Novel/BLL-潔カイ

危険物(全5ページ/4ページ目)

「どうだ世一ぃ? もうそろそろ、いい加減に、俺の嫌悪気持ちを分かってくれた頃なんじゃないかと思うんだが」
「カイザー……」

 ヒーローインタビューの時間を待ち侘びる記者たちの存在はクソ承知の上で、ゴールから35m程の地点に立ち尽くす世一の元へ悠然と歩み寄る。哀れな敗者に、勝者の威光を見せつけてやるための仕草。——あのときの世一も、こんな心地だったんだろうか。
 実のところ、状況は異なっていると理解していた。つい先ほどのラストゴールは誰もが合理に徹した末に創り出された結末。世一は俺に遅れを取ったんじゃなく、ただ道具として、留まるべき場所に留まっただけ。ゴールへの道を描き出す「道具」として。——そのゴールが、たとえ俺のものとなろうとも。そして、俺がゴールを決められなかった場合、ゴール前の空いた空間へと一早く駆け込み、こぼれ球を狙える場所でもある。——ネスを見縊り足を止めたかつての俺とは違う、冷静で賢明、周到な判断だ。その判断を下せた世一は、本当の意味では哀れでも敗者でもない。
 理解って、いながら。嘲りの口実にできてしまえそうな側面——ゴールの創出に一役買った、優れた道具だったとしても、主役の座をみすみす俺に譲ってしまった脇役という見方もできてしまう——を欠片でも秘めているならば、それがどんなに穿ち視てしまったような可能性でも現実にしなければならない。穿った視方だからこそ、俺が取るべき戦法として相応しいとも言えてしまうだろう。全ては世一への悪意を演じるため。世一に、悪意とは真逆の感情を、今こそ諦めさせるため。賭けに合意してから今この勝利に至るまでの一週間は、世一の希望をクソ潰すための計算に統べられた時間だった。

「この一週間、お前とは罵り合ってばかりだったな。おかげでノアに呼び出されたコトもあった。クソ不愉快だっただろ? ……ああゴメンな、今はそんな、戦場外のコトを蒸し返してお前の気を煩わせるようなときじゃなかった。気遣いがなってなかったよ。——お前が、今シーズン通算十五ゴール目の好機を、クソ奪われてしまったばかりだったっていうのにな」
「……!」
「お前があの二点目を決めた時点で、戦場はお前のモノとなり、お前の次なる快挙を演出するための舞台となった。世界中が、お前のスーパーゴールでの決着を望んでた。——それを、俺が捻り潰したんだ」

 もちろん俺がハットトリックを決めてしまえるなら、それに越したコトはない。だが世一の調子は悪くなく、相も変わらず加速度的な成長の最中にいるコトも明らかだった。だから、皇帝衝撃波いつも通りの一点目、それに決して見劣りしない鮮烈な世一の追加点——この流れまで、クソ容易に想像できた。
 今回は敵もザコではなかったので、試合は二対二のまま終盤に突入。ここでブチ込んだストライカーが決勝点の主となる。刻一刻と主役の決定が近付き、戦場のボルテージが高まる中、その熱気の中心として誰もが認めていたのはやはり世一で。——そうして、既に王座に就いてしまったかのような世一を、最後の最後で奪われる側へと引き摺り堕としてやれば。
 今日の試合を迎えるにあたって想定したパターンのうち、最良のモノを叶えたと言っていい。さぞ悔しがるだろう、クソ絶望するだろう——最も、そう思うコトのできた展開を。

「可哀想なクソ世一。俺さえいなければ・・・・・・・・、お前は世界の望むがまま、主役の座に就けていたっていうのに……!」

 意義申し立ては不可能な結果勝利は修めた。あとはそれを振りかざし、ひたすらにクソ煽りクソ罵るだけだ。そのための台本だってクソ完備してる。眼障りなモノを見下すように眦を歪め、耳障りなほど抑揚豊かに、そして強調すべき言葉フレーズをひときわ高らかに述べ上げるコトも忘れない。

嫌いな相手・・・・・の引き立て役にさせられた気分はどうだ? 〝道化・・〟と罵った相手に負けた気分は! ……なあ、ホラ……! ここまでクソ虚仮コケにされても、まだお前は——……!」

『今のゴール、最ッ高だった!!』
『……俺、お前のコト——』

 まだ、あんな、クソふざけた台詞を言えるのか?

「————」

 罵倒と挑発を甘んじて浴び続けていた世一の眼が鋭さを増した。反撃の意思を込め始めた。
 俺の好きなその色に映る、勝ち誇った自分の貌はクソ醜いなと思った。——造形や視力の問題じゃなく、好みの話だ。さしずめ、世一と出逢った当初の俺がやっていたような笑い方。飢餓状態とは対極にある慢心の微笑を、奪う側としてしか生きられないクソ物はもう浮かべたくなかったし——そしてストライカーである世一もまた、この面を好みはしないだろう。
 ——だから、今はコレでいい。あのときの俺に褒められるべき点があるとすれば、世一の敵意を買おうとしたコトであり、買えたコトだ。世一に好かれはしない俺で、いい。
 視線の切先に射抜かれた胸が空いて、そこから生じた清爽かつ甘美な快感に身体がゾクリと震える。——寂寥の感慨が精神を縛り上げる。わざと醜悪な表情で表しているだけで、勝利の確信自体は本物だった。俺への憎しみを、心底の忌々しさを一切隠すコトなくこちらを見上げる世一の唇が震え、諦めの宣言を告げる瞬間を待ち侘びる。

「——ああ、カイザー。……俺、お前のコト好きだよ。お前に、惚れてる」
「……。…………。……世一、強がらなくていいぞ」
「強がる余地がどこにあるんだよ。普通に本心だわ」

 おおよそ自分のモノとは思えない、柔らかくお優しい声色を返していた。
 もちろん、この期に及んでまともな人格を手に入れたワケじゃない。獲得したのは未だかつて見たコトもない本物の敗者への哀れみだ。強大で無慈悲な壁に挑もうとする世一の姿をイカレていると感じた——そして時には、少し好ましく感じてもいた——コトはあったが、今回ばかりは「もう戦うのはよせ」と本気で思わされた。

「あのな。お前の眼つき、カオ、声、お前の態度全て、どこからどう視たって、本心とは真逆のコト言い張ってるヤツのそれだろうが」

 ストライカーとしての勝利も節目の功績も俺に阻まれ、挙句の果てにその俺にマウントを重ねられ、世一が苛立ちを募らせているのはクソ明白。それを露わにしながら嘯く「好き」のどこに説得力がある? 賭けの内容——世一に向ける俺の想いは悪意や殺意だけだと認めさせ、世一を諦めさせることができたら俺の勝ち。それができなければ俺の負け——まで踏まえれば、コレ以上俺に負けたくないがために、意固地になって「好き継戦の意思」を唱えているとしか考えられないだろ。これほど悪意を浴びせられながら、まだ「好き」の勝ち筋が残されているだなんて、考えられるハズがない。

両方・・とも本心だ。ムカツクのは仕方ないだろ、マウントクソ野郎演じてるときのお前、マジでウゼぇから……」
「……おい」その思考の詳細を聴くよりも先に、聞き捨てられない言葉を拾う。「演じてる・・・・ってどーいう意味だ。まさかお前、俺が敗者にマウントの一つも取らないような善人になったとでも思ってんのか? そこまで改心してねえよ。クッソ心外。都合の良い幻覚相手の恋愛劇に俺を巻き込むな」

 この弁明自体に嘘はない。〝新英雄大戦〟最終戦を経て確かに「悪癖」レベルのそれは改善されたが、結局のところ俺は奪うコトしか知らないような存在。決してお綺麗なニンゲン様に生まれ変われたワケじゃなかった。
 そしてとにかく今は、「演技」と思われるコト自体がクソマズい。どれほど世一への悪意を主張しようが、「演技」と断じられてしまえば全部無意味になってしまうからだ。ノレンに腕押し、ヌカに釘、とか言うんだったか? ちなみに、この語彙を披露してマウントを取った気になるコトは未来永劫ないぞ。日本の言葉を密かに勉強していたとバレてしまえば、形勢が絶対にクソ不利になるからな。

「クソ皇帝様の終わってる性格を勝手に改善するような惚れ方はしてねーから安心しろ。ただ、ここ数日のはさすがに、一周回って分かりやすいっていうか……」
「……わ、かりやすい……?」
「視てれば、分かる。……性格が良くなったワケじゃないけど、お前は変わったよ、カイザー。マウント取り続けてる暇があるなら、さっさと次に進むコトを自分に課すようになっただろ? なのにここ数日、急に、振る舞いだけ・・を昔に……俺と初めて逢ったときと同じに戻し始めた。それはどう視ても不自然だろ」
「……!?」

 せっかく苛立ってくれていた世一が、今はそこに呆れを混ぜ始めてしまっていた。

 俺への失望に起因する呆れだったならまだ良かったかもしれない。それはそれで、世一に俺を諦めさせるコト俺の目的の一助となってくれそうだ。——しかし、絶望の眼つきも冷蔑の情を向けられる感覚も熟知しているせいで、今のコレは失望のそれではないと読み取れてしまう。

「不自然、だと……!?」

 鋭く細められているハズの視線はなぜか生温かく、睨まれているのに痛みを予期するコトもできなくて、酷く居心地が悪かった。

「あ、演技自体はすげえ上手かったよ。昔のお前そのものって感じだった」俺の困惑を曲解したのか、世一は何の薬にもならないフォローを入れてくれた。「クソ完璧でクソ精巧。非の打ち所のない造り物・・・で、だからこそ不自然だった。お前も多少愉しんでたのは確かだろうけど、それ目的じゃなく、〝賭け〟のために……俺を怒らせるためにやってるんだろうなって、少し考えればすぐ分かった。だから、ムカツキはしたけど……それでお前への認識が変わるコトはない、かな……。……むしろ、そこまで必死になって、俺のコト嫌いって言い張ろうとしてるんだな~……って思えもしたし……」
「……ああ、そう……」

 バカにされている。その憤りを抱えながら、なぜか染めた頬を人差し指で掻きながら視線を逸らした世一が遠く感じて、宇宙すら隔てたようなその距離に言い返す気力も奪われて、投げやりに閉口した。前向きでも後ろ向きでもない意味で、何かもうどうでもよくなった。
 世一への好意、世一に好かれる要素、それらを一欠片も持ち合わせない敵対者像で自我を塗り潰す——理にクソ適っていたハズの戦法に徹し、賭けに臨んだ一週間は果たして一体何だったのか。全然通用してなかったみたいだが。
 だが、双方の好意へと至ってしまうまでの思考過程に着目し、それを崩して正してやる作戦そのものが間違っていたとは思えない。ならばしくじったのは、立案者の俺じゃなく実行者の俺か。世一に「完璧」と思われたせいで、演技だとバレたのだから。かといってぎこちなかったらもっとダメだろう。だから、「完璧『以上』」に演らなきゃいけなかったんだ。——本職なら、そういう風にできたんだろうか。「演技」を「演技」と気付かせるコトもない、「不自然」を超えた「自然」を装えたんだろうか。

「カイザー……?」

 会ったコトも、言葉を交わしたコトもない本職あの女への劣等感を、久々に思い出していた——が。

(——クッソ無駄)

 本職と張り合う必要がどこにある?
 思い描いた物語を現実にしてやる挑戦は心躍るモノであり、華やかで大胆、かつ緻密に計算された振る舞いもまあ、実のところ背伸びなんてせずともできてしまうし、存外愉しいと言っておこう。
 ——だとしても、俺が真に魅かれ、自分の意思で選んだ存在証明サッカーボールと繋がった舞台戦場は、演出家と大女優アイツらから遺伝したモノじゃなかった。同じ世界でアイツらを超え見返してやるのもクソ一興だが、俺はもう、フットボールのない世界には戻らない。
 だから今この場で「演技」を看破され、世一ひとり騙しきれないという見窄らしい結果に終わったとしても、俺の存在は揺らがない。大女優ニンゲンの劣化・完全下位互換として産み落とされてしまった生命、だからこそフットボーラーであれるなら。

「……世一」

 腹が立つ。お前に振り回されたせいで、しなくてもいい比較をして、その末に分かりきった本質を思い出した。——身勝手な主演のフリをして今更の幼稚な自由に自分を溶かしてしまうより、どうせ幼い精神なら不自由に抑圧されながらも見果てぬ夢に焦がれ続ける生き方こそが相応しいのだと教えてくれたのもお前だったな。
 その、お前なら。俺が何度不要な虚飾を纏おうとも、きっと真実を見抜いてしまうお前になら、俺は——。

「……ッ!! ダメだ!! クソ却下に決まってんだろ!!」
「は?」
「まだだ……! まだ、俺は負けてない……ッ!」

 クソ危ない! フットボーラーとしての俺には何の影響も及ぼさない勝負だなんて、勘違いにも程があった!
 専門外の分野で見知らぬ相手に仕掛ける勝負こそ、結果問わずクソ不毛。しかしその勝負自体は所詮俺ひとりの想像上の産物に過ぎないモノであり、現実に起こっていたのは世一との賭け。そしてそれこそが、俺の存在証明フットボールを懸けた死闘。——世一を受け入れて負けてしまえば、またクソ惨めに喰い殺されてしまうから!
 だから何としてでも、世一の主張を認めるワケにはいかない。たとえ虚飾を虚飾と見抜かれ、世一に認められるような信憑性を失ったとしても、悪意の主張をやめてはいけない。品質保証を欠いた即興アドリブをどれほど重ねるコトになろうとも、戦いは続けなければならない。降伏して、ニンゲンじみた幸福を得てしまえば最期、クソ物フットボーラーとして死ぬ——

「世一! 仮に……! 仮にだぞ! ここ数日、俺がお前をクソ煽りクソ嘲ったコト、全てが演技だったとして!」
「お、おう……」
「それは、俺の悪意を否定する根拠にはならない! お前への真逆の感情を覆い隠すための芝居じゃなく、お前のコトがクッソ嫌いであるがゆえに選んだ態度だという可能性を忘れてもらっちゃクソ困るな!」
「あー……。まあ、それは、確かに……?」

 世一の顔付きが変わった。その眼に滲んだ呆れが消えていないのは気に喰わないが、己の優勢を確信して緩んでいた表情は強張り、染まっていたハズの頬には一筋の汗が伝う。
 良き! 咄嗟の即興アドリブにしては論理として成立してる、世一にも通じている! 健在の呆れはアレだ、形成の逆転を認めないために保っている虚勢だろうな。やっぱ強がってんじゃねえか! その状態でなおも俺への反論を創り上げようとする気概はクソ立派だが、不要な気概だ。せめてそんな徒労反論の手間を与えずに終わらせてやる。

「それに……! 俺の真意を探るのもいいが、それ以前に、俺は呼吸するよりも容易にお前を罵ってみせた……たとえ演技だったと見なすのならなおのコト、そんなクソ役を軽々と演ってのけたという事実を気にしておけよ。そんなヤツ、想うだけ無駄だ。大人しく嫌っておくコトが、クソ順当でクソ賢明な対応で、お前の身のため……!」
「……え? 何、まさか俺を心配してる?」
「一般常識に則った見解をクソ説いているだけだが?」

 どうだろうな。世一が今述べたばかりの推測心配を、誤解とは言い切れないかもしれない。
 今のところ、世一が俺に向けている好意の正体はそれこそ誤解めいたモノと踏んでいるが、万が一、それが真意だとしたら。

(つまり、世一がどうしようもないクズに魅かれてしまう、クソ難儀な性癖の持ち主だとしたら……)

 聴くところによると、あろうことか指導者のクズノエル・ノアに憧れていたそうじゃないか。だったら万が一どころか一気に現実味を帯びる仮定となってしまう。そして実際、〝新英雄大戦〟土壇場の窮地で、ノア信者世一を無感情に見放したワケであって。

(もしかして、世一はその経験から学習していないのか?)

 クソ平和ボケ。ノアも俺も比較的マシな部類だからまだ何とかなっているだけで、世の中、下には下がいるんだぞ。友人ヅラして手に入れた信頼の返礼に濡れ衣を贈ってくるようなヤツとか、突如暴力を振るって半殺しにしてくるようなヤツとか、な。

「……」

 それらの行為は最早嫌悪や悲嘆の対象ではなくなっていた。俺はソイツらの「上」にいるんじゃなく、いつしか同類に成り下がっていたと自覚していた。だが、世一がその場所に足を踏み入れようとしているならば、話はまた別。この世界は、世一には到底そぐわない。——想像するコトすら、クソ憚られる。
 今回、世一の視界に映ったのが俺で良かったな。俺なら、世一を引き摺り込むような真似はしない。いるべき場所へと突き放すコトができる。——大体、引き摺り込んでしまえば、俺の方が世一の手にかかって死んでしまうって話だからな。俺は平和ボケしていないからクソ学習できるんだ。

「一般常識、って……。一応弁明しておくけど、俺は好き好んで危険人物に近付くようなイカれ具合は持ち合わせてないからな。凛や士道じゃあるまいし……」
「ハッ、よく言えるな! だったら、俺に近付こうとしている現状はどう説明するつもりだ? それともやはり、お前の方こそ俺をクソ見縊っているんじゃないのか? 確かにお前の言う『天才』共のようなイカれ方こそしていないだろうが、性格の邪悪さは、ソコとはまた違った話だろ」
「そうだな。〝青い監獄〟、そして世界と戦って、色んなフットボーラーに出逢ってきたけど……お前ほどムカツク相手は、他にいなかったな」
「! だったら……!」
「だけど、お前はその内の例外でもあった」
「……は? ……例外?」
「性格一つで評価を決定してしまえる次元を超越してるってコト。お前は嫌なヤツだし、絶対近付きたくないって思ってもいたし、叶うコトなら殺してやりたいって今でも思ってる。……でも、そんな敵意を自分の中で何度重ねても、お前という存在への無関心や無視には繋がらなかった。それ、どころか……『危険人物嫌なヤツ』なのに、カイザーからは絶対逃げたくないし、カイザーのコトも逃したくない。……思考敵意を募らせる度に、そう思うようになった」
「……な……っ!?」
「忌避や嫌悪がこんなカタチに変わったのはお前にだけ。……お前にしか、変えられなかったって確信してる。だからお前とどれだけ敵意を向け合おうが、この気持ちは揺らがない。そして他のヤツからどれほどの敵意を向けられようとも、俺はお前に向けた激情の全てを、ソイツ相手に再現するコトはできないって断言できる。まずそこは承知してほしいし、誤解されたくない」
「——……」

 例外。——俺にだけ、か。
 固く結んだ唇の端がこそばゆい。世一を睨む眼に力を込められているかどうか、少しだけ不安になる。創り上げたばかりの思考が呆気なく打開され、密かな決意ごと征されてしまったというクソ情けない戦況だっていうのに、怒りや焦りとは全く別の感情に苛まれていた。「苛まれる」という表現を無理矢理にでも宛がい抗わなければ、たちまち受容してしまいそうになる感情。

(世一、が——)

 他の悪党の手に落ちるコトはないという保証への安堵? 俺ひとりに向けて語ってくれた言葉への恍惚?

「——やはり、認めるワケにはいかないな」
「何……!?」

 認めるものか。クソ物には不相応な感情なんていらない! 世一が俺に向けた希望ごと、クソ否定して潰してみせる!

「世一。お前が誰かに向ける好意は、悪意の有無や多寡によって決まるモノじゃないというコトはよく分かった。だが……だからこそ、俺に拘る必要はないよな? いくら俺への敵対視が少々特殊かつ強固なモノになっていたとして、所詮、悪意は悪意。結局、一般常識の持ち主であるお前が誰かを好く理由にはならない要素」
「……」

 即座の反論は飛んでこない。少しだけ危ない論の展開だったので、世一に気取られないよう、内心胸を撫で下ろす。
 特別な悪意とそれを向け合う対象に悦ぶ倒錯した価値観は世一に無くても俺にあるからだ。それを隠してクソ真逆の真っ当な価値観を押し付けたが、「でもお前はソレが好きなんだろ」とか言われたら上手く反論できる自信がなかった。幸い、その程度の隠し事を世一が知る由もなければ知る必要もない。その状態からでも有効打を捻り出される前に、さっさと話しを進めてしまおう。

「そして、倒したいヤツ、超えたい目標……お前がそう思える相手が、俺ひとりのハズがない。その数ある選択肢の中から俺なんか・・・を選ぶ理由として、お前にとっての『悪意』は、たとえ特殊であってもクソ弱い」

 これにも「カイザーお前だけ」と返されたらと、ほんの少しだけ夢想する。——見え透いた嘘に酔えるほど、愚かではないつもり、だが。

「……なんか俺の意志想いをぞんざいにされてる感じで腹立つけど……」当たり前だ。丁重に扱えば自爆行為になってしまうもんで。「でも……じゃあ、『悪意』なんかじゃなく……実力・・で選んだって言ったら?」
「ふーん? 実力ねえ……?」

 良かった。美貌カオとか言われたらどうしようかと思った。理論や弁舌で変えられないクソ先天性質だから、それを言われたら遺伝子を呪うしかなくなっていた。

「……いいや。実力ソレも理由にはならないな。もちろん他のニンゲンたちに遅れを取るつもりはクソないが、生憎、〝世界一〟の称号はまだ・・得ていない」〝まだ〟の強調は忘れずに。「いくら何でも分かるよな?」

 左手王冠を眼前にかざしてから、手首をゆっくりと捻って世一にも見せつける。共通、かつ譲れはしない魅惑的な野望世界一を示すシンボルに、世一が生唾を呑み込んだのが分かった。
 その反応さえ得た後は、わざとらしく返した手のひらを世一に再度向けてやる。子供ガキ気に入りの道具を取り上げてしまうような意地の悪い仕草だ。世一からの軽い睨みが心地良い。こんなんでクソ些細な悪意の応酬が叶ったのなら嬉しい誤算だ。「世一お前王冠世界一を手にできない」とでも言外に挑発してしまう嫌がらせ目的というよりは、「世一お前が視ているカイザーだって、実はまだ王冠を持っていない世界一じゃない」と伝えるための演出だった。

「……」

 王冠を戻した俺ひとりの視界を細める。
 ——いつか、〝世界一〟になれたら。クソ物としての不自由な自制から解放される奇跡が訪れるなら、きっとそのときだ。そのとき、世一の気が、変わっていなければ——。

「……『実力で選んだ』とは言ったけど、実力の『上下』で選んだってワケじゃない」世一が何やら反論し始めたので、仕方なく手を降ろしてクソ夢に耽るのもやめた。「〝世界一〟への覇道みちって、選手それぞれで違うだろ。『秀才俺たち』が『天才』のイカれたやり方じゃ特別になれなかったり、逆に『天才』だって、論理に全振りする『秀才』のやり方じゃ、俺たちに勝てないみたいにさ」
「それは……そうだな? ……なんだ、この場合の『実力』ってのは、結果じゃなく過程の話か?」
「その通り。話クソ速くて助かる」
「じゃあ、まさか……。……俺が、お前と同じ『秀才』だから、俺を選んだとでも」

 少しでも気を張るコトを止めてしまえば、途端に声が震えてしまいそうだった。——そんなの、本当にあのクソ契約の再現みたいじゃないか。
 勝者世一は何らかの機会で自在に評価を改めるコトができるかもしれないが、敗者はあの雪辱を忘れない。もう二度と繰り返してはいけないから、忘れられない。だから世一の言葉に頷けないっていうのに、世一は構わず抉ってくるんだな。

「……『天才』ではなく『秀才』がお好みだとしても、やっぱ選択肢は多いままだ。その中に、俺以上・・の適任もいると思わないか?」

 不釣り合いな役はさっさと別の役者に振ってしまうに限る。ミスキャストの舞台が出来上がるよりマシだ。
 ——嫉妬を飼い慣らしてこそのプロフェッショナル。俺の代役に相応しい誰かを考えようとする間、いつかの演説をしていたときの自分の声がした。なぜ今その話が——なんて、とぼけても意味はないだろうが。

「——『上下』の話じゃないって言ったばかりだよな? お前『以外』にいないから、ここまでしつこく喰い下がっているんだろうが」
「……!?」

 世一が発した声には、試合終了直後から未だに続くこの舌戦の中で、最も強い怒気があった。同じく思い思いに戦場フィールドに留まる選手エゴイストたちでさえ、ただならぬ雰囲気に反射してこちらを一瞥してしまうほどの。
 仲裁邪魔されてしまうかと思ったが、まだチームメイトとしての義務感よりエース同士の本気の諍いへの慄きが勝ったらしく、空けた距離をそのまま保って遠巻きにしてくれるようだ。こういうとき真っ先に飛んでくるネスが静観と注視に留まってくれた——ちらと視た限り、大分堪えていそうだが——というのも大きいだろう。世一と俺がこれ以上声を荒げたり、軽い暴力沙汰に発展でもしなければ、とりあえずは大丈夫そうだ。

「……わり。キレながら言うコトじゃねえな」

 世一も状況に気付いたらしく、態度を一転させ声をしおらしく潜めた。冷然とした激怒の兆しを露わにしておいて、今度は邪気のない少年の貌で汗ばんだ頬に血色を灯すというのは、一転させすぎだと思うが。

「とにかく……お前だけだったんだ、カイザー。〝青い監獄〟プロジェクトとU20W杯を戦い抜いて、欧州リーグ世界で戦い続けている今だからこそ、断言できる。お前ほどムカツク相手も……俺の『理想』と思ってしまえるようなプレイヤーも、世界にお前ひとりだけだって……!」
「——は?」
眼と脳の使い方インプットと、戦場フィールド全部操れるほど高次元の合理的判断アウトプット、そしてそれを自分のゴールに繋げられる、ストライカーとしての力……! この黄金式を成立させてるのはお前だけだった。潔世一が〝世界一〟になるための欲しい眩しいモノ、お前は全部持ってた、体現してた!」
「——ぇ」
「〝青い監獄〟にも世界にも凄ぇヤツはいっぱいいたし、〝世界一〟の座にいるのは相変わらずノアだけどさ。潔世一の理想その性質においては、お前こそが世界最高唯一無二。あー、そういう意味では、お前が『以外』いないし、お前『以上』もいないって言えるな。……まあ、仮に俺たちの上位互換みたいな性能スペックしてるヤツが現れたとしても……って、カイザー?」
「————」

 気絶できるものならしてしまいたい。——足蹴にされる痛みも絞首に処される苦しみも全くないのに、防衛本能を恋しく思うコトがあるなんて予想できるはずもなかった。
 いっそ、慣れ親しみすぎて衝撃以下の現象となったそれらの方が、機械的に対処できる分マシかもしれない。コレは全く慣れていないモノだから、対処法を思考している間、容易く許容量キャパを超えてしまう。間に合わなかった思考は奔流に呑まれ、俺という存在を内側から狂わせる。そういう回りくどい過程を経て、俺を敗北に至らしめる。だからセーフティ気絶には今こそ機能してもらいたいんだが、軽い眩暈しか引き起こしてくれない。もう自分で首を絞めた方がいいか?

(何が……『理想』……)

 呑まれそうになる思考は、憤りによって保たれていた。
 この賭けを始める直前も、世一はその言葉を用いて俺を説き伏せようとしてきた。だから、許せない。——その想いを俺がお前に向けたとき、俺が一体どうなったか。

「……今の試合。それを経た上での発言か?」
「もちろん」
「俺はお前を囮に使った。世界がお前に寄せていた期待を奪った。……そんな相手を憎まなくていいのか? 憎まず認めてるような精神で、潔世一自分を保てるっていうのか?」
「悔しかったし、それが憎いってコトでもあるんだろうけど……。『理想』から眼を背けて認めない方が、潔世一自分を否定して、俺の可能性を閉ざしてしまうと思う。……まあ、後付けの言い訳だな。言い訳そんなモノ挟むまでもなく、憎くて仕方がないハズのお前のプレーを、どうしようもなく『完璧』だって思った。その俺のままで、ここまで戦い抜いてきた」
「…………」
「これから先だって、〝世界一〟になりたいから……お前にその〝世界一〟の資質を見出したコトを誤魔化したくないし……誤魔化す方が、苦しい。それって、進みたい道の明かりをわざわざ消してるようなモノだろ。非合理的だ」
「……そうして気を許したせいで、戦場フィールドで判断を鈍らせ、最終的にはその相手に遅れを取ってしまう可能性は?」

 純粋な実力差を思い知らせてやるコトだけが、敗北と絶望を与える手段じゃない。相手の精神をじわりと侵食して、気付いたときにはすっかり堕落させてしまうような勝ち方。——その勝利の経験者である世一が喰らう手とも思えなかったが、経験者だからこそ、留意や忌避の反応をしてもいいハズだ。

「え? ……そんなの、考えたコトなかったな。……でも、100%ないだろ。お前を理想視しても、お前に下りはしなかった俺のこれまでがその証拠。大体、俺は合理的なプレースタイルを目指してて、お前のそーいうプレーが好きなんだから、そのお前を目指す限り起こりようがないミスだよな?」
「俺がどれほど、お前の『理想』とやらを体現してみせても……心酔して溺れるコトはない……と?」
「そうだな。寧ろお前のプレーを視れば視るほど、喰ってやりたいと思えて俄然燃える……かな? お前視てると、俺の伸びしろ……俺の希望みたいなモノ感じて、すげえワクワクする」
「……ウソだろ……」

 眩暈どころか頭痛まで錯覚した。眼の前にいるヤツのコトを「業務連絡」を一番速やかにできる相手としか思わないよう努めていたが、今は俺の論理が一切通用しない——いや、世一は俺の論理に適いながら、さらに超然的な思考を貫いてきた。

(『理想』……)

 世一の口説き文句を反芻する。怒りを覚えてまで抵抗を試みたその印象を、世一は容易く貫いてしまった。——それが、必然だったのかもしれないが。
 世一にそんな風に想われようとしたコトは一度としてなかった。世一のコトは、ただ絶望させてやりたかった。だがその意識、そして世一が述べた真逆の印象を統括すると——信じ難い、クソ信じ難く、クソ認めてもいないのだが——、俺はフットボールをしているだけで、世一のを惹いてしまう存在、というコトになる。だから、どれほど敵意に満ちた言葉を浴びせようが、世一から主役の座を奪うようなプレーをしてみせようが、通用しない。
 今回、俺自身が創り上げたラストゴールが、その最たる例となってしまった。——アレは、〝新英雄大戦〟最終盤の展開を、勝敗の立場世一と俺を入れ替えた上で、俺なりに再現したモノだった。もちろんリスペクト元には及ばないとしても、似たような屈辱と悔恨と絶望を味わえば——俺が世一に対してそうしたように、世一も、俺から離れる決断を下すだろうと。——しかし結果はこの有様。
 世一と俺との間にフットボールと〝世界一〟への野望がある以上、世一は折れるコトなくそれらへの「理想」を追求するから、勝手に「理想」に結び付けてしまったストライカーのコトも手放さない。世一ひとりが思い描く指標に干渉する手立てはなく——世一の価値観やプレースタイルを一新させるレベルの精神操作マインドコントロールを施すのはさすがにクソ手間であり、俺の潰すべき相手を不当に負かす行為ともなってしまう——、そして同じく〝世界一〟を追う中、無意識・・・的にその「理想」に合致させられてしまった俺では、世一の「理想想い」は変えられない。それこそが、俺たちの間に横たわる必然不可能。誰かを傷つけるコトでしか生きていけない俺がその強さ悪意を磨くほど、世一は、俺を——。

(それ、は——)

『お前だけは100%殺す』
『何それ、新手のI LOVE YOU?』

 お前からのクソ激烈な悪意を、かつての俺は無邪気にも悦んだ。あのときの互いの立場が入れ替わってしまったかのようだ。

「……カイザー?」

 首を絞めてもいないのに、泣きたくなった。
 だって、その価値観はクソ物だけのモノ。存在しない愛に飢えるあまり、自他に満ちる悪意こそを愛と捉える他なかった、俺だけの。
 にもかかわらず、その俺を「理想」と見なしてしまった世一は、その特権にまで適応して、自己の欠片ピースにしてしまうのか? 俺なんかよりずっと「自由」で、俺への殺意もそれ以外も両立させてしまえるとしても、限度があるだろ。世一は、俺の敵。つまりはクソ親父と同等の加虐者。そうで、なければならないのに。「不自由」な被虐者の価値観世界なんかに、飛び込もうとしているのか?
 ——嫌だ。世一がそれを、「理想」としてしまうのは——!

「……カイザー。いい加減認めて、この賭け終わらせようぜ。反論の手札はもう尽きたんだろ?」俺が押し黙ったのを好機と誤解したらしい。世一は目聡いような、見当外れのような降伏勧告を突き付けてくる。「自覚してるかどうかは分かんねーけど。そっちの勝利条件の一つは、俺に向けるお前の感情が、嫌悪のみだってコトの証明。……でもお前は途中から、俺の感情を試すコト……いや、お前にとっては多分、俺の感情を否定するコトのみに執着し始めた。条件から多少逸れてでも、自分自身の思考を表出させないやり方しかできなかったんだとしたら、お前はもう、とっくにこの勝負——」
「——クソ黙れ! 何も知らないお前が、俺を量るな!」
「え——……?」

 世一が、そんな「理想」と同じになるのは——同じ目に遭うのは、嫌だ!

「お前と俺の存在は重ならない! クソ物を『理想』呼ばわりできてしまうような、おめでたいクソ節穴道化ピエロに、俺の思考との同化なんざクッソ不可能……!!」
「——ッ!」

 胸倉を乱暴に掴まれながら身体を強引に手繰り寄せられ、クソ失言の自覚を深めた。——賭けの最中、とにかく世一に悪意を向けなければと画策し、瞬間ごとに台詞を練りながらも、「道化ピエロ」だけは言わないよう努めていた。そして俺から先に世一に向けてしまえば、巡り巡ってこちらに返されてしまう、曰く付きの死刑宣告フレーズのようなモノ。「どの口が」と罵られてしまうコト請け合いの、醜い墓穴を晒すサイン。そして世一も、一線を越えるこの失態を見逃すような甘いヤツじゃない。
 ——だが、まあ。禁句を口にしてでも、世一の不興を買えたなら、いいか。

『クソおつかれさま、俺の最高道化マイベストピエロ

 「巡り巡って」とは言わず、今すぐにでもあの嘲りを向けてくれたらいい。世一が俺を視る眼差しに、熱い輝きなんていらない。世一の絶望顔なんて知らないが、だったらせいぜい、今浮かべているような冷蔑の情こそがお似合いだ。

「——初耳なんだけど。どーいう意味だよ、それ」
「……は?」初耳?
「『クソ物』とかいう造語。いきなり造語使われたら説明求めるに決まってんだろ、答えろ。——まさかそれ、お前のコトか?」

 あー、やってしまった、クソ面倒。コレも常々口には出さないようにしていたんだが。取り乱して良いコトなんて無いな。
 ——本当にクソ面倒だな。以前ネス相手にも同じ失敗をしたが、一方的に好き勝手な反論を展開したネスと違って、世一はこの造語そのものに強く反応してさらなる言葉を要求している。完全に想定外かつ前例のない事態で、クソ率直に認めてしまうと、どう答えるべきか分からない。クソ親父には散々説明されてきたが、世一相手にそれの受け売りをしろと?

「どうした。らしくもなく、また黙秘か? ……俺もここまで言わないでおいたけど……お前、さっきからおかしいぞ」
「はぁ? お前に言われたくねえよ、俺の方がクソ正常」

 答えるべきかどうかの結論は棚上げし、眼前の怒りを睨み返しながら首を捻る。
 世一からの敵意や罵倒は何度も浴びてきたつもりだったが、この激怒は間違いなく、最上級にクソ強烈な性質。かつ、数々の前例とはどこか違う——〝新英雄大戦〟中、似たような事例ケースを視た気もしなくはないが——、とにかく異質なモノだった。
 しかも、世一自分に向けられた「道化ピエロ」じゃなく、世一宛てではない「クソ物」に反応して起こっているらしいというのがクソ謎すぎる。その怒りの方程式カラクリが分からなければ、こちらとしても対処のしようがない。

(世一も、同じように罵られて育った、とか……)

 ——それはクソありえない。そうだとしたら世一はもっと「不自由」なヤツになっているし、俺たちは結託できずに駆け引きをするハメにもなってないだろう。

「……。『さっきから』、って、どういう……」

 試合中は〝業務連絡〟しかしていなかったよな? とすると試合を終えてから、今に至るまでのやり取りの中。——どんなに悪意を向けても手応えはなかったという印象しかないが。それでも、世一が特異な苛立ちを僅かでも覗かせた瞬間はあっただろうか?

『その数ある選択肢の中から俺なんか・・・を選ぶ理由として、お前にとっての『悪意』は、たとえ特殊であってもクソ弱い』
『……なんか俺の意志想いをぞんざいにされてる感じで腹立つけど……』

『その中に、俺以上・・の適任もいると思わないか?』
『——『上下』の話じゃないって言ったばかりだよな? お前『以外』にいないから、ここまでしつこく喰い下がっているんだろうが』

(……なるほど)

 多分、俺が俺を多少卑下するような物言いが、世一の苛立ちの条件になってる。
 分かってしまえば、案外クソ単純な問題だったな。たとえ本人の弁だとしても、「理想」を下に置かれるような表現は癪だろう。確かに俺だって、ニーチェやフロイト、ナポレオンの理論を無根拠に否定されようものなら、勝手に彼らに成り代わり、ソイツを罵りながら反論してしまいそうだ。その怒りに感じた異質な印象の正体は、俺に向けたモノでありながら、俺を謗られたせいで発生したモノだったという、初めての感覚を味わったせいか。
 しかしその独断報復が、中傷された本人の益や名誉になるとは限らない。

(どの道クソ面倒じゃねえか……)

 残念ながら、その「クソ物」こそが俺の存在証明アイデンティティ。ニンゲンの価値観でどんなにクソ惨めな質であろうと、俺にとっては唯一守るべき尊厳だ。よって、口走ってしまったコト自体がミスだとしても絶対に撤回できない。かといって律儀に説明したところで、世一は、ますます——。

「——ッ! 離せ、世一!」
「!」

 どんなに怒りが込められていようが、世一の片手に掴まれる程度の拘束、造作もなく振り解けた。
 ——視えた、閃いた。世一を絶望に叩き堕とす、クソ起死回生の新兵器を! ——いや、ここは敢えて、原初の兵器とでも呼ぶべきか?

「ここまでだ。記者たちを待たせてしまっているんでな」
「あ……」
「……しかしお前は助かったなぁ、世一? お前には記者たちと違って、こんな『クソ物』に構うコトなく、有意義に時間を使える権利があるんだ」
「——! テメェ、まだ……!!」

 再び向けられた鬼気迫る形相を、ただこの胸に透き通る涼風同然に感じていた。——クソ想定通りの反応に、困惑も驚愕も覚えはしない!
 やっぱ「クソ物コレ」だ。舌戦の焦点は世一ではなく、世一の眼に映る俺。だから俺は世一ではなく、俺自身への悪意を示さなければならなかったんだ。
 世一の「理想想い」を否定するために、その「理想」自体を貶める——理論と呼んでしまうにはあまりにも単純で、ガキだって思いつけてしまいそうな、たったそれだけのクソ簡単な論理で良かったんだ! しかも、「理想」がクソ物であるコトは生まれついてのクソ事実。その惨めさも醜さも、一切の虚飾や誇張無しで成立する! 俺はただ真実を述べているだけで、世一の望みをクソ潰せる!

(そうして、世一が……。……〝カイザーは輝かしい「理想」なんかじゃなく、愛するに足らないクソ哀れな存在だった〟、そう、思い直して、くれたら……)

 そのときこそ、また俺をただ憎み蔑むだけの存在となってくれるに違いない。——親父と、同じ存在に。

『このクソ物!! 死ね!! 消えろ!!』
『俺に跪けよ、クソピエロ』

 異なる記憶、しかし俺に向けられた悪意暴言という同じ現象。その共通項を以て、二つの影が重なり馴染む感覚に、違和感のない心地良ささえ見出せてしまいそうだと思った。
 ああ、最高の気分だ。〝世一を絶望させる〟——一時は不可能と思い込んでしまった目的を〝可能〟としてくれたのが、クソ物俺自身だったなんて。

(世一から俺への認識を、このままクソ親父からのモノへと一致させる。……そのため、には……)

 今試したように、言葉を交わすごとに「クソ物」を自称してやる——というのは無い。そもそも世一とは「業務連絡」以外で言葉を交わしたくなかったから、この論戦を長引かせたくはなかった。世一にとっては意味不明な造語をひたすら重ねるコトで世一の怒りを募らせていく、というやり方も非効率的な気がする。やるならもっと端的に、合理的に。クソ親父がはじめから・・・・・俺を最低最悪のゴミと定めていたように、世一にもその疑いようもない真実全貌を知ってもらった方がいい。クソ都合の良いコトに、世一だって説明を要求しているしな。
 ——でも、それは。

「カイザー」フィールドを後にすべく踵を返し芝を踏めば、背後から刺し留めるような声で凄まれる。
「……取材が控えてるって言ったろ。今は引き分けってコトにして、後日の延長戦を特別に許してやろう」

 背を向けていて良かった。——カオを視られていない分、余裕ぶった平静な態度を装いやすい。

「この状況でまだ引き分けとか何様だよ。しかも、避けたかったハズの長期戦を許すとか、焼き回ってんじゃねえの。……今のお前、悪い旗色隠して逃げてるようにしか……!」
「ご安心を、クソ世一。——俺は、逃げも隠れもしない。お前をクソ負かすための切り札を使えるんだからな。そっちこそ、トドメ刺される寸前で見逃されたって立場だってコトを自覚しろ。短い猶予期間の間、せいぜい下らない失恋の覚悟でも固めておけ」
「……カイザー……」

 決して強がりなんかじゃない、勝利の確信に満ちた宣戦布告。——なのに、一度も世一の方を振り向けずに唱えていた。沸々と燃え盛りながらもまだ煮え切らない怒りと物言いたげな疑りに、左胸を貫かれる心地でいた。

 世一の理想視を貶め、俺をただ憎ませる方法として、考えられるのは二つ。うち一つは〝新英雄大戦〟での試合のように、ピエロ呼ばわりされるレベルの醜態を晒すコトだが、言うまでもなくそれはボツ。クソ論外。いくら何でもフットボールは犠牲にできない。それこそが唯一の尊厳クソ物なのだから。
 よって、世一に明かすのはそれ以外の醜態。——つまり、俺の過去、俺の正体、「理想」なんて言葉が到底似合わない惨めさを、その全貌を、嘘偽りなく世一に教える。「逃げも隠れもしない」というのは、そういう意味だ。
 これならクソ確実に勝てる。「理想」失墜の現実に怒り狂って失望するか。同情や憐憫に思考を染められ、「理想」という気高く崇高な認識を保てなくなるか。——世一には、その二択しかなくなる。自分の想いをどうしようもない現実に踏み躙られ、諦めて絶望してくれる。「理想」の称号を置けなくなった俺なんかと同じ世界になんて、踏み入ろうとはしなくなる。

「…………っ」

 再戦の瞬間、俺の勝利も欲望も叶う。その甘美な予感を脳に溶かせば、呼応した心臓がどくりと高鳴る。
 鼓動の感覚は好きだ。規則的で機械的で、おおよそ生物ニンゲンらしくないリズムでありながら、生の実感をくれる現象システム。——だから、一定間隔を保ちながらも波打つような激しさを帯びてしまった今のコレに、悦びなんて感じない。生の実感こそ得られたとしても、それは同時に、死へのカウントダウンであるかのよう。

『お前をクソ負かすための切り札を使えるんだからな』
『短い猶予期間の間、せいぜい下らない失恋の覚悟でも固めておけ』

 世一に告げたばかりの台詞が、痛む脳の片隅で谺する。——この場合、本当に負ける惨めな側となるのがどちらかなんて、考えるまでもなく理解ってしまいそうだ。

(……使いたく、ないな……)