人並みの寂しさと幸せ

 

「やったじゃないか1号! ヘド博士のクリスマス嫌い、治せたんだな!」

 自分たちの手で、主にクリスマスを楽しんでもらえたら。生前にそう語った発案者は、計画というほどにも満たなかった願いの成就を一年越しに知ることとなる。
 カプセルコーポレーションの廊下の一角にて、実行者からの報告を大いに喜び、彼を称えた。

「わたしはヘド博士にお渡しする瞬間まで、ずっと迷っていた。それを果たせて、ヘド博士にお喜びいただけたのは……。……おまえの言葉があったからだ、2号」
「本当? そう言ってもらえると、ボクはその場にいなかったとしても……ふたりで頑張れたって感じがして嬉しいよ。博士のあの話を聞いて、やりたいと思ったこと……1号に話して良かったなあ!」

 1号の返答に——自身の言葉を彼は大切に守ってくれたのだという事実に、2号はますます気を良くする。
 今現在はこうして第二の生を謳歌している2号だが、その命が失われていた間の、1号の様子を窺い知ることを好んでいた。知れば知るほど、1号の心には変わらず自分がいたということに気付かされる。だから、自分たちは、真の意味で離れ離れになることはない。たとえこの命が尽きようとも、彼の心から自身が消えることはない。その確信を強められる。
 ヘドの一件が大団円に終わったと分かった今、2号の関心はいよいよ1号個人へと移っていく。ヘドがその境遇からクリスマスを忌むようになったという話を改めて思い出したとき、2号の中には一つ、1号へと投げ掛けたい疑問が浮かんでいた。

「ところで、1号はクリスマス好きか?」
「す、好き……? ……好き嫌いの類で考えたことはない」
「じゃあ、好きではない?」
「嫌いというわけでもない。何なんだ? 妙な質問だな」
「いやー……。1号にも、クリスマスを嫌う権利はあるなあと思って。ヘド博士みたいにさ。……クリスマスって、カゾクと……あるいは、コイビトと過ごすものだって、聞かない?」

 2号は立てた親指を自身に向ける。1号にとっての「カゾク」と「コイビト」、その両方に当てはまる対象を強調した。
 クリスマスを迎える人々にとって当たり前の幸福を、肉親を喪ったヘドは享受できなかった。自分一人ばかりが取り残された中で、幸せな同級生を、世界を睨み付けてしまった果てに、ヘドはクリスマスそのものも嫌ってしまった。ならば、愛慕の情を認め合った兄弟機を亡くした1号もまた、ヘド同様その日にある種の憂さを向けていてもおかしくはない。

「……おまえと共に過ごすことができなかったから、クリスマスに対して苦々しい思いを向けているのではないか……とでも思っているのか?」2号の意図するところを察した1号は確認を行う。
「そうそう。そういうこと」
「ならば答えはノーだ。ヘド博士のご両親の件は、不幸な事故だが……おまえの……わたしたちのそれは違う。わたしの生き方が変わったのは、おまえの正しい判断の結果だ。祝祭の日に八つ当たりめいた思いを向けるというのは筋違いが過ぎる」
「正しい判断って言ってもらえるのはありがたいし、確かに1号ならクリスマスにキレたりはしないだろうなとも思ったよ。……だけどさ、ほんとに何も、何っにも思わなかった? 道行くカップルとか見ても?」
「ああ」
「そ、そう……?」1号の断言を聞きながら、なおも2号は粘る。「クリスマスそのものを嫌うまではいかなくても……。1号には、掴めたはずの幸せがあったのに……それがなくなって、嫌じゃなかった?」
「……2号。おまえ、恨み言でも言ってほしいのか」
「……え? えー……」

 まさか。そう返そうとした2号だが、上手く舌が回らない。
 非難されたいわけではない。悪いことをしたとも思っていない以上、もしも謝れと言われたところで応えられない。
 ——だが、非難されても良かった。彼を死なせるくらいならば、いくらでも咎められた方がいいという思いを示したかった。謝ることはできずとも、文句くらい言われても良かった。その慨嘆を通じて、大事に思われているという感覚に浸りたかった。
 おまえがああ言っていたから、おまえと約束していたからと、度々1号は口にしていた。自分の言葉が覚えられているということは、2号にとって大きな喜びだ。だが、思い出はそうして前進の糧にされるばかり。おまえと話せていたなら、おまえが傍にいてくれたなら——そのような、流せぬ涙に濡れた言葉は一度として言われたことはなかった。
 「恨み言でも言ってほしいのか」という1号の指摘は正しいと、2号はこのとき初めて自覚した。自分との思い出を胸に力強く生き続けた彼を眩しく思う一方で、綺麗な思い出に留められることなく、縋られたかった。ひとりでも生きていける彼の強さを信じながら、弱音を零してほしいと願っていた。

「……どーだろ」

 知ってしまったもう一つの本心を洗いざらい打ち明けることは憚られ、2号は言葉を濁す。強靭な1号を愛していることが覆ったわけではない。1号も、きっと自分自身にそれを望む。ならば、「恨み言を言ってほしい」という願いは、優先させるべきではない。
 そしてすぐに、この返答を後悔した。指摘された後に逡巡した時点で、もう図星ですと明かしているようなものだ。せめて今度こそ「まさか」と返すべきだったが、力なく曖昧な返事にしてしまった。態度を取り繕う演技力は1号より上だと自負していたものの、今回はそれを発揮できなかったということを、辺りに立ち込めた沈黙が示していた。

「……まあ、そもそも1号が恨み言とか言えないのは分かってるよ。気にしないでくれ」いたたまれなくなった2号が、先に口を開いた。
「いや……。……恨み言、に該当するかどうかは分からないが、一つ本音を言おう」
「本音?」
「……言っただろう、博士に贈り物をするまでずっと迷って、おまえの言葉があったから渡せたと。……オレは、何度もやめようかと思った。何もしないことが、ある意味一番確実な、博士のためにできることだからな。……そうして立ち止まる度、おまえの言葉一つを思い出して……それだけを頼りに、博士を訪ねた」
「そ、そんなに……。じゃあ、もしボクが予めヘド博士のために何かしたいって提案してなかったら」
「間違いなく、何もしないという方向に舵を切っていた。迷いもしなかっただろう」

 そんな1号の様子を、2号はありありと思い描くことができた。
 クリスマス嫌いのヘドのために何らかしらのアクションを起こすという選択肢は、ある意味博打めいている。下手を打てば、彼の神経を逆撫でして終わるという結果になりかねない。それでもヘドが自分たちに注ぐ惜しみない親愛を信じて決行する——というのは、2号だからこそ打ち出せるアイデアだ。その2号とは異なり、堅実な1号ならば、確実性に重きを置いた判断を下す。想像に難くない光景だ。

「確かに、1号ひとりにしては思い切ったと思うよ。ボクが後押しできてたなら何よりだ」
「本当に、本当に迷っていたんだ。そんな中でおまえのことを思い出していたときは……恨めしく、思ってしまったかもしれない」
「それは、どういう?」
「……もしここに2号がいたら、取るべき行動について改めて相談できた。2号がいたら、きっと……ここまで心細くはならなかった。おまえは一つの言葉だけで背を押してはくれたが、隣にはいなかった。ひとりで迷い続けたとき……辛いと、思ってしまった」
「1号……」

 伏目がちに、絞り出すような震えた声で、1号は言葉を紡ぐ。

「……そこから先は、もうダメだったな……。ヘド博士が喜んでくださったときは、救われた心地がしたが……。博士のご厚意でケーキの半分をいただき、部屋に持ち帰って食べたときは、おまえの不在ばかりを考えて……おまえ抜きで、美味しい思いをするのが、嫌で……。……寂しかった、な……」

 今にも涙を零しそうですらあった1号を前にして、2号は驚きたじろぐばかりだった——が、その瞬間、よろこびがそれを凌駕した。
 「寂しかった」と聞いて、また初めて気が付いた。それこそが、自分が言われたかった言葉なのだと。

「何だ、言えるじゃん。……ありがとな、聞かせてくれて」

 嬉しいからといって、これ以上語らせるのもいかがなものかと判断した。凛とした振る舞いを崩さない傑物が秘めた繊細さに少しだけでも触れてみたかっただけにすぎず、その目的以上に苦しめることは本意ではない。

「……満足か?」2号の制止を受け、1号の意識は現実へと帰る。その声は再び力を取り戻しつつあった。「……これきりだぞ。もう話したくない」
「何で? そのくらいの恨み言ならいつでも大歓迎だぞ? ボクがいなくて寂しかったって、言ってくれて全然良かったのに」
「良くはないな。わたしはひとりで寂しがっておまえに甘えるわけにも、人並みの幸せを求めるわけにもいかないからな」
「えー……」

 相棒への頼り方を忘れさせたのも、個人としての幸福を断ったのも、全てかつての2号自身。謹厳な1号に一度規定されてしまったそれを真正面から覆すことは、一度はそれを教えた2号本人でも難しい——が。

「……よし! 正直に話してくれたいい子の1号には、ボクからプレゼントだ」
「プレゼント?」
「そう。今日一日、ガンマ2号とのクリスマスデート! ……っていうのはどう?」

 物欲のない1号には、まず物品そのものを渡すより、こうした時間を作る方がいいのだと知っていた。

「……おまえ、わたしの話を聞いていたか?」
「人並みの幸せ求めちゃダメってやつ? いいよ、求めなくて。なら、ボクが勝手にあげるまでだ」

 ——真正面から覆せずとも、やりようはある。相手が無欲を貫こうとするなら、こちらから際限なく与えてやればいい。
 一度彼から幸せを取り上げておいてよく言うと思われてしまうかもしれない。だが、1号が望んだことは全て叶えられるという自信が2号にはあった。何せ先ほど、恨み言など決して言わない彼からそれを引き出してみせたばかりなのだから。その自分なら、1号をもう一度幸せにできると信じられた。

「……それは……」予想だにしなかった2号の提案に、1号は狼狽える。
「あ、与えられるだけは嫌? だったら1号もボクのこと幸せにしてよ。これで万事解決だな!」
「……何をすればいい?」
「ボクとクリスマスデート! して!」
「全く……。……分かった。すぐに用意する」
「やったー!」

 歓喜を声とホログラムで示した2号に対し、1号は呆れ顔と、そして少しだけ、柔らかな微笑みを見せる。
 ホログラムを次々と切り替えていく2号に背を向け私室の方へと向かえば、2号は慌てて彼を追う。部屋は隣同士であるため、道は同じだった。
 

「どこか行きたい場所はあるか?」
「1号がさっき話したケーキ屋さん行こうよ、今度は一緒に並ぼう! ……あっ! そうだ!」

 互いの私室のドアを前にして、一旦別れる直前。2号は部屋に入ろうとする1号を呼び止めて、屈託のない笑顔で告げる。

「おまえと一年間も離れ離れだったんだって思うとき、ボクも寂しいんだからな!」

 「寂しかった」と1号に言われたかった理由は、同じ思いを抱いていたからに他ならなかった。