Novel/BLL-潔カイ
性能試験前最終調整(全1ページ/1ページ目)
以下の内容が含まれます
- 潔カイは交際済・カイザーの過去共有済
- 潔は少ししか出てこない
- カイザーは元気ないけど糖度は高め
- カイザーの自傷描写(少しだけ)
「あ゛〰〰……!」
髪を結び、解き、結び方を少し変えてはまた解く。その度に募る不機嫌が洗面室の鏡へと向ける唸り声に滲んでいく。
もう三十分はこの調子かもしれない。あぁ、またダメだ。クソ解く。クソムカツク。鏡の中はいよいよ戦場さながらの殺気に染め潰されてしまう。
こんな貌じゃ、寝室に行けない。
(……世一……)
三十分この調子というのは、三十分、世一を待たせているという意味でもある。
苛立たせてはいないか。諦めて先に寝ているかもしれない。こんなコトしていないで、早く向かわなければならないのに。以前寝坊してデートに三時間遅刻したときにはクソ許されたのを思えば余裕で許容範囲内かもしれないが、ただでさえ〝この夜〟に、そして自分ひとりで膠着した状況に張り詰めた脳は呆気なく狂う。またしても下ろしてしまった髪と、三十分のロスタイムに激怒しかけているくらいに。
(いっそ、直接聞くか……?)
そうすれば一発で決着が着く。
——髪を下ろすか。それとも結ぶか。どちらが、世一の好み、か——
(——聞くワケないだろ! クッソくだらねぇ! クッソどうでもいい!)
もういい、クソ決めた! クソ下ろす! 試合のときはいつも下ろしてる!
仮に世一が「練習中のカイザー髪上げてるの良すぎ」「ザー様の項セクシーすぎる」等々の声明を残したSNSのクソ下々と同じ感性の持ち主で、結えた姿の方がお好み——だったとしても、試合中と同じ髪型が嫌い、という可能性は——あるかもしれないが。嫌な思い出の数々が頭を過る事態になるかもしれないが。その場合は憎き宿敵を組み敷ける優越感や征服感に興奮してもらうとしよう。そういう雰囲気でいこう。——興奮してくれるといいんだが。
「ハァ……」
何も最初からそう決めていれば良かったのに。このクソ無駄な三十分は何だったんだ。
——嘆きにも等しい深い呆れを込めたため息には、実のところ安堵も混じっていた。下ろす方が俺としてもクソ楽で、二択で迷いながらもこちらの選択をどこかで望んでいたからだ。髪を結んでしまうと、その出来栄えや鏡に映る微細な違和感、時間そして行為の経過による乱れが気になって仕方がなくなってしまう。浴室とは反対側の扉の向こうに待ち受ける未来は、うっとおしい長髪が邪魔にならないよう括る程度だと捉えられるような場面なんかじゃない。
「……」
そこに踏み出す前に要らん憂慮ごときを一つほど潰せただけの些細な解放感も、すぐに蘇る重圧の想像に潰されてしまう。
重圧に飛び込んでも負けたくはないから、些細な解放感の方に少しでも触れていたくて、胸に手を当てる。シャワーの温度をまだ残す肌が上下する速度は、確かに先ほどよりも微かに緩やかになっているようだ。——クソ微かに。
(ほんっとに……。クソどーでもいい……)
仮に、「どちらが好みか直接聴く」なんてバカげた発想が断行されていたとして。そして俺が聴かれた側だったなら、間違いなく「クソどうでもいい」とクソ即答する。——というのはあくまでクソ物の感性に基づく空想だが、実際のところ世一だって同じ答えを口にするんじゃないだろうか。
だって、世一が俺を選んだ理由に、俺の容姿は含まれていない。
俺の終わっている性格が美貌で補い切れる代物かどうかは個々人の判断に委ねられる——補えると言えるヤツはアタマ沸いてると思う——が、世一だけはその一般例に当て嵌めるコトはできない。世一は俺がどのニンゲンよりも悪意をブツけてやった相手だから、世一から俺への評価は美貌によるカバーが効かないところまで行き着いてるに決まっているからだ。俺のフットボールを懸けてクソ断言できる。
つまり俺は、俺であるだけでいいんだ。どんな髪型にしようが。香水を選ぼうが選ぶまいが。わざわざこんな、新調したバスローブ——今まで使っていたモノよりも一段と上質らしいモノ——なんかに袖を通さなくたって。皇帝の装飾なんて要らない。余計な虚飾全てを脱ぎ捨てた俺をこそ、世一は皇帝だと認めたハズだ。そう、〝ミヒャエル・カイザー〟であるコトだけが、寝室へと続く扉をくぐる唯一の資格——
(——クソが! そんなの! ……たったそれだけの資格で済むのは、自分が愛されているという傲慢を振りかざせるニンゲンの特権! クソおめでたい、楽観的な〝自由〟思考——!)
悪質にも冷静さと合理性に化けていたクソ驕りを握り砕くように。そのクソ驕りのせいで危うく不要物認定するところだった香水瓶へと、今度こそ迷いなく手を伸ばす。瓶の銃口と肌との距離を慎重に見計い遠ざけた後は、もう猶予なんて与えずに引き金を圧す。左手首と項の二ヵ所。
距離は適切だっただろうか。少しビビリすぎたか? 右も撃った方が。いや、今は遠いと思えるくらい、そして手首も片方だけに留めるくらいが正解のハズだ。世一は五感に優れているらしい。明確に香らせるコトを優先すれば、世一の嗅覚に過剰に作用してしまいクソ逆効果、クソ本末転倒となりかねない。クソ微香で良い。
「……っ!」
撃たれた直後、また撃たれたのが自分の身体であるせいか。たった二点の弾痕から吹き出でる「微香」に、たちまち包まれ縛られて、脳まで侵されてしまう気分になる。待ち侘びた開花の瞬間を捕らえるように大輪を咲かせた、慎ましく閉じた蕾の面影なんて見る影もない花を想起させる香りとひとつにさせられて——もう、後戻りなんてできないんだと、理解ら、される。
花の名はジャスミンとイランイラン。この期に及んで迷ってしまった髪型なんかと違って、香水は事前に選んで用意していた。何でもそれらの花の芳香に人は古くから官能性を見出し誘惑されため、催淫効果を期待してその手の薬にも混ぜていたんだとか。——まぁ確かにこの香水も濃厚で甘ったるい香りはしているが、花の生態に自分らの性欲を重ねるまでいくのはクソ主観。催淫なんざ半ばプラシーボ効果だろと、心の底では眉を顰めている。
それでも、無いよりはマシだと思った。世一を刺激するスパイスにできるなら。使えるモノは何だって使いたかった。
『前々から気になってたんだけどさ。お前って、いつもどこの香水使ってんの』
『……? ……いつもって、いつのコトだ?』
『毎日』
『クソ不使用』
『はぁ? 何言ってんだよ。花の匂いしてるだろ。あ、花って言っても、甘さ全振りって感じじゃなくて。確かに甘くもあるけど……澄んで落ち着いてもいる感じだよな。……その、けっこう、好み、だから。お前のその香りが俺に合うかどうかは正直自信ねーけど、俺も香水の一つくらいは持ってた方がいいのかなってなると……。同じブランドのモノを選んだら間違いないんじゃね……って思ったと言いますか……』
『……お前との待ち合わせにチームのジャージ姿で赴いたような俺が、んなクソ無駄に洒落たモンを日常使いしてると思うか?』
『あ……!? た、確かに……! ……えっ、じゃあ、何……!? 何で、お前、そんな……!』
『知らね。世一のクソ錯覚なんじゃないのか? 俺への妙な先入観でもあるんだろ』
『〰〰〰〰!? 〰〰〰〰ッ!』
首を横に振る。何の装飾も纏わなかった俺を指して「けっこう好み」と呟いた世一の声を遠ざける。それを信じて、甘えて——停滞して、刺激を欠くようなコトがあってはならない。
その、せいで——世一が、俺を抱けなくなってしまったらどうする。
(……別に……)
世一を疑ってなんかいない。——こんなにもクソ醜悪、クソ脆弱な内面全部晒したクソ物を抱けるほど愛せるという意志が。クソ物が、世一にとってそれほどの存在というコトが。どうしても理解できないってだけだ。
ああ見えて、世一の発言や行動は全部、理由や理屈があるモノばかりだ。だから俺も、アイツの言葉に何度も狼狽えイカれていると慄きながら、結局その度に頷き認めていた。しかし今回でとうとう分からなくなった。——戦場の外とはいえ、世一に思考で遅れを取ってしまった。そんな頭脳でこの夜へと馳せる想像は、たちまち焦慮へと変わってしまう。
(——そうだろ……! 思考停止した俺を……! 世一がくれる自由に甘えるような俺を! 世一が、愛するハズない……!)
サッカーに見出せた楽しさなんかに正直になったせいで負けた。望み全てに心のまま没入するようなやり方じゃダメだった。
俺が俺であるだけで、世一に愛される。愛されてもいい理由は既に俺の中にある。——そんなのは、新英雄大戦と同じクソ傲慢なクソ〝自由〟だ。
だから今は己を縛るように艶を纏う。再現なく求める美の武装の重みこそが、俺を輝かせる〝不自由〟になる。都合の良い夢を信じられないなら、現実として納得できるだけの理論はこの手で創ってしまえばいい。そうして、俺は俺をやっと信じられる。世一の傍に居れると想えるようになる。
『ゴールのための道具になり切れずに感情で動いた』
『それが俺とお前の勝敗を分けた最後の欠片だ』
もちろん、纏う〝不自由〟は見栄や優越のための虚飾なんかじゃない。〝愛されたい〟を叶えるため。それを遂行できる身体を——〝道具”を、完成させるための必要要素。
「世一に愛されるためだけの道具になる」なんて言い方じゃクソ惨めに聴こえるかもしれないが、そんなのは取るに足らないニンゲンの感性だ。——愛に飢えたクソ物にとっては、何よりも甘美な響き。戦場から少しだけ離れたこの夜、眼の前の宙に浮かぶなら手を伸ばさずにはいられない、極上の権利。それを奪い取るための思考を、自己の革新を、止めるワケには、いかな——
「——ゲホッ、う゛ぁ゛、ガ、ハッ……。……——!」
——いけない。気付けば首を絞めていた。
「……ッ!」
すぐに両手を下ろす。痛みへの反射で俯いていたカオを上げ、鏡に向かって身を乗り出す。
——健在の青薔薇が咲き誇る肌に、指の形に荒された形跡はどれほど睨んでも浮かばない。強張りが解け、鏡から少し離れられた身体は、もう一度妖艶な香りを自覚した。
無事で良かった。すぐに止められて良かった。今夜、この肌に触れて良いのは——この肌を傷付ける権利を持つのは世一だけだ。嗜虐の悦びを滾らせた瞬間、自傷の痕なんかに先を越されていたとなればさすがの世一もクソ萎えるだろ。道具の状態は完璧に保て。どんなに着飾り整えたところで、本体にキズがあったらたちまち訳アリの中古品じみてしまう。——ラブドールですらなかった来歴を思えば訳アリ中古品なのは事実でしかなくて自信クソ失せる。幸い、中身の状態的に、ラブドールとしては新品を名乗れるんだが。
(クソ悪癖……)
いつもクセで——たまに意図的に——締めてしまう。普段なら別に良いが、やっと自分を創り変えられるって瞬間を〝来歴〟に邪魔されるとかクソ願い下げ。今は本当に、〝撫でる〟だけに留めておこう。自分でクソ物を労わるのは難しいが、この夜を迎えると決まってから重ね続けた自己暗示を仕上げるだけだ。今更の痛みに頼らなくてもいいだろう。
「……世一の、完璧な情婦になる。世一の欲全部を奪えるような、至高の愛玩具になる……」
それはきっと、自分が恋をしてしまった男のため尽くしているフリに過ぎない。ただ自分が、その男に愛されたいだけ。望まれず生まれ愛されず育った中で醜く渇き切ってしまった飢餓のためでしかない。
所詮はクソ物。知る由も無かったから理解のできない無償の慈愛を与えるなんてできる論理がないが、有償の対価のためなら何だって払える。どんな〝不自由〟だって耐えられる。
(それでいい)
『組もうぜ、カイザー』
『自分の才能の全てを〝道具〟として使うこの感覚……この自分に没入したいんだ』
悪魔の契約。俺を破滅へ誘う手招きだったとしても、俺はきっと拒めなかった。いや、浮つかずに賢明な思考を保っていれば、契約の果ての自分の末路を先読みして拒めていただろうが——それでも、恋に落ちずにはいられなかったろうな。クソ物は同じ〝道具〟に——共同体に弱い。流れゆく月日の中でもあの敗戦を忘れられた瞬間なんてなかったクセに、再会した魔王から差し伸べられた手を取ってしまったのもそのせいだ。
だから、今は——自ら〝道具〟へと堕ちてくれた世一を昂らせるコトができなければ、その道具に選ばれた道具としての存在証明すら果たせなくなってしまうだろ。
そんな死に方はもう二度としたくない。あの扉の向こうは戦場でこそないが、一度散ったクソ物の生命が懸かっている。俺を具体的にどう扱うかは世一の自由だが——貪り喰い殺す側でいたつもりが、気付けば俺に捕らわれてしまうような。そんな夜になればいいと思う。執着心を露わにするんじゃなく、道具に徹するコトで叶えられるクソ強欲。
「…………」
最後に、浴室を出てからずっと酷かった表情を創り変える。——壮麗で優艶な微笑。悪辣な自信はほんの少しだけ控えてやや静謐に。 より嫣然した貌をして蠱惑全振りにする手もあったが、色香なら服装と香水で十分に演出しているハズ。表情の調整はこれくらいにした方が、世一相手には却って効果がありそうだ。さっきまで鏡を睨むコトしかできなかったコトを思えば、今はちゃんと微笑えている気がした。
いくら愛玩具でも、物言わぬ人形とは違う。世一は俺を選んだし、俺を抱きたいと言った。そのお望みに適う道具を設計するなら、自我に正直になるのも良くないが、皇帝らしさも忘れずに。戦う中であらゆる虚飾を脱ぎ捨て進化していった皇帝をも征服する実感は、きっと世一もお気に召す。——世一を、虜にできる。
「……よし——」
設計はお終い。この道具はもう、性能を試されるだけとなった。
撫で続けた青薔薇から手を離し、鏡に背を向け踏み出した。重たく広がるバスローブの袖ごと持ち上げた腕が花の香りに縛り上げられているのを自覚しながら、青髪をかき上げ靡かせる。
眼前に聳え立つ扉、その先に広がる試験場に、最早躊躇も酩酊もしない。
「……待たせたな、世一。良い子にしていたか?」
この夜は決して、世一と結ばれた俺の終着点なんかじゃない。世一と結ばれるモノとして、審判を下される場だ。世一に愛される立場に相応しいかを試されて、世一の愛を引き出せると証明する、この物語の成否を懸けた試験だ。
世一が満足できないか、あるいは行為が完遂を待たずして頓挫するなんて事態が起これば、それは愛玩具の性能不足という意味。俺は性能試験に負け落ちたクセに使用者の手に渡ってしまった出来損ないのクソ不良品として、速やかに回収されなければならなくなる。
このように、俺は自分が世一に愛されるかどうかの心配しかしていない、クソ自己中心主義者なんで。
——世一くんが開始早々に鼻血を流すという理由での試験頓挫を想定するのはクソ不可能だった。