「七夕?」
「そう! 去年は忙しくてすっかり忘れてたけど……今年こそはちゃんと、笹を飾るわよ!」
わたしが青を纏うようになってから、三百八十八日が経過した日。研究所のメインロビーの中央で、ブルマ博士が高らかに宣言した。
「というわけで。はい、これ。あんたにも書いてもらおうと思って」
「……?」
そして続けざまに、色付きの細長いカードを二枚取り出す。
「一枚は予備ね」
「……短冊……ですか?」
「そうよ。さすがに七夕くらい知ってるわよね」
元々は織姫にあやかって機織りの上達を祈願する行事だったそうだが、今では願い事の内容に制限はなくなっているらしい。それを書き記したカードを笹の葉に飾るという風習。——もう、そんな一般常識をわざわざ音読することはないが。
「ブルマ博士、笹はどちらに?」
「取り寄せたんだけどまだ届いてないの。届いたら、あんたに設置頼もうかしら」
「分かりました、お任せください」
「短冊の方は書けた人から自分で飾り付けてもらうわ。分かってると思うけど、明々後日……七日の夜までに飾らなきゃ意味ないから、締め切りには気を付けてね」
「……はい、心得ております」
それじゃあよろしく、と軽い足取りで去っていくブルマ博士を深い礼をして見送る。
その動作こそ滑らかにできたものの、目下の任務に囚われ、惑う心を自覚していた。ガンマのスーツと似た色をしたカードは、黒いグローブに覆われた手のひらの中によく映えて、自身の存在を主張する。逃れられそうもないそれに対し、密かに溜め息をついた。
願い事。欲しいものを言うこと。個人的な要望を表明すること。——わたしの不得手だ。わたしはヘド博士の最高傑作として、務めが果たせればそれでいい。そのヘド博士も、もうここでの生活にすっかり馴染み、日夜製品開発に励む日々を楽しんでおられる。不足など一切思い当たらない現状があるというのに、これ以上何を望めばいいのか、望む必要があるのかが全く分からない。不足しているもの——答えのための材料がないというのに、そこからどうやって答えを出せというのか。
だが、短冊への記入は今現在の最優先事項ではない。まずは今日の務めを終わらせること。そして、笹が届き次第このロビーに設置すること。そもそも短冊を飾ることができるのはそれからだ。笹は七夕当日以前——今日か明日には届くだろう。そしてブルマ博士が指定した締切は、当日の夜。念をもって当日の昼、いや、朝までには取り付けておくことが望ましい。それを加味しても、まだ六十六時間ほどの猶予がある。七日の朝を迎えるまで、務めの合間や終業後にでも思考を割くようにすれば、良い案を考え出せることができるはずだ。——小さなカード一つにこんな計算と計画を敷いたことが、わたしがこのようなイベントに不向きな存在であることを表している。
「…………」
困難を前にしたせいか、思わず、首元の青を握っていた。
これの元の持ち主であれば、ここまで考え込むことなく、短冊に自分の言葉を書き込めていただろう。彼と一緒なら、わたしもここまで苦労せずに筆を執れていたかもしれない。
——詮無き空想だ。わたしたちは、牽牛織女以上に欲を許されない形で別離した。意味のない仮定に浸っている時間があるなら、実際にわたしひとりで短冊に記す内容を真剣に考えるべきだ。
「……2号」
思考の矯正を試みたとき、胸の奥——心臓代わりの器官が鋭い痛みを錯覚した。
わたしは、いい。わたしに願いなどない。だが、せめて2号の願いだけは。わたしと離れたくないと言ってくれた2号の望みは、たとえもう彼の命が尽きているとしても、成され続けていてほしい。そのために、あの日からずっと彼の証でこの喉笛を包んできた。
——それを。2号の夢の成就を、わたしの願いにしてしまおうか?