おとぎ話にかこつけた誓い合い。そんな戯れに興じることが許されたのは、それから三日の間だけだった。
四日目の午後から一ヶ月ほどの時間が経つまでの日々を語ることは、正直難しい。この視界に映り、メモリーとして自動的に保存された光景を呼び起こすことは可能だが、そのとき自分が何を考えていたのか、ということについての記録や記憶が極めて断片的で不完全だ。最高峰の性能を有した人造人間としては恥ずべき状態だが、本当に、何も——何を考えることもできなかった。ガンマの精強な思考さえ揺るがすような衝撃があった。
激変した環境の中、ヘド博士を支えることをはじめ、わたしのすべきことのみに集中していた。彼に託されたということは勿論だが、それ以前にガンマとして当然の行動だ。使命さえ果たせていた以上、何も問題はない。ガンマのものとしては不要なものに分類されるであろう感情は——かつての方が豊かだった、ような。それが削ぎ落されてしまったことは、どう捉えれば良いのだろうか。
正義のために、命令を実行する。そのためだけに創られたわたしに、それ以外のことを教えて引き出してくれた存在が、いなくなってしまった。わたしひとりでは、悲しむことさえ満足にできなかった。
それでも、一つだけ。新たな環境に足を踏み入れた直後、一つだけ確かに決めたことがあった。
一旦ヘド博士と別れた後、人造人間にさえ割り当てられた私室へと入る。真新しい寝具、棚にテーブルなど、最低限の家具が備わった機能的な空間だった。わたしの入室を認めたセンサーが、開けた自動ドアを滑らかに、静かに閉ざした。
「…………」
俯いて、左手に握ったままのものに視線を落とす。固く握りしめておきたいような、労わるようにそっと触れておきたいような。よく分からない力加減を、所々が擦り切れた青いマントに与えていた。
この瞬間に至るまで、わたしがこれを持ったままでいる。——それが、苦悩の源だった。
ヘド博士に「また後ほど」と言って、そのまま去るべきではなかった。これを——ガンマ2号の唯一の遺品を、博士にお渡しすべきだった。ガンマの所有者は、博士なのだから。ガンマの形見を巡るにあたって、わたしがヘド博士より優越するわけがない。たとえ、2号とわたしが、どれほどふたりきりの時間と、想いさえも重ねていたとしても。
それに、わたしに不思議なくらいこだわっていた2号は、結局、わたしを自分のものにしてはくれなかった。わたしが2号の傍に居続けることも、また、正しくはなかった。わたしたちはきっと、離れるべくして離れた。
今はもう、正しい選択を理解している。そのはず、なのだが。
『ボクは、おまえと一日離れるのも嫌なくらいだっていうのに……』
あのとき、聴覚器官のすぐ傍で零れ落ちた寂しげな声が、脳裏に響いて離れない。
いつの間にか立派なヒーローとなっていた2号は、あれだけ嫌がっていた未来を自ら選び取ってみせた。ならば離別を恐れた彼の弱音も、克服されたものと思っていいはず。それをこうして引き摺ってしまうのは、わたしに未練があるからか? それとも——その言葉はまだ、生きていると自惚れていいのだろうか。わたしと離れたくないという、温かく愛おしいを捨て去ったわけではないのだと。もう一つの遺言だと、思い込んでしまっても。
だとすれば、これもまた、わたしにしか叶えられない遺言だ。
「……申し訳ありません、ヘド博士」
青色を持ち上げ、少し迷って首元に宛がう。この喉に、わたしの言葉を紡ぐ器官に、襟と肌越しに触れさせてやろう。「おまえとヘド博士の言うことしか聞かない」という表明をその場で信じてやることはできなかったが、あの言葉を最期に告げたあいつは、本当にわたしの言葉を聴いていたようだったから。
後ろ首で結んでから、部屋に備え付けられた鏡付きの洗面台へと向かう。赤と対極を成す青色は、わたしには似合わないような気がするが——きっと、これでいい。鍵付きの引き出しの奥に大事にしまっておくよりも、もっと相応しい人に委ねるよりも、これが一番、彼の遺言にかなう形だ。たとえわたしが2号本人と言葉を交わし、生きた彼の存在を感じることはできずとも、これなら常に一緒で、隔てられることはない。
「……すまない、2号」
上手に悲しむことができずに、ただ遺言を追うばかりで。
ある意味、命令に忠実なガンマらしい行動かもしれないが、博士の望みを遂行しているときとはまた異なった感覚だ。2号に会うことはできない以上、不必要となった感情が、にわかに蘇ってくるかのような。
指先でそっと青を撫でると、優しい感触がした。
2号の形見を身に着けていること。それが、この一ヶ月の間で唯一、わたしが自ら思い描いて決めたことだった。