Novel/BLL-潔カイ

【サンプル】再壊<1>(全4ページ/4ページ目)

「分からないか? どのツラ下げて帰国するんだって立場だろ。だからこそ……そんな恥晒しには、ミュンヘンで石投げられながらピッチに立つのが、クッソ似合い」
「——」脳の片隅に一筋の火が奔った。「ミュンヘンって、そういう人間の巣窟なのか?」
 コイツがクソピエロであるコトは疑いようもないので、卑屈な言葉に苛立ったワケじゃないのは分かる。でもそれだけ。一体何に、どうして自分がムカツいたのか実のところよく分かっていない。腹が立つまま、言葉が思考を待たないまま声へと変わっている感じだ。
 カイザーが語った光景の想像が俺にもたらしているのは、それほどの反射的な怒りだった。まるで、本能が攻撃されたコトに対するカウンターのような。
「国内では治安がクソ良い方らしいし、俺も住んでいてそう思う。さすがに、財布を落としても返ってくるような国には劣るだろうが……とりあえず、お前にとっての朗報だと思っておくといい」
「は?」何で俺の話になってるんだ。今は、お前が。
「ただ、バスタード・ミュンヘンはドイツ最強の肩書を背負い続けるクソ古豪。それが戦場にはクソ不要の肩書だとしても、戦場外のニンゲンには、却ってその理論の方が通用しない。……ということを思い知らせてくる輩も、いないことはないだろうな」
「…………」
「なぁに、脅そうだなんて思ってないぞ。お前も不安がらなくていい。ミュンヘンは今頃、俺なんかに代わるクソ優秀なエースを迎えられるコトが決まって大喜びだろうよ。そして『勝利』こそがバスタード・ミュンヘンの全て。……どうだ? お前に、クソ最適な環境だろう? だから存分に歓迎されておけ。ノアと観客と後援者を楽しませてやってくれ」
「はあ……⁉ どういう意味だよ、何で俺がノアを……!」
「自分でケンカ売ってただろうが」カイザーは顔を上げないまま、鼻で笑った。「そしてアイツも、自分自身を脅かす宿敵ライバルが欲しいと語った。……わざわざ眼をかけてやったにもかかわらず、逃亡を目論んだ末に呆気なく摘まれた俺。その俺を摘み、しかも自分への戦意を示していて、バスタードからのオファーもめでたく勝ち取ったお前。……宿敵候補としてどちらが魅力的か、比べるまでもない」
「そ、れは……」
「バスタードも、クソ指導者サマのご希望を汲んだんだろうぜ。ノア一強の軍団を望んでおきながら、お前のコトを……クソ不躾な宣戦をして、手始めに下部組織のエースを潰したストライカーを落札した意図なんて、そんなモノだろう。お前なら、俺よりはまだマシな扱いになるかもしれんが……現〝世界一〟の虜である老害共が、この一戦だけで考えを変えるとも思えないしな」
「なっ……!」
 カイザーの代わりに、ノアの養分となれってコトかよ。それが、バスタード・ミュンヘンからのオファーの意味?
 俺をNo.1たらしめた評価だから、憎みはしない。でも——カイザーに勝って、ノアの思惑を上回ろうとも、ノア、そしてバスタード・ミュンヘンの思い描く物語を完全に破綻させたワケじゃなかったんだ。俺が繰り上がりで、カイザーのポジションに収まっただけ。
 俺にとっての〝新英雄大戦〟は、俺が主役の座を狙う〝青い監獄〟と、カイザーやノアが君臨する〝バスタード・ミュンヘン〟との戦いでもあった。今日の決着をもって、〝青い監獄〟が勝利できたんだと思いもしたけど——まだ、なんだ。まだ戦いは続いている。だったら、俺もまた勝ちたい。
(……けど、俺なら、カイザーよりマシな扱い、って……)
 金額の多寡を考えると素直に頷けはしない。四度の試合を経た今でも、俺の価値って〝三億〟にも届いてないらしいし。
 そしてそのコト以上に、さっきカイザーが語っていたトップチームの状況と、以前バスタード・ミュンヘンから貰ったコメントを思い出していた。

《ノアと組ませてみたい》
《攻撃にも守備にも万能な新しいカタチのMFとして使ってみたい》

 〝イングランド〟戦の後だったか。ストライカーを志す身としては何とも苦々しい評価ではあったけれど、超越視界を駆使しながらの二得点のアシスト——うち一点は非常に心外で想定外で甚だしく憎らしいものだったが——という結果を思えば、順当な評価でもあった。
 だけどそれが、バスタード・ミュンヘンがそもそも要求している商品選手の規格だとしたら。——あの時点では、ストライカーとして俺よりはるかに格上だったカイザーでさえ、その戦い方を求められていたとしたら。けれどノアが求めているのは、従順な手駒とは真逆の、自分を脅かすライバル。そしてバスタード・ミュンヘンがノアの意も汲んでいるというのなら——。
「あのコメントって、まさか……」
 挑発の意図も含まれていたんだろうか。せいぜいノアに喰らい付いて、ノアの成長の糧となって、そして最後にはノアに下れという。いや、さすがに疑りすぎか? でも、ノア自身の望みは、それで間違ってはいないんだよな。
「やっぱ、ムカツクな……」喰われろという意図を隠した歓迎に、誰が喜んで応じるっていうんだ。「……そもそも俺、バスタードのオファーを受けるって言ってねえし」
「あ……? 何が不満だ? お前にとってクソ最適な環境だと思ったが。目標ノアまでいるっていうのに……」
「お前が、改めて移籍を考えたっていうのと同じだ。……ドルトムントからのオファーを受けて、今度は正面からバスタードと戦う、っていうのも、アリだと思ってる」
「ドルトムント……。……ああ。最初にお前を落札した、ウチとは犬猿の……。なるほど、な」微かに頷いたカイザーは、少しだけおかしそうに笑った。「非合理に及んででも、俺に……バスタード・ミュンヘンに抗おうとした姿勢。確かに連中が気に入りそうだ」
「あ、そーいうコトか? それで第一関門のオファーをもらえたっていうなら、失敗重ねても足掻いた価値はあったな。……ん?」
 潔世一のオークション結果が「ドルトムント」になったのは、ミスを連発していた〝スペイン〟戦後の一回だけ。それ以降は合理を是とするバスタード・ミュンヘンに落札されるようになった。多分、非合理に陥っていた〝スペイン〟戦のときとは違って、〝超越視界〟を駆使しながらカイザーにも匹敵する賢明な立ち回りをし始めた俺を、合理的だと評価するようになったから。 つまり、バスタード合理に適うように、染まるように進化したと見なされた? ——だからドルトムントは潔世一の落札権について、バスタードに競り勝とうとするのをやめた?
「……とにかく、俺はバスタードとドルトムント、どちらのオファーを受けるかで今迷っている。……同じチームでノアを喰い落とすか、それとも正面から相対する敵として、ノアを超えて勝ってみせるか。そのどっちが、俺がより〝熱〟を感じられる環境なのか、まだ判断ができてない、判断するための情報だって足りていない。だから……お前と、話そうと思った」
「……ふーん……」素っ気ない相槌だが、少しだけ納得したような雰囲気も帯びていた。
 ああ、もしかして、俺はやっと目的を明かしたのか。具体的な質問から入ってしまって以降、ずっとそのまま話を続けていた。
 ——すっかり、夢中になってた。
「進路相談のつもりってコトか。何を思って質疑応答を仕掛けてきているのかクソ謎だった」
「ええ……?」
 謎と思いながら俺の話に付き合ってたのかよ。もうけっこう喋っている気がするんだけど。
「しかし、なんで俺なんか……。相手なんて、他にいくらでもいるだろ」
「いや、お前が最適だった。〝青い監獄〟は俺も含めて、つい最近までアマチュアの環境でサッカーしてたヤツばかりだ。ビッククラブとの縁とか、プロ契約の選択肢は今回初めて生まれたもので、海外経験だって皆無。そんな俺たちより、お前の方が絶対に、プロの世界を知ってるはずだろ。それに……ウワサ通りお前が移籍を検討しているっていうなら……俺にとって好都合。ほら、俺も、バスタードとドルトムント ……二つの候補で迷ってるから」
「……で? 実際に選んでどうだった? ガッカリしたか?」
「なんでそうなるんだよ」
「助言らしい助言なんて、全くしてない」
「あー……。それは……確かに……?」
 俺は今の今まで目的を明かしていなかった。そしてカイザーも、俺がバスタード・ミュンヘンのオファーを受けるものとばかり思って話していたんだろう。
「でも、そんなの……今言われて気付いたくらい、気にならなかった。バスタードの状況や思惑を当事者の口から聴けたし、どうせ捨てられる地位なら利用するって考え方を知れた。お前と話せたからこそ、〝新英雄大戦〟の復習もちょっとできた気がする。この後のノアとの戦いとか……バーサーク・ドルトムントの考えてるコトも、想像できたし……。……やっぱ、」
 お前を選んで良かった——そう言いかけて、言えなかった。
 俺がカイザーを選んで持ち掛けた契約と、その果ての記憶が蘇って、邪魔をした。
「……お前が、移籍のこと迷ってるって知れたのも良かった」
 代わりに選んだ言葉だけど、コレもちゃんと本音だ。もしカイザーの方針が既に固まっていたなら、その方が今すぐの参考にはなったかもしれない。でも、迷いから決断への過程までも知ることができれば、より、俺の決心の糧にもなってくれるんじゃないかって思った。それに、同じ状況の誰かがいるっていうのは、なんというか、心強い——ワケはないよな。相手はクソピエロだぞ。
「だから、クソ買い被りだって言ってるだろ」カイザーは頑なに、首を横に振る。「お前と、一緒にするな。お前のように、輝かしい岐路に立っているワケじゃない。……そんな立場じゃない。分かるだろ……」
「……」ミュンヘンに留まったら石投げられる、とか言ってたっけ。「……レ・アールからの評価はどうなるんだよ」
「地に堕ちたに決まってんだろ。お前らのランキング、自分の分しか視てねえのか」
「は?」
 四億貰っておいて何言ってるんだコイツ。お前は自分の分を視てないんじゃねえの。
 それに、俺たちのランキングってどういうコトだ? そりゃあ、No.1——俺の分のは眼に焼き付ける思いで視てたに決まってるし、その快感に夢中になってはいたけれど。でも、それ以外の結果だって視てるし覚えてる。——涙を、流しさえもしたんだ。
 でも、〝青い監獄〟の物語であるソレが、カイザーとどう関係するのかちっとも分からない。突如脈略の無いことを言われたようで、言葉が出てこない。
「……糸師凛。アレを競り落としたのはP・X・Gじゃない。……レ・アールだった」
「! マジか、それ……!」
 現〝世界一〟のストライカーこそバスタード・ミュンヘンに所属しているけど、「世界一の『クラブ』」として名が挙がるのはやはりレ・アールだ。——凛もまた、その「世界一」の環境に選ばれたんだ。
「……いや、だけど。凛の進路がお前の不利益になる理由がやっぱ分かんねえよ。まさかお前が凛にビビッてるワケないだろうし……」
「俺の意思なんか関係ない。クラブ側の意向だ。前の試合で俺を取っていたにもかかわらず、今日はクソ舌にも手を伸ばした。……俺のブランドは、レ・アールの欲求を満たすに至らなかったってコトだ。新たに別のFWを指名したのは、早くも俺に見切りをつけ始めたから」
「は、あ——⁉」
 さすがに卑屈が過ぎるだろ。凛よりも俺よりも、ずっと高い金積まれておいて。——凪のように、手の平返されたワケでもない。
 それとも、年俸という可視化された数字による結果一つで判断している俺が甘いのか? カイザーの方がずっと冷静に現実的に、プロ世界の経験や感覚をもって、レ・アールの判断とそこに込められた意図を的確に捉えているのか? だったら——
「〝世界一〟のクラブの割には、随分とクソ節穴なんだな」
「あ?」
「あ、いや……」
 声にしてしまえば、俺がカイザーの肩を持つような響きになってしまう。それを、慌てて誤魔化すコトしかできなかった。
 けれど、腹の奥から脳天を直接刺激するような不愉快もまた、収まることのない本物の感情だった。確かにカイザーは最終局面で契約を破った道化であり、俺はその契約違反者への粛清をもって玉座に就いた。だからカイザーの評価が俺を下回るというのなら、まだ納得がいく。——でも。

『『秀才が天才に勝てる』って証明するんだ』

 俺がカイザーに持ちかけた、この目的自体は果たされたんだと言って良い。契約以降、戦場を掌握し続けたのはバスタード・ミュンヘンの方だった。俺とカイザーの化学反応は凛でも止められなかった。選択肢を絞り、どちらか片方を潰すことが限度だった。
 なのにレ・アールはまだ、「秀才」より「天才」の方が上とでも言うつもりかよ。そんな時代錯誤の思考、「秀才」としての契約を最後まで貫き勝利したこの俺が、許せるハズが——
「……世一……?」
「……あ……」
 怪訝そうに名前を呼ばれてはっとする。僅かに顔を上げて俺の様子を窺っていたカイザーは、俺がその視線に気付くとまた俯いてしまった。言語化し難い言えない居心地の悪さが胸中にじわりと滲み、身体中に満ちていた怒りを少しずつ薄めていく。
(何で、こんな……)
 レ・アールの思惑なんて、俺たちが想像で喋っているだけだ。ましてや「秀才」より「天才」の方が評価されているのでは、という不快な危惧は、カイザーの卑屈を前提とした俺ひとりの勘繰りでしかない。それに卑屈な思い込み通り、「秀才」の道を踏み外したカイザーより、「天才」としての戦い方を貫いた凛の方が評価されたとしても、それはそれで納得もいく。世界一のクラブなら、カイザーの失態だって理解したかもしれない。それなら、カイザーの言ったコトはただの卑屈なんかじゃなく、れっきとした事実になる。
 そのくらい、少し冷静になれば思い付けるはずだ。なのに湧き上がった感情に言葉を委ねるなんてらしくない。何度目かの疑問と若干の落ち込み。俺って、こんなにキレやすかったのか? ——そんなことないよな、俺はそんなヤツじゃない。その俺でさえ殺意抱いたクソ野郎が眼の前にいるせいで、情緒バグってるんじゃねえの。
 ただ、今のはカイザーへの怒りじゃなかった。どちらかというと——今日、戦場を去る間際のロキ、そしてノアに思わず噛み付いたときと同じ感覚だった。
 インタビューの最中にも思い出していたけれど、やっぱり、何か——なにか、大切ななにかを踏み躙られていた感じがしたんだ。その足がいつまで経っても退かされないから、俺が「退け」と言ってやりたくなった。
 多分、その感覚で合ってる。「秀才」をただ踏み台にする「天才」は、そりゃあ腹立たしいし物申してやりたくなるし、超えてやりたくなる。その戦意が、この試合での俺の〝熱〟の一つだった。
 〝熱〟とまで言い切れるのなら、反射的な怒りという感情は、ただ冷静さを失わせるだけの悪いモノとは限らないのかも。あのときのも、今のも、俺にとって正しい憤りだった。
 ——カイザーへの感情侮蔑だって、そうかもしれない。「秀才」を貶めたという意味では、カイザーだって同罪だ。「『秀才』のクセに」という側面も加味すれば、同罪どころか一番の重罪人でさえあるんじゃないか。
「……やっと、理解したか? レ・アールがクソ舌に目移りしたのはクソ道理だって」
「……」
 なのにどうして、お前がそう言うと否定したくなるんだろう。
「……でも、ノアを頂点から引きずり降ろして、バスタード・ミュンヘンを奪うか……。それとも、バスタード・ミュンヘンに正面から勝って、ノアを超えるか……その二択だってことは、お前にとっても確かで、俺と同じ岐路だろ?」
「どうだか。俺を取り巻く状況も、俺がやることも変わらない。誰にも望まれずに戦場フィールドに立ち、求められるコトもないゴールを奪う。どちらに……どこに行こうと、居場所なんてない。決して手に入らないその場所を、力尽くで得ようと足掻くだけ……。……だから、どっちでもいい。どちらとも、同じ環境だ」
「……カイザー……」
「バスタードはお前に、レ・アールは糸師凛に奪われた。〝青い監獄お前たち〟に全部喰われてのクソ完敗を喫した。そんな醜態晒して終わったクソゴミが、お前と同じ思考をして、同じ視界を視ているハズもないだろ」
「——……」
「なんだ……どうした? もっと嬉しそうにしたらどうだ。進路相談なんてクソ口実使って、俺を嗤いに来たんじゃなかったのか」
 俺が唇を噛んで押し黙れば、カイザーはありもしない目的を突いてきた。頑なに俺を視ようとしなかったクセに、俺が俯いたときに限って視線を向けてくる。
 自嘲の言葉は挑発的な響きを帯びながら、実に淡々と紡がれた。カイザーはただ事実を述べているつもりなんだ。本当に俺を不思議がってる。俺が何を思ってカイザーを訪ねたのかってことも、全っ然、伝わってないんだ。奪い奪われの関係しか視えていなくて、それに固執して、今度は自分のコトを必要以上に見下して。
 カイザーが言ってることは必ずしも間違いじゃない。確かに俺はカイザーから全てを奪いたかったし、そのくらいカイザーのことが憎かった。——そして、その望みも感情も捨てて、勝ちたかった。なのに捨てたハズのそれが、勝利とともに叶ってしまった。
 ——お前が! お前が、あんな真似をしたから!
「そうだ……バスタードの話を俺から聴きたがったのも、そーいうコトだろ」
「はあ……⁉」
「お前と俺との差を示すため。バスタードという一つのチームを、お前は奪い、俺は奪われたという立場の差を実感するため、そして理解させるため。……ふふ、クソみたいな趣味だが、クソ理解はできるぞ。だから、話の続きを望むのなら、いくらでも……」
「————」
 ああ、カイザー。お前やっぱりクソピエロだよ。
 薄々分かってきた。ネス相手に陥って、そして俺もお前に向けてしまう、必要以上の特別視蔑視。今のお前は、ソレを自分自身に向けているんだろ。——その敗因蔑視に、一度ならず二度までも陥りやがって。
 自省なんて表現じゃ生温く、それに基づく自己改革なんかじゃない。ひたすらに強烈で自己嫌悪、可能性の執拗な自縄自縛。俺には、そうとしか視えねえよ。だから俺相手に跪くことを良しとできるんだろ。
 だとしたら、本当に手中に収めて今にも握り潰してしまえるちっぽけな敗者なのに、ひどく遠く感じる。掴みたくても掴めずに、指の間から墜ちていくモノのように。既にカイザー自身によって潰されているその存在が、カイザーという器の中身が、もうこれ以上潰せないほど砕かれているみたいだ。
「……カイザー」
 ダメだ。やはりコレは、潔世一の悲惨な末路の体現。俺と高次元な論理を掛け合わせられていた事実なんて無かったコトのように扱い、俺の思考に思考をぶつけることを良しとせず、敗者としての立場にひたすら徹しようとする様に、無性にそう思わせられる。
 許せない。潔世一カイザーが思考を放棄することなんてあってはならない。積み重ねた理論を一度崩されたところで、次の理論を創り出すことをやめちゃいけない。
 敗者が陥る現象としては妥当なモノで、そして俺に負かされた誰かがそうなるなら、勝者は快感さえ覚えてしまうだろう。その敗者がカイザーであるなら、例外どころか寧ろ、最たる快感の源になってくれる。——だけどカイザー潔世一だけは、どれほどの大敗を喫しても立ち上がらきゃダメなんだ。
 敗北が覆しようのない現実である以上、他のどの敗者にだってこんな思いを抱き要求するなんてしないだろう。カイザーにだけだ。潔世一は、勝ちたかった、から。
 だから、俺は今のカイザーを否定する。やることなんて、最初から決まっていた。
「話の続きを望むなら、いくらでも……って言ったな。……願ってもない申し出だ。お前には、しばらく付き合ってもらう」
「は……? しばらく、だと……?」
「ああ。次の戦い……U‐20W杯に集中するためにも、今のうちに……〝青い監獄〟に再招集される前に、俺は俺の進む道を決めておきたい。そのためには、まだお前の持っている情報ピースが必要だ。だから、お前といたい」
 そもそも最初は、カイザーの状態なんて何も考えていなかった。カイザーを訪ねた目的はコレだったんだよな。
 そしてこの目的が未達である以上、カイザーをただ抉って優越感に浸って終わる、なんて選択肢は最初から存在していなかった。
「——。俺と、いたい、って——……」
 こちらを煽り唆す鋭いモノでありながら、どこか鈍く虚ろだった眼が、今はただ丸くなって、俺を捉えながら呆然と揺れている。どうせ思考の共有など叶わないと思われているなら、一方的に諦められるよりも慄きと紙一重のドン引きをされる方がまだマシな気がした。こんなんでも、ちょっとだけ胸が空く思いだ。
「それ、は……お前の……供でも、していろって意味か? ……さっきまでみたいに、尋問じゃダメなのか?」
「ああ。お前の近くに……隣にいれば、その情報ピースも自然と、そして早く拾えるハズだ。ただ聴きたいコトをその都度尋ねるよりも、そういう偶然を拾い上げた方が良いと思う。さっきまでだって、終始〝進路相談〟をしてたワケじゃない。〝新英雄大戦〟の振り返りみたいな話題に話が移っても、俺が得られるものはあったからな。……お前となら、その『偶然』を『必然』にできる。話しててそう確信した。お前だって『どっちでもいい』とか言ってたけど、二択の進路で迷ってるコトに変わりはないだろ。俺にとっての利点の予感は、お前の恩恵にもなると思うぜ」
「まだ言ってんのかよ、進路相談ソレ……。……大体、本気で、俺なんか参考にできるって思ってんのか? んなワケねえよな。全部喰われ奪われて何もなくなった不良品に、お前に差し出し与えられるものなんてあるハズがない……」
「本気で思ってるけど。相談相手として最適だと思ったって、何度か言わなかったか? お前が俺の話聴いてないの、なんか、すげえ嫌……」
 いけない。気を抜くとすぐ嫌悪に塗れた言葉が出てくる。もっと、こう——お前の話を聴けて良かったとか、話しているときの思考の感覚はキライじゃなかったとか、そういうふうに言えればいいのに。——言えるハズ、ないか。
「……とにかく、俺がそう判断してるんだ。お前がお前をどう思おうが関係ない。敗者としての自覚があるなら、勝者の意向に従え」
「クソ暴君」
「この世界中、お前にだけは、ぜっったいに言われたくない」
「暴君だろ。……終了を通告した契約の更新を迫るとか、理に適っていないにも程がある」
「——。……言っておくけど、アレ、条件破ったのはお前の方だからな」
「……クソ知ってる」
 この程度の返答に留められたのは、ほとんど奇跡に近かった。——〝契約〟という言葉をカイザーの口から聴いた瞬間、身体中の血が冷たくなったままで沸騰するかのような、異様な恐ろしさと憤りに思考が統べられそうになっていた。
 そして、もしカイザーがより深く言及していたなら。あるいは——俺があの鍵をポケットに収めることなく素手で握り続け、手中の鋭く冷たい感覚に、カイザーへの侮蔑を増幅させられていたら。そういう、ほんの少しの欠片ピースによって、異様な感覚がより満たされ十全なモノとなってしまっていたら。俺はきっと瞬間的に、心のままにカイザーを罵っていただろう。
 そうはならなかったから、今は胸の奥から身体全体を重く蝕むような感覚だけに圧され、唇を噛んで俯いた。
(……?)
 俺に散々文句を言っていたカイザーも、今は眼を伏せて俯いていた。自らを無力な存在へ貶めようとする虚ろさとは、また少し違った雰囲気。
(ただ、何か……。——悲しそう……?)
 その今の方が、さっきまでの過剰な自己否定の言葉を繰り返していた様子よりも、試合直後に膝をついていたときの雰囲気により近い気がする。
 まあ、何も不思議なコトなんかじゃないか。自分の方から墓穴を晒すような言葉を口にしたとはいえ、痛感している敗因をまた俺に抉られかけたんだから。俺が堪えられたおかげで命拾いしたな。
 ——カイザーは、命拾いしたとまでは思ってないだろうけど。もうとっくに喰い殺された気でいるから、敗北の悲憤の果てで、ここまで空虚になれるんだろ。
(……ったく……)
 全部、お前があんな負け方をしたせいだ。——こっちだって、悲しいくらいだ。
 勝手極まりないのは承知でも、拭えそうにない悔恨だった。
「……お前がどんなに暴君でも、いいが」カイザーは俯いたまま、沈痛な声を零す。「それでもお前に、ほんの一欠片でも……慈悲があるのなら」
「え?」
「……練習、とか……そういう、実践的なサッカーに付き合うのは、嫌だ。……それ以外なら、なんだって従う……」
「お、おう……」
 突然のただならぬ哀願。皇帝らしい威圧なんて一切含まれていなかったのに、その傷ましさに却って気圧されてしまう。
「べ、別にそれは、元々考えてなかった……。ほら、全試合終えた後だし。俺もさすがに、素直に休暇オフを過ごすつもりだった。そっちだってオフだよな……」
 練習。——カイザーと練習かあ。
 指導者指定のトレーニングメニューの一環として、ミニゲームをしたことなら何度かあった——結局、その練習では一度も勝てなかった——。今やそれも、遠い昔の小さな思い出に収まってしまったかのようだ。
 だけど、今日の試合で自己変革を経た今の俺とカイザーとで、一対一でサッカーができるなら。——いや、そんな想像をする以前に、たった今向こうが拒否を申し出て、俺も思わず条件それを呑んでしまった。
(にしても、「慈悲」って……)
 ただでさえ弱っている様子だったのに、また一段と敗者らしいこと言ったな。ここで話し込んで、気付けば大分時間も経った中で、一番惨めな態度だったかもしれない。
 その惨めさを咀嚼する度にぞくりと震える心地を味わって、身体の奥が熱くなる。——嗜虐の興奮が生み出す熱なのに、傷口の痛みが変換された熱と、よく似ている気がした。
(そんなに、俺とサッカーしたくないんだな)
 当たり前だろ。敗因の起点となった存在ネス抜きであろうとも、今日の結末の記憶を連鎖的に引き起こす、最大級の自傷行為となってしまうだろうし。——その記憶を克服しないでどうするんだよ、大体俺だってお前のクソミス思い出して苛立つかもしれないじゃん、等々些細な文句は全部俺の中で潰しておくコトにした。所詮は元々思考外だった予定を、改めて思考外に留めておくだけだ。大体、相手はこうして俺に止められるまでオーバーワークに及んでたヤツなんだよな。
「……うん。練習とかじゃなくて……まずはただ話すだけでいい、から……」
 ちらと、背後を振り返る。——暗く静かな、ふたりきりの疑似的なフィールド。
 色々と話し込んだおかげか、最初に足を踏み入れカイザーを見つけたときほどの息苦しさはもうなかった。
(けど、無くなったワケじゃない……)
 息苦しさの正体を定めるなら、さしずめ、敗者の怨恨とでも言ってしまえるだろうか。——正直、それ以上の何かを感じてもいるけれど。
 俺とどれだけ建設的な対話を重ねようが、カイザーが傷ましい過剰猛省に囚われ、それに基づく言動を思考する限り、無限に生み出されていく怨恨モノだ。オーバーワークを行ったこのフィールドを出た程度ではカイザーの意思は変わらないってコトも、あの荒れに荒れた居室が物語っている。どこへ逃れようとも、カイザーはきっと、自分を卑しむのをやめてはくれない。
 そんな——絶えず首を絞めつけられるような錯覚に満ちる空間は、俺にとって・・・・・毒でしかない。だから、カイザーを核として生まれ続ける閉塞感マイナスを、せめて霧散させられる場所がいい。
 より開放的で——ゼロになれるどこかへ行きたい。勝者として先に進みたいのなら、そして敗北の未来カイザーを否定したいなら。
「——」
 熱く静かな呼吸を自覚する。足元の人工芝を、手のひらで確かめるように、掴むように撫でる。
 ここで生きたいと誓った場所。No.1の玉座に至れた、俺にとっての楽園。
 でも、今だけは。
監獄ここを出ようぜ、カイザー」
「は?」
「ドイツから遥々来たんだろ。最後に日本観光くらいしておけよ。お前ひとりの面倒くらい、俺が視てやる」