舞台袖。または、舞台裏、楽屋。そう呼ばれる場所の様子を、観客が知る必要はない。
「円盤の特典で、舞台裏映像とかメイキングとか付いてくるんだよね」
——とヘド博士は仰っていたが、恐らくそれも、演劇と演者の全てを網羅してはいないだろう。
ショーの世界だけでなく、本物のヒーローについても言えることだ。ヒーローとは、人智を超えた存在。だから、完璧であって当たり前。努力も、その痕跡も、当然の「完璧」を崩しかねないものであるから、不可視であることが望ましい。だから——わたしが意識して「わたし」と口にしているということは、公になってはいけないヒーローの秘密、その一例と言えるだろう。
しかし、例外は存在した。わたしが博士にも隠していることを知ってもいいのは、わたし以外にただひとり。彼とわたしは、唯一の同型機という間柄で——言うなれば、同一の舞台裏を共有する者同士だからだ。外側に向けて零してはならない秘密でも、彼相手に見せるのであれば、問題にはなりにくい。
問題かどうかを決める者の一人は、わたし自身でもあった。わたしは、わたし以外の誰かに知られてしまうことを、等しく問題と見なした。だから、彼にも明かしたくなかった。彼は純粋な好意をもって、わたしの深いところに触れようとしてきたが、それを許して応えてはいけないと自制し、抗おうとした。——結局、その攻防には負けた。彼は軽薄なようでいて、その情意は本気のもので、わたしのことを決して諦めようとはしなかった。わたしも、彼に惹かれることをやめられなかった。そのため、重ね合う秘密の数は増える一方となって、今でもそれは続いている。
彼とふたりきりの「舞台裏」は心地良い。努めて纏った強さを少しだけ解いて、彼に心を開くことでしか得られない安らぎを教わっていた。彼も、わたしと何かを分かち合う度に、大袈裟なくらい喜んでくれる。それが他の誰かに対して秘するべきものであるなら、なおのこと。
しかし、そんなわたしたちの間でも、互いに知られない方が良いものもある。
それを、実感した。
「1号! ボクと結婚してくれ! ……もっと改まった言い方をした方が、真剣さも強くなってカッコいいかな? ……1号、ボクと結婚してください! ……どうしようかな、改まるなら、『ガンマ1号』って呼ぼうかなあ……?」
扉で隔てられた向こう側の寝室。このときは、彼だけの「舞台裏」となっていた。そこから響く高らかな声は、本番の対象となる者に届くべきではない、最重要のリハーサルに臨むものだった。
「…………っ!」
聴いてはいけないものを聴いてしまった。理解すると同時に、まずいと直感的に悟って、焦り始める。
だが、それ以上に。——強烈な喜びに、たちまち支配された。
(……2号……!)
混乱の中でも自覚せざるを得ないほど、強すぎる思いだった。動揺も、面映ゆさも、あるいは、この状況を収めなければと訴える理性も、それに比べればどこか遠くに感じている。扉の奥で続いている宣誓の演習がこちらに届く度、それに呼応するようにして——嬉しい、としか、感じられなくなっていく。恋い慕う相手が、わたしと結ばれることを願ってくれているのだから——という言い訳は通用するだろうか。
もう、両の手でこの身を力の限りかき抱いて、幸福に見悶えるだけの状態となり果てていた。動くこともままならない。普段なら、喜ばしいことがあったとしても、態度に出さずにいられるのに。今はできなかった。こんな姿は見せられない。
いつも2号はわたしのことをかき乱す。——かき乱された今、歓喜を覚えている。ああ、本当に、2号とそうなれたら——。
夢に魅せられるように、身に余る幸せに陶然としていたこの時間は、そう長く続かなかった。
わたしはもう、愚かではなかった。だから、「身に余る」ということに、気付けてしまう。