなよ」
「どんなカオだよ」
視てないクセに。——カイザーは潔にもたれかかったまま、潔のカオを見上げてはいなかった。
「泣きそうなカオ」
「……」
お前の方こそ。——ついさっき視た事実でも、言わないでおいた。今は潔の肩にカイザーの頭が乗せられているから、その表情を視るコトはできない。
カイザーとの間の手——まだタブレットを握ったままの——とは反対の手で、潔はそっと自身の目元に触れてみる。雫も潤みもなかったコトに安堵して、やっと落ち着けそうな気がした。
「……で? 何なんだよ一体」
「は? 理由欲しいか?」
「欲しい。つーか、あるだろ。……」
カイザーの発言や行動には全部、理屈や理由があるハズ。——開示要求の前提であるその信頼も、要求した途端に迷ってしまった。潔と同じ性質を見出してしまっているだけではないのかと。
しかし、だからこそ説明は求めなければならない。言葉なき意思疎通を信じるがまま、カイザーの理由を、都合良く解釈しないために。自惚れないために。
「ふふ、クソある。俺が何の意味もなく世一に甘えると思うか?」
「——。……あ、あるんだ……」
互いを結ぶ延長線が覆ったとしても、まだ恋仲が保たれているなら意味なく甘えても良くね? てか、結局理由あるんじゃん。「欲しいか」って尋ねたのは俺を試すつもりだったってコトか? 等々の指摘は遅れて浮かんできた。
——疑おうとしたばかりの信頼が、カイザーの言葉によって即座に肯定されてくれたコトの方が、大事だった。
「そうだな。……さすがに、自己開示……いや、意思表示の一つくらいはしておこうかと」
「——意思表示? ——今の、コレが……?」
気高いハズの猫が、潔へとさらに体重を寄せてしなだれかかる。大きく跳ねた心臓の痛みで、潔は声を震わせた。
「……自惚れんなよ、世一。お前の考えそうなコトくらい、俺でも分かる」
「——……!?」
「笑えないくらいクソ滑稽なお前へのサービスとして、ハッキリ言い返してやろう。……俺も、お前と同じように考えている。……お前と、同じままでいたい」
「——ええ!?」
潔が正に諦め、呑み込みかけていた決裂。その意志を、カイザーはあっさりと否定して覆してみせた。分断の溝を自ら生み出したハズのカイザーが。
情けや慰め、あるいは戯れの演技とも思えなかった。——潔から視えるカイザーの片耳は、地の白肌のおかげで赤く染まっているコトが分かりやすい。触れるコトを許された体温は高まり続けている気がするし、心臓の早鐘も、自分ひとりのモノじゃなかった。
(マジ、か……!)
カイザーは皇帝のプライドと引き替えの意気をもって、同じ想いだと潔に告げた。眼の前に散らばるどの情報を拾い集めても、その結論にしか達せない。そうとしか、信じられない。
(同、じ……。……同じ、ままで——!)
すっかり弾み始めている胸を内心で抑えながら、潔は思考を働かせ、言うべき言葉、尋ねるべき疑問を思い出す。カイザーの主張が輝かしいモノであるからこそ、矛盾する影を無視はできない。
「じゃあ、何で、お前は……!」
「『世一の過去への理解を避けようとしたか』……か?」
「……!」
「同じ」であるコトを——健在の延長線を証明するかのように、カイザーは潔の思考を言い当てた。
「言っただろ。……お前と、同じままでいる……。……そのためだ」
「は……? え、なんで、それが? 矛盾してね……?」
「いいや、してない。下手に共感し、その流れで〝ミヒャエル・カイザー〟の断片でも開示してしまえば。……その断片が集まるにつれ、俺たちは真逆の結論に至ってしまう」
「……!?」
「世一とのこの契約を保つためには、クソ避けなければならない可能性だ。だから俺は〝皇帝〟のまま、お前に何も明かせない……明かさないし、お前の過去への理解を示せない」
「それは……。……お前には、俺とは決定的に違う思い出がある……ってコトか?」
「そーいうコト。……ここでYESと返してしまうのも良くないか? だが、内容がクソ不明である以上、辛うじてセーフだと思ってくれるとクソ有難い。知る由もないタブーにしておいた方が、お互い、まだ幸せなままでいられるだろ?」
「お互い、ねえ……」
——違う。
「お互い」が素知らぬフリをし続けるというのも違和感を免れない状況であるだろうが、そもそもこの件の現状は、自分たちを分断する「リスク」の源とされたカイザーの思い出を、カイザー本人だけが握っている——というモノだ。延長線維持のために秘匿し続けなければならない記憶の情報と、それを抑え続ける責任が、明らかにカイザー側に偏っている。偏りに「お互い」なんて言葉を宛がえるほど、潔は楽観的ではなかった。
結局はまた、潔とカイザーの差異を示す溝は健在というコトでもある。しかも、その裂け目は潔ではなく、危険至極であるらしい情報を保持する者をこそ餌食とするモノだ。その情報をもって様相の把握と的確かつ周到な警戒を可能とする資質も、それゆえに警戒の必要性に縛られてしまう責任も、現状、カイザーにしかないのだから。
「気にするな。何も、難しいコトなんてない」首を縦に振らない潔の訝しみとその理由を感じ取ったらしく、カイザーは説得の重ねがけを試みる。「俺がクソ暴露らなきゃ済む、ただそれだけだ。思い返してもみろよ、今までだって、俺は何も明かさなかっただろ? つまり、俺たちは今までと何も変わらずにいられるんだ。お前が俺に対してどう振る舞おうが……お前の想像力でどう捉えようが、クソ自由だ」
「…………」
——本当にそうか? 今までただ口にする機会が無かったコトと、今回のように不意にその機会が訪れたとき、強制的に口を噤むコトは別物なんじゃないのか? 結局、お前ひとりが耐え忍んでいる状態は変わらないだろ。
さも無欠の名案であるかのように語るカイザーへの反論はいくらでも唱えられてしまいそうだった——が、述べ上げる論の順序に迷いながら開きかけた口を、一度閉じて。
「——そーだな。……ひとまずは、お前の案に乗ってやる」
いっそと思い下した譲歩にはもちろん理由がある。
まず、境界線に阻害されるコトのない延長線の維持自体は、完璧でなくとも叶ってはいる。ならば境界線の完全破壊を求めるあまり、今この場で功を急いて、闇雲に継戦するのは得策ではない。不可欠の成果だけを確かなモノとして、〝続き〟の期限は設けずに切り上げるべき——という、一時的な引き際の判断だ。何せ自分たちの性質と密接に絡み付いた問題なのだから、長期戦となるのは必至という予感もし始めていた。
その性質——「自由」を当然のように享受できる潔に対し、カイザーが進んで身を投じようとする「不自由」という差異も、潔とカイザーの望みが一致していると分かり、そして延長線の維持を叶えるためのモノなのだと思えば、呑み込めなくもなかった。責任を一方的に担わせているような状態は不本意だが、適材適所と言ってしまえば聴こえは良い。
——カイザーがひとり神経を尖らせ注視するその境界線が、本当に恐るべき「境界線」であれば——という前提をもって成立する譲歩だが。
「ひとまず? 含みのある言い方だな。まだ何か不安要素があるのか?」
「不安じゃない。でも、一つの仮定だ。あらゆる可能性は想定しておくべきだろ」
寄りかかったままのカイザーと眼を合わせるコトはできないので、潔はカイザーの左手の甲とその肌に施された意匠へと、真っ直ぐに視線を落とす。
絡み合いながら王冠へと伸びる二本の茨は、冠の丁度中心部分で収束している。さながら、その中心に開けられた空洞に差し込まれる鍵であるかのように。
「お前の失敗、もしくは心変わり、あるいは予想外の事故……何であれ、意図も経緯も問わない。とにかく、もし……どこかのタイミングで。……件の機密情報が、俺の知るところになったとして」
「——!」
仮定の内容が述べられただけで、潔に寄り添うように寛がせていたその身体は途端に強張る。直接伝えられる恐怖と忌避に、潔はため息をつきたくなった。——不安がっているのはお前だろうと。
(無理もないか。自分が管理してる機密情報がバレれば、境界線も明るみに出ちまう、って認識だもんな。そっちこそ、不安要素抱えてるようなモノだ。——でも)
「言葉」をも不要とする延長線への自信を失いかけていた潔の不安が解かれるには、確かにカイザーの「言葉」が必要だった。けれど延長線を再び視るコトができた今、潔とカイザーの関係は言語不要に戻っている。つまり、潔のためにカイザーがこれ以上言葉を探して尽くす必要はない。
ミヒャエル・カイザーは、その生きる姿だけで、潔世一の精神を肯定してしまえるのだから。
にもかかわらず潔から離れる素振りは見せず、譲歩宣言の「ひとまず」を的確に拾い、潔の不安を取り除くコトに尽くしている。自分ひとりで責任を負った機密の露呈に怯えながら強く気丈に振る舞おうとしている。合理を重んじる冷徹な皇帝らしからぬ、不必要で無駄な努力。
(——愛おしい。たまに感情的になるの)
ついたため息の甘さを自覚して、自分の感傷や感情は少しばかり棚上げして、潔は猫の頭を撫でてみる。柔らかな白金糸の感触とは対照的なほど硬直した身体が大袈裟なくらい跳ねてから、バツが悪そうにおずおずと、元の位置に頭を戻した。
「——それでも。お前の思い出を知っても、俺は……潔とカイザーは一緒だって、言える気がする。境界線、とか……。そんなモノ、在るって思わない。在りもしないそれを、眼にも映さない」
「——へえ?」
猫の身体がゆらりと動き、潔から離れていく。ようやく潔の視界に現れた天色の眼、その縦長の瞳孔から、潔の青眼を刺し貫く眼光を放ちながら。
宿命の狩猟対象を睨むような視線を——絶対に仕留めなければならないという決意を、潔世一ひとりに向けている。——与えられたその感覚が潔の脳を駆り、背筋へと甘美な戦慄を奔らせる。カイザーにそう想われているという快感に心を焦がした。
「やはりお前は、悪魔か何かのようだな。……こっちはクソ敬虔に、クソ清廉に、守るべき秘密を守り通そうとしてるっていうのに……今の誘惑のせいで、試してみたくなってしまった」
「敬虔とか清廉とか、白々しい自称だな。余計な皮全部剥ぎ捨てるやり方こそ、俺はいつでも歓迎するけど?」
挑発を返した潔には、そちらの方が自分たちらしいと断言する意志があった。不都合かもしれない真実から眼を背け続けるコトで心地良い現状を維持するよりも、その真実を直視し受け入れた上で、自分たちの欲する「目的」を叶える方が。
かつての戦いで苦難の末に見出したその方程式は、未だ覆ってはいない。
「……そう焦んな。いつでも教えてやれるクソ現実なんだからな。そのときを迎えて、絶望で言葉を失いながらもクソ自信を撤回するコトもできないお前の惨状……。薄っぺらい共感や同情をクソ述べてどうにか俺の機嫌を取ろうと足掻く、お前のクソ道化墜ち……分かりきってるクソ結末はさぞ見物だろうが、お楽しみに取っておこうぜ」
「……ッ!」
「クソ違うとでも言いたげなカオだな。じゃあ、クソ好奇心に駆られているんじゃなく……死に急いでんのか。確かにお前の道化姿はクソ滑稽どころか、一周回ってクソ不愉快で……。思わず、その首の骨をクソ折ってしまいたくなりそうだ」
「……ったく。……クソピエロはどっちだよ……」
——潔を失いたくないクセに。
ごく稀にも見れない献身と素直な愛情を示されたばかりでは、悪質な煽りや暴力的な予言を言葉通りに捉えてしまう方が却って難しいくらいだった。潔を睨むカイザーの眼は、依然として狩るべき獲物を竦ませる捕食者のカタチをしていたが——その実、眼の前に迫った天敵相手に懸命な威嚇行為に徹するしかない、小型捕食者じみた虚勢も含まれている。領域に踏み込まれてしまえば迎撃を余儀なくされ、果てには共通の目的を果たせなくなる。だから、潔が被る害だけを警告し、潔の宣誓と挑戦が成し遂げられるコトはないのだと脅し信じ込ませようとする。——向けられた敵意に対する陶酔の先へと思考を進めた潔は、カイザーの意図をそう理解した。
過去に触れられた衝撃で我を忘れたカイザーが暴力を行使する可能性は全く否定できなかったが、その可能性の実現を、カイザー自身が本心では拒んでいる。それゆれに、持ち前の攻撃性や殺意を「威嚇」に留めようとしているのだと。
(侮りやがって、クソ薔薇)
カイザーからの敵視は心地良い。だがこの瞬間潔に向けられているモノは、彼本来の美点である果敢で挑戦的な宣戦布告ではなく、潔の意志を信じるコトなく「不可能」だと上から断じて叩き潰そうとする、一方的な処刑宣言であるかのようだった。
傲慢な諦念とも取れるそれに、潔の戦意は却って掻き立てられていく。——自分の想いを皇帝に理解らせるコトができれば、この勝負は潔の勝ちだ。カイザーへの証明、カイザーへの勝利——どちらも、潔の胸に熱を灯す目的だ。
「……ハッ。潔がカイザー相手に、そんなお情けをかけると思うか? 俺はただ、俺たちに共通する欠片を……事実を述べるだけだぜ」
そして証明する想いは、自分たちを繋ぎ、境界線を穿つ延長線そのものにもなるだろう。潔に——自分たちに欠かせないその欠片を握りしめて、ひとりで境界線の向こうに立とうとしたカイザーに突き出してやりたい。
潔にとってのカイザーは、最早ただの仇敵じゃない。——愛しているから、結ばれているくらい、殊更な「不自由」なんて与えたくはなかった。
「事実だと? まだ何も知らねぇクセに、よくそんなコトが言えるな。コレで全然違ったらクソお笑い」
「ハハ、確かに。……でも」
100%違えているとは思わなかった。かつての自分たちの間に一欠片の共通項もないのなら、ふたりを繋ぐ延長線も、境界線を取り払う関係も築けなかっただろう、と。
「——一個、極端な例を挙げてやる」
「?」
「もしお前が……。……そーだな、心が弱くて、『不可能』に負け続ける側で……それで、毎日泣いて過ごしてるような、クソ弱者の子供だったとしても……」
「——……よ、いち」
「俺は、『潔世一もそうだった』って言えるけどな」
——カイザーの眼つきが変わる。爪牙じみた眼光は溶けるように折れて、捕食者の瞳孔は潤むように揺らいで。
「泣きそうなカオ」と、ついさっき潔を揶揄った言葉が脳裏を過った。
「……お前って、案外ポーカーフェイスできないよな」
「クソ黙れ。世一より、マシだ」
「あいあい」
高圧的に試すコトをやめて、潔から逸らされた視線は床に落ちる。「極端な例」に返された反応もまた極端なもので、もうほとんど答えを明らかにしていると言って良かった。——かの県大会以前、幼き日の潔世一の影をも、ミヒャエル・カイザーの過去として宛がうという実験的仮説への。
「……カイザー」
それでも口を固く結ぶ皇帝に、正解を告げる気はないらしい。陥落の兆しを見せながら継戦の構えを崩さないところも彼らしいと愛おしくなったので、潔はその玉体に寄りかかるコトにした。
境界の要らない相手から教わったばかりのその「I LOVE YOU」は、浮かんだ驚きが即座に失せてしまうくらい、潔の身体に馴染んでいた。
そこから先は、何も言わなかった。正答なんていつ明かされてもいい。どうせ、末永い付き合いなのだから。