Novel/BLL-潔カイ
【サンプル】再壊<1>(全4ページ/3ページ目)
「……カイザー。……お前に、逢いに来た」
またしてもその場に崩れ落ちてしまった皇帝の元へと歩み寄り、非難のような、悔恨のような想いを込めて告げる。
非難したくもなるだろ。一度はその愚かさを罵りながらも、まだ利用価値があると認めこの足で訪ねた相手が、バカなコト重ねているんだから。
ほんの一瞬でもその光景を見せつけられただけで、胸の奥が圧迫される心地さえ覚えてしまう。苦しいのは俺じゃない。コイツが勝手に苦しんでいるだけ。俺が感じるべき苦しみでもない。なのに、こんな。
「……っ」
悔しそうに俺を視ていたカイザーもまた、そのカオをいっそうくしゃりと歪めてしまった。そんなカオしたいのはこっちの方だと身勝手な思考を浮かべてしまう。
「……こんなコトしてる暇があるなら、自分の部屋くらい片付けろよ」こんな言い方しかできない自分も、少しだけ嫌になった。
「……は? へ、や……?」
「……何の本だか知らねーけど、何冊も散らかして……」
それが、カイザーの部屋の中身。
大きな本棚一つ分の中身全部を乱暴にかき出したように、床一面が不規則に散らばる大量の本で埋め尽くされていた。中身のない立派な本棚の存在にまで気付いてしまえば、直感したその印象が補強され、いよいよ悪意的に荒されているように感じてしまった。
開け放たれたままの本棚のガラス戸、そこから覗く空洞が、妙に暗く思えてしまった。扉がゆらりと微かに動いている光景が、酷く歪で不気味なもののように視えて、こみ上げる戦慄に嘔吐きかけさえした。
今日の試合で凛に感じたモノとは似て非なる異様。あのときは「理解『できない』」という本能的な忌避がひとりでに呼び起こされていたけれど、カイザーの部屋に感じたのは、「理解『したくない』」「理解『してはいけない』」という、本能的な警鐘を挟んで生まれる忌避だった。
凛の動作を初見で理解できなかったのは、アイツが本能的な破壊衝動に全賭けして生きる、未知のモンスターにも等しい存在だったからだ。カイザーの部屋にあったのは、そういうバケモノじみたものじゃなくて——もっと、人為的な悪意、だと思う。何か喩えるなら——心無い強盗犯が無理矢理に押し入って、暴力と強奪の限りを尽くし、荒すだけ荒らして去っていった後、のような。モンスターと比べてしまえばずっと普遍的な脅威、けれど理論も予測も役には立たない理不尽な暴悪、だからこその恐怖。化物への畏怖とは異なる、同じ生物であるからこその嫌悪。
そんな感覚が俺を圧し潰した。あれほど誇っていた頭脳が「進みたくない」「ここにいたくない」という思考しか弾き出せず、部屋を訪れた目的なんて一切忘れ、逃れることだけ身体に命じてきた。
この脳が出力してしまった答えになら、「秀才」の身体は従順になってしまうけれど——今思えば、すぐさま逃げるような真似なんてせず、部屋の主を探すくらいのことはしても良かったし、すべきだった。
できなかった理由が、あるとすれば——。
(……。……あんなトコに、いてほしくなかった、から……?)
アレが、カイザーの部屋だと認めたくはなかった。祈りにも似たその想いに、冷静さが部分的に描き変えられてしまっていた。
実際留守だったので、結果的に誤判断にはなっていない。しかしその本人は、別の場所でもっと悲惨な荒れ方を起こしていただけだったが。
「……ああ……。何を言ってんのかと、思えば……」俺の追及をようやく自分のコトとして理解したらしいカイザーは、その行いに無自覚的でさえあるようだった。
「……別に、いいだろ。どうせ、明日には全部まとめて出ていくんだ。……お前には、関係ない」
「…………」
全くもってその通りだ。敗者がどれだけ荒もうが、勝者が責任を取る必要なんてないし、取りたいだなんて甘いコト、コイツ相手に微塵も思っていないのは絶対に確か。
なのに、どうして。——俺が、否定された気分になる?
「……関係ある、って言ったら? ……お前に逢いに来たって、言ったばかりだよな」
否定されて攻撃的になって、だけどそんな自分の全貌だって分かっていないまま。俺にも関係があると思い込んでいるとしても、どうして? たった一つの、この用事だけで?
「……それは、それは。……クソ光栄、だな……」
その場に座り込んでこちらを振り向いていたカイザーが、両の手を地につけた姿勢のまま、緩慢に動いて向きを変える。肩越しじゃなく、正面から俺を見上げるための角度へと。ぐらりと傾きかけた上体をどうにか保ち、やっと俺を捉え直す。
「で……? ……何しに、来た?」
「——」
渇き切った咳交じりの力ない声は、潰れかけの声帯から辛うじて絞り上げているようだった。眩暈に襲われているかのように揺れふらつくのを隠せてもいない身体を起こしているのも、顔を上げるのも辛いハズだ。なのに、自分を見下ろす俺を直視した。
「俺を、どうするつもりだ」
そして、そう毅然と言い放ったのを最後に——恐らく意図的に、ガクリと頭を垂れさせた。
鋭利な敵意を込めて俺を睨んだ眼に、逃げ隠れの意思なんて欠片ほども宿っていなかった。——震えを帯びた声で続けられた言葉にも、自ら選んで膝を折った姿勢にも、微かに揺れていたその眼にだって、怯えと諦めが色濃く滲み出ているにもかかわらず。俺への憎悪を絶やすことなく燃やしながら、その俺の手でさらなる制裁を受ける瞬間の訪れを一切疑わず、甘んじて受け入れようとしている。罰せられる側としての自分の立場を、痛々しいくらいに決然と理解している。
まるで。——まるで、罪人のような佇まいだと思った。王に歯向かい捕らえられ、敵愾心だけ残されたまま斬刑に処されるのを待つしかない、強く惨めで、気高く哀れな大罪人。
同じ敗者だとしても、ネス——アイツはまだ、立って俺と向かい合っていたし、勤勉無礼な態度を保っていた——よりもずっと無力な存在に徹している有様。立つコトも顔を上げるコトもできないほど重く暗い絶望に囚われ、それを良しとしている姿。今この眼に視える事実が、俺にそんな印象を与えていた。
(それもそっか……)
進化を遂げたネスとは違い、コイツは自ら転落し、独り負けしたクソ道化。自分が堕ちたその立場も、俺が突き付けてやった敗因まで含めて、カイザーは痛いくらい自覚してるだろう。怯えも諦めも、多分そのせい。罪も敗けも理解しているから、強く正しい勝者を前に膝をつき、被支配者の振る舞いをする。非力を悟った被食者のポーズを取る。
「…………‼」
ぞくり。どくり。——背筋に奔った痺れるほどの冷気が、熱気へと瞬時に変わる。熱くなった血液が、身体中を駆け巡って満たしていく。
さっき、ネスと話していたときにも実感したのと同じ高揚——いいや、今は道化(カイザー)本人を、俺に屈する姿そのものを眼の前にしているから、試合直後のフィールドで覚えてしまった脳汁体験までもが蘇る。
(やっ、た——‼)
カイザーに勝つ。カイザーを頂点から引きずり堕ろす。〝新英雄大戦〟に身を投じたときから掲げ続けた望みを叶えて〝新英雄〟になった! 俺の論理はあの完璧な皇帝をも捻じ伏せて跪かせた、心身共に屈服させた!
今の俺がコイツに何をしようとも、きっと、誰にも咎められはしない。皇帝さえ意のままにできるほどの自由が、この手に——!
(ああ、そうだ……!)
実際に、手中に収めていた戦利品。カイザーを負かした証である鍵を、視界情報ごと潰す勢いで確かめたくて握りしめる。
——気持ちいい、気持ちいい、クソ気持ちいいッ!
「————」
ずっと手の中にあったにもかかわらず、小さな鍵は未だ金属の冷たさを保っていた。
鋭い先端部分の感触が、握った勢いの反動となって、手のひらに喰い込む痛みになった。
(——違かった、よな……)
No.1の座がもたらす快感も、強敵を論理で叩き潰したことによる脳汁体験も、全部——戦いを終えた直後じゃなく、カイザーを見下し契約終了を告げて以降に得たモノだった。カイザーに喰い勝てた事実が、快感の大きな一端になってくれたコトは間違いない。だけどラストゴールを決めた後、カイザーに対して真っ先に抱いた感情はそれじゃなかった。
極上の優越感でも、望み続けた勝ち誇りでもなく——この鍵のように、もっと冷ややかで、棘のあるモノだった。
『最後の最後で、俺を……俺との契約を破り捨てた、クソ道化なんかと』
——コレだ。氷織には打ち明けた、過剰なまでの侮蔑。
「秀才」のクセに。誰かへの執着を捨てての進化だって、俺より先に遂げていたクセに。また誰かを特別視する同じ失態を犯して、ゴールを逃したクソ道化、と。冷淡に敗因を突きつけ、冷酷にトドメを刺すコトだけ考えていた。そこにあったのは温度を失った憤りと蔑みだけ。脳を焦がす〝熱〟なんかなかった。
(なくて、クソ当然……)
「計算通りに勝つ」という俺のエゴは〝フランス〟や〝凛〟、それから〝ネスの「覚醒」〟に対してこそ叶ったかもしれない。——ただひとつ、〝カイザー〟への勝利だけが、そのエゴとは正反対のカタチをしている。「契約」を反故にしたカイザーの行いは、俺の「計算」への否定でもあったからだ。よりにもよって、「秀才」同士として選んだ契約相手が、「秀才」であることを放棄して転落するとか、予想していなかった。
そんな計算なんて、俺は、少しも。
そうして想定外の成就を迎えてしまった敵意は、戦場を降りてなお尾を引く嫌悪と軽蔑になってしまった。
「……っ」
でも、その私情も捨てると決めて、新たな目的のためにここを訪れたんだ。優越感も陶酔感も今浸るべき感覚じゃない。
「……あの、さ」
こみ上げてくる複雑な想い全部、ぐっと堪えて口を開く。今、最初に選ぶべき言葉なら判断できる。俺の目的より優先した方がいいよなってコトも含めて。
「……今のお前相手じゃ、何もできねえよ」
「は……」
ひとまず、コイツをどうにかしないと。肩を上下させて呼吸するのが精一杯で、掠れた声しか出せないヤツから、話なんて聴きたくても聴けるもんか。
「……。……バカじゃねえの……」
口にするかどうか逡巡した末、それだけは言ってしまった。
あれだけの激戦の後だっていうのに。ろくに休みもせずに。練習だけはないだろうと思っていた愚行を、よりにもよって。激怒や後悔を散らす手段だったとしても——自傷だろ、それ。
まだお前はお前を堕とすのか。感情こそが敗因だったと理解させられておきながら、その感情によって今度は自分自身を貶めるのか。——お前はどこまで、俺とお前を冒涜すれば気が済むんだ。他でもないお前が、どうして。
そんな憤りのようなモノの全部を、俺の中に留めることはできなかった。
「だろう、な。クソ愚かだろ。誰、よりも……」
「……」
分かっていてやってるからバカなんだろ。学習しないのかお前は。——とは、言わないでおいた。ここまでくると、カイザーなりの目的が他にあるんだろうかとも思ってしまう。
(……こーいうコト、するんだな……)
聡明も怜悧もかなぐり捨てて激情に呑まれた様に呆然とさせられる一方で、心のどこかでは納得を覚え始めていた。
俺に執着したせいで、強引なプレーに走ったとき。ネスを特別視したせいで、ラストゴールを逃したとき。——もう二度も目にしている。カイザーの論理次元の高さそのものは疑いようもない。だけど、さながらその反動のように、一度感情に憑かれてしまえば存外脆くて、修正も非常に困難。そういう性質の持ち主でもあるのかも。
「……」
本の散らばる部屋を思い出す。アレもまた異様な光景だったけれど、単に部屋の主が散らかしただけ。それを察すれば、何に怯えることもない。強盗に侵入られたようだなんて、過大な印象だった。
ただ、他のモノ——小物類からイスやソファといったインテリアまで——は無事で、荒されていたのは本棚だけってことは少し気になるかも。やっぱり、単なる八つ当たりじゃなく、何か明確な目的があったのか? 何の本なのかは分からなかったけれど、あんな状態で放置していても眼を通していたのか?
(……だと、しても……)
あの蹴撃の威力が損なわれるほどの練習を自分に課すくらい疲弊しきった脳が、何を得れるっていうんだ。こんなの、肉体も精神も追い詰めて、自分を殺すだけの——。
(! 待てよ……。……自分を、殺す……?)
『ここから戦場上では自我を捨てて、勝つための最善のマシーンになる』
「契約」を持ちかけたとき、カイザーに語った言葉が脳裏に蘇った。確かに俺も、そういう在り方を掲げていた。
(……いや。同じようで、少し、違う……)
俺は勝利という結果を得ることにのみ固執して、自分の感情は全て捨てて、使えるモノは自分であろうと敵——カイザーやネス——であろうと使うと決めただけ。でも今のカイザーは、まるで自分自身の何もかも、これまでの全部を破壊しようとしているみたいだ。執着を失くしたこそあらゆる手段を拾えるようになった俺と、あらゆる全てを捨てられるよう躍起になっているカイザー、そんな乖離を感じててしまう。
俺たちは——明暗が分かれるまでは、対等な契約関係でいられた。だからカイザーの必要以上に惨めな振る舞いは、その事実さえも踏み躙って無かったコトにしてる気がする。
(——許せない)
何に対してか分からないままそう思って、歯噛みしていた。
それに、もしかすると直近の過去に留まらない話かもしれない。まるで——俺が、俺の「勝利」への飢餓さえも、自分の手で消し潰そうとしているかのような姿だ。
(……! そんな、こと……)
——この先また壁に当たることがあったら、俺も、こんなふうにならなきゃいけないのかな。
「自我」だけじゃなく「自分」さえ、一番大事な願望ごと否定するくらいの勢いで、叩き潰さなきゃいけなくなるのかな。
カイザー。これが、お前のやり方なのか? 自分をひたすらに傷付けるコトが、「秀才」そして「道具」であるための条件なのか?
既存の思考を何度壊しても〝適応〟し続けること、時には捨て駒に徹してでも勝利に至ることと、得るモノのない果てない苦しみに身を置き続けることは、全く別の話じゃないのか?
「……ちょっと、待ってろ。……すぐ戻る」
踵を返し、だけどそれだけは告げて。人工芝を踏みしめ、練習場の入口に戻る。
「……」
カイザーは顔を上げていないままなんだろう。自動ドアが滑らかに動き出しても、背に視線を感じることは終ぞなかった。
ドアは淡々と俺を通し、そして何事もなかったかのように、音を立てることなくまた閉まる。一連の機械的な動作は、隔てられてしまった空間で独り荒れていたであろうカイザーよりもずっと静穏で馴染み深いものがあって、少し気が楽になる。
——カイザーが決して感じていないであろうその安堵を自覚した途端、カイザーから呆気なく弾かれた気分にもなったけれど。
「…………」
カイザーを、フィールドに置き去る追憶も味わっていた。
今は一度目よりもずっと暗くて冷たいフィールド。その、せいか——そんな場所にカイザーを閉じ込めてやったような感覚が、一度目よりも強くなってしまっていた。