「1号ごめん、ココア飲ませてくれ……!」
「ああ。……だが、昨日よりも飲めていたんじゃないか?」
「そ、そうか……!? そうかも!」
「……あ、半分まで飲めた! でも、今日はこれくらいにしておきたい……」
「分かった。ほら」
「ありがとう! ……ああ、やっぱりココアは美味しいな! ……だけど、コーヒーも思ってたほど悪くない、かも……!」
人のいない休憩室でそんなやり取りをする日々が、しばらく続いた。
少しずつ、少しずつ。日を重ねるごとに、2号が交換を申し出るまでの時間は伸び、1号から渡されるココアの量は減っていった。
——そして、遂に迎えたその日。
口を付けた瞬間、昨日までとの違いを確信した。
一口目も、それ以降も、いくら飲んでも今までのように鈍い違和感を覚えることがない。苦味は感じるが、程良いもの。しかも、その苦味の中の奥深い味わいにはっきりと気付けている。
「——美味しいかも……!」
自然とその言葉を口に出せるようになれば、あとは早かった。マグカップを傾ける角度を大きくしてぐいと一気に流し込んでも、不快など一切感じない。自ら口にした通りの、「美味しい」という感情と、そう思えること自体への感動だけが湧いて出てくる。
「の……飲めた……全部飲めた! コーヒー、ちゃんと飲めるようになったぞ! 1号!」
「……よくやったな、2号。……背を向けることなく、困難に打ち克ったおまえの姿勢は……立派だった。これからも、その調子で励むように」
「! ああ……!」
なぜコーヒーを飲むための努力は継続できて、日々の任務は真面目にできないのか——という疑問も1号の中には率直な感想として存在していたが、それよりも、2号を称える言葉が先に出ていた。ここ数日の2号の真剣さを、不思議に思いながらもずっと傍で見守って——確かに、感心していた。ヒーローとしての強い自覚を持つ1号は、“カッコよさ”を追及する2号への共感もできた。もっとも、2号がなぜ——誰のために、コーヒーを飲めるようになることで得られるカッコよさを求めていたのかということについて、彼は知らない。「これからもこの調子で励むように」とは、普段からもっと真剣でいてくれという思いを込めた言葉である。
しかし1号からの称賛を得たという状態にある2号は、夢見心地で浮かれ続けている。まだ、好意の全てが伝わらなくてもいい。今はこの結果だけで十分——という思いでいた。
「今までは、1号にココア飲んでもらうように頼んでたけど……次からはコーヒー飲んでもらって大丈夫!」
「次? まだやるのか」
「記念に一回くらいいいだろ? 1号と一緒にコーヒー飲んでみたいんだ」
浮かれているから、「次」の望みもストレートに口にできる。最初で最後と思っていたはずの“お茶”はこうして何度も延長され、コーヒーへの苦手意識もなくなり、1号にも称えられたことで、2号の目的はいよいよ全て達成されている。だが、それらが達成された証を、また1号と共有したかった。——叶うことなら、何度でも。
「次は正真正銘のコーヒータイムにできるな! 実は、ずっと憧れてたんだ……!」
「……そうか。……そうだな……」
「……?」
些細な反応だったが、2号は目聡かった。——快挙の喜びを共有してくれたはずの1号が、なぜここで落胆するのか。
「次」そのものを忌避しているのではという可能性はすぐに除外した。一度目の時点で1号は飲み物に好意的な感想を示している。つい先ほども、2号が「次」と言ったときには、視線を落とすことはしていなかった。
ではなぜ、と2号が思案を巡らす間も、1号は僅かに俯いたまま。彼の両手に抱えられた空っぽのマグカップが、丁度その、寂しげ——名残惜しげな眼差しの受け皿となっていた。
「次」はあるのに、なぜそんな表情を。——疑問視した瞬間に、2号の思考はある可能性に至った。思わずこれまでの1号の言動を振り返れば、その可能性は一気に確信へと変わる。
「……1号」
「何だ」
「おまえ……もしかして、甘いものの方が好き?」
最初に自販機でココアとコーヒーを買って飲んだとき。促されることはなかったとはいえ、1号が味について感想を述べたのは、2号と一時交換したココアについてのみだった。表情をことを変えることなくブラックコーヒーを飲み干した1号が、ココアの感想を述べたときには僅かに口角を上げていた。
「…………!?」
1号が驚愕して顔を上げる。身も蓋もない的外れなことを言われたのではない。図星を突かれたことによる反応だと、2号は直感した。三ヶ月間、1号のことはずっと傍で見てきたのだ。もう、何となく分かる。
その証拠に、1号からすぐに否定の言葉が発せられることはない。ただ視線が惑うばかりで、心なしか瞬きの回数も増えている。
「コーヒーとココア、どっちが好き?」
「…………ココア……」
改めての問いかけに、1号は消え入りそうな声で、素直に答えたのだった。
食器を片付け足早に退室しようとする1号の眼前に回り込み、2号は何とか彼を引き留めた。
「別に良くないか? 甘いもの好きでも」そして、黙ってしまった1号を宥めようと奮闘する。「ボクだってコーヒー全部飲めるようになったばかりだし。コーヒーもいいとは思ったけど、どっちが好きかって聞かれたらボクもココアって答えるよ」
「…………」
「だから、隠したり焦ったりするほどのことでもないと思うんだけど……」
1号が隠したがっていることは察していた。——しかし、自分にだけは、打ち明けてほしかった。だから、この部屋には他に誰もいないということを踏まえて尋ねのだ。
「……ヒーローはカッコよくないとだめなんだ」
粘り強く進路を阻む2号相手に観念した1号が、ぽつりと零す。
「……う~ん……。『苦いのものもいけるって方が、絶対カッコいい』って……確かにボクも言ったし、そう思って実践もしたけどさ……。……いや、でも。1号だってちゃんと飲めてたじゃないか。もし無理していたとしても、飲めてたことには変わりないし十分だろ」
「無理をしていたわけではない。ただ……甘いもの方が、より好ましく感じてしまっただけで……」
「それでいいと思うけどなあ。ボクだってヒーローだけど、甘いものいいなって思ったぞ」
「おまえはいい。だが……おまえとわたしでは、性質が違うだろう」
「性質……」
性格、物事の考え方、得意とする戦法——彼らはしばしば、様々な部分において対照的であった。それは、2号もよく知るところだ。
「……似合わない、からな。オレ……わたし、に、甘いものなど」
「…………」
そんなことだろうと思ったよ。おまえらしいな。——2号の中に、いくつもの言葉が浮かんでいく。
だが、それらの言葉以上に。恥じるように噛まれた1号の唇に、2号は自分のそれを押し当てたくなった。目の前の同型機が自らの内に秘した柔らかな一面を肯定できる、最も早い方法だと思ったからだ。
生憎ふたりは恋仲でも何でもなく、そして2号は存外、順序を重視する男であったため、その手段を本当に選んでしまうことはない。——ので、
「……まったくもう! おまえはほんっとに、お堅いな!」
そう言って、正面から力いっぱい抱き締めることにした。今の自分たちに許される触れ合いとしては、最大限のものだ。
「離せ……!」
同型機にも同じか、それ以上の力を出されてしまえば引き剥がされてしまう。目を合わせて話がしたかったので、2号は敢えてそうされることにした。
1号の瞳は未だに大きく揺れたまま。そうさせる感情の名が恐怖であるということは、想像に難くなかった。
「……安心しろよ1号、おまえの心配事は起こらない。ボクはおまえのことを笑ったりしないし、幻滅もしない。誰にも言ったりしない。……分かるだろ?」
「……!」
聴き覚えのある言葉を受けた1号が、その目を見開く。
初めて、2号の前で「わたし」ではない一人称を口にしてしまったとき。傷ましいほど激しく狼狽えた1号に対し、2号は同じことを告げた。その誓いが守られるということも、共に過ごしてきた1号自身がよく分かっている。
「ま、1号が『ガンマ』のイメージを崩したくないっていうなら、止めはしないさ。……だけど、これはボクからのお願い。ボクとふたりでいるときくらいは、甘いものが好きってこと、隠さないでくれるか?」
「……なぜ?」
「そっちの1号の方が好きだから」
「……理解に苦しむ。おかしな趣味だな」
「ひどっ!? なんで!?」
「何でと言いたいのはこっちだ」
ヘドの最高傑作として創り出された以上、生まれ持った全てを曲げたくなかった。冷静沈着な人格はもちろん、そこから想起される細かな嗜好に至るまで。綻びなどあってはならないことだった。
だというのに、2号がそれを咎めるどころか喜ぶ。1号には、その意味が分からなかった。
「クールな1号もいいけど……それも含めて、何だっていいんだ」
「何でも、だと?」
「そう。その上で素直な姿を見せてくれた方が、生きてるって感じがしてボクは好き」
「オレ」と初めて聴いたときも、2号は同じように感じて、同じように喜んだ。それだって、ふたりきりのときはもっと言ってほしいくらいなのだ。2号は自分たち、特に1号の原版たる人物ではなく、今自分の目の前にいる1号個人に焦がれているのだから。
2号が取り除こうとしていた自責や警戒心こそ見えなくなったものの、1号は未だ腑に落ちない表情を浮かべている。そんな1号にもいつか伝わればいいと、2号は密かな望みを抱いた。
「明日、コーヒーじゃなくてココアにするか?」
「……おまえに任せる」