舞台裏(4/4ページ)

 

 いつか、こんなときが来るんじゃないかと思っていた。想定より遅かったくらいかな。

 あのときは、それでいいと思っていた。今だってそう思っている。ボクはどんな手を使ってでも、1号を死なせたくなかった。それが1号の意思に反する行いで、そして1号を深く傷付けることになったとしても。嫌われてもいいから助けたい。そう決意して飛び立った。愛するひとのために迎えた最期で、1号が絶対生き残らなきゃいけない状況も上手く作れた。我ながら感心して、けっこう満足している。
 しかし、ここまで命懸けの計画を完遂したボクだけど、その後で計画外の出来事が起こった。なんと一年後、とある秘宝の力で、スーパーヒーロー・ガンマ2号は大復活を遂げたのだ。

『が……ガンマ2号!! ボクのガンマ……!! う、うあ、うわあああああ……!』
『ヘド博士、ご無事で何よりです……! ああ、そんなに泣かないでくださいよ……!』

 ヘド博士との涙ながらの再会——もちろん、涙を流していたのはヘド博士だけだったけど、ボクだってそのくらい感動していた——を果たして、喜んだのは確かだ。だけどその間、ボクはずっと、「どうしよう」と思っていた。ヘド博士は喜んでくださったけれど、1号は——と。
 苦しめたという自覚があった。恨まれているという可能性もあった。あの悲痛な叫びと表情は、ボクにそれを理解させるには十分すぎるものだった。それでもやり遂げられたのは、1号を守りたかったから。
 けれど、予期せぬ再会が、嫌われてもいいという覚悟の意味をさらに重いものにした。1号に嫌われるということは、1号の傍では生きられないということだ。命ある限り、その状態で過ごさなきゃならない。——それも、ボクにとって耐え難い苦痛だった。そうなるくらいなら、静かに眠っていたままの方が——なんて、罰当たりなことまで考えた。
 「これから」への恐怖にすっかり囚われたボクは、全然動けなくなってしまった。1号とふたりで話をしたいのに、言葉がまとまらない。何を言えば、1号はもう一度ボクを傍に置いてくれるのか、分からなかった。数時間——丸二日くらい考えて、鏡の前で終わりの見えない練習を重ねていた。怖いもの知らずのガンマ2号がここまでになってしまうなんて、情けないな——と落ち込んで、悪循環に陥っていた。
 確実な方法なら、一つだけ思い浮かぶ。ボクの行動を詫びて、あんなことはもうしないと誓うこと。だけど、絶対に取れない手段だ。ボクがやったこと以上に、残酷な嘘になる。嫌われてしまったかもしれない今でさえ、また同じ状況を迎えれば、同じことをすると断言できる。1号のことが好きで、1号のために下した決断だからだ。それを撤回してしまうことは、1号への一番大事な想いを否定するのと同じことだから、できるわけがない。——できないから、手詰まりになってもいたんだけど。
 そんなボクに、1号が手を差し伸べてくれた。1号の方から、ボクを訪ねてきてくれた。

『就職祝い……というわけでもないが……これを。仕事で使う機会も出てくるだろうから、持っておくといい』

 そう言って手渡してくれた箱に入っていたのは、最新型のスマートフォン。興味を引かれて眺めていた、エントランスのテレビに映っていたCMのものだった。この手に収まったメタリックブルーは、輝かしく宣伝されていたものと同じはずなのに、ずっと、カッコよくてキレイに見えた。

『……いち、ごう……!』

 たった、それだけのことかもしれないけど。それだけで——1号はボクのことを、嫌ってなんかいなかったんだって、理解できた。涙を流せないのが悔しいくらい、嬉しかった。
 1号は、ボクのことを見ていてくれたんだ。だから、この贈り物を選んだ。業務用に留めておくには勿体ないスペックのものを、無駄を厭う1号が選んだ理由なんて、ボクを想ってくれたから以外に見つからない。大体、業務用のスマホは支給してもらえると、既に説明を受けていた。先輩の1号はそれを知っている——というか、実際に1号のスマホは支給品だったらしい——にもかかわらず、わざわざ新品を用意してくれたっていうのは、そういうことだ。

『『ガンマ2号は緊張しているようだから、おまえから会いに行ってやれ』と、ヘド博士が……』

 活動的なボクが軽く引きこもりになってしまえば、博士だって不思議に思っただろう。原因も分かりやすかったかもしれない。
 だけど、1号がボクを訪ねて贈り物をしてくれたのは、博士にそう命令されたからってだけじゃない。その命令のことを話した1号は、ふいと微かに視線を逸らすという、彼特有の照れ隠しの仕草を見せてくれた。「贈り物」だって、博士のご指示には含まれていなかった。1号は、自分の意思で、ボクが傍にいることを許してくれる。
 それが分かってしまえば、あとはもう。そこから先はまた頑張って、前と同じように——前以上に仲良くなれた。
 幸せだった。結局のところボクは、1号から離れたくないし、離れることなんてできやしないし、それを叶えてもらえた。聞くところによると、ボクは一つだけ、1号宛てに形見を遺せていたらしい。たとえ死んでも離れたくないという執念が成したものかもしれない。死んだときでさえ、一方的に傍にいようとしたんだから、二度目の命を手に入れた今、この幸せを自分から手放すなんてできない。

 その幸せは、1号があの日のボクの行動の真意に気付かず、そして「二度目」の終わりという可能性を後回しにしてくれることで成り立っていた。
 真意——1号のためにそうしたんだって分かってくれたら、1号もボクと一緒にいることを我慢しなくていいってことも、伝えられるかもしれない。だけどそれを知られてしまえば、ボクはガンマのくせに、1号のために博士を利用した狼藉者だということまでバレてしまう。これも嫌われるに足る理由なので、隠し通さなければならない。
 ボクの二度目の命も、いずれ1号のものより先に終わる。1号がそれを強く意識するのは、時間の問題だった。1号はボクと違って、楽観的じゃないから。その可能性はないと言うこともできない以上、どうしようもなかった。
 1号がそこに思い至ってしまえば、その未来に備えるために、ボクから距離を取ろうとするだろう。そのとき、ちゃんと説得できるかな——と思いつつ、1号と共に、晴れやかな日々を送っていた。

 
 

『1号! 1号……!』

『……に、ごう……』

 寝室の前で、突如オーバーヒートを起こして倒れてしまった1号は、うわごとのようにボクのことを繰り返し呼んでいた。
 呼んでくれた、おかげで。1号がこうなった原因がボクだということに——ボクとの別離に思いを馳せたんだということに、すぐに気付けた。
 正直、甘く見ていた。それが、こんな症状を引き起こすほど、1号を苦しめるものだったとは思っていなかった。だったら、説得とか言っている場合じゃないかもしれない。「二度と置いていかない」と言わないまま1号に近付くことが、1号をこんな目に遭わせるのなら、ボクは、身を引くべきかもしれない。——それで1号が良くなるのなら、1号が本当に死んでしまうより、1号を死なせてしまうより、ずっといいと思ってしまうから、本当にどうしようもない。

『……離れたく、ないな……』

 ワガママだと分かっていても、蘇ったばかりの頃に感じていた苦痛がせり上がった。命を投げ打ったときでさえ、1号と離れ離れになるとは意識していなかったんだ。全く慣れないし、これから先も慣れることはない、恐怖と痛みだ。

『いち、ごう……。また、ボクのこと、許してくれないか……』

 欠片ほどの可能性だったとしても、ボクはそれに、焦るように縋るしかなかった。1号抜きの生なんて、耐えきれるわけがなかった。1号が生きてくれるだけでいい、そう思いながら、1号の傍にいることをギリギリまで諦められなかった。
 だから博士の元に駆け込んだし、看病——「病」ではないけれど——役を申し出た。1号のことも——ボク自身のことも励ますように明るく振る舞って、1号のために、できること全部やろうとした。まあ、時間経過で済む症状回復のためにボクができることなんて何もないから、早々に「好きに過ごしてくれていい」とか言われてしまったんだけど。
 このときのボクは、かなり弱っていただろうな。1号を想うことができて、どんな形でも、1号の傍に帰れるのだと信じていたときのボクは、多分世界で一番強かったけど。それが許されなくなった途端、行き場を失って、なすすべもなくなる。迷子の子供ってこんな感じなんだろうなと、絶望に暮れゆく自分を冷ややかに見つめていた。

 でも、1号は、ボクのことを呼んでくれた。気にかけて、くれた。

『1号。……おまえの傍にいてもいいか?』

 ボクが賭けるしかなかった可能性は生きていると気付いて、そう尋ねることができた。1号は、ボクのせいで苦しみながらも、ボクのことを愛してくれた。
 1号自身の言葉が聞きたかったけど、返答は全部、ボクや博士の意思に則した事務的なもの。ボクには色々言ってくれるようになっていた1号の、傷の深さが表れているような答え方だ。寂しくもなってしまったけど、まあいい。ボクなしでいた頃の自分に戻っている——いや、戻らなきゃいけないと思っているんだろうけど、ボクがいる限り、多分失敗してくれる。1号は、温かく激しい感情を見せてくれるほど、ボクのことを想ってくれるから。
 

「……2号」
「どうした、1号?」

 ようやくこの腕で包むことができた1号に呼ばれただけで、声が弾んだ。実はさっきのお誘いにまだ動揺しているので、余計な弾みを帯びていないかと内心危惧する。
 あれには驚いたけど、1号は、なんか——切なそう、悲しそう、だったから、ちょっと心配だな。でも、愛おしい。いつかまた、辛い思いは無しで言ってほしい。元気になってほしいし、してやれたらいいな。

「まだ……礼を言っていなかった。……ありがとう、2号」
「いやいや、気にするなよ。それに、ボクの方こそ……。どんなにお礼を言ったって、足りないくらいだ」
「…………?」

 おまえはボクに、ここにいることを許してくれた。それに、どれだけ救われたか。
 なあ、1号。本当はもっと、許してほしいことがある。おまえと離れたくないという、ボクの気持ちをもっと知って、またおまえが、ボクと一緒にいれると心から信じてくれたとき、伝えたい言葉がある。永遠の愛を誓ったところで、いつかおまえを置いていくけど、受け入れてほしいと思うのは、ワガママかもしれないけど。でも、ずっとおまえを愛していることに、偽りはないから。練習の成果、カッコよく発揮できるの、楽しみだな。
 想像するその光景に浸るように目を瞑って、横たわる愛しいひとの、温かな背中を撫でていた。