床に落ちてしまわないよう手にした本は取り上げられ、「次は一緒に雑誌読もう」と、改めて約束された。彼がもうすぐ元の位置に収めるであろうそれのことは、もう開くな——とでも、暗に願われたのだろうか。——あいつは、そこまで言うようなやつではないか。だが、そうやって縛り付けられることは——受け入れられるかどうかはともかく——あまり嫌ではないかもしれない。
そんなことを考える一方で、腑に落ちたわけでもなかった。
『ボクたちは、あんなふうになっちゃダメだ……!』
『嫌……絶対に、嫌だ……! おまえには、ああなってほしくない! させたく、ない……!』
「……そんなに、嫌か……?」
誰もが拍手喝采を送るような結末ではなかった。この手の話に対しては、そこに感じた強い憐憫を作品への好感に結び付けられる者もいれば、深く傷付き苦手意識を覚えてしまう者もいるだろう。2号が後者となったこと自体が不思議なわけではなかった。
だが、2号が露わにした拒絶意識は、些か——異様だったようにも思えた。直にその目で見るという経験がなかったのだとしても、バッドエンドというものの存在くらいは知っていただろう。この物語も、その終わり方を含めて有名なものだ。そういうものもあると割り切ることができないのは、感情豊かで強固な自我を持つ2号らしく、また、決してそのような終わりを迎えるべきではない、ヒーローらしい意思であるのかもしれないが。
「……ヒーローらしい、か」
2号がそうであるなら、オレの方が、おかしなことを言っていたのかもしれない。
だが、やはり2号の憤りもまた、彼の性格とヒーローとしての意識だけで説明がつくものではなかった。普段から私情を隠そうとはしないやつだ。しかし、あそこまでの激情を、なりふり構わず訴えかけるような姿は見たことがない。
できることなら、どうにかしてやりたかった。これ以上尋ねても、きっと傷を抉るだけだから、もう、暗がりの中ひとりで考えることしかできないが。ひとしきりの嫌悪感を吐露した後に落ち着きを取り戻し、晴れやかな様子で返却へと向かったように見えたが、見えただけだ。2号はまだ、あれを認めたわけではないのだろう。——何が、彼をそこまで頑なにさせる。
「わたしたちは……あんなふうになってはいけない……。……オレには……ああなってほしくない……?」
叫びとなって聞かされた言葉を反芻する。——自分たち、そして特に、わたしに向けての言葉だった。登場人物への感情移入をするあまり、自分と、そして身近な存在の立場を照らし合わせてしまったということだろうか。そのせいで、心配されているのか?
やや心外だ。普段の様子を見ていれば、どう考えたって心配なのは2号の方だ。——だが、まあ。2号のために、留意くらいはしておこう。
2号がどこか決然と反発していた、あの二人の結末。どちらとも嫌がっていただろうが、どちらが、わたしに対して、より忌避していたものだっただろうか。事実を誤認して、総計な決断に陥ってしまった主人公のものか。それとも、彼の後を追ったヒロインのものか。
——前者の事態は防げるだろう。冷静であり続けることは難しくない。誰に言われなくても、常日頃から心がけていることだ。そちらについては、むしろ2号の方を心配するべきだ。——では、後者は。
「……それは、おまえ次第だな。……2号」
「後を追う」という選択は、後者——ヒロインだけでなく、主人公にも共通する情動だったが。
わたしは、全編を通して俯瞰的な態度で読み進めていた。2号のように、現実と接し合わせて想像するほど、物語に没入することはなかった。そんな調子だったためか、これほどの大作を読了した今でも、その物語の主軸となった恋心というものを理解できていない。
だが、一度だけ。最終盤、主人公に続いて、彼の愛した女性が倒れたとき。最期まで彼を慕った彼女のように、オレが、そうすべき——そうしたい対象を夢想した。
ヘド博士——だったとしたら、至極当然で、非難される謂れもないと彼に反論できたかもしれない。わたしたちは、彼と彼の理想を守護するために創られた。考えたくはないが、その博士を喪ってしまえば、己の存在意義も使命も果たせなかった者となってしまう。だからその選択も、現実的なものとなるだろう。
その、唯一の正答を知っているはず、なのに。この心に浮かんだのは、別の人物だった。
彼さえいなくならなければ、オレも、と仮定して。彼は、いなくならないでくれるだろうか? ——どうだろうな。彼は——オレの、たったひとりの同型機は、お調子者で軽率で向こう見ずだから。
忠誠の対象ではないというのに、彼になら、と思ってしまっている。その明確な理由も分からないままで。——もしか、すると。説明のつかないこの感情こそが、恋であるのかもしれない。
——そうだとしても、叶わないだろうな。
『……オレは、あの結末を責められない。彼らの決断は……理解できる』
『なん……って、こと……。……なんてこと言うんだ!!』
彼本人に、そう否定されてしまったから。
最初からあった忠義心とは異なる、いつの間にか別の誰かに覚えていた感情のためでも、文字通り身命を賭す以外のやり方を思いつけなかった。それを封じられてしまえば、オレはもう、特別なことは何もできない。せいぜい、二号機である彼に、先行機としてあれこれ言い続けることくらいか。
それで、いい。わたしたちは人造人間だ。こんな想いを覚えること自体、必要性の欠片もないイレギュラーなもの。ましてや、そんなものが成就することなどあるわけがない。想いを寄せた相手が自分と同じところに落ちてくれていたという劇的な恋物語は、ニンゲンのみが謳歌するドラマだ。使命を抱き、既に仕えるべき主を持つヒーローは、彼らのような情熱を分かち合うことはない。この先も、ずっと。
「……残念だ」
誰もいない空間であることを幸いにして、おかしなことを呟く。
想い人の戻りを待つかどうか。少し迷った末に、やめることにした。振り返って一号機用の補給機を開き、再び身を収めてすぐに閉じる。
一刻も早く、この感情をこの身体ごと、ひとりきりの暗く狭い空間に閉じ込めてしまいたかった。