Novel/BLL-潔カイ
患者と演者(全5ページ/5ページ目)
「——ッ! ……や、めろッ! 何やってんだ、カイザー……!」
高熱と快楽とで朧気になっていく思考をどうにか繋ぎ留め、繋いでいない方の手になけなしの力を込めて、その片手でカイザーの肩を掴み押し退けた。
蕩けかけたカイザーの貌と、途切れていない唾液の糸が視界に映って、カゼのせいじゃない熱が高まるのを感じてしまった。
「お前、何、考えてんだよ……! そんなつもりないっても言ったし、状況考えろよ、バカかよ……!」
次仕掛けられたら、今のように撥ね退けられる自信がなかった。だから強めに叱って、拒む意思を明確に示さなきゃならない。
——心苦しさは、付け入られる隙となりかねないから隠す。ただでさえ、健在の引け目があったっていうのに。ああ、クソ。こんな状態じゃなければ、二度目のキスは俺からしていた。心のままに、コイツを抱いてた。
「状況……?」
「ケホッ、う、うつる、だろーが……!」
「……クソ今更だろ」丸くされた眼で見下ろされる。「自分から呼んで、近寄らせたクセに、よく言う」
「そー、だけど……! キスとか……! 粘膜接触はマズいだろ、さすがに……!」
カイザーを危険に晒す気かと、作戦を決行する前ネスに散々問われた。——俺の我儘で呼び寄せる以上、それは否めない。だからせめて、その危険を最小限に留める義務があった。
義務と言っても、重く難しいものじゃない。本当に、何かをするつもりも、させるつもりもなかった。ただ、そばにいてくれれば良かっただけで、それ以上でも以下でもない。——そんなふうに想える相手を俺のせいで伏せらせるなんて、嫌だ。これ以上、落ち込みたくもない。
「そう言われると、ますますしたくなるな。世一が動かなくても、やりようはあるだろ?」
「は、ぁ!? だから、うつるって言ってんだろ……! 俺の話聴いてんのか……!?」
「クソ聴いてるし……それが、クソ本望だ。……世一。俺に、うつせ」
「な——に、バカなこと言って……! ……あ……!」
最も忌避することを向こうからねだられる事態を呑み込めずにいるうちに、繋いでいた手が解かれてしまった。けれどカイザーは俺の上から退くと、俺の隣に横たわった。何もせず、ただ共に夜を明かすだけ、のような姿勢。ひとまず無理矢理搾り取ろうとする気はないらしいと理解して、重い身体を捻り、カイザーの方を向く。
カイザーはクソ野郎である上になかなかに難儀な性格の持ち主だけど、無意味な言動をすることはない。イカれてるとしか思えなかった今の暴挙と言葉だって、何か真意があるんだろう。
「俺にうつして世一が快復するのなら、それが一番手っ取り早い。薬やら茶葉やらを用意する必要もない、クソ合理的な手段だろ」
「どうしたんだよ、一体……。お前はそんな、自己犠牲なんかするようなヤツじゃ……」
「あ? 誰がお前なんかのために犠牲になるか。……言っただろ、クソ合理だと。浪費するモノなんて、何もない」
そう言うと、カイザーは俺の手首を掴んできた。握り潰しにかかる気配はなかったから、抵抗はせず従うことにする。
「いいか、世一」
俺の手は、そのままカイザーの左胸へと導かれた。
微かに上下する直接的な感覚を通じて、カイザーの鼓動を感じる。
「クソ物はクソ頑丈なんだ。毎日、毎日、殴られ蹴られ……時には家の外で高熱にただ耐えるしかなかった日があっても、こうして生きているだろ? ……降りかかる痛苦に一々反応するようなカラダでは、生きていける環境じゃなかった」
「その環境に、適応するために……肉体の性質を書き換えたとでも言いたいのか」
「書き換えただなんてクソ大袈裟な現象じゃなく、例えば寒冷地の生物が、厚い毛皮を手に入れる程度の話だと思うがな。まあ、おかげで今はレッドが出るようなプレーの標的となって、流血沙汰に遭おうが痛くはない。体調を崩すこともなくなったし……崩したとしても、気付くことも苦しむこともないだろう。ヘルスケアアプリの記録として残るだけだ。……流行りのカゼを引く程度なら、お前よりその俺の方が、クソ適任だと思わないか?」
「んな、こと……」
身体能力の差なんて分かっていても、この用途で簡単に頷けるか。俺はカイザーのことがずっと嫌いで憎くて仕方なかったが、カイザーを不当に害する存在もどうしてか許せなかった。恋を自覚してからカイザーの昔語りを聴かされたとき、衝撃の次に覚えた感情は途方もない激怒だった。——俺が焦がれた存在を、カイザー自身が無価値なモノのように語ったから、やっぱりコイツのこと嫌いだと理解して、コイツのことは俺がブッ殺したいと決意して、その手を取った。
だから、この提案を呑んでしまうことは、殺したい相手の許し難い理論に屈することと同義なんだ。
(……けど——)
今のカイザーは、無根拠な自己否定とか自暴自棄に陥っているワケじゃない。ただ自分という道具を最大限に生かして、この事態を打開しようとしている。このやり方こそが、きっとカイザーなりの〝看病〟なんだ。何を施されることもなかった皇帝が、それでもその人生と、自分の力で紡ぎ上げた手段。
俺はカイザーが〝看病〟を知らないことを見越していた。そして、そのカイザーをただ傍に置こうとした。それだけで良いいと思った。でも、カイザーはその一歩先を、自分自身に望んでる。
(……同じだ)
日本に行ってもいいと、震える手をもう片手で押さえて、不安げに揺れる瞳で、それでも真っ直ぐ俺に告げたときと。
浮かれた挙句にカゼを引いて、その覚悟に応えることができなかった。——だったら、俺は——。
「それに」答えあぐねていた俺に、カイザーが続ける。「カゼを引き受けた結果、もしも俺が今のお前のようにブッ倒れたとしても、別に良いと思っている」
「……そろそろ怒るぞ」
「怒ってもいいから……お前がどうにかしてくれよ、世一」
「……えっ? ——っ」
突然の指名に狼狽える。けれど、すぐ、その意図を想像する。カゼのせいじゃない熱が、胸の奥に灯り始める。
「クソバレの通り、俺はニンゲン共がやるような看病のやり方なんて知らないし、やる気もない。こーいうやり方なら、いくらでもできるし、やってもいいと思えるが……それに怒るというのなら、お前が別のやり方をやって、教えてみせろ。善意にまみれた行為なんて理解したくもないが……俺を殺したがりながら愛してくれるお前からなら、何か学べるかもしれない」
「————」
熱は、全身へと巡っていく。また胸に戻って、心を焦がす。
そうだ。俺は、適応して進化を続ける、俺と酷似した〝秀才〟に惚れたんだ。そんなカイザーに、全幅の信頼を寄せて、傍にいることを願ったし——俺が抱く最大の敵意と、また真逆の感情を伝えたい、理解させたいと傲慢にも望んだ。
それが叶うのなら、叶うすべがあるのなら、失敗した手段への悔恨と自己嫌悪なんか引き摺るな。ニンゲンらしい善性にだって、拘るな。眼前の望みに、欲しいモノだけに、集中しろ!
「——カイザー」
熱の宿る両手で、皇帝の肩を掴む。それを支えに身体を寄せ、そして手にした玉体も引き寄せて、唇を重ねた。突如仕掛けられたさっきは、感じている余裕はなかったけれど——柔らかなそれも、俺の身体と同じくらい熱いと思った。
(……舌、どーする……?)
——ヤってしまえばいい。もう既にヤられたことだ。俺たちの望みが、同じなら——!
「んん……っ! ぁ、ふ、あぁ……っ」
(……カイ、ザ……!)
絡み合う水音と甘い声、今度は俺が上げさせているという事実がたまらない。主導している側の特権として、幾分か余裕もあったから、左肩を掴んでいた手の指を動かし、その肌に咲く青薔薇を求めた。
「——ッ! ん、ふ、うぅっ~~……ッ!」
たった一本の指で触れるだけで玉体は跳ね、そっと撫でるだけで身をくねらせて悶える。官能的なその仕草は、さらなる刺激を誘うためのフリだろうか、それとも。
どちらでもいい。どちらであろうと、このまま俺が、喰——。
「……ん、あ? ……何だ世一、もう終わりか?」
「……うっせ」
俺だってまだ物足りねえよ。けど——やっぱダメだな。普段以上に呼吸がままならなくて、それに耐えられなくて唇を離してしまった。今の俺にはこれが限界。抱きたかったし、抱いてやりたかったけど、先の楽しみにするしかない。
それに、今はこれで十分だ。一番の目的は、肉体の繋がりそのものじゃなかった。
「俺のことよりも、自分の心配したらどうだ」うつさないためにと一度拒んだ粘膜接触。その拒絶を、俺は自分から撤回した。「言っておくけど、熱も頭痛も咳もすげえしんどいからな。……お前、楽に死ねると思うなよ」
「それはいいな。苦しい方がクソ好み。その方が、生きてる実感も得られそうだ」
「ハッ、このクソマゾが……」
互いに艶めかしい台詞を選んでおきながら、カイザーの表情にもう色欲は視えない。ただ柔らかく綻んでいる。俺も、その様子と、カイザーの言葉が純粋に嬉しかった。
——「楽に死ねると思うな」という挑発に、「死なせない」という意味を託していた。「生きてる実感」という言葉を返したカイザーに、その意味はきっと伝わった。大体、この至上の契約相手の命を、カゼごときにやるわけないだろ。
「……クソ安心したぞ、世一。……ここまでやってお前に見捨てられたら、どうしようかと思っていた」
「バカだよなお前。離れるなって言っただろ。……お前の方から捨てられようとしても、拾ってやるよ」
そういう不安を起こすところは変わらないんだな。でも、そんなお前のやり方に——生き様に救われるのも、悪くないと知っている。だから俺も、何度だってお前に手を伸ばす。
「だとしても、その手段がコレかよ」
病人のせいで綺麗ではなくなってしまったかもしれない唇に、カイザーは赤い舌を這わせた。嘲笑を交えながらも、愛おしげに舐め取った。
「クソ物に似合いの、クソ最低のプレゼントだな」
「はは……」枕元に置いたデジタル時計を見遣る。時刻は零時を過ぎ、添えられた日付も変わっていた。「メリークリスマス、か……」
「クソ違う。クソ聖人がゴミのところに来るわけないだろ」
「じゃあ何だよ、プレゼントとか言い出したのお前の方だろ。それに俺だって聖人なんかじゃ……」
質問に答えることなく、カイザーもまた頭上へと視線を動かした。時計——の隣に置かれている、ボロボロのサッカーボールへと。
「前回は……なくならない、カタチに残るモノを欲しがったんだが……。まあ、二回目はまた違ったモノというのも、それはそれでアリか……?」
「え……? 前、回……? ……おい、二回目、って——!」
「世一。……今日はお前のせいでクソ疲れたからクソ寝る。お前も病人なら、夜更かしはやめた方がいいんじゃないのか?」
「は? ね、寝る? おい、ちょっと待てって……!」
「……また明日な。……いい夢視ろよ、クソ病人」
「……。……ま、マジで寝やがった……」
さっきまで普通に話していたっていうのに、一瞬で響き始めた寝息。和らいでいたはずの頭痛が、違った意味で蘇った。
もう何度も眼にはしてきたけど、気絶するように眠るヤツだ。こうなったらどれだけ揺すろうが大声で呼ぼうがまず起きない。ついでに寝起きも最悪であり、秒で二度寝に及ぼうとする。
「なんで、このタイミングで寝るんだよ……!」
これ以上のヒントは出してやらないという意思表示だろうか。だとしたって、答えはもう出ているようなものだ。
「前回」と言って、カイザーが視線を向けたサッカーボール。それは絶望に埋め尽くされたカイザーの昔語りの中で、唯一の希望となったモノ。カイザーはこれを、「とある日」に自分への初めてのプレゼントとしたらしい。——その日と出来事が「前回」となるなら、「二回目」と呼ばれた今日、こそが——!
「……ッ! 誕生日、なのかよ……! カイザー……ッ!」
隣で眠ったまま何も答えはしない皇帝相手に、ただただ眼を見張るしかなかった。
知らな、かった。そもそも「絶対に祝われたくない」「プレゼントとかクソいらねぇ」ということで教えられていなかった。そして俺も、ただ惨たらしいだけじゃなかった昔語りを聴いて——フットボールへの想いを知ればこそ、その日に自分から踏み込もうとは思わなかった。
「……いい、のか……?」
コイツは今、その俺に踏み込む余地を与えた。拒んでいたはずの「プレゼント」を自分から口にして、隠し続けたその日を、遠回しな言い方でも確かに明かした。「祝われたくない」という理由を結び付けていた秘匿をやめて、一連のやり取りを「プレゼント」と表したのは——俺になら祝われてもいいというサインだと、思ってもいいのか?
「……重症だな、お前も」
ただ、そばにいてほしかった。その感情に嘘偽りはないし、変わらない。でも——そのお前から、ここまでの想いを返されるとは。
治らなくてもいい病なんてあるんだな。その病を前にしてしまえば、他の患いは、最早邪魔としか思えなくなる。
「絶対、治す……!」
特別な一日をこの体たらくで過ごしたくはない。それにもし快復できなければ、カイザーと共倒れで一日を終えてしまう可能性だって生まれてきた。フザけんな。他の誰にも祝われなかったカイザーの誕生日に、誰が手を差し伸べることもなかったカイザーの病苦に、唯一この俺が、潔世一が触れるんだ。その権利を捨ててたまるか。
(——あ)
今日初めて、そんなふうに思えた気がする。
ずっと、航空券二枚を無駄にして、カイザーの覚悟を蔑ろにする罪責感ばかり覚えていた。それだけに捕らわれて打ちひしがれていた。——今はもう、未来が開けている。
「……また、助けられたな」騙してまで部屋に来させた判断は、クソ正しかったかもしれない。「ありがとう。……おやすみ、カイザー」
眠りに落ちた皇帝に同じ布団をかけてから、その身体を抱きしめた。まだ収まらない悪寒に苛まれる身に、日本人よりも少し高いドイツ人の体温が心地良かった。もちろん、このカゼが治った後だって、俺はこの体温を好き続けるんだろう。
「……お前も、いい夢視ろよ」
悪夢しか視たことがないと言っていたお前に、別の現実を視せてやりたい。その野望を込めて、今度こそ触れるだけのキスを落とした。
——今回が無理でも、いつかまた必ず、日本に連れていってやる。