「このボトルのデザインかっこいいなあ! ……でも、名前はこっちの方が……」
某日、新生レッドリボン軍総本部のメインタワーにて。廊下の一角に設けられた自動販売機を前にして、それ以上の身の丈をした男が顎に手を当て唸っていた。軍のお抱え科学者が誇る、極めて高い戦闘能力と自律思考を兼ね備えた最新兵器・人造人間ガンマ2号である。
人造人間はかれこれ十分以上、陳列された飲み物を眺めて吟味している。決して優柔不断なわけではない。そもそも、最初から一つを決定して、それに口を付ける気などないのだ。ただ、飲み物を選んで購入し、それを己の舌で味わうことに、関心と少しばかりの憧れを抱いた。それは叶わないと知っているから、選ぶ最中という最も初歩的な段階に踏み止まっていた。
そんな状況にも楽しみを見出すことができるのは、彼の陽気で楽観的な性格の為せる技だ。彼とは何かと正反対の気性の持ち主である一号機であれば、自分には実現できないと分かった時点でこのマシンから離れている。それ以前に、自動販売機やその中の飲料に関心を示すこともないだろう。
「ガンマさん! お疲れ様です!」
「おう」
後ろを通りがかった一人の兵士に短く挨拶を返しつつ、ガンマ2号は自販機見物を続行する。
——しかし、ちらと横目を兵士に向けたとき、彼の手に財布が握られていることに気付いてしまった。しかも、彼はその場から去ろうとしない。明らかに2号の後ろを取って立ち止まる。
平時の振る舞いについて一号機に窘められることも多い二号機だが、この兵士の様子に気付いてなお飲み物に向き合い続けるほど鈍くはなかった。
「ああ、いいよ」
2号が横にずれるように移動する。ズラリと並んだ飲料が兵士の目に明かされた。
「いいんですか? すみません。……ガンマさんも、何かお飲みになるんですか? 随分と迷われているようでしたが……」
兵士は2号に尋ねながら、硬貨を二枚自販機へと投入する。軽やかな金属が機械に呑み込まれる音がして、商品の下部に取り付けられた黒いボタンには一斉に赤色の点が灯る。さながら眼前の客を歓迎し、商品である自らが手に取られることを待ち望むように。そして彼が一つを選んでボタンを押せば、機械はそれに応えて音を鳴らし、取り出し口に所望の品を下ろしてくれる。
一連の流れを横から見ていた「客」に非ざるガンマ2号は、思わず目を細めていた。
「飲もうと思えば飲めるし、飲みたいけど……。飲まない……というか、飲めない。ただ見てただけ」
「飲めない?」矛盾しているようにも思える説明をされた兵士が、その首をかしげる。
「お金持ってないからね」
それこそが、ガンマ2号がこれらの飲料を味わいたいと思いながらも、眺めるだけに留まっている唯一最大の理由だった。
人型の身体と確立された人格を持っていようとも、軍と宇宙人との対決を想定して創られた人造人間は「兵器」でしかない。生命活動のために飲食を要する人間が食費を支払うことと同様に、性能の維持や向上のためならば兵器に資金は費やせよう。だが、本来飲食を要しないガンマがオプション的に持ち合わせているだけの摂食機能など、娯楽以外の何物でもないのだ。人の意思を代行させるモノにすぎない兵器の娯楽を慮って給与を捻出する軍など、一体どこにあるのだろうか。
ガンマの開発者兼管理権限保持者であり、軍の重鎮の地位を手にしているドクター・ヘド個人は、自身の最高傑作たる彼らを厚遇している。だが、そのヘドも重鎮の一人に過ぎない。軍全体が——軍のトップが、ヘドの意向に倣うわけではなかった。
「そうなんですか……」
目の前の相手の寂しい金銭事情を知ってしまった兵士が、ほうじ茶の入ったペットボトルを傾ける手を止めてしまった。——が。
「……そうだ!」
片手に持っていたキャップをボトルに被せて閉めると、彼はポケットにしまった財布をもう一度開く。その中から「500」の文字が彫られた一枚の硬貨を取り出して、ガンマ2号へと差し出した。
「じゃあ、これどうぞ! 自分の奢り、ってことで」
「……え?」
呆気に取られた2号が暫し静止する。半ば諦めていたそれがこんなところで、こんな形で自分に向けて渡されるとは思っていなかったのだ。
「い、いいのか? 何か今の流れだと、まるでボクが奢ってってアピールしてたみたいになっちゃうんだけど……」
唐突な事態に面食らうあまり、いつもはあまりしない遠慮というものをしたガンマ2号。しかし、その目は確かに輝き始めていた。
「気にしないでください。いつもお世話になってるんですから、そのお礼ってことで! それじゃ、自分はこの後用事があるので、これで失礼しますね!」
「あ、ちょっ……」
飲みかけのペットボトルを抱えたまま、兵士は一礼して小走りで去っていく。2号は手を伸ばして引き留めようとはしたものの、本気で彼の肩を掴むことも追い掛けることもなかった。
伸ばした左手を下ろしてから、右手の人差し指と親指でつまんだものをまじまじと眺める。こちらに気を引かれていたせいで、去っていく兵士を止める気が起きなかったのだ。遠慮の思いがあったことも確かだが、2号は結局受け取ってしまっていた。
「……まあ、厚意を無下にするのもよくないよな!」
決意を固めた2号はその手の五百ゼニーを握り締め、天を仰ぐようにして頷いた。
いよいよ自動販売機の客となる権利を得た2号は早速それに向き直る——ことはせず、踵を返して鼻唄交じりに指令室へと向かう。「いつもお世話になってるんですから、そのお礼」という兵士の言葉に則れば、この心付けを受け取るべき存在はもうひとりいる。
それに、ただ共有したかった。この高揚を、これから知ることになる、味覚というものを。
「1号! 待った待った!」
「2号?」
ガンマ1号は指令室に設けられた専用のカプセルのすぐ傍にいた。今にもそこに入ろうとしていた彼の腕を、駆け付けたガンマ2号が掴んで引き留める。間一髪のタイミングだった。
与えられた務めに専心することを重んじるガンマ1号は、その時点で請け負ったものを果たし終えるとこうしてカプセルにその身を収めてしまおうとする。もっとも、1号が既にそうしてしまっていたとしても、ガンマ2号は外側からカプセルを叩いて1号を再起動させるまでなのだが。
「何か用か?」
「ああ! ほら1号、見てくれよこれ!」
「……? 五百ゼニー硬貨……落とし物か?」
「いいや、さっき兵士がくれたんだ、日頃のお礼って! 1号、これを使ってさ、自販機で飲み物買って、飲んでみないか?」
喜々として誘い掛ける2号とは対照的に、1号の表情はみるみるうちに険しくなっていく。
それも、いつものように無表情の中に呆れを滲ませたものではなく、驚愕と焦燥を湛えたものへと。
「おまえ……金銭を受け取ったのか!? 何てことを……!」
「あ……。や、やっぱり……ダメ?」
「ダメに決まっているだろう。ヒーローは金銭を得るために闘ったり、人助けをしたりしているわけではない」
2号が浮かれながらも危惧していた言葉だった。受け取ったときから気にしていたことで、案の定1号にも言われてしまった。
「だ、だけどさあ……! ほら、ニンゲンって互いに食事とか奢ったり、奢られたりするらしいだろ、あれと一緒なんじゃないか? 日頃のお礼なんて建前みたいなもので、謝礼とか、そんな深い意味を持って渡されたお金じゃないと思うんだけど……」
それでも2号は食い下がる。諦めたくないのだ。最愛の同型機と共に“お茶”なるものをしてみたい。掴みかけているその夢は、手放してしまうにはあまりに惜しい。レッドリボンを背負い、正義の下に悪を成敗して世界を救う日を迎えようとも、自分たちに報償や給金が下りることはない。夢を叶えるには今しかないのだ。
「それでも金銭は金銭だ。我々は人間からそのような施しを受ける存在ではない。いいから早く返してこい」
「施しって……。ストイックすぎないか? そんな大袈裟に考えなくても……」
「大袈裟ではない」
ふたりの議論は終わりの見えない平行線の様相を呈し始める。これまで何度も経験した状況だ。2号はその経験から長期戦を予感すると共に、奥の手の行使に踏み切るか、潔く退くかの二択を迫られていることも理解した。
奥の手というのは、ドクター・ヘドに事情を説明することである。良くも悪くも自由きまま、自身の意欲に素直な気質の持ち主であるヘドは、2号の無邪気な感性に肯定の意を示す人物だ。そしてヘドの許可さえあろうものなら、忠誠心の強い1号もそれに異を唱えることもしない。ヘドの存在さえ持ち出すことができれば、2号は1号との舌戦に勝てるのだ。
しかし、2号がそれを多用することはない。他者を介して有利に事を進めるよりも、自分自身の言葉や行動でどうにか1号の心を動かしたいと願っていた。ヘドを通してあらゆる要望を通していては、間接的に命令を下しているようなものだ。1号自身の心に構わず、有無を言わさず頷かせるような真似はしたくない。唯一対等の立場を崩さず、その上で彼のことをもっと明るい場所へと連れ出したい。そのため、ヘドの力に頼るのは奥の手だ。1号の意思を撥ね退けてでも成し遂げたい何かがある、追い詰められた状況で行使する最後の切り札だ。
——今はそんな状況ではない。確かに夢は惜しいが、答えは一つ。
「……ま、1号にとって後ろ暗いお金でお茶しても心苦しいか。……しょうがない。1号の言う通り、この五百ゼニーは返してくるよ」
「分かってくれたならいい。……そうしてくれ」
1号の表情を覆っていた険しさが薄れていく。そのことが、夢破れた2号の落胆を和らげた。これで良かったのだと、思うことができた。
「……だけど、折角渡してくれたのに返されたんじゃ、あの兵士悲しんだりしないかな?」
くるりと1号に背を向けた2号は、器用にコイントスをしながら思い出したように呟いた。
なおも食い下がるつもりで言ったわけではなく、ただ思いつきをそのまま口にしただけだった。——だが。
「…………」
1号が息を呑む気配を察した2号が振り向けば、彼は腕を組んで目を見開き俯いていた。完全に虚を突かれたという、彼の動揺が表れている。
2号がふと零した可能性は、争論の中で挙がることのなかった、彼らふたりに共通した盲点だった。
「……1号……」
「……2号。すまないが、先ほどの主張を撤回させてほしい」
「え?」
「自動販売機がある場所に向かうぞ。その兵士に報いなければ」
「ええ……」
1号は急に乗り気になったが、2号はやや苦々しい思いをした。1号には自分とのティータイムをただ純粋に楽しんでほしかったのだが、彼の目的は五百ゼニーの恩義に応えることとなってしまっている。これではヘドの代わりに兵士を味方につけ、1号の忠誠心の代わりに良心を刺激したようなもの。2号は珍しく、自ら己の軽率さに心の中で舌打ちをした。
「自動販売機はいくつかの場所に設置されていたな。推奨される場所はあるのだろうか」
1号が赤いマントを翻し、カプセルに背を向けて歩き出す。そんな何気ない仕草にも、2号は見惚れていた。今のカッコよかったな、きれいだな、と。