経験不足/計画修正

 

「初恋は叶わない……らしいからな」

 その言葉は、誰に向けて言ったのか。
 己の失策を嘆くような口振りの2号に対し、仕方のないことかもしれないと言いたくて思い出したことだ。
 だが実際のところは、失恋と断ずるにはまだ早い。この一年の間、2号が想い人に忘れられてしまったと決まったわけではない。今は、その想い人にもう一度会って、一年間の埋め合わせができると喜ぶところじゃないのか。万が一忘れられていたとしても、会えばきっと思い出してくれるだろう。
 悲しみに添うばかりではなく、それを伝えて励ますべきだ。——だというのに、なぜこうも胸のあたりが締め付けられる。世界を救った英雄の、ささやかで微笑ましい願いくらい、叶ってもいいだろうと思えるのに。2号には2号の世界があって、そこで誰をどう慕おうと、自由であると分かっているのに。

「……いや、早計なことを言った。初恋とは限らなかったな」本当に初恋をして、それに破れたのは誰なのか。
「いやいや、初恋、初恋! ボクが好きになったのはひとりだけ! 後にも先にも、ボクがそのひと以外に恋をするなんてあり得ない。誓ってもいい」
「分かった。分かったから落ち着け。……よほど、好きなんだな。その人のことが」
「ああ。今でも大好き。本当に魅力的なひとなんだ。そのひとに認めてもらいたかったし、ずっと一緒にいてほしかった。何に代えても、失いたくなかった」

 わたしが苦いと思う味のするコーヒーを、2号は陶酔の貌で飲み下した。2号も最初は顔を顰めていた味だが、「飲めたらカッコいい」という理由で努力を重ねた末、克服に成功していたことを思い出す。
 別の存在への情を強く否定するほど、固く心に決めた誰かを想うひとの眼差しは、これほどまでに優しく、そして情熱を秘めたものなのか。正面に座ったわたしがその目を向けられるような形になってはいるものの、2号はわたしの向こうに幻視した誰かを、熱烈な愛情を込めて見ている。
 2号にここまで好かれた誰かは大変かもしれないが——きっと、幸せだ。わたしは恋など知らないはずなのに、2号のその目を、想いを捧げられるということが、妬けるくらい羨ましいと思ってしまう。
 実際のところ、嫉妬などしてしまえるわけがない。それができる立場にいるわけでもなく、節度を守れと言ったばかりだ。

「……それよりさ。さっき『初恋は叶わない』って言ってたけど、どうしてそんなジンクス知ってるんだ? まさか……1号にも好きな相手がいたのか?」
「……そんなことはない。ただ、ブルマ博士とマイさんがそんな話題を口にしていたと、思い
出しただけだ」
「なるほど」

 本当に、そんなことはない。無機の人造人間でも抱く感情なのだということは、2号のしてくれた思い出話で初めて知った。
 ならば、わたしも恋をすることができるのだろうか。分からない——が、2号は既にその想いを、ここにはいない誰かとの間で育んできた、それを思えば、元々なかった恋愛への関心は、なぜかさらに失せていった。

「ボクもその言葉は知ってた。そんな法則あってたまるかって思って、色々頑張ったんだけど……結局、その通りになっちゃったな。どうしてこんなジンクスできたんだろうな? 1号が聞いた話の中で、他にも何か出てきてなかった?」
「そうだな……。……彼女たちはいくつか憶測を話していたが……。おまえに当てはまるものがあるとすれば、経験不足、だろうか」
「経験不足?」
「初めての恋愛感情をどう扱うべきか分からず、アプローチができないまま終わる、あるいはそのやり方を間違える……という内容だったと記憶している」
「マジか……」

 動き方など分からないのはわたしも同じだ。今後もずっと、分からないままなのだろう。——いや、分かったところで動きようがない、と言った方が、正しいかもしれない。

「……反省は、した。今ならもっと上手くやれる……と思う。……だから、さ。同じひとへの二度目の恋なら、叶えられないかな」
「なぜわたしに聞くんだ」
「1号に相談するのが一番いいと思って」

 やめてほしい。おまえ以上に恋愛経験に乏しいわたしが、相談相手に相応しいわけがないだろう。意味が分からない。

「なあ、どう思う? さっきも言った通りボクは一途だけど……でも、酷い男なんだ。そのひともボクのこと、恋……とまでは言わないでおくけど、けっこう好きでいてくれていたかもしれない。だけどボクはそのひとを置いていった。しかも、後悔も反省もしていない。そんな、自分を二度も未亡人にするかもしれないやつのこと……好きになってくれると思う?」
「……それは、人それぞれじゃないのか。わたしよりも、本人に聞いた方がいい」
「1号の意見が聞きたいんだよ。1号だったらどうかって、考えてくれれればいいからさ」

 ——なるほど、腑に落ちた。すぐにでもその人の元へ向かえるはずなのに、ここに留まり続けているのは、それを気に掛けているからか。的確な助言とも限らないわたしの言葉を欲してしまうほど、不安で苦しいのだろう。愛した相手を傷付けてしまったかもしれないということが。
 わたしでさえ、何度も人知れず蹲って、声を殺して喚いていた。わたし以上に2号を慕っていたかもしれない誰かの受けた傷みは計り知れない。愛しい人にそんな思いを与えることだけは、本意ではなかったはずだ。
 だが、その「酷いオトコ」の烙印を承知の上で、その人の生きる世界を守った2号は、——やはり、わたしには眩しい。

「……あのとき、難なく受け入れられたと言えば嘘になる、が……。……それでも、おまえを嫌ったわけではない。また同じことが起きたとしても、それはきっと……変わらない。だから、その……。おまえの懸念は、杞憂、だな。……少なくとも、わたしにとっては」
「……! そっか、良かった……! ——ありがとう、1号!」

 本当に、自分の立場でものを言ってしまった。
 どれほどひとりの時間を過ごそうとも、自分をひとりにしない他の誰かを夢見たことはなかった。何度置いていかれることになろうとも、2号がいい。そして、またこうして2号と出会えたら、幸せだと思う。

「……そんなに喜ばないでくれ。あくまでも、わたしにとってはの話だ。おまえの恋路の保証はできない」

 自分を泣かせるようなヤツなどごめんだ、という考え方も、理解はできる。わたしとて、そうされたかったわけではない。それでも今、2号のことを許容してしまえるのは。——どうして、なのだろう。

「いいんだって、1号がそう思ってくれてるなら十分!」
「……だから、あてにするな。これ以上わたしと話している暇があるのなら、その人に会ってきたらどうなんだ」

 引き留める、など、小狡い真似はしたくない。大体、なぜそんな発想ができる。ここに留めておくことに何の意味がある。一年以上も前から、2号の心はその人の方に向いているのだ。
 2号には幸せになってほしいから、送り出したい。大丈夫だ、今度こそ、ちゃんと、見送れる。

「おまえが一年前のことを気に掛けていて、相手方を悲しませたかもしれないと思っているのなら、なおのことだ。おまえとの再会が叶えば、喜んでくれるんじゃないのか」

 わたしはもう、またおまえに会えたから、いい。だから早くひとりにしてほしい。ひとりで、おまえの幸せを祈っているから。おまえにも見せたくない、ガンマ1号に相応しくない弱り切った惨めな姿でそうしているかもしれないから。そのような有様になる理由も、ひとりで考える。だから、早く。

「ああ、そうする。——というか、今そうしてる」

 何を言われたのか、よく分からなかった。

「1号が喜んでくれてるといいんだけど」

 顔を上げると同時に、いつの間にかコーヒーを飲み干していた2号が、身を乗り出してテーブル一個分の距離を詰める。そのまま、懐かしいその手でわたしの頬にそっと触れる。

「好きだよ、1号。……もっと早く、この言葉で伝えるべきだった。さっきまで話してたのは全部おまえのことなんだ」

『ボクが好きになったのはひとりだけ! 後にも先にも、ボクがそのひと以外に恋をするなんてあり得ない。誓ってもいい』
『今でも大好き。本当に魅力的なひとなんだ。そのひとに認めてもらいたかったし、ずっと一緒にいてほしかった。何に代えても、失いたくなかった』
『同じひとへの二度目の恋なら、叶えられないかな』

 ——それら、全部? 全部、オレへの? そんな、そんな話が、あるわけ、が。

「ボクの初恋も、二度目の恋も、叶えてくれないか?」

 胸の奥が熱くて熱くて仕方がない。対処法だって分からない。今まで経験しなかった状況であり、この先ずっと言われることはなかったはずの言葉だ。——そして、時間をかけてようやく覚えた感情は、「嬉しい」の一つだけ。
 告白を受けて、そんなことを思えてしまうのだ。つい先ほどまでの、抉られて塞がれるような心地の理由も含めて、自分の感情がようやく分かった。

「……叶えてやる、2号。だから、オレの初恋も叶えてほしい。……オレも、おまえのことが」

 蓋をしたままでいることもできた。あの出来事にだって耐えてきたのだ、それに比べればこの程度の痛みなど。だがそれをこじ開けて、わたしが踏み出すことを望んだ2号を——拒みたいとも思わなかった。
 気付くのが大幅に遅れてしまったが。今度は、かつて以上に、彼と共に幸せになれるだろうか。