穏やかな空間を、温かなミルクティーと追加の焼き菓子が織り成す香りが彩る。味と共にそれらを堪能する中、ガンマ2号が先に口を開いた。
「……1号と、仲直りしたいな……」
「できますよ!」
どこか浮かない顔をしているガンマ2号。21号は両手で拳を握り、明るい鼓舞の言葉をかけた。
しかし、ガンマ2号は首を横に振る。まだ、楽観的な考えには至れていない。先ほど直面していたものとは、また別の壁にぶつかっていた。
「お茶を淹れてもらっている間にも、考えてたんだけど……。やっぱりボクは、ボクの考えを譲れない。1号もヒーローだって分かっているけど、生きていてほしい。……でも、これじゃあ結局、さっきまでと同じだ。1号とは平行線のままだろ」
「……難しい問題ですね……」
21号も考え込む。悲観に陥りかけていた彼が、自信を取り戻して立ち直ってくれたことは嬉しい。だが、ガンマ1号との関係修復を目指すのであれば、そこで終わりにはできない。互いに歩み寄って、意見の擦り合わせをすることが必要になる。
そして、どうやらそれが難しそうだ。ガンマ2号は、「譲れない」と宣言している。
「そのまま、2号さんの気持ちを素直に伝える……では、ダメかしら。たとえ、心からの納得はしてもらえないとしても……受け入れてくれるのでは? ……1号さんだって、仲直りしたいと思っているはずです」
「1号、が……」その可能性は、ガンマ2号に無条件の希望をもたらす。「ボクが怒らせたってことばかり考えていたから、そんな発想なかったや。……ふふ。そう思ってくれてるといいな」
「このままでいいと思っているわけないです。今頃、16号……さんに相談しているかも」
「ありそう。16号、頼りになるからな」
「…………」
ガンマをも凌ぐ体躯と、冷静で寡黙、しかし穏やかで心優しい人格。それらを兼ね備えた16号は、性能こそ最新型には及ばないものの、今や彼らに厚い信頼を向けられ、慕われる存在だ。ガンマ2号にとっては、新しくできた兄のような相手と言ってもいい。自分とは対照的な兄ばかりだが、憧れの兄たちだ。もっとも、憧れの意味と理由は、それぞれに異なっているのだが。
21号が——なぜか——眦を緩ませ嬉しげにしている一方で、16号を称えたガンマ2号は、少しだけ悔しそうだ。——あのガンマ1号にも認められ、頼りにされているという立場が、純粋に羨まかった。気が合うのだろうということは容易に想像がつく。16号と同じような性格の持ち主になることは、最早無謀であり諦める他ないのだが、少しでも近付けないだろうかと密かに思案している。性格や考え方は変えられずとも、向こう見ずな自分を論理的に窘められるような、あの賢さが欲しい。
「……うん。悪いけど、さっきと同じ主張は使えない。ボクは1号に譲ってもらいたいんじゃない。1号のことを、説得したいんだ」
「説得?」
「1号の考え方そのものを変えられないと、意味がないというか……。……そのときが来たら、1号は死んでしまうし、ボクは1号を止められないかもしれない。それが、一番嫌だ。だから今回ばかりは妥協できないし、1号にも妥協させたくない」
彼らの小さな諍いは、大抵、ガンマ1号が譲歩の姿勢を見せることで決着がついていた。ガンマ2号が、ふたりでの決めポーズをせがんだときも、連携技の開発を求めたときも、任務後、または任務中に、ささやかな遊びに誘ったときも。今回もまた、同様の流れに運ぶことは可能だろう。ガンマ1号の芯の強さ、任務への忠実性は筋金入りだが、ガンマ2号は元々、そんな彼を根負けさせることができていたのだ。
だが、ガンマ2号は今、「いつも通り」を望まない。ガンマ1号に対し、自分の希望を真正面から通す——ということは同じでも、彼の優しい諦めに期待するのではなく、本心からの完全な同意を求めている。
「歩み寄ろうとしてないんだから、そりゃあぶつかるよな」
「それだけ、強い気持ちを向けてるってことですよ」
「お、いいこと言ってくれるじゃないか」
ある種の傲慢という自覚があった。だが、それが必ずしも悪であるとは限らない。自分の手で誰かを助けたいという思いを、「傲慢」になるほど強くして貫くのは、ヒーローに必要なこと。少なくとも、ガンマ2号はそう考えている。
「人を変えるにはまず自分から……って、よく言うだろ。ひたすら頼み込むんじゃなくて、ちゃんと納得してもらえるような方法を考えたい。……こんなことを言っておきながら、お願いするのもおかしいかもしれないけど……」
「とんでもない」ガンマ2号の言わんとすることに、21号は気付いていた。「わたしもお手伝いします。一緒に考えましょう」
「……そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとう、21号」
真っ直ぐに礼を告げてから、ガンマ2号はバスケットから一枚のクッキーを手に取った。21号が彼の味覚に合わせて選んだそれを、深く噛み締めるように味わった。
「……16号もそうだけど、キミたちって本当にいいやつだよな。キミたちを創った人、は……」
開発者に敬意を捧げるガンマだからこそ、16号や21号を手がけた人物にも感心を覚えるという発想に至る。しかし、彼の評判を思い出して言い淀む——も、またすぐに明るさを取り戻した。
「……いい噂はあんまり聞かないけど、意外と、冷酷な人ってわけでもないかもな。だって、キミたちみたいな優しい人造人間を創ったんだ」
「……! ……そうだと、いいですね」
実感がない分、どうしても苦笑いのようにはなってしまう。だが、その発想は21号にとって新鮮で、そして信じてみたいと思えるものだった。——レッドリボン軍の実態を知らないガンマ2号が彼を正確に評することはできないのだが、彼から16号と21号へ向けた眼差しについては、真実を突いた指摘をしていた。
「それじゃあ、作戦会議にしましょうか」21号は両手を合わせて音を鳴らし、話題を元に戻す。彼のことが気にならないと言えば嘘になるが、今は、共に生きる仲間の方が大切だった。「手始めに、議題について整理してみませんか。おふたりが受けたテストの問題を、もう一度確認するんです」
「そうだな……!」
ガンマ2号が再度記憶を辿る。簡単な知能テストの問題をを反芻することなど今までなかったが、こうして過去の出来事や感情を振り返ると、何となく、冷静な自分になれそうな気がした。
「強敵と闘っていて……。自分ひとりで命懸けの攻撃を仕掛ければ、敵は倒せて味方も守れる代わりに、自分が死ぬかもしれない。味方と協力して長期戦に徹すれば、戦況はもっと苦しくなるだろうけど……皆で完全勝利できる可能性はある。……そのどちらかを選ばなきゃいけない。ヒーローとして正しいのは、自分を犠牲にする方だけど……ボクは1号に、誤答の方を選んでほしかった。1号なら、長期戦だって大丈夫だろ」
重ねてきた戦闘訓練の経験が、ガンマ2号に自信ある断言を可能にした。人造人間ガンマに性能差はないのだが、性格差は大きくて、それゆえに互いが得意とする戦法も分かれる。
「だからつまり……誤答の方も正解になれるような考え方を見つければいいんだよな」
「そうですね。『生き残る』ことを優先する選択肢に、1号さんが納得するような理論を見出さないと」
「理論を……。……改めて考えると、難しいな。ボクたちが納得するために必要なのは、ヒーローらしさ、だけど……。ヒーローなら自分を顧みないって、一度信じたからなあ……」
自分自身の立場に置き換えれば、その正答に頷けてしまうから、もう片方を肯定しようとすると、言葉に詰まってしまうのだ。自分たちの信条と、自身の答えを棚上げにした感情論を呈しているということが、必然的に浮き彫りになる。そんな状態で、ガンマ1号との舌戦に勝算を生み出せるわけがない。現に今、敗走してここにいるのだ。
「この問題の『正答』を気にしすぎる必要もないのでは? そちらの是非は関係なく、ただ、『生き残る』ことにも正義があると示せればいいんです」
「……。……ダメだ、21号」一度考え込んだガンマ2号は、次第に諦めを悟った顔つきになった。「1号が死んだら嫌だし、1号が生きていたら嬉しい。……結局のところ、これが全てなんだ。他の意義なんて、何も思いつかない」
「いいんですよ、その気持ちが一番大事です。……なら、一度、別のところに目を向けるというのはいかがでしょう」早くも暗礁に乗り上げたガンマ2号を否定することなく、21号は助け舟を出した。「選択肢ではなく、問題の内容そのものに着目するんです。穴となる部分や、2号さんにとって有利となる条件を見つけ出せれば、それを糸口に、この問題の別解を掴むこともできるはずです」
「なるほど、それなら……!」
「問題の前提から発展させて考えていくか、それとも、前提条件を疑ってみるか。2号さんは、どちらのやり方がお好みですか?」
「前提から疑ってみようかな」
人差し指を立ててにこやかに提案する21号に、ガンマ2号は身を乗り出すようにして答えた。浮上した別の希望が、彼の表情を明るくする。
「前提、か……。……1号も正しい答えを出すんだろうって想像したとき、『味方』は何してるんだ、とは思ったね」
「味方……。文中の?」
「そう。ここで想定されてるのが、どんな味方なのかは分からないけどな」ガンマ2号は両手を軽く広げて肩を竦めた。「少なくともボクだったら、1号にそんなことさせない。どんな手を使ってでも止めると思う」
それが、ガンマ2号が感じていた、「前提」への疑念だった。ここで述べられた「味方」が自分で、回答者がガンマ1号であるならば、この前提も問いも成立しない。捨て身の方法を取る選択肢を、自分がガンマ1号に許すはずがないからだ。
「……だから悩んでいるんだよな。どんな手を使ってでも止める……って言ったけど、その『手』が……有効打がほしくて」
「でも、『味方』というのは良い着眼点かもしれませんよ。実際の戦場で闘いの趨勢を左右するのは、この問題における回答者の立場に立った人だけではありませんから。誰がその場にいて、いないのか、それぞれが背負っている危険の程度……。味方の状況次第で、1号さんの判断も変わるかも」
「本当!? どんな状況だったらいいかな……!」
少しずつでも、議論が着実に進展している感覚。ガンマ2号と21号の間に流れる空気が、弾みを帯びていく。
「う~ん……」
しかし、勢いのままに進められるわけではない。ガンマ1号を引き留められる「味方の状況」の、具体的なものが浮かばない。——ので、その案自体は記憶に留めた上で、ガンマ2号はもう一度、前提条件に思考を向けることにした。21号とのやり取りの中で、抱える望みへの自信を固めた彼はもう、壁を前にしても怯まない。
「……判断も変わる、と言えばさ。もう一つ気になったのが、命令の有無」
「ヘド博士の、ですね」
「そう。判断能力もウリの人造人間だけど、ボクたちの行動を決めるのは博士だ。だから、博士がそれを命じないなら、あるいは、自壊を伴う攻撃はやめろと言うなら……」
「先ほどもお話しましたが……。博士なら、きっとそうすると思います」
「ボクも同じ意見だ。……でも……これはダメだな。別の問題がある」
「別の問題?」
「……ボクも、それから1号も。表立っては言わないし、言えないんじゃないかと思うけど」
少しだけ、ガンマ2号が声量を落とす。彼と21号しかいない空間で、部屋の外部に音が漏れる設計にもなっていないが、それでも、つい声を潜めてしまうほどのことを、口にしようとしていた。
「もし、博士の命も懸かっているなら……。ボクは命令違反をしてでも、そっちを優先すると思う。正直、1号がどうするかは分からないけど……」ガンマ1号はガンマ2号以上に、命令というものを重視している。——だがそれも、ヘドへの至誠があるからだ。「今のボクの意見を聞いても、反対はしないんじゃないかな」
ヘドの敵は、ガンマの敵に等しい。その敵を打ち倒すことは、ヘドを守り抜くことにも繋がる。そのため、この状況に限っては、ヘドの命令に背くというタブーに許容の可能性が生まれる。
ガンマの開発者であり、従い守るべき主であるヘドは、ガンマにとって最大の味方とも言える存在だ。その「味方」でも、今のガンマ2号の望みを——ガンマ1号の死を止めることを、叶えられるとは限らない。ヘドの命令とヘドの命、どちらの正義をガンマ1号が優先するかを予測することは難しかったが、後者に転んでしまえば、ヘドは寧ろガンマ1号が制止を振り切る理由になりかねない。
「命令違反っていうのは、そういうときにするべきなんだよな~……」
背もたれに身体を預け、白い天井をぼんやりと見上げて溜め息をつく。彼の脳裏には、ガンマ1号と交わした激論が蘇っていた。
ガンマ1号の「正答」を拒むガンマ2号に対し、ガンマ1号は、ヘドの命や命令——命令の方は、到底実現しそうにないが——という仮定を挙げた。それらが懸かっていたとしても、ヒーローとしての務めを遂行することを阻むのかと尋ねた。ヘドへの忠義があるならば、間違いなく否定ができる問い。分かり切ったその否定をさせることで、ガンマ2号を納得させようとした。しかし、そんなガンマ1号の思惑と信条に反し、ガンマ2号は肯定を返した。——ヘド以上に、ガンマ1号の命を優先していた。
決して、ガンマ2号が忠誠心を欠いていたわけではない。ただ、彼が心から、最も愛する者が誰であるのか——それを問われ、心のまま素直に答えただけのようなもの。だから、後悔もしていないし、撤回するつもりもない。とはいえ、失言であったことも理解していた。
「……分かってる、けど……分かってないな、1号……」
頭上の白を見上げたまま、悔しげに呟いた。「失言」にまで至ってしまうほどの想いは、ガンマ1号に届いていない。
(ボクだって、博士のことは助けたいし、命を懸けてでもそれをすべきだって思うよ。でも、そればかりじゃ……。おまえが皆を、博士を助けても……誰がおまえを助けられるっていうんだ……)
彼の強さは誰よりも知っているつもりだ。助けることを考えておく必要だって、本当はない。それでも、助けたいと願わずにはいられなかった。ガンマ1号にとっては思い出にも満たない経験かもしれないが、ガンマ2号は何度も、ずっと、ガンマ1号に助けられているから。彼の賢く冷静な判断にはもちろん、そして彼の存在そのものに救われている。
ガンマ2号にとって、ガンマ1号はヒーローそのものだ。同じ役目を背負う自分のことさえ助けてくれた。そのガンマ1号を、今度は救えるような存在でなければ、彼の同型機として、同じヒーローとして、胸を張れない。
「……ん?」
想いに耽り続けていたガンマ2号だったが、足元の石に気付いて立ち止まるように、その思考を中断する。
考え事の中に、何か大きな手がかりがあった、ような気がする。それも、ついさっきの——。
——おまえが皆を、博士を助けても……誰がおまえを——
「あ……!!」
見つけ出した光が輝き出す。それに導かれるように、ガンマ2号は宙を仰ぐことをやめて、がばりと身を起こした。重ねて来た思索も同時に溢れ出して、繋がっていく。もしかするとという期待が、急速に確信へと近付いていく。
「……21号の言った通り、本当に、『前提』が間違っていたんだ……! ……ボクたちふたりとも、同じ問題を解いて、同じ答えを出さなきゃいけないってところから……!」
「2号さん……!? それは、どういう……?」
「ボクたちは同じ『ガンマ』で、同じテストを用意されていたせいで、見えにくくなっていたけど……。実戦で背負う役割は、違っていてもいい。分かっていたのに、言葉にするのが遅くなった。でも、まずはそこから……」起点を確立させたところで、一つ深呼吸をする。心を落ち着けて、理論を組み立て、その完成のために必要なピースを思い描く。「ところで、21号。誰かを『助ける』ためにできることって、その誰かの敵を討つことだけだと思うか?」
「……いいえ。思いません」21号は、毅然として断言した。「敵を前にしているなら、闘わなくてはいけなくなるでしょう。けれど、わたしはいつも……ただ、そばにいてくれるひとに、助けられていますから」
真剣な眼差しでそう告げてから、ゆっくりと瞼を閉じ、とある人物の姿を思い浮かべる。新生レッドリボン軍の活動拠点へと案内される前、人造人間として起動してすぐに、復元を試みたひとりの先行機。彼——16号は、21号にとって、ひとりの戦士である前に、ひとりの家族だ。彼の強さではなく存在そのものが、21号の支えであり、よろこびだった。
「そっか。それを聞いて安心したよ」迷いなく言い切った21号の姿に、ガンマ2号も深く頷く。「これなら……いけるかもしれない」
「2号さん……! 何か案が!?」21号の表情が華やぐ。開かれた目には、期待が宿っている。
「『味方』と、それから博士についての話をしたよな。……やっぱり、博士が味方だ……! 博士の存在があれば、1号を止められる」
「でも……。博士のことを思えばこそ、危険を顧みないようになるのでは、と……」
「ボクも1号も、そういうやり方しか思いつけなかった。だけど、キミがさっき言った通り……生きて、そばを離れないっていうのも大事なはずだ。そうしないと、博士を『守り続ける』ことはできない」
「…………!」
捨て身の一撃で死闘を切り開くことだけではなく、その死闘を生き延びるという選択において、人造人間ガンマの確かな正義と使命が生まれた。両者とも、彼らの主を守り抜くという目的に繋がる、正しさを帯びたもの。しかも後者は、主の未来のことまで考えたとき、決して欠かせない立場となる。
——そして、忠義心の高いガンマ1号には、この選択は大きな意義として響くはず。二人の間で、その希望が一致した。
「すごい、2号さん……!」気付けば、21号はガンマ2号に拍手を送っていた。「これなら、1号さんもきっと、分かってくれます……!」
「そう、だよな……! 1号、考え直してくれるよな……!」21号の称賛を浴びたガンマ2号の顔に、達成感と喜び、そして期待が灯る。「仲直り……できるかな……!」
「絶対、大丈夫です! 論自体の説得力もそうですが……。何より、2号さんがこんなに真剣に考えたんです」21号がニコリと微笑む。「その姿勢は、1号さんにも伝わりますよ」
「そ、そうかな……?」ガンマ2号は、人差し指で頬をかいた。「1号、甘い相手じゃないからなあ……。ボクの頑張りにボーナスつけてくれると思う?」
「ええ、思いますよ」
「えっ?」
苦笑い交じりに尋ねたガンマ2号だったが、21号にあっさりと首肯されて面食らった。
こうして理性的な代替案を練り上げたのも、感情に任せた説得に失敗したことに起因する。そんな訴えを一度退けているガンマ1号が、今度は主張の中身だけでなく、ガンマ2号の態度そのものを評価する——というのは、些か楽観的な予測であるように思えてしまった。
「2号さんはもう、1号さんと議論を交わしたときの2号さんじゃありません。感情を失わないまま、今度は理にかなった説得ができるようになったんです。それって、成長って言えませんか。……1号さんはきっと、2号さんの成長を喜んでくれるひとですよ」
「え……っ? ……そ、そう……か……!?」
「2号さんはよく、1号さんから助言や忠告をされているでしょう。でも、1号さんのそれは、2号さんのことをちゃんと見守っているからできることです。その2号さんが一回り成長するというのは、1号さんの期待に応えるということでもあると思います。誰かが自分に応えてくれたとき、嬉しいと思わないことも、そのひとのことを認めないことも、あり得ません。そのひとが、普段から目をかけている相手なら、なおのこと」
——今度こそガンマ2号は、言葉を発せなくなるほどに照れた。ただ自分がガンマ1号を想うこと、そして彼の気を引くことに専心していたから、既に彼から向けられている想いというものに対して無自覚だった。21号の言葉を通して知ったその一端だけでも大きな衝撃で、テストで求められる処理能力など些細なものだと、思考の片隅で思い知った。
「…………!」
ひとしきり衝撃に撃たれた後は、絶大な歓喜がこみ上げる。ガンマ1号のための策も、自分がそれを導き出せたということも、彼の心の奥底に届くのだろうと思うと、何もかもが満たされ報われた気分になる。——彼をも救えるヒーローになれると、自分で自分を信じていられる。
もちろん、ここで思い描くだけで満足することはない。今すぐにでもやりたいことが——伝えたい言葉と、かけられたい言葉がある。輝かしい予感に駆られ、ガンマ2号は席を立った。温かなミルクティーを湛えていたティーカップは、もう空だ。
「21号! ……1号のところに行ってくるよ! もう一回説得して、1号を助けて……仲直りする!」
自信に溢れた笑みを浮かべ、意気揚々と宣言する彼は、すっかりいつも通りの、大胆不敵な二号機だ。勝利の確信と、想い人に認められることへの期待みなぎる彼に、ここを訪ねた当初に抱えていた悲憤の面影はない。
その姿と言葉を待ち侘びていたかのように、21号も力強く頷いた。
「2号さんならできます! ……頑張って!」
「ああ! 色々と協力してくれて、本当にありがとう! ……また、みんなでお茶会しようよ」
「まあ……! いい考えです! まだ時間もありますし、今からどうでしょう? 仲直りの印に、一緒に美味しいお菓子とお茶をいただくのもいいと思いますよ」
「ふふ、そうだな……!」
「仲直り」が成し遂げられることを、21号も疑っていない。それを感じて、ガンマ2号も笑みを深めた。ガンマ2号はそれの突発的な開催を想定していたわけではなかったが、乗り気になって、胸を躍らせる。
「じゃあ、ボクはみんなを呼んでくるよ。どの道、1号のところには行くし……。さっき話した通り、16号も1号のところにいるかもしれないな」
ガンマ2号同様、ガンマ1号も味覚は鈍く、16号に至っては摂食機能を有していない。だが、仲間たちで一同に会する機会は、誰にとっても好ましかった。寡黙で生真面目、任務だけに打ち込む姿勢が目立ったガンマ1号や16号も、誘われれば必ず出席するようになっていた。
「頼みます、2号さん。わたしはその間、準備に取り掛かりますね。……時間がかかってしまうかもしれないので、ゆっくりで大丈夫ですよ」
「……はは。お言葉に甘えようかな」
丁寧かつ滞りのない、21号の手際の良さは知っている。その彼女が急な茶会の準備に時間をかけると宣言したのは、ガンマ2号がガンマ1号と存分に言葉を交わせるように——という深慮に他ならない。
最初から最後まで、彼女には気を遣わせた。——だが今のガンマ2号は、申し訳なさではなく、純粋な感謝を覚えている。
「21号!」休憩スペースを後にする直前で、ガンマ2号は再度彼女の名を呼んだ。「……おかげで、1号を死なせずに済む。……ありがとう、いってくるよ」
母に門出を告げる子どものように、日が差すように、晴れやかに。青いマントが翻った。
見送られる側と見送る側、それぞれの胸には誇らしさと清々しさがある。待ち受ける挑戦を想起して、一抹の緊張を覚えることもあるだろう。だが、堂々と踏み出していった者は、その緊張さえ自分の力に変えられる。——見送った側は、そうはいかない。見送られた側以上の緊張、そして不安や寂しさ、切なさとで、その胸を潰してしまいそうになる。
彼女も、そうだった。にこやかに手を振ってガンマ2号を見送ったが、その姿が完全に視界から外れてから、表情を変えた。形良く整った眉は八の字の形を作り、眦が下がって伏せられた眼差しで、誰もいなくなったラボを見つめていた。ガンマ2号が遺していった言葉が、彼女の中で絶えず響いていた。
『実戦で背負う役割は、違っていてもいい』
『おかげで、1号を死なせずに済む』
「……2号さん。そこに、あなたは含まれていないのですね……。違う役割は、あくまで1号さんのもの、なのですね……」
祈るように、胸の前で両手を組む。たとえそれが、彼の信じる正義なのだとしても、それを叶えなくてはならないときが来ないようにと、願わずにはいられなかった。
来てしまえば、自分は彼を止めようと、声を上げるだろう。——そして、止められないだろう。彼の相談に乗っている間でさえ、できなかったのだ。
ガンマ2号が思い悩んでいたのは、はじめから、ガンマ1号の使命と運命について。自分自身に下した「正答」は寧ろ肯定して、「別解」を見つけ出して以降も、その意思を曲げることはなかった。「別解」は全て、ガンマ1号に捧げた。
彼がそうできるよう、21号はガンマ2号に協力した。——ガンマ1号だけでなく、ガンマ2号にも、散ってほしくはない。抱え続けていたその思いは、紛れもなく本物だ。だが、秘められたガンマ2号の覚悟を感じるとき、それに対して言葉を紡ぐことはできなかった。誰かを想って織り成された覚悟の気高さも、理解できてしまうから。人間らしい感性を持った女性と、戦士としての力を持つ人造人間——両方の立場に基づく葛藤が拮抗してしまえば、動けなくなる。
「人間だった頃のわたしも、こんな思いをしたのかな……」
自分の享年も、子供たちの享年も知らない。だが、長男はレッドリボン軍に入隊し、そして戦地で命を落とした。——目覚めた研究所にあった資料から、辛うじて見つけることができた記述だ。
もし、その子が——16号のオリジナルとなった子が、自分に先立っていたのであれば。戦場に赴く彼を見送り、そして訃報を耳にしたのであれば。——考えるだけで、心が張り裂けてしまいそうだ。これから先、こんな思いをしたくはない。
他の誰かにも、してほしくない。
「……1号さん……」
するかもしれないひとのことを、思い浮かべる。
ガンマ2号の反応を見ていて、21号はある気付きを得ていた。——ガンマ2号は、自分がガンマ1号にどれほど想われているか、ほとんど知らないのだと。そしてガンマ1号もまた、自身の感情について、恐らくは自覚がない。
そのときが来てしまえば、ガンマ1号はきっと、誰よりも深く傷付く。普段の冷静さの反動で、衝動的な悲しみに囚われてしまうかもしれない。——たとえその可能性を目の当たりにしたとしても、ガンマ2号の意思も選択も、揺るぎはしないだろう。ガンマ1号を想って心情を吐露し、思索を巡らせるガンマ2号には、そう思えるほどの決然とした強さがあった。
「——頑張らないと」顔を上げた21号の瞳にも、そんな輝きが宿っていた。「わたしが、打ちひしがれている場合じゃない」
『……おかげで、1号を死なせずに済む』
「……ええ。協力させていただいたからには、その責任は……最後まで」
望まぬ未来が訪れて、彼の覚悟が果たされてしまったときは。——それを受け止められる、強い自分でありたい。そして、せめて。彼の愛する者を、彼と同じところへいかせないように。
半ば、託されたような気分だった。——ガンマ2号もそのつもりで、彼女に言葉をかけていた。
密約を秘め、21号は食器の片付けと準備に取りかかる。
未来よりも、まずは今。皆で穏やかな時間を過ごすために。