Novel/BLL-潔カイ
患者と演者(全5ページ/4ページ目)
「……ィザー!! ……カイザー!!」
「!? ……ね、ネス……!?」
ソファに身を投げ出し寝て——というよりは気絶して——いたらしい。夜は明けていないようだが、けたたましい足音とドアが力任せに開かれる音、叫び声のアラームのせいで眼が覚めてしまった。驚きによる反射と、何をしていたか気取られないようにという意図の両方で、すぐさま身を起こした。いきなり起こされたというのに、俺にしては奇跡的な寝起きだ。
「……どうした……?」
様子が変だ。激闘の最中であるかのような息遣い。喋ることもままならないようだからそれ以上か? リビングのドアを開け放ったまま両膝に手を当てて俯き、肩を大きく上下させている。
「……おい、ネス……!?」
世一を任せてから、やり取りは全てメッセージアプリで済ませていた。——世一は、快復に向かっていたんだろ? 看病役が血相を変えてクソ物の隔離場所に乗り込む用事、なんて。
「……っ、か、かいざぁ……!」
ようやく顔が上げられた。——揺れに揺れる大きな瞳から、ボロボロと涙が溢れていた。
「たっ、大変、なんです!! ……世一が、世一が……! ……血を、吐いて……!!」
「——は?」
「とつ、突然、苦しみ出してっ、何度も、吐血してるんですっ! 気絶することと、血を吐くことの、繰り返しでっ、もう、もう……っ!」
「————」
息だけ零して、言葉をすぐに返せない。蒼白になった頭は、そこを殴られる鈍い痛みを、あるいは赤黒いソレを吐き出す苦痛を、一瞬で思い出していた。
「……。……なんだよ、それ……。……そんなん、流行りカゼの症状じゃ、ないだろ……」
「でっ、ですよねえ……!? 色々、調べてみたんですけど、そんな症例、一件もねえです……っ!!」
ネスはスマホの画面と俺の顔を交互に見ながら、その画面を忙しなく叩いていた。
しゃくり上げながらも、その指遣いはどこか冷静、なようにも視えた。非常の事態に陥りながら、自身の役割を理解しているかのように。
「とっ、とにかく……! 僕、救急車呼びます! 今の世一を下手に動かしたくはありません……! いいですよね、カイザー!」
「あ、ああ……」
動かない頭で生返事をしてから、俺もこの家の主だから許可を求めたのか、なんてぼんやりと考えた。珍しく主体的なネスの行動宣言に面食らってもいた。
「それ、から……! 色々、連絡しなきゃ……! チームのドクターと、ノア、それからチームメイト……あ、三つ編みたちには早く知らせた方がいいですよね!? それと世一と仲が良いのは、スペインの蜂さんと、イングランドの赤豹……イタリアのクソ怒髪天とフランスのクソ舌あたりってどうなんでしょう……!? あっ、そうだ! 世一って家族との仲どうなんでしょう!? カイザーは連絡先ご存知ですか!? ああ、日本代表側にも……〝青い監獄〟の総指揮さんに連絡ってできるんでしょうか……!? ノアに頼みます……!?」
「おい、待て!」膨れ上がりすぎた規模に気付き、急激に意識が冴えた。「なんで、そんなに……! ドクター程度ならまだしも、別の国にいる世一のクソ旧友共に、まで——」
問いに、言葉が返されることはなかった。
ネスはただ唇を噛み、眼を固く閉じ、涙を流して——首を、横に振った。
「——うそ、だろ……」
嘘だ、うそ、うそだ。
なぜだ、どうして。——世、一。
「……カイザー」言葉を失い呆然と立ち尽くした俺に、ネスが決然とした眼差しを向ける。「他のことは、僕に任せて。……世一のこと、頼みます!」
「……! ~~ッ、フ、ザけんなよ、テメェ!!」
何をしているのか自分でもよく分からない。白一色だった思考が瞬く間に赤に染まって、気付けば衝動的に、ネスの胸倉を掴み上げていた。
「頼む、だと!? この期に及んでクソ妄言吐いてんじゃねえぞ犬コロ! ……そんな状態の、世一のところに行って、何になる!? 今の世一相手に何を施せるモノがある!?」
みっともない。ネス相手に当たるなんて、あの監獄でのいつかの試合のときみたいじゃないか。そう思ったところでクソ遅い。赤い熱に乗っ取られた舌が勝手に動く。潰れかけの喉が自らをさらに痛めつける。
「俺がいたところで、世一は……!!」
「……カイザー!!」
「……!?」
劣位に立たされているのに、泣きじゃくっているのに、怯むどころか叫び返してきた。
今まで一度たりとも起こらなかった事態に、こちらの方が狼狽えて、手の力を緩めてしまう。
「……世一の傍に、いてあげてください……!」
言っていることは、さっきと何ら変わっていない。何の説得にもなっていない。俺が行ったところで世一は助からない、運命は少しも変わらないのだと遠回しに宣告されたようなものだ。
でも、それは。——俺が、確かに望んだ。
「~~……ッ!」
「……。……カイザー……!」
拘束が緩んだのをいいことに、ネスは俺から一歩距離を取る。代わりの念押しとばかりに俺の名を呼んでから、スマホを握りしめ走り去った。
もう、そのカオを視ることはできないが。終ぞ、泣き止むことはなかったな。
「…………」
大したものだ。クソ非常中の非常、最大限の危機的状況に直面したことへの動揺と混乱もあるかもしれないが、毛嫌いしているはずの世一相手にあそこまで泣けるのか。やはり、俺とは違うんだな。
「俺、は……」
まだ、動物以下のクソ物であり続けるのか? クソ物であることを理由にして、世一に逢うのを、諦めるのか?
「…………」
クソ物であることを、やめたくはない。やめられはしない。それは共同体への裏切りだ。他の何を放棄しても、球に託したアイデンティティだけは遵守すると誓っていた。その誓いに自ら背くのは、この手で首を絞めることよりもずっと恐ろしい自傷行為。世一ひとりのために、その行為に手を出せるっていうのか?
「……クソ嫌だ」
——世一を全て諦めることの方が、嫌だ。
今この場においては、0の「クソ物」に徹することの方が、寧ろ不必要の枷になってる。俺はもう、何も持たず、愛も知らなかったあの頃のクソ物じゃなくなっていた。依然として愛に飢えてはいるものの——一度愛の味を教えられたがゆえに、飢え渇くクソ物。
満たさなければならないのはその飢餓だ。満たすために、叶えたいと思った「不可能」を成し遂げるために、今度は0の俺が邪魔になるというのなら。
「……クソ許せ」向かう先に置いてある、ボロボロの球へと想いを馳せた。「……今、だけは」
俺に必要だった、0への固執を、無力なモノに過ぎないのだという意識の方を、少しだけ手放す。自分と同じモノひとつさえあれば良かった頃の俺ではなく、そこから、少しだけ夢を描けるようになって——月を見上げ、ニンゲンになろうと語った幼子の手を取る。
この期に及んで、ニンゲンになれるとまでは思ってない。薬やネスに頼るという発想しかできないままでようやく今を迎えた俺は、どれほど足掻こうがクソ物の域を出ないのだろう。それでも足掻いて、ニンゲンの真似事をしよう。大切な誰かに尽くそうとする、ニンゲンの真似を。実際は、尽くすなんてできないと——弱り果てた世一を前にしてしまえば、無力なクソ物であることが露呈してしまうのも、眼に視えてはいるが、それでも。今までに受けた愛に報いることが、できなくても。たとえ世一に相応しくなくてもという覚悟で、日本に赴くことを決めたときのように。
「……少しだけだ。……どうせ」
残された時間はきっと僅かだ。だったら、このささやかな願望を叶えたい。世一も、俺も、手遅れになる前に。
「……カイ、ザー?」
「……!」
逢う決心をつけたところで、どうやって寝室に入ろうか、何と言って入ればいいのかクソ迷った。迷った末に控えめなノックから試すことにした。音を響かせてから、意識を朦朧とさせているクソ病人の耳には届かないだろうなと思った瞬間に、ドアの奥から返事が聴こえた。伏せってるクセに、ノックの音だけで俺だと分かったんだろうか。
「……」
ただドアを開くだけという至ってありふれた動作なのに、その音をいつも以上に重く、長く感じていた。そこに、嘔吐くように咳き込む声が混じる。部屋に満ちるカモミールティーの香りが、それを癒すことはない。
朝も思ったが——なんて、似合わない声なんだ。あまりにも似合わないせいで、聴いているだけで、俺まで——。
「……来て、くれたんだな」
部屋の奥、ダブルベッドを独占して横たわる病人が、緩慢に寝返りを打ってこちらを向いた。
フィールドで見せるギラついた覇気も、勝利を求める激情の面影もない。ただの少年のカオをして、弱々しく無邪気に、口元を綻ばせていた。
「すげー……うれしい」
「……っ、よ、いち——」
「——! ッ、ゲホ、ゴホ……ッ」
嬉しいという感情の理由も、そう言われてやっと世一の名を呼べた理由も、分からなかった。せめて前者だけでも尋ねようかと思った瞬間に、世一は思い出したように咳き込み始めた。
駆け寄って背を擦るなんて真似はできなかった。異様に長引くそれをただ耳にして、眼を逸らさずにいるだけ。
「……わりぃ、な……」ようやく落ち着いたのか、世一は造りモノのような声を絞り出す。「お前、と……日本、行きた、かった……」
「……世一」
「なあ、カイザー……。あの、さ……」
定まりもしていない台詞を俺が口にするより先に、世一が二の句を紡ぐ。慰めの言葉も再起の促しもかけてやれないから、ありがたくはあった、が。
「こっち、来て……。手、握っててくれないか……?」
「……手、を……?」
「ああ。それだけで、ゲホッ、いーから……。……最後に、お前、と……」
それだけ、それくらい、なら。俺でもできるだろうか。——できる、だろ。世一がそう言っているんだ。
それに、最後のお望みがソレとは、なかなかの選択じゃないか。何せ——俺たちが、最初にやったことだ。
「お前は、手を繋ぐのが好きなのか?」世一の方へと踏み出して、問う。
「はは、そーかも……。……お前としか、やったことねーけど……ゴホッ」
「それはクソ光栄。聴けて良かった。てっきり、誰彼構わずあんなコトするヤツなのかと」
「ゴホッ、んな、ワケ……」
一番最初の思い出話をするなんて、いよいよらしくなってきた。
汗の滲んだ指を絡められた感触を、俺は今でも思い出せる。あのとき、世一には純粋な敵意しかなくて、俺は今以上に悪意と愛との区別をつけていなかったが——それでも、世一もあのことを覚えているのか。だったら、もう遠慮なんてクソ不要だな。
「ほら、世一……」
どちらからともなく手を差し出す。震えては止まることを繰り返す世一の手のひらに、手のひらで触れる。
まるであのときのように、熱くて、汗ばんでいて。——けれど「同じ」だと思うことは、やはりできなかった。病人なんだからクソ当然、か?
「…………」
答えは分かっている。分かっているから——砕く勢いで握りしめた。
「い゛っ、いたたたた痛い痛い痛い! このッ、何すんだテメェ! 病人に向かって何しやがるクソ野郎!」
「これでもクソ手加減してる」本気で砕こうとしていたなら、骨が次々折れる音がとっくに響いてるだろう。「何すんだはこっちの台詞だ。……クソ大根役者。よくも俺を謀ったな?」
「——え? ……マジ?」
世一の顔から動揺と憤慨が消える。そして、わざとらしいほど眉根を寄せた苦悶の表情に戻ることもせず、ただその眼を大きく見開き瞬かせることを繰り返す。そこに、手を握ってやったとき以上の驚愕と、感心さえ湛えて。
「バレ、た? ……どのタイミングで? 部屋入ってきたときは、割と信じ込んでる感じじゃなかったか?」
「……違和感は、最初からあった、が……」
思い返せば、共犯者の態度からして、やはりどこかおかしかった。狼狽振りと冷静さがちぐはぐで、その上俺相手に一歩も退かなかった。俺は想像を絶した知らせに衝撃を受けてはいたが、意識の片隅で、首を少しだけ傾げていなかったわけじゃない。
とはいえ事態が事態だ。構っていられるほど大きな違和感ではなかったこともまた確かだった。アイツもうただの犬ではないことを知っているし、ただ俺に騙され支配されていたときに比べれば成長した、ということで、説明がつかなくもなかった。——そのときまでは。
「……ああ。ネスは良くやっていた。本格的な嘘泣きまで交えたクソ名演だったぞ。……お前だよ、クソ世一。お前でクソバレ」
「ええ、俺ぇ……? どこらへんが……?」
「近付いて一言二言交わして、最後に触れて。募り続けた違和感は確信になった。表情、声色、咳き込み方に震え方……お前は全てにおいてクソ不自然だった。何らかの魂胆を隠したヤツの態度だった」
「……!」
「……手を繋ぐことを求めたのは、クソ失策だったな」
嫌悪と対抗心、芽生え始めた執着心——それら全ての激情を余すことなく伝えてきた手を覚えていた。だから、あのときと「同じ」ことをされれば、「違う」と理解できた。
「それに……。血反吐吐いて死にかけてるヤツのカオじゃなかった」
殴打の形でも親父に触れられ、発熱がバレ、うつすなと家の外に蹴り飛ばされた。嘔吐きを抑えながら街をふらつき彷徨う中、ふと目線を向けたショーウインドウに映ったガキと、世一の表情は重ねられなかった。
——重ねられなくて、良かった。
「あー……。……そっか」
「ふふ、そーいうことだ」
世一は俺が直感的に看破したかのように語っている間はひたすらに驚いていたが、遂に納得と、僅かばかりの悔恨を示した。俺の言った「死にかけてるヤツ」が誰だったのか、正しく伝わったんだろう。ちゃんと頭が回っているようで何よりだ。やっぱりクソ快復してるんじゃないか?
「この俺に演技と騙しで勝負を仕掛けるなんて、百年早かったな。悔しかったら世一くんもお勉強してみればどうだ。論文の一つくらい書き下ろしてやってもいいぞ。ああそれとも、観劇の方がお好みか? 稀代の大女優の演技、参考にできるといいな」
「どんな気持ちで観ていいか分かんねーヤツだろそれ。……でも、どんな気持ち、とか言える立場じゃねえか。……カイザー、騙してごめん」今度こそ虚飾の取れた表情で、世一は真っ直ぐに俺を視た。「気分良くはなかっただろ。いくらでも怒ってくれていい」
「……怒っては、いない」
クソ安心してる——とも言わないでおこう。本当に世一が危篤から一命を取り留めたのだとしたら言っていたかもしれないが、今回はクソ詐欺だからな。クソ軽めのほんの仕返しでチャラにしてやる。俺だって、クソ野郎を詰れる立場じゃないんだ。
「怒らねえ、の?」
世一が眼を丸くして尋ねてきた。
——もしかして、怒った方が良かったのか? 怒った方が、世一を心配していたことの、世一を想っていたことの証明になったのか?
「……。……怒りよりもクソ呆れてる、と言った方が近いかもしれないな」結局、偽ってまでの撤回なんてできやしなかった。「なあ世一、何の目的があってこんな茶番劇を上演したんだ。脚本と演出はどちらが?」
ベッドの端に浅く腰掛けながら尋ねる。世一に近付こうなんて考えたわけじゃない。ただ、話を聴く姿勢を取るため。そのためなら、距離を詰めて腰を下ろすこともできると思った。
「全部俺だ。お前をここに呼びたかったも、死ぬフリでもすればさすがに来るだろうと思ったのも。だから、ネスを責めてやるなよ」
「だろうなぁ……」
主犯と従犯の組み合わせ。両方あり得るとは思っていたが、どちらかと言えば、と予測していた方で合っていたようだ。冷静で毅然としたネスの態度は、単に計画に裏打ちされたものであるからというだけでなく、俺とは別の王の下命を受けていたから、ということなんだろう。しきりにスマホに視線を落として操作を繰り返していたのは、世一と連絡を取って指示を仰いでいたから、なのかもしれない。
それならそれで、別の疑問も生まれてはくるが。
「よくアイツを従わせられたな。お前の書いた、俺を欺く脚本なんかに」
ネスが従うどころか、激怒しそうなシナリオだ。ある意味アイツも、この芝居の被害者かもしれない。
そして世一自身はクソ三文芝居を呈したクソ役者だったが、ネスを言いくるめて出演させた脚本家としての手腕には、少し興味が湧いた。
「アイツが、お前を思えばこそだ。俺に従いお前を騙す屈辱と、お前を一晩独りにすることを天秤にかけて、俺の提案を呑んだ」
「……はぁ……?」
相っ変わらずあの犬は的外れな思考をする。そんな善意は求めてないし、俺を気遣うつもりだったなら逆効果だ。
俺は、ここにいたくないから独りで過ごすことを選んだ。弱り果てた世一とクソ無力な自分を視るくらいなら、独りでいた方が遥かに楽だったんだ。お前だって、世一のカゼが俺にうつる可能性を危惧していたんじゃないのか。俺が放してもないのに世一の説得なんかに屈しやがって。大体今どこにいるんだ、まさか帰ったか? なら次に会ったとき、どう躾けてやろうか。
「言ったハズだぞカイザー。ネスを責めてやるなと」
「……チッ。あいあい」
俺がどう思うかまで予見していたんだろうが、改めて釘を刺されてしまった。俺は今、どんなカオをしていたんだろうな。
「……なら、お前はどうなんだ、世一。まさかお前も、そんな理由で俺を呼んだとか言うんじゃないだろうな」
「違えよ。俺は、俺のためにお前を呼んだ。生憎、身体はまだダルくて起き上がれそうにもなかったから……お前のところに行って説得する役は、別に欲しかった。だからお前への気遣いは、ネスをその役に就かせるための口実だ」
「へーぇ、クソ結構。じゃあ、わざわざ指名した俺には一体何の役を与えようとしたんだ? ……看病役なら、先に断っておくぞ」
自分で気付けたとはいえまんまと招かれてしまった以上、無様な本心を今更隠す気にはなれなかった。
「だろーな。だからネスを呼んで、俺から離れた。……分かるのは、理解できるのは、自分のされたことだけ。何も分からなかったら、他の誰か相手にも試しようがない。……生きものって多分、みんなそういうモノだ」
「…………! ……うつされる可能性を避けた、とは考えないのか?」
「それは、お前がネスに信じ込ませた表向きの理由だろ。……こっちの方が、お前の考えそうなことだ」
「——」
なんだ。クソバレだったのは俺の方。隠す、隠さないを決める余地なんて、俺にはそもそもなかったのか。だから、世一のシナリオに乗せられた。
(いつも、いつも……)
いつぞやの戦いの最中、惨状を看破され跪けと命じられたことを思い出した。
この男はいつも、俺の脆弱を容易く見抜いて抉ってくる。この男と対峙してしまえば、美しい繕いなんてたちまち暴かれて、真実の醜さを露呈させられる。
「なら……」
無力な存在でありながら、世一の面前に引き摺り出された。その、今の俺に与えられる役は一体何だ。有能な犬を下がらせて、無能のクソ物を召し出す意味、なんて。
「——ああ、そーいうコトか」
ネスにはできなくて、俺にならできるコト。クソ物でもできて——クソ物相手だからこそ、やってしまえること。一つだけあった。
「イイぞ。スキにしろよ、世一」
端に浅く腰かけるのをやめ、世一に覆い被さるように乗り上げる。声と仕草に艶を乗せながらそっと倒れ込み、世一の耳元に唇を寄せる。
そのカラダが帯びた熱がこちらにまで伝わってくる。この程度の熱が序の口であると知っている。
「病人のクセに、クソ旺盛だな」
「は、はい……? ……ええ!?」
——蠱惑の台詞に返されたのは、クソ場違いな困惑と驚愕の声だった。
「いや、あの……。……今、俺がこんなで、熱下がり切ってなくて、使いモノにならねえと思うし、さすがにお前にも申し訳ないから……。……ゴメン、そーいうつもりはなかった……全く、何も考えてなかった……」
「……はああ!?」
何だソレ。媚態の演じ損にも程がある、クソが! ああ、頭きた、もう誘惑なんかしてやらない、両頬の熱はクソ冷めろ! お望み通りクソ離れてやるから!
「おい、待てって! 悪かったから……! ……いや、別に俺悪くなくないか……?」
「~~ッ! クソ離せッ! クソ引き留めんな……ッ!」
身体を起こしてベッドから降りようとすれば、熱い手のひらに思いきり腕を掴まれた。謝ったり、謝ることに疑問を持ったりしてる有様なのに、その力は妙に強かった。——あのときと同じ、迷いのない手だった。
俺の方がずっと強く、深く困惑する番だった。募ったそれは視るに堪えない感情になって、聴くに堪えない苛立ちと叫びになる。
「引き留めるに決まってんだろ……! 何のために呼んだと思ってんだよ、逃がすかよ……!」
「なら、その理由をさっさと言えよ! 世話焼かせるワケでも性欲処理でもないなら、何のために呼んだんだテメェ! ほらクソ言えよ、言えるものなら!!」
ああ、なんて無様だ。病人、相手に。こんな。
「何のためって……。……あれ、言ってなかった、か……?」手の力を緩めないまま、病人は首を傾げた。「俺の、ために……呼んだって……」
「バカにしてるのか? んなことくらい分かってんだよ。その先をクソ吐けと言っているんだ。……俺に、何を求めた? 『お前のため』に、俺に、何をさせたかった? 遠慮はいらない、言えよ、何、だって……」
何を言われようが構わない。否定してやる。俺自身、何かをするつもりなんてなかった。ここに来る決意だけで精一杯だった。だから否定するしかない。
それとも、俺の醜さを理解できるお前なら、「何もない」と意思を改めるか? それならいいぞ、クソ肯定してやる。だってそれが正解、クソ正しいんだ。俺は、何も——。
「そう言われてもな……。何も考えてなかった、っても言っただろ……」
「ッ!! ほら!! やっぱり何もないんだろ!! 何もできないって分かってんだろ!! アハ、アハハハハ!! クソ滑稽だな! こんんな、クソ無駄なことのために、クソみたいな芝居打ってたなんて! 笑える、な、世一——」
「……? ……俺がお前を呼んだことと、俺がその先を想定してなかったことは、関係なくね……? だから、無駄、なんかじゃ……。それとも、お前、そんなに、何かしたかったのか……?」
「あ? …………は、あ……?」
どういうことだ。コイツは何を言ってる?
俺を呼んで、どうするつもりも、どうさせるつもりもなかったと。そう認めているのか? 認めた上で、ここまでの行いを悔いもしないし無駄とも思わないし、俺を部屋から帰すつもりもない、と? なん、で?
何かしたかったのか、って何だ? 何もしなかったら意味なんてないだろ。論理をもって〝天才〟たちを喰おうとしたお前はそんな、無意味なことをするヤツじゃなかった、よな?
「カゼ拗らせて頭イカれたか?」必死に脳を働かせた末、出せた結論はそれだけだった。
「……あ~……。そっか、なるほどな」ほとほと呆れたように、重いため息交じりに言う。己のおかしさをやっと自覚できたんだろうか。「これも、お前の考えそうなコトだな。……お前らしい誤解だよ、カイザー」
「は? 誤解?」
「……嘘泣きはネスのアドリブだろうけど、アイツの台詞は、ほとんど俺が考えたんだ。……『傍にいてあげてください』って、言われなかったか?」
「言われた、が……。それが、何……」
「その言葉の通りだ。俺はただ、おまえにそばにいてほしかっただけ。……俺も最初からそう言っていた方が、分かりやすかったか?」
「——。……なッ、んだと——」
それだけ? たったの、それだけ? そんなことが、お前の掲げた意味なのか?
「……なんで……! それ、は——」
それは——無力な俺が願った、叶うとしてもほんの僅かだけの、ささやかな望みだったはずだ。それさえも見透かして言っているのか?
それとも、まさか——世一の望みも、同じとでも言うつもりなのか?
「……あ、りえない。……何もできない、役に立たないモノを、殴ることも罵ることもせずにそばに置く、気なのか……!」
「ああそうだ、俺をどこぞの誰かと一緒にすんな。……いや、少し違うな。その認識は違う。なあ、カイザー」
掴まれたままの腕を引き寄せられる。抵抗する間もないまま、手のひらは世一の額へと誘導された。
「クソあつ」
思わず口にしてしまった。熱は下がり始めたと聞いていたんだが。今日ずっと触れていなかったから、そう感じるだけか? 世一の平熱が元々低いことも相まって。
「ネスから、熱下がりかけてるって報告行ってたと思うけど……。実は、その後悪化したのは本当なんだ」
「……!」
「咳も落ち着いてきたけど、その後また熱がぶり返して、今コレだ。治ると思ったのに、また辛くなって……。……だから、お前のこと呼ぼうと思った。もちろん、死を覚悟して看取らせようと思ったワケじゃなくて……。……お前がいてくれたら、良くなるかもしれない、なんて思ったのも確かだ」
「……はあ? クソ意味分からん。何もできねえヤツがいるだけで良くなるワケないだろうが……」
「いるだけでいい。……前にも、そういうことがあった」
俺を真っ直ぐに視たまま、世一は眼を細めた。高熱で苦しみ続けているはずなのに、少しも苦しそうじゃなかった。
「もう、三年くらい前になるのか。……試合中、すげえしんどい思いをした。どう足掻いても勝てないって思い込んで……しかも自分のことまで嫌いになって、絶望してた。——けどな」
額に当てていた俺の手を、今度は頬へと動かした。——大事、そうに、汗の滲んでいた額同様の熱を帯びたその肌を擦りつけた。
「お前がいたんだ。ずっと憎み合って、殺意の対象でさえあったお前が……俺に、進化の欠片を教えてくれた。……そのお前と一緒だったから、勝てるって思えた。等身大の自分のことも認められて、その自分として勝ちたいって思えた」
「…………」
「だから今回も、お前がいてくれたら何とかなるかな、なんて……」
——やっぱりコイツ、ブッ壊れてるんじゃないか? 宝物を語るカオで思い出話をしてくれたところクソ悪いが、その物語の登場人物でありながら、心当たりが一切ない。
そもそも前提がおかしいだろ。尋常でない速度で進化して、どんな強者にも怯むことなく啖呵を切って、絶対的な力の差があった俺相手にも立ち向かっていた世一が、試合中に絶望してた? それを俺が救っただと? ——無い。思い出話を構成するあらゆる要素が絶対にありえない。お前が絶望してる様なんて視たことない。絶望すんなら俺のプレーを理解してにしろ、何で希望見出してるんだよクソが。
しかも三年前と言ったか? それで俺と一緒にいたと言うならまさか、〝新英雄大戦〟でのことか? 俺たちの仲がクソ最悪だった時代だろ。俺を騙したいならもっとマシな嘘をつけ。
「……重いカゼ引いてるときって、変な夢見るらしいな」
嘘じゃないなら、コレか。俺は体調がどうだろうと悪夢しか視れないから、共感ではなくどこかで聴いた知識としてしか話せないが。
「自覚なんてないだろうな。直接手を差し伸べられたワケじゃない。俺が勝手に感謝してるだけで……お前はお前として生きて、戦っていただけ。……けど、それでいいんだ」
「!」
腕じゃなく、今度こそ手を掴まれた。指まで絡められたから、本当に、あのときと、同じ——。
「俺にとってお前は、いるだけで価値がある。だから離れるな。何もしなくても、何も言わなくてもいいから。……俺のそばにいろ、カイザー」
「————」
何をもって感謝されているのかは分からず終いだが——今言われたその感情には、身に覚えがある。
クソ親父がクソ物に向けていた憎悪と優越と支配じゃない。俺が、クソ物に向けていた想いそのものだ。
「……世、一——ッ」
クソ物をそんなふうに想う存在が、俺以外にいる、なんて。
バカみたいだ。クソ物としての非力を嘆いたことも。そのせいでお前を諦めかけたことも。諦めきれなくて、少しだけニンゲンのフリをしようと思ったことも。お前に相応しくなくても構わないからと、決意したこと、さえも。
——全部分かっていて、なおクソ物を想い求めたお前こそが、俺に相応しいと思ってしまいそうになる。お前、だけが、俺を——。
(——クッソ、腹立つ!)
ずっと、ずっとお前のいいようにされてる! 看破したところで、お前のシナリオ通りになってる! 全部見透かされて、ネスを使われ呼び寄せられ——お前の願いを叶えさせられ、挙句の果てに、お前への想いを募らせられた! お前に言われた通りに、離れられないと思わせられた!
クソ限界。一緒にするなとお前は言ったが、クソ親父に代わったお前に、お前のやり方で支配されているようなものだろうが。いいや、〝お前のやり方〟なら、やはりクソ親父とは違うのか。そんなお前だから、どうしようもなく惚れさせられたのか。クソムカツク! 何もしなくていいって何だよ。——何で、他でもないお前相手に、無力な自分のままでいなければならない!
「!? カイザ、~~ッ!?」
熱い身体を抑え付けるようにもう一度倒れ込んだ。焦らしはもういらない。怒りの対象に、蠱惑の仕草を魅せ付けるサービスをしてやる義理はない。
だから今度はすぐに、唇を塞いでやった。
「……!? ————ッ!?」
「ん、んぁ……っ、はぁ、ん、んぅ……っ」
自分から舌を差し込むのはいつ以来だろう。まだ初心なところのある世一をリードしてやるのもなかなかに愉しいが、世一の自由に、好きにされる方が、好きだ。世一に与えられる不自由が好きだ。その快楽に抗おうとして——抗えきれなかったときに、やっと浸れる世一の愛が好きだ。
(あぁ、この、まま……)
快復とか、してくれないだろうか。そして激しく抱いてほしい。今日は朝から心を乱しすぎた。お前に乱されてばかりだった。だったらもういっそ、お前の手で乱れ切ってしまいたい。お前だって、ありえない想い出を夢見るほど狂っているのだから、俺もブッ壊れるくらいが丁度いいだろ。どうしようもないクソ物をそばに置くことを選ぶなら、そのくらいしろ。どうしようもない俺でも愛せると示せ。
——それが叶うなら、示せるなら、セックスじゃなくてもいいや。