Novel/BLL-潔カイ

危険物(全5ページ/5ページ目)

『カイザー、自虐に味しめるの良くないよ。世一だって……いや、僕が悲しみます。キミがまた世一に手を焼いているなら、今度こそ僕が世一を抹殺するから』
『だぁー! さっさと腹括って告白する打ち明ける、OK? ミヒャにもよーやく、素敵な出逢いが訪れたってコトだろぉ?』
『潔世一に執着しすぎるなと何度も言ったハズだ。執着のあまり迷い続けるくらいなら、諦める・・・覚悟を決めるんだな』
 

 世一と引き分けてからの翌日以降、すぐに延長戦の開始を申し入れるコトはできずにいた。その代わりかどうかは自分でも分からなかったが、気付けば第三者を捕まえては見解を述べさせている。もちろん、世一からの理想視好意や俺のクソ過去を含めた詳細は伝えていない。さらに言えばクソ指導者に至っては俺が意見を求めたワケじゃなく、向こうから突然言ってきた。クソ迷惑。
 第三者からの情報を蓄えながら決戦に備えているつもりではいたかもしれないが、その実決戦までの時間稼ぎをしているんじゃないかと思えてならなかった。その蓄えの中に、参考になりそうな価値観や腑に落ちた考察は一つもなかったので。——野良犬は野良犬であってこそ。悲しみたいなら一人で泣いてろ。あと世一の抹殺権は犬にくれてやるような代物じゃない。——電話越しの間延びした声と楽観的な台詞だけでも、悪趣味に光る歯が脳裏にちらついて腹が立つ。金だけで望むモノ全部手に入れたクソ成功者のお気楽な理論は、クソ物には決して響かない。
 ヤツらの心情を捉えるのをやめてしまえば、「世一に話すな」という犬の諫言と「話してしまえ」という金歯の勧告は明確に真逆という事実だけが浮き彫りとなり、俺が分かりやすい二択を迫られているという状況がクソ鮮明になる。——そして再戦を先延ばしにしているという現状は、その二択のどちらも選べていないという現実まで意味している。俺はどうしたいのか。どうすべきなのか。助言者として選んだ相手に、何を期待していたのか。——強いて、述べるなら。ネスの示した選択肢の方が、クソ魅力的。しかしそれでは世一を退けられないというコトも理解していた。俺という存在は、安易で自由な道を選べないようにできていた。ロレンツォの意見を採択して、ロレンツォの楽観とは真逆の未来に進むしかない。分かっては、いる。

(世一がもう心変わりしていて、賭け自体が自然消滅していたら……)

 世一も再戦の申し出をしては来なかったから、その可能性だって当然考えた。何よりそうなってくれたら一番楽で、全て丸く収まる。——しかし期待むなしく、何事も俺の都合の良いようにはいかないのだと、毎日思い知る。練習の前後とか、ミーティングの間とか、それから試合形式での練習中に、対戦相手を手玉に取って出し抜いたり、ゴールネットに衝撃波を叩き込んだ瞬間とか。そういうとき、物言いたげで、けれど俺の様子を窺うに留めている、クソ熱烈な視線を決まって感じていた。
 世一も第二戦に勝つための新しい理論武器を創り上げている最中で、俺の宣戦を警戒しているのかもしれないし、あるいはその理論武器をとっくに完成させていて、俺を待ち構えようとしている可能性だって。世一の新兵器がどのようなモノであるかは予測できていないが、「理想」への幾千の美辞麗句、世一自分はそんな「理想」に見合う男だと主張する幾万の甘言蜜語——どうせ世一が切れる札の何もかもが、俺の告解一つで「理想」共々ゴミとなる。分かりきったその未来のおかげで、予測の手間も省けるというもの。——そして、負け戦のために練り上げられそして砕かれる運命にある世一の理論も、こんな「理想」なんかのために思考を割く世一も、クソ哀れに思えた。
 何にせよ、世一には一時停戦からの暗黙終戦に持ち込む気はなさそうだ。だったらクソ無駄な戦闘準備を終えているかどうかを考察したところで意味はなく——願望としては、世一にクソ無駄を重ねてほしくはないから終えていなければいい、いっそ何も備えていないでくれ——、そして、世一が仕掛けてこないのなら。

(俺の方から、トドメを、刺して……)

 結果の分かりきった意味のない戦いは早く終わらせるべきだ。終わって、ほしい。

(……諦める覚悟、か……)

 ネスの心痛は他人事で、ロレンツォの祝福は不愉快。そしてノアからの忠告も同じく不愉快なモノでしかなかった。喩えるならば小さな棘のような質であり、それに喉元の肌を刺されて続けている。
 ヤツがどの程度俺たちのコト、そして俺のコトを察しているかは知らない——それが詳細であればあるほどクソキモい——が、一体何を指して「諦める覚悟」と言ったのか。捕まえて問い質すのが手っ取り早いが、ノアに助力を乞ったところでどうにかなるとも思えない。仮にクソ的確な啓示をいただけたとしても、「クソゴッドごときが語るな」と、この件において全く必要のない余計な私憤を獲得してしまいそうだ。なので自力で考えるしかない。諦めるモノ、失うモノ。

(いくつもありそうだが)

 まず間違いなく、世一からの理想視好意。バスタード・ミュンヘンのエースのひとりとして扱われる程度には保てている、ニンゲンのフリ。野良犬の精神的平穏。嫌いな元同業者の期待。——どこかのガキが月を見上げ語った、バカげた願望。

(……そんなモノ)

 〝新英雄大戦〟でクソ潰され、それでも再起を果たそうとして。忘れもしない一連の出来事の中で、とっくに捨てていたモノじゃないのか。
 ただ一つ欲するモノのため、他の不要要素は全て捨てる。その精神マインドもまた、あの戦いで学び、今日この瞬間に至るまで一度も錆び付き枯れ果てるコトはなかった鉄の掟。俺はただ機械的に、合理的に、その掟に従うだけだ。今度こそ、無感情の道具マシーンであれるように。ニンゲンが享受するような幸福なんて、何一つ得られはしない「クソ物」であれるように。
 今の俺が手に入れたいただ一つの結果なんて分かりきっている。——二度と、世一に肯定されてはならない。世一に心を許してはならない。あるべきその関係の確立。気付けば長期戦になってしまった論戦の〝0〟に——理想視への反発動機に立ち返れば、惰弱な躊躇なんて軽々しく破壊できてしまえそうだった。俺の〝0〟阻害するモノは何であろうと容赦しない。等しく、諦めてみせる。
 ——たとえそれが、本当に欲しいモノ自由と愛だとしても。不自由なクソ物の真の望みは、最期の瞬間まで叶ってはいけないのだから。

 

「自主練クソおつ~。お疲れのところ留まらせてしまってクソすまないな、世一ぃ」
「お前だって最後まで練習して残ってたクセに。ロッカールームに入ったタイミング同じだったろ」

 晩方のホームグラウンド。練習着からジャージ姿に変わっていた世一は、静かな戦場に立ち軽いリフティングに及んでいた。
 ——世一とクソ物が戯れている様は、郷愁めいた感慨と、すぐにでも止めなければならないという危惧、相反する印象を放つ光景だった。俺の呼びかけに応えた世一は蹴り上げた球を両手で抱き留め、戯れを止める。傷や擦れがつき始めて少しだけ薄汚れた球を、ほとんど無意識に見つめていた。
 決意を固めてすぐ、人一倍の自主練を終えたばかりの世一と運良くカオを合わせることとなった。シャワーと着替えを済ませたら残るようにと伝えたところ、そのときロッカールームでは数名のチームメイトが談笑していたのを理由に、フィールドに赴くコトを提案したのは世一の方だ。いつも通りの「業務連絡」じゃなく「延長戦」が目的であると、俺が告げるまでもなく世一は察したんだろう。——言葉は論理を表すのに不可欠の道具である一方、ニンゲン特有の文化でもある。そして世一とは時としてそれを用いずとも意思疎通を叶えられた。世一のそういうところが嫌い好きだった。

「身構えるな、そう時間を取らせるつもりはない。俺が先手を打って、それで終わり」
「〝俺の知りたかったコト、前回、教えられなかったコト……全部教えてやる〟……だったな」

 自嘲の説明を求められながらも、俺が応えないまま——応えるコトを恐れたから——インタビューを口実にして無理矢理「引き分け」にした一戦目。世一にとっても不本意な停戦だったに違いない。不自然に黙秘し続けたその回答をようやく提示して、世一の心残りに報いてやるという提案を前提とした再戦の誘いに、世一は多少面食らったようだが二つ返事で喰いついた。
 そして世一の疑問に答える対価として、俺からは「先手」の権利——つまり、論戦は俺の話から始めるコトを要求した。俺が切り札を切れば済む勝負だから、世一に札を切らせたところでクソ無駄だからだ。すぐにでも勝負を終わらせるための合理的判断であり、クソ徒労を背負う世一へのせめてもの慈悲であり、これ以上世一の想いに振り回されたくはなかった俺の都合。
 ちなみに俺は世一の質疑応答を受け付けたというよりは自ら全てを明かす心積もりでいるので、一対一であるかのような交換条件は、実際にはどちらともが俺の優位——ある意味では劣位——を創り出すための舞台設計となっている。

「ああ。……二言はない」

 呼び出し。交換条件。そして世一からの確認を首肯しながらの宣言。後戻りのできない道を着々と前に進んでいる感覚がする。来た道を閉ざすコトを、自分自身に課している。

(……少し、違うか)

 道を閉ざすんじゃなく、寧ろ逆。その全てを世一の眼に晒すのだから。代わりに閉ざし手放すモノがあるとすれば、俺を形作った道程そのものじゃなく、そこに上乗せされてしまった、世一からの想いだ。
 それで、いい。それが俺の目的で、勝利条件。その勝利を目前にして躊躇うなどありえない。ここで語彙の限りを尽くし前置きを述べたところで冗長な表現にしかならないだろう。後退も停滞も望みはしない。俺は——。

「……カイザー」
「世一」

 毅然と響かせた声でその名を呼び、咎める。先に口を開く権利は俺にある。たとえ意味のない前置きでも、世一に許してはならない。

「そうじゃなくて」

 咎められた世一は眉を八の字——この表現も、密かに日本語を学んでいたときに得た知識——にして、首を横に振る。双方合意していた俺の権利を侵害するつもりではないのだと、必死に主張しているようだった。

「……その話、またにしないか?」
「——は?」

 あろう、ことか。俺が断つと決めた退路を、世一は俺に与えようとしている。
 ——いや、そう捉えるのは先走りすぎかもしれない。

「何だ、世一……怖気付いたか?」
「……そうかもな。お前の顔色視れば、ロクでもないコト言われるんだろうなって予想くらいはできる」
「……顔色?」
「気付いてないのか? ここに来たときから……いや、俺を呼びだしたときから、顔面蒼白だったけど」
「……ふーん……。スポンサーが寄越した日焼け止めがクソ効いたのかもな」
「あのなぁ……」
「しかしクソ困るな。『この話』を飛ばされてしまうと、俺が今持ち合わせている武器がなくなってしまう。だからおいそれと停戦を呑むワケにはいかないんだが。……そうだ世一、お前が降服して諦めるって言うなら、やめてやるよ」我ながらクソ名案だと、祈るように称えたくなった。「お前を負かすための話なんだ。結果が先行してくれるなら、わざわざ語る必要もなくなる」
「それはできない。退ける勝負なら、最初から仕掛けてない。それに、今の口振りが本当なら……どうやらソレが、お前に残された唯一の勝ち筋らしいな。だったら聞き届ける意味がある。ソレに耐えさえすれば、俺の勝ちだ」
「……そうか。……クソ愚か」祈りなんて、届くハズもない。負けず嫌いの世一が承諾するとは思えない交渉をして、奇跡的に示された最後の退路も自ら潰した。「……残念だ。俺を追い詰めた気になっているクソ世一。その慢心が、お前の『不可能』を招いているとも知らずに」
「追い詰められた皇帝の強さを、俺が忘れるものか。……ただし、お前こそ後悔すんなよ、カイザー」
「……ふふ。そんな覚悟、とっくにしてんだよ……」

 今更の忠告。思わず零した笑みは酷く渇いていた。

「振り向けば後悔するようなコトばかりだって言ったら? 何せ、生まれたコトへの後悔が、最初の物心だったもんで」
 

 根源的な後悔を前口上として、洗い浚い全てを語った。
 父と母の話。馴れ初めから結末へ至るまでの詳細や感情こそ不確かな推測や想像となってしまう。ただ最も確かで疑いようもない唯一の事実は、彼らの間にもうけられた子供が、望まれた生命ではなかったというコト。
 母に捨てられた後の、父と子供の話。父が施してくれた「英才教育」で培えるモノ。幼子であろうとも薄汚い窃盗の常習犯プロになれる技術。理不尽に殴り飛ばされ蹴り倒され踏み躙られ首を絞められ、何度骨を折り息ができなくなっても絶命できない肉体。固有の名をもって肯定されながら息をする生き物ニンゲン、なんて立派な存在には遠く及ばない無価値な存在として、そんな己に相応しい不自由を受け入れる他ない「クソ物」の精神。
 「共同体クソ物」の話。——コレはミヒャエル・カイザーの悍ましい生で唯一存在できてしまう美しさなので、できるだけ手短に。父の命令からは外れたそいつ一つ手に入れるために自分の意思で重ねた窃盗、その金に換えるためにつるんでいた悪人たち、出入りしていた薄暗い路地裏、それらの挿話の方を強調しておいた。防御的な小細工の意図だけじゃなく、治安の良い国で清い人生を歩んでいたであろう世一には、鮮明な犯罪の話を——この手がどれだけ汚れているかというコトを語り聞かせるのが効くだろう、という攻撃的な打算もあった。
 世一の好きなサッカーと俺が手を染め続けた犯罪を結び付けるほどに心臓が鳴った。抵抗しようと暴れもがくような鼓動は、世一を着実に傷付けていく実感による高鳴りなのだと思うコトにした。
 十五歳を迎えて、もう一つ増えた罪科の話。さすがに強盗が免罪だったという弁明はしてしまったが。それでも、球を壊そうとした父の頬を右脚で薙ぎ払い、そんな俺を取り押さえようとした警官七人のコトも続けざまに蹴りと球でひれ伏させた——という事実を過剰防衛だと思ってもらえれば、弁明分は取り返せるハズだ。ニンゲンとは相容れない、醜い暴虐者だと思ってほしかった。

「————」

 話し始めたときから、世一のカオは視れていなかった。代わりに、世一の首から下を映した視界の中心で、その両手に抱えられていたサッカーボールが落ちるのを視た。
 視界情報の些細な変化のおかげで、クソ実家を出るまでという区切りの良い部分まで話し終えていたコトに気付いた。落とされたサッカーボールは力なく転がり、俺の足元を目指して芝を這う。

(……終わった)

 世一がサッカーボールを手放した光景の意味を理解する。
 世一はもう俺に触れない。俺を求めない。悪しく惨めで汚れた存在を、最早「理想」と言い張れはしない。読み通りだ。俺の——

「……結局すぐに釈放された後は、能力を買われてミュンヘンに連れて来られたんだが……」

 拍動の音と、警鐘の幻聴の聴き分けができない。——もう俺の勝ちは決まったのに、俺はひとりでに第二幕を始めようとしていた。
 これ以上語って何になる? どうしてこんな、無駄なコトをしている? 世一にさらなる絶望を与えてやりたいから? 「理想」の醜い真実を、徹底的に思い知らせてやりたいから?
 「理想」なんかじゃない、「クソ物」のミヒャエル・カイザーの、全てを視てほしいから?

(……視るな……聴くな……!)
 

『カイザー、自虐に味しめるの良くないよ』
 

(ああ……)

 忠犬の鳴き声が、痛む脳に浮かんで溶け消えていく。俺はまたアイツを切り捨てて失敗するのか。
 献言も声にならない制止もむなしく、クソ語り手は歪んだ声で得意げに語り続ける。己の一挙手一投足で誰かを傷つける快感に、本能も理性も支配されていた。支配されるがまま、全部晒した。
 ニンゲンになりたいとあれほど願っておきながら、ミュンヘンに赴いたときには既に、ニンゲン特有の善意を解せない手遅れの状態と成り果てていたコト。差し出された食事を文字通り払い除けた経験は、食を重んじる日本人にとって、さぞ嫌悪を招く挿話となってくれただろう。
 悪意でしか他者と繋がれなくなっていたから、強力かつ無垢な個体を見つけて付け入り、心を侵食して服従させたコト。俺に真っ当な性質友情を教えてくれたかもしれないそのニンゲンを犬扱いして進めていった、数々の非人道的な仕打ち。
 そうして勝利を重ねるうちに気付いてしまった、ニンゲンを傷つけその夢と人生を潰すコトを己の喜びの全てとする、末期の快楽。それも、世間知らずの超新星、1.5流のベテラン、落ち目の元スーパースター——「クソ物」でも容易に勝てる相手だけを選んで耽ったコト。世一どころかあらゆるエゴイスト相手に語り聞かせるにはあまりにもクソ情けないその戦い方で、ニンゲンになれたと勘違いした自惚れ。獲物たちとの間に織り成した醜悪な英雄譚のうち、選りすぐりのモノも教えてやった。ヤツらの悲嘆に暮れる泣き顔とか、苦痛に歪む吠え面とか、絶望に跪く姿とかを、臨場感を交えつつ語った。——元演出家の父が俺相手にやったコトと、何ら変わりのない「存在証明」。
 自惚れといえば、もう一つ。——少しばかり時間は飛んで、極東の監獄で過ごした春の盛り。自由と肯定感に溺れた末に、全世界に晒した生き恥。ここまでの話とは違い、眼の前の相手もよく知っているハズの物語だから、あまり多くを語る必要はないだろう。ただ自業自得・因果応報であるがゆえに一連のオチとしてクソ有用、かつ俺を「理想」呼ばわりする相手が忘れているかもしれない話だったので。

「……すまないな。想定以上の長話になってしまった」

 今度こそ、自分の意思で幕を下ろした。切れる手札がなくなったので、下ろすしかない。
 内心の抵抗はどこへやら。終わってみれば、この第二幕も必要だったと無感動に認識した。クソ実家を出るまでの第一幕で済ませようとする判断は、勝利を目前にしての慢心であり、そしてこの期に及んで己の凄惨と悪行を隠し誤魔化そうとする甘えでしかない。——それに。

(今度こそ……。……今度こそ、クソ終わり)

 終わらせなければならなかったし、終わらせるつもりで決戦に臨んだ。——けれど本当は、終わらせたくなかった。世一との再契約なんて始めるワケにはいかなかったが、始まってもいないそれが、もう一度終わるのが嫌だった。だから第二幕を語るコトで、終わりを迎えるまでの、ほんの時間稼ぎをしようとしたんだ。
 言葉を尽くせば尽くすほど、共有される思い出真実によって、世一の「理想」は壊れていく。待ち受ける「終わり」はより確実なモノとなる。つまり自分のためでしかない「時間稼ぎ」は、その実自分の首を絞めているようなモノだったが——それでも、絞めずにはいられなかった。壊す悪意が前提でも、その間は世一との繋がりを感じていられる。クソ愚かだと自覚していたが、その愚かさだって晒すべきだろう。気高く聡明な存在なんかじゃないのだと教えてやるために。

「だが、まあ……せっかく、こんなに話したんだ。……俺が、人間以下のゴミであるコトを……何もできない、役に立たない、動物以下、汚物以下のクソ物である事実を、明かしてやったんだ」

 手札がなくなった以上、時間稼ぎはもうしない。世一からの反応を待たずに、こちらから終戦を誘導する。

「だから……全捨てしたプライドの、せめてもの対価として。感想くらい、要求してもいいと思わないか?」

 この状況で世一が発する「感想」は、何であろうと——どちら・・・であろうと、俺への処刑宣告敗北宣言になる。だから先手を打って、世一の反応を「感想」に限定させた。

「語彙も長短も問わない。思うがまま述べてくれて構わないぞ。言葉が思い浮かばないようなら、行動で示してくれたっていい」

 と、世一の自由を売り込んではみるものの。感想の内容は、どうせ二択だ。

「どんなカタチであれ、俺は、あるがまま受け入れよう。……軽蔑。罵倒。制裁。良心も容赦も、お前の『理想』を汚した存在相手にはクソ不要だ。怒りの全てを存分にブツけて、分不相応にもお前の『理想』を騙ったクソ物をお前の脚で踏み躙って、薄汚い詐称者への憎しみを少しでも晴らすといい。大丈夫、世一は『理想』を傷つけられた被害者側だ。だから正当な報復の権利があり……俺に、それを拒む権利はない。……生まれつき、な」

 思い出されるのは、やはり〝新英雄大戦〟の結末。あのときと同じか、それ以上の侮蔑をくれるなら。そうして世一への悪意を思い出させてくれるなら。それは俺たちのあるべき関係の復古であり、この戦いを経て行き着く俺たちの姿として、最良のモノと言えるだろう。ここに至るまでに余計な手間をかけてしまった気もするが、拒み続け、手を焼いた末の最終手段でそれを成せたとなれば、俺も俺の判断と行動を、少しくらいは誇れるかもしれない。

(……? ……でも——)

 俺は、あのときの屈辱と悲憤を、もう二度と繰り返したくなかったんじゃないのか? そのために世一を拒んだのに——拒むために、またそれを味わうコトになるのか?

「……それとも、ここまで苛烈な想いは抱けなかったか? だったら、それでもいい。……生まれつき醜く、汚れ続けなければ生き長らえるコトができなかったクソ物への、慈悲、憐憫、同情……。そーいう感情が湧くコトだってありえるだろう。消えない傷をどうにか繕う慰撫の言葉をかけ続けてもいい。可哀想にと涙して、壊れ物を扱うように触れてもいいだろう。——ただし、俺の生い立ちと境遇を聴いて思い浮かべたコトが施し・・である時点で、お前は俺を『理想』と見上げるコトはできていない。その眼差しはもう、非力な庇護対象を見下すモノへと変わっている! そんなモノが……クソ惨めな哀れみが、果たしてお前が貫き、叶えようとした恋情なのか……! よく考えて、自覚しておくといい……!」

 恋情の変質——本当に、そんなモノで済むだろうか? 無償の道徳をもって救済すべき悲惨な存在なんて、足元に視線を向けでもしない限り、視界に映りはしないだろう。それは、世一の真っ直ぐ・・・・な敵意を注ぎ受けられない、という状態も意味している。俺は、世一に敵視すらされない存在となる。
 前者のパターンにも言えるコトだ。倒す価値があるから敵対する。ひれ伏す姿を眼に焼き付けたいから睨み付ける。しかし、もう既に極限まで蔑めてしまう自分以下・・の存在と対峙して、価値の無いソレを視界に入れる——そんな、クソ無駄な労力を割こうとするか?

(「終わり」って、こーいうコトか……)

 「理想」を見上げる眼差しが世一からの好意なら、世一から見下される——その質が再度の侮蔑だろうと今更の憐憫だろうと——コトで、それを退けなければならなかった。退けても——世一の敵としてその視界に留まれるなら、それで良かった。
 だが結果はどうだ。正真正銘最期の手段と覚悟しておいて、最期に、密かにしがみつこうとしていた唯一の立場、それさえもめでたく失うんだ。世一と俺との間には、もう、何もなくなる。
 ——そりゃそうだ。〝0〟の俺には、宿敵ひとり保つコトさえ許されない。世一からの想い——世一への想いを拒絶する義務が生まれた時点で、全て失うコトは決まっていたんだ。

(……もっと違う生き方やり方が、あれば良かったのにな……)

 どうというコトはない。最後の日に思いを馳せる数多の後悔が、また一つ増えただけ。

「……ほら、さっさとしろよ。嘲りか、慰めか……! ああ、『賭け』の敗者になるコトなら気にするな。『賭け』の結果がそうだとしても……どっちが本当に惨めかなんて、分かりきってるだろ!」

 命懸けの挑発で急かしておきながら、世一のカオは視れていないまま。世一との間に佇む共同体だけを、縋るように視ていた。世一が手放し落としてしまったそれはまさしく、俺と同じクソ物に他ならなかった。

「……分かった。いいぜ」ずっと呼吸音さえ零さなかった世一が、ようやく口を開く。「言えるコトもやれるコトも色々ある、けど……。——まず」

 球を中心に据えて下げ続けたままの視界で、世一の足先が動く。数歩こちらに近付き、その左足を球に乗せた。

「……——ッ!」

 共同体が踏み付けられる光景に息を呑む。世一の動作、それによる演出——分かりきった意図と未来を示す視界が歪む。

「ソイツ、今どこにいる」
「……は? ……ソイツ? ……クソ誰」
「お前の父親」
「……え……」

 この状況で突如挙げられた第三者、しかもよりによってクソ親父。拍子抜け——というより理解が追い付かない。
 ——でも、嫌な予感だけはした。アイツの存在で良い予感など持てるハズない。

「……クソ知らん。家出て以降会ってねえし、連絡も取ってない。ウワサが耳に入るコトもなかった。……何もなければ、まだあの家に住んでんじゃねえの」
「そうか。まあ連絡取ってる方が問題だし、了解。ベルリンだったよな? お前、案内とか……いや、帰省なんてさせる必要はないか。近くまで……それか、住所だけ貸してもらえるか? そうしたら、俺一人でも行けるからさ」
「な、何……? 何で……?」

 世一は開口一番、クソ親父の所在を尋ねてきた。つまりベルリンの街や、俺の育った環境ではなく、クソ親父その人に用があるってコトだ。
 狂気ブッこわれた? 何だってあんなヤツに。——あんなヤツ、なんかに。

「ハッ……。アイツと共謀して、俺に償いでもさせてみるか? 別に構わないが……お前の手駒にしちゃあ、アイツは少々力不足な気もするが……?」
「あ? 何バカな予測してんだ。逆に決まってんだろ」
「ぎゃ、く——? おい、さっきからおかしなコト言ってんのは、お前——」埒が明かないやり取りに耐え兼ね、思わずカオを上げてしまったとき、だった。「——……!?」

 背後の夜空よりも粛然な黒で染め潰された世一の青瞳。そして虚ろに燃え盛るソレが、眼前の俺ではなく俺を通して別の誰かクソ親父を睨んでいるコトに気付いたのは。
 ——恐ろしく異質なその眼を、知っていた。
 

『黙れよ、お前の負けだろロキ』
『潔く負けましたって言えよ、たまたま足速く生まれただけの傲慢野郎が』
 

 ただの煽り合いや論戦とはワケが違う。「秀才自分」の功績を視ようともせずに尊大な捨て台詞を吐いた神童ロキへの、報復心を込めた激怒。
 捨て台詞がいかに耳障りな挑発だったとはいえ、自分に直接の・・・無礼を働いてはいない相手に世一がいきなり噛み付き、あれほど罵倒するとは考えにくい。三分というヤツの短い出場時間の中で何かがあって、その「報復」も兼ねていたと考えるのがクソ妥当だ。振り返ったところでクソ他人事だから、その程度の推測しかできないが。
 ——でも、本当に他人事だったろうか? そもそも世一は、ノアじゃなくアイツに、何かされていたか? あの試合のアーカイブは自戒のために何度も再生したが、そんな場面はなかった、気がする。
 

『カイザーインパクト遅っそ』
 

 クソ神にしてやられていたのは、むしろ——。

『お前の想像した……凛がゴールする未来を、俺とカイザーがブッ潰してやったんだ——』

 ——まさか。いや、ありえない。こんな思考、クソ自惚れにも程がある。
 ——だと、しても。世一があのとき自分だけじゃなく、契約締結以前・・の俺の名までなぜか挙げたコト。思えば驚愕こそすれクソ謎のままだったその噛み付き方、そして世一の度を超した激怒に、バカげた仮説を立ててしまえるなら。

世一コイツ——。……俺につけられていた傷に……怒って……反撃した、のか——!?)

 そうじゃ、なきゃ。

「言えないのか? カイザー。父親の居場所……お前の、実家の場所」絶句していた俺を世一が問い質す。しかしその冷罵の矛先は、やはり。「『別に構わない』んだろ? 俺が、お前をゴミ扱いしたクソ野郎と接触して——どうしようが」

 そうじゃなきゃ。——今この場で、俺への侮蔑でも憐憫でもなく、アイツへの憤怒に駆られている世一が、あのときと同じ——いや、それ以上の形相を浮かべているコトへの説明がつかないだろ。

(コイツ、本気で……!?)

 分からない。ベルリンへ赴く素振りは何かまた別の意図があっての演技《ブラフ》かもしれない。——けれどその憤りが嘘偽りのないモノで、かつ報復に必要な道程が明確に存在するならば、最終的な判断はどうあれ世一は「やれる」。世一は格上の神々ノア・ロキ相手に自分から楯突いた男だ。クソ親父一人程度、恐れるハズがない。

「……!」

 世一が、どんな手段での報復を目論んでいるのかは知らない。——けれど、クソ親父お得意の二択暴言・暴力のうち、後者を選んで報復を果たした存在も、知っている。
 

球の中こんなかにも……金隠してんじゃねぇだろなぁ!? クソ物ぅ!!』
 

 何度殴られ罵られようがただずっと耐えていたのに、その自分じゃなく、共同体が傷つけられるコトだけは耐えられなかった。抗ったところで手錠は外れず、己の運命は変わらないとしても、共同体それだけは守りたかった。何も知らないニンゲン共が触れるコトを許せなかった。

(——世一……!!)

 かつてロキに逆らい、今度は父に刃向かおうとしている世一は——あのときの、俺のようだ。
 ある特定の存在が脅かされるのを、自分のコトのように・・・・・・・・・捉え。本体自分が被る痛みじゃなく、「共同体」と見なしたソレを襲う脅威への怒りのために、衝動的な反撃に及ぶ。——「クソ物」と結びついてしまった者特有の生存本能。

「——ぁ……!」

 世一は未だ、左脚でサッカーボールを踏み付けている。だがそれは、俺を足蹴にするための動作じゃないと、もう理解ってしまう。——それは、キックオフの瞬間を待ち構えるFWの仕草。共同体こそを武器として、自分たちの敵を薙ぎ払うための臨戦態勢。——フットボーラ—になる前に、やったコトがあるから、理解る。

(俺と……同じ——)

 できる、のか? 世一に、あのときの俺と同じコトが。

「————」

 ——あらゆる器官パーツは、良くも悪くも主の生命維持を第一として働く。脳もその例外じゃない。生命に害を為すモノを回避すべく、ありとあらゆる危険性を、大袈裟に、そして優先的に知覚しようとする。
 でも、仕方ないだろう。たった一瞬、最初で最後の反抗よりも——十五年間、永遠に続いた被虐の方に、再現性を認めてしまうのは。そして、今このとき再現されてしまう被虐それの餌食となろうとしているのは、俺じゃなく、て。

「や、め——ッ! ——やめ、ろ、世、一!!」
「……! カイザー、……ッ!?」

 両脚はひとりでに折れ曲がり、膝から下は芝の地面に強打する。迸るハズの痛みは、危機に瀕した本能が遮断してくれた。

「頼む……! お願い、それ、だけは……! 壊さ、ないで……!」
「なっ、……!?」

 間髪入れずに両の手を伸ばした。世一が踏み付けたままの球、その側面を掴み縋る。——記憶をなぞった本能が命じる、命乞いの仕草。

「——世一それだけは、奪わないで……!」
「——」

 元はといえば世一のせいだ。世一が、クソ実家あんなところクソ親父あんなヤツの元に身を投じようとするから。
 世一が共同体を通してあの男の影を視ていたのなら、俺も、世一の背後にアイツの影を視るしかなくなる。俺の共同体を脅かそうとする、父の影を。

「——カイザー」
「!」

 俺を見下ろしていた世一が、片膝——左脚の膝を芝に下ろして目線を下げる。——その瞬間を逃しはしない。世一が解放された武器の所有権をさらに奪い上げるように、両手でそれを引き寄せ抱きかかえる。

「やめろ! お前が触るな!」世一がまた手を伸ばそうとしたから、怒鳴る声で竦ませ拒絶した。「クソ親父お前が……触るな……! 世一お前が、武器コレに手を出すな……!」
「カイザー……」

 球と世一の区別がついていなかったし、眼の前の世一と、その後ろに迫っているかもしれないクソ親父のどちらに言葉を向ければいいのか分からなかった。
 ——それでも。

「……クソ親父お前が……! 世一を、手にかけるなら!」
「!? おい、何やってんだ!! やめろ!!」

 武器は茨を纏わせるように左手で抱えたまま、右の手で首元を鷲掴む。そのまま喉元まで潰していくように、人差し指と中指を上向きに這わせ、脈に的確な圧迫を喰らわせた。
 いつもの自罰——英才教育の賜物である、力任せの絞首とは、違う。計算された暴力には、眼の前の相手に見せつけるためという目的が含まれている。
 ——クソ親父お前の相手はこっちだろうと、何度も絞められた急所を曝け出し、このクソ物の存在を証明するため。被虐、そして報復の権利を、世一から奪い返すため。

「ガ、ハッ、世、一お前が、クソ親父アイツ>のところ、行くくらい、なら……! ——共同体お前が、壊されるま、えに!! ——俺が、今度こそアイツを殺してやる!!」
「——!」

 正面から両手が伸ばされる。今度は共同体を害し、あるいは武器を我が物としようとする恐ろしい魔手じゃない。俺の首目がけて伸ばされる両手ソレは、見慣れた光景の一部でしかなかった。だから反応はしない。自ら望んで被虐者側に戻ったのだから、むしろ喜んで享受しよう。それで、本当に守りたい尊厳を——共同体世一を守れるんだ。
 ——俺が標的だと察した瞬間に反応も抵抗も放棄したのは、クソ尚早な誤判断だった。

「な……ぁ……ッ!? 何、すん……!?」
「こっちの台詞だろバカが!!」

 世一が握り掴んだのは、俺が晒してやった無防備な喉元じゃなく、それを指差して示した右の手。こちらの甲と手首をそれぞれ捕らえ、そのまま首の肌から引き剥がそうと挑みかかる。甲に重ねられた左手の白さ、そしてその指先だけが真っ赤に灯る様には、世一に似つかわしくない痛ましさがある。
 本来なら、世一のやっているコトはクソ無駄な足掻きであり、その目論見は不可能そのもの。両手を行使して全力を振り絞る世一に対しこちらは片手だけ、しかももう片手では球を強く抱えている分、実質持てる力の半分で抵抗しているようなモノだが、世一ひとりが相手ならあってないようなハンデだ。もう哀れなくらいに震えているその手の力が尽きるのを鷹揚と待っているだけでもいいし、振り払ってその体勢ごと崩してやるのもいいだろう。やろうと思えば、こちらから攻勢に出て、腕二本まとめて捻り潰すフリだってできるだろう。脅す手段だけでも、いくらでもある。——本来、なら。

「……! ク……ソが……ッ!」

 今は、「不可能」が覆る。

 イラついて殴ったり、思いっきり蹴飛ばしたり——それでも、本物の「悪意」に晒してしまうコトだけはできない。「共同体」って、そういう対象モノだ。

「——……」

 世一共同体の指先を視てしまった時点で、勝敗は決まっていたも同然だった。
 俺には知覚できない程度の痛みだったとしても、共同体が被る痛みとして可視化されてしまえば、「それ以上」の未来は否定したくなる。そのための最も合理的な手法は、「痛み」を与えようとする悪意をクソ潰すコト。あのときは、酒瓶を振り被った父への蹴撃で——今は、世一に敢闘を強いている俺の方からの譲歩。

「こ、の、馬鹿ぢか、ら——……」

 俺が突如抵抗を緩めたせいで、世一が試みた引き剥がしが今度は過剰な引力となる。右の手は首から離れるどころかそのまま世一の側へと引っ張られ、そして世一自身も、己で施した力の作用に耐え抗う間もなく。二つの身体は、芝の地面に打ち付けられた。俺はせめて身体を少しだけ捻り、世一を下敷きにするのを回避して、傍らに倒れるくらいの抵抗はしたが。抱えていた球は倒れた拍子に茨の腕から落ちてしまったが、どこかにいってしまうコトはなく、視界の端——世一と俺との間に留まってくれた。

「……ったく、クソ狡猾……」

 ようやくの休戦に浸るような呼吸をしながら、世一が俺を視て笑う。俺が父・世一クソども相手に叫んだ宣戦の動作ムーブを完璧に阻止したクセに、その晴れ晴れしい笑みにはどこか悔しげな色が滲んでいる。

「そんな実家トコに、帰すワケないだろ……。なのに、俺の身代わりになるような……お前自身を人質に取るようなやり方しやがって……。おかげでこっちも、特攻なんて、できなくなる……」
「……ひと、じち?」
「あー……お前、自認が人間ヒトじゃないんだっけ。じゃあ何て言えばいいんだろ……」
「クソくだらな……。別に人質ソレでいいだろ、他の表現とかクソ知らん……」
「はは……。そーだな」

 人質。——俺もまた、父との再びの対峙に望もうとしていた。世一の眼に、そんな俺は「人質」として映ったのか。——世一を虐げようとする父の手を幻視して「身代わり」になろうとした俺も、世一をそう捉えていたんだろう。あのときの「人質」が球で、今回が世一。
 本当に、同じなんだ。俺たちは憎み合い蹴落とし合い諍い続ける間柄。なのに互い以外が相手に理不尽な悪意を向けるコトに決して耐えられず、その瞬間何もかも——相手への悪意さえ——忘れて、邪魔者への殺意と報復に心身を焦がす。

「……っ」

 皮肉を交えたとしても、世一のように笑おうとは思えなかった。世一の報復をやめさせるという俺の要求こそどうにか叶ったかもしれないが、そうして休戦し冷静な思考が徐々に戻るにつれ、また別の勝敗をやはり自覚してしまう。世一が要求を呑んでいた以上、先ほどの力比べで譲った勝ち自体は問題にならない。ただ、要求の通し方——理由の示し方。そして「譲った」という行為に現れているような精神性こそが、クソ失点。
 ——俺はまた、世一を同類理想視して、世一への悪意を忘れてしまった。

「そのカオ、視る限り……。『賭け』は……俺の勝ちってコトで良さそうだな」

 こちらの思考など掌握してしまえる魔王様が、横たえていた上体を悠然と起こした。俺は起き上がる気にもなれなかったから、また、世一に跪く光景シーンの出来上がり。——繰り返したくはなかったのに。

「俺の凶行を止める理論も手段も、いくらでも用意できたハズだ。俺は具体的にどうこうすると語ったワケじゃねーが……お前が『クソ親父を殺してやる』と宣戦したってコトは、俺の殺意を汲み取ったんだろ? だったら法律やら倫理やらを思い出させてやるのがクソ無難。俺が返り討ちに遭う可能性を危惧するなら、戦場フィールドに立てなくなるぞって真っ当な脅しもできただろうな。そもそも、お前がクソ実家の場所を俺に教えなきゃ済む話だし」

 言われるまでもなく分かっている。意図的に世一を傷つけ、それが通じないとなれば今度は自らを貶め、「理想」なんかにはそぐわない価値を露呈させる。世一の理想視好意を否定する手段は、ここまでずっと理性と合理に基づく理論だった。本心がどうであれ、それを完璧に装えていた計画だった。——その計画から、大きく逸れるコトを免れなかった。俺にとって「共同体」と想える存在は、それほど——。

「けれどお前はその賢さスペックをフルに使って、凶行を未然に止める手段じゃなく、起きてしまったのコトを鮮明に想像した。それがモロに裏目に出たな。お前にとって、〝最悪〟の想像だったんだろ? 何しろ、お前を論理じゃなく感情で突き動かし、衝動的な懇願とさらなる凶行を……お前の敗北条件を招く欠片ピースになってしまった」
「…………」
「お前の……潔世一への特別視を決定付ける想像だった。——ありがとな。……すげえ嬉しい。図らずも苦い思い出にまで報復リベンジできて、長年の心残りが晴れた気分だ。……マジで、ありがと」
「あっそ……」

 クソご丁寧な解説だったが、最後のはよく分からん。世一には何か失恋の思い出でもあったんだろうか。知りたくもないし、世一なんかに失恋その経験を語られたくない。
 ——こっちはその経験則のおかげで、お前のカオを見上げずに済んでいるんだ。どうせまた心底の冷蔑を込めたあの眼で俺を見下しているんだろう。今は座り込むんじゃなく倒れた全身で感じる地面の感触含めて、いっそ懐かしい。

「だが……俺が恥を晒す形で負けたとしても、『賭け』そのものだって無効になるんじゃないか……?」ここからはせめてもの悪足掻き。勝利の陶酔だけじゃなく、また新たに別の苦味を与えてやるために。「世一。お前の方こそ冷静になって、俺の話を思い返してみたらどうだ。お前はクソ親父に怒ってくれたようだが……。……果たしてこの〝クソ物〟は、お前が自分のコトのように・・・・・・・・・想うほどの相手か? そこまでの価値があると言えるのか?」
「俺の理想視感情の否定、まだ諦めてなかったんだ……。お前、たまにクソ鈍いよな」
「!」

 握られたままの右手から引き上げられて、伏していた上半身を強制的に起こされた。
 それでもカオを上げるコトはできずにいたが、世一もまた、引き上げの要としての役目を終えたハズの手を離さないままだった。離してしまえば、共同体だと信じたかった相手が、また自ら絞首の演出に及んでしまうと危惧したのかもしれない。——それとも、ただ——。

「あぁ、えっと……お前って十二月生まれ、だよな? 件のサッカーボール、十二歳の誕生日のときに、クリスマスマーケットで買った……って言ってたし」
「あ……? それが、何……」思い返すべきはそんな情報じゃないだろ。
「だから……今言う台詞としては、思いっきり季節外れかもしれないけど」右手に加えられる力——こちらの指一本すら逃すまいと絡められる世一の指の力が、強まる。「——お前が、生まれてきてくれて良かった。潔世一は〝ミヒャエル・カイザー〟の誕生に、心から歓迎と、祝福と……感謝を寄せる」
「——な…………」

 誰にも望まれない生命。父母に一度も呼ばれたコトのない名前。——長話に織り交ぜたそれらの表現を的確に聴き届け拾い上げた上で、俺を肯定するための台詞として利用した。

「……なるほど。お前が選んだのは侮蔑じゃなく憐憫と慰めか。よく分かった、クソどうも……」
「誤解すんなよ。お前の提示した侮蔑・憐憫二択に乗ったワケじゃない。……悪いけど、その思い出話聴いて、お前のコトもっと好きになった。やっぱり、俺の『理想』はお前なんだって」
「——は……!?」

 俺の過去。俺への理想視。——絶対に相容れないハズのそれらを結び付けると宣うイカれたヤツの面を、思わず、反射的に見上げる。

「世、一——……」

 ようやく直視してしまったその眼は、鈍い蔑み、冷たい嘲り——見知った悪意になんて、ほんの少しも染まっていない。透き通るガラスのように澄んだ青に、狼狽える俺の姿を真っ直ぐに捉え映している。
 ——世一って、俺のコト、まだ・・そんな眼で視れるのか。

「そりゃあ、お前の親とか悪友とやらのコトは許せない。でも、ソイツらに滅茶苦茶にされたお前の人生そのものまで憎く思うかって言われると、それは違う。侮蔑や憐憫って、ある意味お前の人生への〝反感〟だろ。そーいうんじゃなくて、むしろ……〝納得〟した、かな」
「納、得……?」
「ああ。優れた視野と頭脳で他人の視線と意識を掌握してその隙を突く……超越視界メタ・ビジョンにも通ずる技術。人間らしい感情善意じゃなく、明確な論理悪意によって他人を駒として操り従わせる思考。容赦ない暴力と理不尽な恐怖に耐え抜いて、それ以上の力で反撃できる身体能力は、俺が真似できる喰える力とは思えないし、お前は真似それを許さないでくれるだろうけど。そうだ、欲しいモノのために手段を選ばなかったコトも。欲しいモノそれがサッカーボールだったっていうのも何か嬉しかった……」
「————」
「敢えて、この表現使わせてもらうけど。……お前は誰にも望まれなかった生命で、尊厳も人権も認められない〝クソ物〟。……だからこそ、その〝クソ物〟として培った力や経験全部〝道具〟にして、自分を虐げるニンゲンたちの地獄世界にさえ適応して、遂にはその存在を証明してみせた。そして今もきっと、そんな戦いを続けてる。……そんなお前こそが、俺にとって・・・・・超えなきゃならない〝世界一〟の超英雄スーパースター、俺が追い駆けた天才……いや、『秀才』なんだって、改めて実感したし、心の底から納得した」
「『秀才』……。——まさか」
「そ。俺、よく自称してる言ってるだろ。勝つための最善の〝道具マシーン〟って」いつもは自他に言い聞かせるように淡々と述べる自称を、今の世一ははにかみながらも誇らしげに唱えた。「その道具だから、クソ物お前の在り方が好きだ。誰かの才能を喰いながら理屈を重ねて勝つコトしかできない、プライドも何もない『秀才』の眼には、最悪の環境で足掻き生き続けて英雄になったクソ物お前の惨めさこそ、何よりも眩しいモノとしか映らない……!」
「……ウソ、だろ……。そんな……」

 煌びやかな皇帝像は完膚なきまでに破壊してやったハズだ。——そうして晒された真実さえ、世一は蔑むコトなく理想視してしまえるのか。俺を気遣う哀れみを一切含めず、世一の意思や願望に適うという一点のみで、肯定できてしまうモノなのか。

「当然だろ。道具が求める生き方を、クソ物お前はもう既に体現してたって確信したんだ。……ちなみに。道具としてのこの理想視想いを否定してしまうと、フットボーラーにとって第一の〝道具武器〟であるサッカーボールを『共同体』と想った誰かさんの感性だって説明がつかなくなる……って思わないか?」
「——」

 「共同体」を盾にされてしまえば、俺の反抗手段は大幅に制限される。「共同体」への眼差しを理由にされてしまえば、否が応でも共感してしまう。——世一の言うコトを、信じそうになって、しまう。

「……ッ! クソ、違うッ! お前に、〝クソ物〟なんかの感性が理解できるハズがない! ……親にさえ愛されず、捨てられ虐げられたクソ物この俺を、お前が愛せるハズがない!!」
「お前の十五年間と並べるのは烏滸がましいかもしれないけど……。環境世界に馴染めず理解もされずにひとりで傷つくコトとか、他の『天才ニンゲン』たちとは違う自分は、世界に望まれてない……って思い込むコトとか……よく、泣いたコトとか。……ちょっと覚えがある。だから……お前が、その俺と同じか、それ以上の〝クソ物〟で良かった」
「……~~ッ! ク、ソ、世一……ッ!」
「何と言われようが、お前自身がどれほどお前を貶そうが変わらない。俺は、血塗れに汚れて悪辣に成り果ててでも、地獄にだって適応してみせた〝クソ物〟のお前が好き。……他人潰して快感得てるどーしようもない性癖クセも、理解できないでもないからな。とにかく、〝クソ物〟を起源とする強さに見惚れて、全認識を描き換えられたのがこの潔世一だ。だから、俺はお前の一番近くでお前を視ていたいし……お前にも、俺の傍にいてほしい」
「ぅ、あ——……!」

 ああ、どうしよう。理解できて、しまう。
 この世界は望まれて生まれたニンゲンばかりの地獄で、身近な大人が俺を虐げる権利を持っていて。同類のクズのように視えた相手だって、最後には裏切ったり、俺が望むモノを後天的に獲得しているようなヤツばかりで。——だから、ひとりで生きていく運命を背負った「クソ物」は、「共同体」という奇跡にクソ弱い。〝道具〟を自称し、さらにはあろうことか己の弱さを曝け出した世一が「クソ物」なんかに焦がれ惹かれているというありえないハズの現象に、外ならぬ自分自身の経験則が説得力を与えてくる。
 世一だって望まれて生まれてきたクセに。どうせまた決裂する未来が待ち受けている。——優秀な脳が拒絶のために挙げ続けるどんな理由も、的確に抉られ続けた心の虚を埋めるには至らない。戦況を打開できない脳に代わるように本能が嘯く。——「クソ物」なら、その世一理論を受け入れろと。あの日のクソ物自分共同体から施された奇跡を再現するべきだと。それ以外に虚を塞ぐすべはない。そうしなければ、「クソ物」の本能が何よりも信じなければならないハズの掟を破った矛盾に張り裂けて死んでしまう。

「……ハァ……。お前、自分に都合の良いトコばっか視すぎて眼眩んでるだろ」

 握られたままの手が熱い。ずっとこの状態だから、もうどちらの体温なのかも分からない。日本人とドイツ人俺たちでは平熱が違うと聴いたコトがあったが、数値的な知識は感覚的な境目ごと曖昧になって、その意味を失っていた。
 ため息交じりに零した苦言も、果たしてどちらに向けた呆れだろうか。頑なに俺を肯定しようとする世一か。生きるため、生きる実感を求め続けるためという確かな大義まで得てしまって、判断をぐらつかせている俺か。
 ——いいや。判断が揺れる余地なんて、本当はもうなくなっていたかもしれない。

「……世一。一つだけ聴いておく。さっきのは、俺にカマをかけてハメるための演技ブラフか?」
「は? ざけんな、芝居なんて打ってない。全部虚飾なしの本音だわ。……その口振りだと、クソ実家の件か? お前が疑ってんのは」
「ああそうだ。無謀にもクソ親父に挑もうという、イカれた宣戦」
「やっぱそれか。——なら良かった。お前が場所を吐きさえすれば、その疑いはすぐにでも晴らしてやれる——」
「——おっと。クソ不要」言葉の途中、世一は傍らに鎮座した武器へと目線を向けた。同じ手は喰らうまいと、空いた左手でその視線を遮る演出を加えつつ、その武器を素早く奪取した。「言っただろ。お前に言うお前を行かせるくらいなら、帰省は俺ひとりでやる」
「チッ……」渡す気の無い武器をこれ見よがしに掲げてみせれば、世一は不満と納得の混じり合ったカオで舌打ちをした。

 行動をもって真偽を証明させたかったワケじゃないし、してほしくない。意思を改めて確かめるコトができればそれで良かった。これでも演劇一家出身にして心理学を齧っている身。少し冷静になりさえすれば、演技かどうかは視ただけでクソ分かる。冷静になりさえすれば。
 しかし要求した世一の答え以外にも、意外なところでその判断材料が増えていた。——奇しくも、あのときと同じ「クソ薔薇呼び方」のせいで、完全に思い出せた。

『こんな新しい思考になれたのも、お前がいたからだクソ薔薇』
『組もうぜ、カイザー』

 さっきから世一が俺に向けている、澄み据わった眼。あのときと全く同じ真摯さと、狂気じみた正気の本質のエゴどまんなかと、恐ろしさを秘めた魔王の瞳。
 やっぱコレは、俺が受け入れてはならないモノだ。俺が突き付けられているのは「共同体」の姿をした悪魔の再契約。結んでしまえば破滅する。世一はクソ物の経験を称えたが、その経験に刻まれたクソ禁忌。
 ——でも。

「世一」
「! わ……っ!?」

 手を繋いだまま立ち上がり、ついでに世一のコトも引き上げる。極力の手加減を施しても、体温はまだ熱かった。

「お前に役をやるよ。道化クソピエロだなんてとんでもない、もっといい配役にしてやろう!」

 余計な虚飾、両親強者の真似みたいでクソ面倒なので多用は控えていた演出家仕草ムーブ。しかし眼の前の世一コイツが、クズどもの子である俺の過去さえ肯定してしまえるというのなら、クソ久々に。

「自らをこの俺・・・と同じだと宣った蛮勇と……覚悟に見合う、とびきりの役に」
「……!」

 見開いた両目を無邪気な期待で染め、成就直前の願望を夢中で見つめる世一の表情に、蕩けるほど眼を細めてしまう。告げた瞬間にはどんなカオを視せてくれるのだろうと予感して震えそうになるのを堪え、甘い響きでそれを唱えられるよう、徐に唇を開いた。

「——『危険物』」
「……。……はい?」
「『危険物』だ。お前は〝道具〟を自称するが、道具の割には制御し難いじゃないか。話している相手の実家に行きたいと突然凄み出すとかクソ怖いだろ。もちろん道具お前なりの論理あるコトは重々承知しているが、それでも、何も知らないヤツにとっては暴走しているようにしか視えないだろうよ。だから『危険物』だ」
「…………」
「ふふ、我ながらクソ名案。喜べよ世一、お前の強さを認めたがゆえの役でもある」

 これまでの物語に登場した特別な語彙ではなく、突如引き摺り出された耳慣れない言葉と、そこに込められた評価。〝道具〟としての性質を認めそう扱う姿勢を窺わせ、知性的な仕様だと把握していると示してはいるが、それでもどことなくバカにしているようなニュアンスも否めない。期待とは裏腹のクソ微妙な配役に、世一は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。〝道具〟扱いによって何とか溜飲を下げようと努めながらも、納得のいかない不名誉への不満を拭い切れていないカオ。クソ良き! これで少しは、想定外の攻撃口説きを喰らい続けた俺の気も晴れるというもの。

「この期に及んで、俺の評価はその程度かよ。……正直困ったな、カイザー。お前の昔話を聴いて、お前について許される限りの知識を得た。それだけの知識全賭けして、嘘偽りも出し惜しみもない、俺の理論想いを証明したつもりだった。しかしこの理論をお前が頑なに受け入れないとなりゃ、俺はあるかどうかも分からない失点ミスを闇雲に探しながら、この理論を唱え続けるしか手段がなくなる」
「クソ奇遇だな、俺も困ってる。決死の想いで最期の切り札を使ったっていうのに、お前は俺に蔑みも哀れみも向けなかった。そして生き長らえた俺の前には、俺じゃなく他人クソ親父に殺意を向ける危険物が残ってるときたもんだ。……おいおい、コワいカオすんなよ。……ただでさえ、クソ怖いっていうのに……」

 実のところ、悪気は——ないワケじゃないが。しかし俺にも「危険物」と言い張らなければならない事情がある。ここで世一のコトを「クソ物」だとか「共同体」だと呼び認め、その意思を世一に伝えてしまえば、俺はまた越えてはならない一線を踏んでしまうコトになるだろう。
 最早抵抗にも満たないクソ小細工だが、それでもやらなければならないほど、あの敗戦の恐怖はクソ根深い。小細工抜きで向き合えるようになるには、まだ時間と実績が必要だな。俺が、もう少し強くなれるまでの。そして世一ならこの空洞を埋められると、いよいよ確信してしまえるまでの。
 それに、今はそこに至らない弱者クソ物でも、弱者クソ物なりに使える理論はあるもので。

「他人の父親にカチコミかけようとするような恐ろしいクソ危険物。とても〝ニンゲン〟様の傍に置いておけるような代物じゃない。お前がその性質を保ち続ける限り……ソイツらからは・・・・・・・隔離されるしかなさそうだな」
「! そ、れって……!」
「……今なら丁度、隔離先に相応しいクソ物件もあるぞ。……耐久性に富み、お前の危険性性質を正しく理解し。危険物であるそのお前と傷つけ合うコトも厭わないが、互いに、〝ニンゲン〟の魔手に譲るコトだけは絶対にしないという義務を己に課し合える。……そんな、都合の良い引き取り手クソ物がな」
「——~~ッ!」

 述べ上げた通りのクソ物の存在を示すように、繋いだ手にほんの少しだけ力を込めた。何ともささやかな演出だが、今の俺にはそれがクソ精一杯だ。恐怖なのかそれ以外なのかも分からない情動で心臓が暴れている。拍動の実感のせいで、己を繕い余裕を気取る演出の考案にあまり思考を割けない。澄んだ青眼に映る自分は裂けてもいない頬を赤らめ、腫れてもいない眼を伏せているのがクソ証拠。
 しかし、俺はとっくに全て晒したクソ物。この程度の素なんて醜態にもならないだろう。そしてその全てを知ってしまった世一も、俺を映すをすぐに細めてくれるから。

「ああ! 最ッ高だカイザー! 最後の最後で回りくどい芝居しやがって!」

 世一は俺の絞首を止めるために繋いだ手を振り解き、しかし間髪入れずに今度は両手を俺の背に回した。距離のなくなった身体が、熱く温かな体温と激しい鼓動を伝えてくる。
 重ねた体温の境目は手を繋いでいたときから曖昧になっていたが、今新たに知ってしまった鼓動の速さも大きさも〝クソ物〟ごときのそれと酷似していて、やっぱりどちらのモノか分からなくなってしまった。〝クソ物〟は鼓動音それを生の証だとか差し迫る死だとか大袈裟に捉えていたが、「危険物」と一致してしまったそれはさしずめ爆弾が奏でるアラート音とでもいったところだろうか。それならやっぱ死へのカウントダウンなんじゃないのか。

「その契約、喜んで乗ってやるよ、クソ物スーパースター! 潔世一にとっちゃお前こそが、最善最高ベストのクソ優良物件だ!」
「……ッ」

 このはしゃぎようもそれを表す声も仕草も、まるでゴールを決めた直後にお仲間と戯れているときのよう。世一がそうしている姿を何度も遠目で視ていたし、その立場が逆であったとしても、俺はニンゲン共に歓喜も激情も伝えてやるコトはしない。せいぜい駆け寄ってきた犬にお手をさせる程度。
 だから、こんなの、クソ物には無縁の感覚だ。世一がどれほど俺を「理想」と叫んでくれたとしても、こうして誰かと容易く戯れてしまえる世一と、孤独でいるしかない俺はやはり違う。心のどこかで分かっている。「契約」なんてもっての外。

(……こーいうの、ピッチでやれよ……)

 そう願ってしまったとしても、叶わぬ夢のままであるべきだ。世一とのサッカーは、もうしてはならない。
 そして、そんな不可能に縛られたまま、「引き取り手」の立場を——世一を、受け入れてしまうのは。——なんて、なんて「不自由」な恋路なのだろう。

(……〝クソ物〟には、相応しいかもな……)

 世一に〝クソ物〟は相応しくないと思おうとしてきたのに。相応しいのだと主張し続けた世一に、こんなカタチで共感してしまうとは。

「……世一」

 抱擁を返すコトはできない。両肩を掴んで引き剥がし、せっかく埋まった距離を空ける。
 この程度の「不自由」くらいクソ買える。「契約」という、クソ忌々しい名目をつけられてしまった関係さえ。——そして、それらを買ってでも払いたい言葉、要求したい条件が。

「……なぁ、クソ危険物世一。……クソ親父ニンゲンのところになんか、行ってくれるなよ」
「……!」

 問答や抵抗、思考を重ねてはしまったが。——本当は、世一がアイツに殺意を向けた時点で。「共同体」かもしれないと思ってしまった危険物に、クソ親父と対峙する可能性が1%でも生じてしまった時点で。カタチを変えての再契約を結ぶという、俺にとっての最たる「危険」を被ってでも、世一を認め、傍に置くコトは決まっていたようなモノだ。
 生きる実感を欲しがる〝クソ物〟だから、命は惜しい。しかし自分それ以上に、「共同体」という奇跡を奪われ、失うコトはもっと恐ろしい。——齢十二のガキでも知っていて、三年後には力尽くで実践してみせた、クソ当然の理論コト。俺は、それに従ったまで。何よりも恐れる事態を潰すために、一切の手段を選ばなかっただけ。

「せっかくの殺意を、クソ親父あんなヤツになんか向けるな。道具お前の居場所はニンゲンたちの世界じゃなく戦場フィールドだろ? だったら……殺してやりたい相手だって、そこで見つけろ」
「はは……! ……何ソレ? 新手のI LOVE YOU愛してくださいか……!?」

 殺意と愛とを同一視する歪んだ思考。なのに眼の前の不遜な笑みは、どこまでも純粋に輝いている。いつかの誰かにも、この輝きの一欠片くらいはあっただろうか。

「安心しろ、忘れてないから。お前に、お前を人質に取られてるようなモノだったってコト。それに……そんな相手とだって、もうとっくに出逢えてる……だろ」

 その眼に俺だけを映して、世一はわざとらしく首を傾げる。不遜の輝きを、俺へと零すように。

「相手が誰かなんて、何も言ってない……」

 〝クソ物〟のその渇愛性質だけは絶対に明かしてなかったハズだ。見抜いているのかどうかは分からないが、やはり世一は俺の心理を正確に抉るコトに長けている。——そーいうところも「危険物」であり、そして「共同体」候補じみている。

(……クソ当たり)

 俺が恐れたのは、きっと、父の暴力によって世一が壊される未来だけじゃなかった。世一の存在だけじゃなく——世一の殺意を注がれる俺の立場まで、父に奪われかけた気がしたんだろう。
 「共同体」と結びついた生存欲求、そして殺意と混同してしまうほどに愛を欲する〝クソ物〟の本能を、二重に刺激されていた。だから全部かなぐり捨てての衝動的な懇願に及んだし、世一の想いへの抵抗を解き、世一のコトを、少しだけ、諦められなくなった。本能のままに、世一を繋ぎ留めなければならなくなった。——繋ぎ留めても、よくなった。

(——俺って、世一のコト、諦めたくなかったのか……)

 諦めるため、突き放すためにクソ試行錯誤してたっていうのは、逆説的にそーいうコトだ。心の奥底で望むモノを拒絶するという不可能挑戦に臨んでいたのだから、そりゃあ全力を発揮してしまうし長期戦にもなる。
 しかし世一は、俺が尽くしたその全力もさえ乗り越えてしまった。こんな〝クソ物〟を愛せると誓い、拒絶を義務としてを崩すまいと抗う〝クソ物〟に、それ以上の本能エゴを思い出させた。
 

『潔世一に執着しすぎるなと何度も言ったハズだ』ふと、クソ指導者の金言を思い出す。『執着のあまり迷い続けるくらいなら、諦める・・・覚悟を決めるんだな』
 

(……はは、ザマぁみろ、クソゴッド……!)

 俺は世一との関係全てを断ち切るのではなく、敢えて世一との関係を進めるコトでそれに溺れまいと自制する、さらなる「不自由」へと身を投じる。この進化に「諦め」なんて言葉は宛がえないだろう。ただ不自由で理不尽なだけの運命にも、ずっと胸につかえていた命令にも逆らえたようで気分が良くなる。たとえ「少しだけ一筋の希望」でも、俺にはクソ十分。

「……。……ん……?」

 何だ? まだ何か引っかかっている気がする。——俺は、本当にコレでアイツの思惑を超えたと思っていいのか?

(……もしか、して……)

 「諦める」コトを、「諦める」覚悟——なんて意味で言ってたんじゃないだろうな?

(まさか。……まさか!)

 俺が追及せず、追及する気もない以上、真実は正にノアのみぞ知る、だが。——だからこそ、ムカツク! 俺のクソ杞憂だとしても、クソ上からのクソ曖昧な表現なんかで、この戦果を掠めたように! 結果的に予言に成功したコトになってんのがクソ腹立つ! この戦果は、世一と、俺だけの——!

「カイザー?」
「————」

 湧き上がり始めた逆上心が、眼の前の相手の声を聴いただけで解けていった。——怒りに苛まれていたとしても、自分以上に怒っている誰かを前にするとクソ冷静になれるってアレだ。もっとも、クソキレてんのは今の・・世一ではなかったが。
 

『うっせぇよクソ指導者マスター、アンタも同類だろ』
『凛を超えたいだろ? ノアをブッ潰したいんだろ?』
 

「……はは。……世一お前は本当に、口説き文句がクソ上手いな。親父よりも、良い演出家になれそうだ」
「マジかよ、そりゃどーも。共同体お前の好みに刺さってるだけな気もするけどな?」

 だろうな。クソ物この俺の真実を理想と一致させた。父にも神にも抗ってみせた。——俺以外にも〝不可能〟の体現者がいるというなら、それは世一に他ならないのだろう。世一のそういう性質に最も魅かれてしまうのは、同じ「体現者」である俺に決まっている。俺だけでいい。

「クソ自惚れんな」

 世一と自分、両方に向けた言葉。世一はまだ「危険物」だ。その認識こそが、契約を保つための鍵となる。だから本心全部は抑えつけて、そう答えるしかない。今はまだ、この「不自由」のままでいい。
 ——いつか、自惚れても良い日を、共に迎えられるときまで。

「世一」頭上には、お誂え向きの夜空が広がっている。「、クソ視えないな」
「……え? ……ああ、そう……だな? ……ん? もしかしてお前その言い回し知って……って、おい!?」
「ははは! 焦るなよ、ただのクソ世間話。それともクソ潔世一エゴイストともあろう者が、まさか新月ごときに臆するのか?」
「なワケねーだろ! お前のコトくらい、自力で……!」

 ああ良かった。俺も同じ想いだ。いつか満ちると願え、信じられるから、今は何も視えないままでいい。
 円い共同体を軽く蹴り上げる。——満月と同じカタチのそれにも、イカれた危険物共同体候補にも、あのとき以上に身を委ねてしまいたくなった。