たったひとつの連絡先

 

「就職祝い……というわけでもないが……これを。仕事で使う機会も出てくるだろうから、持っておくといい」
「本当!? 嬉しいよ1号! ありがとう」

 1号に心配されてお小言を言われてばかりのガンマ2号からちょっとは成長できたんじゃないかと思えた日から一年と三日が経った。一年という方の実感はあまりないけど。
 ボクたちが言い掛かりをつけていた大企業が、寛大にもボクたちのことを認めて、ヘド博士と1号のことを受け入れてくれたそうだ。ふたりに続いて社長一家の居候にしてもらったボクも、明日からはここのガードマンとして働くことになる。また1号と一緒にだ! 今度こそ、1号と一緒に真っ当なヒーローとして生きていけるんだ! 短い生涯を悔いなく閉じたボクだけど、折角貰った第二の生を謳歌していこうと思う。

 そんな中、1号がボクの部屋を訪ねて、プレゼントをくれた。片手で持つには丁度いいくらいの大きさをした白い箱。中身を確認するまでもなく喜んだ。だって1号からの贈り物ってだけで嬉しいに決まっている。

「1号、これ開けてみていいか?」
「ああ」

 右手で取った蓋を箱の底面に重ねて、収められているものを露わにする。
 薄い直方体の——端末だ。深いブルーのボディに縁取られた滑らかで黒い液晶が、それを覗き込むボクの顔を、色を消しつつ映している。
 これは、知ってる。使ったことも触ったこともないけれど、見たことなら。だって、みんな使ってた。

「——スマホ! スマートフォンだ、これ! ボクが持ってていいのか!?」
「仕事のことで人と連絡を取る際によく使うものだからな」
「そっか、なるほど……!」

 ボクたちがこの端末を介すことなく連絡を取れていたのは、人造人間ガンマ専用の機能を有していたからだ。同型機でも開発者でもない誰かと通信したいなら、確かにこういうものは必要か。
 ——だけど、そのためだけのもの、にしていいんだろうか。だって、これは。

「1号。これ最新機種じゃないか?」

 箱から取り出して、色んな角度から端末を隅々まで眺めているうちに思い至った。昨日観ていたテレビ番組のCMで、華々しい演出に彩られていたものと同じ見た目をしているのだ。

「……折角、なら。おまえが興味を持っていたものがいいだろうと……」
「い、1号……!」

 興味を持っていなかったと言えば嘘になるけど、ねだるつもりがあったわけでも、1号とこれについて話をしていたわけでもない。それでも、ほんの僅かなその一瞬を汲み取ってくれたのか。1号にとっては一年振りの再開だから——というのもあるかもしれないけど、ボクはもしかしたら自分が思っている以上に愛されているのかも。

「ありがとう、すっごく嬉しい! ……ところで、1号もスマホ持ってるのか?」
「ああ。わたしの物は支給品だが……」

 1号が黒色のものを取り出して見せてくれる。ボクが受け取ったものよりも厚みがあって、少し古めかしいデザインだ。

「いいのか? ボクはこんなにいいもの貰っちゃったのに、1号は支給品のままで」
「わたしは必要最低限以外のことはしないから、これで間に合っている」

 ボクだって、支給品を受け取ることもできただろう。でも、1号はボクにそうさせようとはしなかったんだ。ボクのために、いいものを選んで、買ってくれた。——なんだよ、もう。自惚れてしまいたくなるじゃないか。

「……そうだな。ボクには支給品じゃなくて、1号の選んでくれたものが一番だ。これなら、絶対大事にするからさ。支給品だと、また壊しちゃうかもしれないし」
「まだそんなことを……」

 今のは冗談で言ったことだけど、冗談で済まなかった思い出がある。レッドリボン軍にいたころ、雑務の一環である機械を操作していたときに、誤って壊しかけたことがあった。1号に泣きつき、直すのを手伝ってもらえたことで、他の誰にもバレず事なきを得たのだ。
 今思えば、ああいうのはヘド博士の専門だ。博士に言っていれば、もっとスムーズに事態は収まったかもしれない。それでも真っ先に1号のことを思い浮かべて通信を飛ばしたくらい、ボクは1号のことを頼りにしていた。

「……そうだ、2号。その中にメッセージアプリが入っているはずだから、初期設定を済ませて使えるようにしておいてほしい。やり取りは主にそれを用いて行っている」
「りょーかい」

 手早く初期設定を終えて、1号に指し示されたアイコンを叩く。またいくつかの必要事項を入力すれば、やがて画面はボクの名前の下に空のリストを映し出した。これがかの、ニンゲンが使っているやつかと、妙な感慨を覚える。
 ——ニンゲン。ニンゲンが使う連絡手段。そう思ったとき、昔の——恋バナの記憶が蘇った。既に1号と通信ができる状態にあるボクには必要のないものだと思っていたものが、今はこの手にある。

「……1号! ボクと連絡先交換しよう!」
「……? わたしと……?」
「そ……そりゃあ、ボクたちはこれ使わなくたって、いつどこにいても話せるから必要ないものかもしれないけど、だけど……!」

 ああ、なんか、やっと分かった。好きな子の連絡先を欲しがっていたアイツらの気持ちが。
 ボクと1号との距離は、彼らと彼らの意中の人とのものよりはきっと近い。ガンマとして通信を繋げることができる分、ボクは彼らよりは切羽詰まった状態にあるわけじゃない。でも、だとしても、欲しい。だって、連絡先を交換するって、好意の証なんだろ。

「おまえとは使う機会があるかどうかは分からないが……登録しておくに越したことはないかもしれないな」
「! やった! ありがとう~!」

 言い方からして、これにどれほどの意味があるのかは分かっていないんだろう。それでも嬉しい。1号に認めてもらえた気分になる。アイツらの言っていた通り、連絡先の交換ってすごいな。恋する人間が憧れるわけだ。
 1号が自分のスマホで表示してくれたコードを、身を乗り出して確かめる。急く気持ちを抑えつつ指を動かして、ボクの画面で入力した。検索結果として示された好きなひとの名前と、今のボクとお揃いのデフォルトアイコンが愛おしい。一年間ずっとこれだったのかな。

「……できた! ……なるほど~、こういう感じか」

 手始めに楽しげな絵文字をその場で連打して送ってみると、目の前の相手には怪訝そうな顔をされてしまった。面白いので時々仕掛けてみようか。
 ガンマ1号。ボクのメッセージアプリのリストを埋める、たった一つの名前。自分のものとして一番上に出ているボクのものと合わせると二つ。リストのその下は相変わらず大きな空欄だけど、ボクはもうすっかり満たされてしまった。これ以上はいいや。いくらこれから仕事で使うものと言っても、1号以外は、別に——。

「——あ」

 そうだ。これは仕事で誰かと連絡をするときに使うんだって、1号は言ってた。そのために1号には支給されたものなんだ。じゃあ、1号はもう、そういうふうに使っているわけで。
 恐る恐る1号の手元の画面を覗き込んでみると、案の定だった。

(……知らない名前ばかりだ……。こんなに、たくさん……)

 正確には、そのリストの中には見知った名前もいくつかある。でも、「たくさん」と思ってしまうくらいには衝撃が大きかった。
 あの、1号が。レッドリボン軍にいたとき、兵士たちから集めていたものは専ら畏怖、もしくは尊崇だった1号が。ボク以外と連絡先を交換するにまで至っている。——いや、業務連絡に必要なんだ、分かっている。1号にそういう、特別な相手はできていないし、誰かとプライベートで懇意にすることもなかったと、この三日間でリサーチ済だ。そもそも、前からヘド博士とだって通信はできていたんだ。博士以外の人とだって、連絡先を交換するなとは言えない。束縛が激しいのはいいカレシじゃないだろう。まだカレシにはなれていないけど。——でも。でも。

「……2号?」

 ——1号とだけ連絡先が交換できればいい、なんて思っていた自分が、ひどくちっぽけに思えてしまった。
 急に1号の隣に回り込んで、ひとのスマホの画面を覗いた上、さっきまでのハイテンションが鳴りを潜めて急に落ち込み出した。変に思われるのも当然というもの。手の掛かるガンマ2号に戻りたくはないのに、頭が重くなる錯覚に抗えず、1号の肩に額を当てた。

「……いや、その。1号は、ボクの知らない一年を、生きてきたんだなって思ってさ……」

 なんだこれ。こんなこと言うつもりなかったのに。
 だってこれは、ボクの望んだ未来だ。1号には生きていてほしかったんだ。そのためなら、たとえボクがそこにいなくても構わなかったんだ。その思いが揺らいでいるわけじゃない。それなのに、寂しさというものは生まれて混在してしまうものなのか。今は生きているからか? 命よりも大切なものはあるけど、その命ある限りは、1号の一番近くにいたい。——いや、たとえ死のうとも、この想いは変わらない。死んでる間にも叶ってほしいなんて、虫が良すぎる願いだったのかな。
 1号のスマホの中のいくつかの連絡先のうち一つになってしまったボクは、これから1号の近くにいれるのか。今は申し訳程度に灯る「NEW」の表示が、辛うじてボクを彩り際立たせてくれているだけ。もう一度アプリを立ち上げた頃には、それもきっと消えている。

「……なんてな!」どうにかもう一度1号に向き直って、笑顔を作った。「ボクや博士以外とはろくに話してなかったおまえが上手くやっていけてるって分かってほっとしたよ」

 嘘だ。心配なんか最初からしてない。1号は仕事に必要な付き合いくらい上手くやれる。

「2号……?」
「いいことじゃないか。ボクも二号機として、なんだか誇らしい……」

 そうだ。誇らしい。ここに名を連ねた人たちから厚い信頼を得てきたであろう1号が誇らしい。ボクが信じていた通りだ。
 最初から1号と通信できるようになっていたボクと違って、1号からボクに繋げる回路は後付けのもの。1号はひとりで生きていけるってことは、ずっと前から知っていた。ボクの望みが叶ったのも、1号がそういう強さを持っていたからだ。——それを分かっていた上で、ボクは1号の傍にいたがったんだ。
 なあ、1号。身勝手なのは分かっている。でもどうか、もう一度ボクを、おまえの、傍に——。

「2号」
「……あ」

 ヤバい。取り繕おうとして、でも結局絞り出した声はどんどん暗くなっていってしまって失敗した。一度自分から離れていったくせにまたふたりきりでいたいなんて理由も相まってダサすぎる。ズラリと並んだ連絡先を見た瞬間に肩を落としたせいで、ボクが嫉妬じみた思いを抱いて拗ねているってこともさすがにバレているかもしれない。
 こんなんじゃ1号だって困るだろ。ほら、また困惑されて、呆れられて——。

「——1号?」

 違う。なんだその表情? 呆れとかじゃない。——驚いてる?
 予想だにしなかった反応のせいで、ボクまで驚いて声を掛けてしまった。

「2号、おまえ……。そんなに……そんなに、オレのことが大事か?」
「え?」

 そこから? 今になって、そこに驚くのか?
 たった数ヶ月の間でも、散々主張してきたような気がする。

「だ……大事に決まってるだろ!」

 思わず叫ぶような言い方になってしまったくらいには、前提中の前提みたいな質問をされていた。
 大事だ。他の、何よりも。だからボクの命だってくべることができたんだ。
 生憎、今はあの極限の死闘の最中とは違う。命と一緒に恋心めいたものまで蘇って、その思いに振り回されている。でも、そんな——たった一度の恋をして、それを諦めて、でも、また諦められなくなっているほど、大切なんだ。

「……そう、か」

 静かな驚愕を湛えたまま1号はなにやら考え込むと、手元に視線を落として液晶を叩き始めた。
 どういう反応なんだ。ボクの言葉の意味でも検索しようとしているのか? でも、画面はメッセージアプリのままだ。

「……これでいいか?」

 再びボクの方を向いた1号に、スマホの画面を見せられる。
 さっきと同じリストだ。違うところは——ボクの位置。アプリの主のすぐ下に、同じ初期アイコンと、傍らに書き添えられた「GAMMA 2」の文字がある。「NEW」の文字は消えているから、後はアルファベットや五十音の順に埋もれていくだけのはずなのに。規則正しく並んでいる他の名前を無視して、リストの頂点に座していた。

「……どうなってるんだ?」
「お気に入り機能と言うらしい。ここの画面を開いて……ここを押すことで登録できる」

 1号が示してくれた通り、ボクのアイコンの傍には星の印が付けられていた。これが「お気に入り」の証ということだろう。

「これを設定した相手は、このようにリストの一番上に出るようになるらしいな。リストを折り畳むときにも、『お気に入り』は別枠扱いとなるようだ。……効果としてはこのようなところか。初めて使ったから、わたしも詳しくは分からない」
「……初めて?」
「今まで使おうと思ったことはなかった。おまえとも、今まで通りガンマの通信機能を使って連絡を取ることになるとばかり……。だが、おまえがこのアプリのことも重視しているようだったから……この機能のことを思い出した」

 今まで、他の誰にも与えなかった「お気に入り」の称号を、ボクにはくれるのか。
 ボクは、ここにいる全員を抜き去って、おまえの、一番近くに。

「も、もしかして……ボクが拗ねたから、そうしてくれたのか?」
「思い出した切っ掛けは、確かにそうだが……。この中でわたしに最も近しいのはおまえだろう。頻繁に使うことになるかもしれないから、この設定を登録しておくことも間違いではない。……通信の方ばかり使うことになったとしても、これはそのままにしておこう」

 スマホをボクに見せたまま、1号は気まずそうに目を逸らす。照れているときの仕草だ。
 ——そんなふうにされたら、おまえもボクを好きでいてくれるんじゃないかって思いたくなる!

「——最っ高だ、1号!」

 スマホを差し出す1号の右手を、両手でぎゅっと握り締めた。
 1号がボクを特別扱いしている証を示した画面を目に焼き付けてから、照れたままの1号の顔をもう一度見る。

「また、ボクと一緒にいてくれるんだな! おまえの傍にいていいんだな! 嬉しいよ、生き返って良かった!」
「これくらいでそこまで言うのか……?」
「『これくらい』なもんか! だって1号、ボク以外は『お気に入り』に入れなかったんだろ? 1号にとって、ボクが一番って言われてるようなものじゃないか。喜ぶなって方が無理だって! ボクも1号のこと大好きだからさ」
「…………」

 さすがに調子に乗りすぎたらしく、握った手が振り解かれてしまう。本気で困っている様子の1号がなんだか面白くて、もっと「好き」と言ってみたくなるけど、今は我慢しておこう。
 口にした「大好き」は、まさか愛の告白として受け取られてはいないだろう。まだそれでいい。この瞬間、それに踏み切ってしまってもいいと思うくらい、心が熱くて高鳴っているけど、まだ。いつか今以上のムードを作り出してやるんだ。1号の反応を見ていると、上手くいくんじゃないかという希望が湧いてくる。
 絶対大丈夫だ。だって、一年間離れ離れになって、1号が多くの人とかかわるようになっても、ボクは1号にとって、唯一の存在になれているから!

 液晶の上で指先を弾ませ、画面の中のガンマ1号に星印をつけたことは、言うまでもない。