Novel/BLL-潔カイ
【サンプル】ラスト・サマーバケーション(全3ページ/1ページ目)
「……じゃあ、潔。追試の結果と……お前の、卒業の件だが」
「! はい!」
肌にじわりと浮かぶ汗は、窓ガラス越しに浴びる残暑の夕日のせいじゃない。それを堪えて握りしめるように膝の上で拳を作り、背筋を伸ばし、真正面を堂々と見据える。
逃げも隠れもしないという意気で担任の眼に穴を開ける勢いの視線を保ちながら、その視界の端では担任が持つ紙束を捉え、密かに唾を呑み込んだ。
(……いや! ……大丈夫! 絶対、大丈夫!)
その紙束は、俺が先日受けた追試の解答用紙。果たしてどんな採点が下され、記されているのか——結果次第で、潔世一の命運が決まる。
まず、担任が今言った通り、俺の高校卒業が懸かっている。そのために受けた追試だ。——そのため、以外の理由も目的も、最初は無かったんだけど。
(絶対……! 負けてたまるか……!)
俺は、この追試の成績で——ネスと競う事態になっていた。
言うまでもなく、かの憎き皇帝の差し金で。
日本の高校生である俺がドイツ人のネスと学業成績で競い合う。こんな突拍子も無い展開、複雑な経緯を重ねに重ねでもしない限り起こらないに決まってる。
それはもう、色々あった。俺ひとりの成績の話で、海の向こうにいるヤツが動くくらいだからな。
発端は一ヶ月程前。——現段階の俺たちにとって最大の決戦の舞台であるU-20W杯、その幕が下りた。従って〝青い監獄〟プロジェクトも一時終了。俺たちは再び日本代表として収監されるその日まで仮釈放の身となり、各々の外界へ戻り——そして、フットボーラーとしての将来を進む準備に取り掛かる。
もちろん俺も例外じゃない。〝青い監獄〟に交渉をサポートしてもらいながら、〝新英雄大戦〟にて勝ち取ったバスタード・ミュンヘンからのオファーを正式に受託。高校卒業後、下部組織に合流するという日程で合意。
——来年、ドイツに行くんだ。監獄での選考の一環だった〝新英雄大戦〟のときとはまた異なる立場だ。子供の頃から憧れ続けたバスタード・ミュンヘンを、潔世一がサッカーをする場所として——俺の生き場所として定められた!
なんて、今すぐ浮かれてしまいたいところだけど——高校は卒業する、ってコトにもしてあるワケで。
『〝青い監獄〟期間中は公欠扱いになってるとしても……成績とか、色々足りてないですよね? 俺って、どうすればいいですか?』
半年振りに顔を出した母校——「母校」なんて思ってしまうほど遠い昔の場所のようでも、一応、引き続き在籍中——にて、先生方に諸々相談した。結果、短期集中的な補習と補習後のテストを設けてもらうコト、その補修の出席やテストの点数をもって、〝青い監獄〟収容期間中ずっと空白だった成績を埋めてもらえるコトが決まった。
ありがたい。先生方のご理解と声援に、俺の気を散らす肩の荷が下りるのを感じていた。補修には真面目に出席し、課題だって余さず提出する。その日々を一週間ほど乗り切れば、あとは最後のテストを受けるだけ。それで成績や卒業の件については万事解決。
しかもテストを終えた後は夏休みだ! 勉強のコトから解放されて、録り貯めていた試合を観て、自主トレーニングをして、それから——!
「一週間の補習、それからテストお疲れさん。でな、潔……。その、言いにくいんだが……。——このままじゃ、卒業は難しいな……」
「え?」
七月末、補修最終日翌日のテスト返却日。
目先の夏休みに夢中になっていた俺は、苦虫を噛み潰した表情の担任が下した宣告を、すぐに理解するコトができなかった。
「……なっ、ど、どうして……! なぜですか、座居流先生!」
理解するより先に混乱した。机を両手でバンと叩いて立ち上がるというベタな抗議の仕草を、担任の先生相手に披露する。
「補習は欠かさず出席しました、提出物も出してるハズです! それでテストも受けた……。三十点以下じゃないなら、俺は、もう!」
「あー……。取ってんだよ、赤点。しかも三教科」
「⁉︎」さ、三教科⁉︎
「とりあえず、テスト返すぞ。まずは現代文からー……」
七十四点。続いて古文漢文が六十七点。英語七十二点。世界史七十点。公民五十二点。
なんだ、思ってたより良い感じじゃん! 特に英語の点数が伸びた気がする。〝青い監獄〟での僅かな語学学習期間が実を結んだ——ワケではなさそうだけど、海外生活へのイメージが強くなったおかげかも? 今更英語で躓いているようじゃ、ドイツ語覚えてられないもんな。
「文系科目は良いんだが……。問題は理数系科目だな」
「……ゲ……」
数学、二十八点。化学、二十一点。物理、——はぁ⁉︎ ちょっと待て、何で物理の点数こんなコトになってるんだよ!
「——。…………」
×印だらけの解答用紙を握りしめ、無念の着席。
理数系が苦手という自覚はあったけれど、今回こんな結果になるとは思っていなかった。「ここは当たっているだろう」と思っていた箇所をことごとく外してしまったみたいだ。事前に勉強だってしたんだけどな。教科書に書いてある内容から、テストの難易度が飛躍しすぎじゃね?
——責任転嫁は良くない。公式だけ覚えても——そもそも公式全部覚えられていたかはどうかはともかく——俺の応用力が足りていなかったんだ。いくら補習を受けたとはいえ、付け焼刃の学力で苦手科目に立ち向かうなんてクソ甘だった。
(特に物理が相変わらずヒドい……)
戦場であれほど駆使し続けた空間把握能力と論理的思考はどうしたんだよと方々からツッコまれそうな結果であり、俺だって俺を問い正したい。
——問い正された俺は、こうなって当然だろうと開き直りたくなる。サッカーと勉強を比べるコト自体が間違いだ。サッカーに注ぐのと同等の情熱を、他のモノにそう易々と向けられるハズが無い。
(——あれ?)
もしかして今、フットボーラーとして開き直る場面なのか? だって、成績のために反省したところで——その反省を生かせる機会、今後残ってるのか?
じゃあ——俺、ここで終わり? 卒業、できなく——。
「まあ潔。……先生たちだってな、お前を卒業させてやりたいし、お前の進路を応援してやりたいんだ」
「……! 先生……!」
温情の気配を察し、見るも無残な解答用紙からがばりと顔を上げた。担任は哀れみと慈悲深い眼差しで俺を見ていた。
「数学・化学・物理についての追試をしよう。日にちは……九月三日」椅子から立ち上がり、教室の壁際まで移動した担任が、そこに架けられているカレンダーを二枚ほど捲った。「皆が夏休み明けのテストを受けるのと同じタイミングだ。潔には、皆とは別の、お前用の追試をやってもらう」
「……ぇ、ぁ……」
「その追試で各科目五十点以上を取るコトができたら、そのときお前の卒業を認めようじゃないか。な? だから夏休みの間、しっかり勉強しておけよ?」
「……! ——ま、待ってください!」
「ん? 何だ?」
思わず、担任の元へと駆け寄った。
返されたばかりのテストの惨状なんかよりもずっと認めてはならない話が進行されようとしていたから、絶対止めなきゃならなかった。
七月と八月を飛ばして示された九月のカレンダーを視て、首を何度も横に振る。
「……九月初週は、無理です。その週から、クラブの、サッカーの用事で……。……ドイツに、行かなきゃならないので」
「そうなのか?」
「はい。……ワガママ言ってるのは分かってます」
ただでさえ、出席日数も成績も足りてない状況への救済措置を仰いでる最中だ。なのに救済された途端にまた——今度は短期間とはいえ——休学しようとしてるとか。
「でも、どうかお願いします。……追試、別のときにしてもらえませんか」
九月二日からの二週間ほど、特例で——バスタード・ミュンヘンの合宿に参加させてもらえる予定になっている。
正式な入団こそまだ先だけど、現地でのプロの世界を体感し、今の俺の実力を試せる絶好の機会。何より俺は、正式入団までの数か月を〝監獄〟外の自主練のみで過ごさなきゃならないから、短期間でも世界級の環境に身を置いて練習できる貴重な権利を決して逃したくない。サッカーをするための感覚を、少しでも研いでおきたい。
「う〰ん……。それじゃあ……」
担任はカレンダーを眺めてしばらく唸ると、手で抑えていた八月分を下ろした。——俺としては、九月分も上に上げて十月に、という展開を期待していたんだけど。
「お盆明けの八月十九日はどうだ? 九月に入ってから日本を発つなら、それで間に合うだろ」
「は、八月十九日……。……五十点……」
わなわなと震える手をなんとか持ち上げ、握りしめたままの解答用紙へと視線を落とす。
今から一ヶ月足らずの時間で、この見るに堪えない数字を果たして「五十」へと変えられるのか。
正直、分の悪い賭けだ。欠いてしまう約半月の猶予が途端に物凄く貴重なモノのように思えてくる。合宿参加権を死守した先で、今度は卒業が遠のいているのでは。夏休み明けに受けた方が、絶対、まだ勝算があった。
「……はい。その日で……八月十九日で、お願いします……」
——そりゃあ、合宿の方を——〝フットボーラーの潔世一〟を優先するに決まっている。
全く別の、できるコトなら臨みたくない勉強に身を投じてでも。学生の自分が、「卒業……」と内心でどれだけ怯え嘆こうとも。
その学生に直撃蹴弾を喰らわせたストライカーだって、苦々しい思いで球を蹴っていた。〝学生〟に何とか無事に卒業してもらわなければ、心置きなくサッカーができないので。
『世一がそうしたいって言うなら、高校のコトは気にしないで、ドイツに行ってもいいんだぞ』
『そうよ、私たちにだって遠慮しないで。世っちゃんのやりたいコト、行きたい場所、望む生き方……。私たちは、いつだってそれを応援しているんだから』
重い足取りで校舎を後にしながら、握りしめた解答用紙さえ優しく包み込んでくれるかのような両親の言葉を思い出す。
両親が言ってくれた通り、本音を言ってしまうと、今すぐに学校を辞めてミュンヘンに行きたい。
もちろん、勉強から逃げるためなんかじゃない。フットボーラーとして生きたい潔世一が、後戻りのできないその人生への覚悟を示すため。
一難に戻る前、その選択だって当然考えた。「高校は卒業しよう」というどこか堅実な思考は、「俺のサッカー」のためじゃなく、「俺」の見栄のためでしかないんじゃないかと。所詮は戦場に持ち込めない無駄なプライドで、捨てても良い業績だろうと。
「俺のサッカーのため」という判断基準はあまりにも強力で、本来ならコレを持ち出した瞬間「卒業せずに渡独」という進路は決まっていただろう。
一方で、卒業を選ぶ理由も浮かばなかったワケじゃなかった。——例えば、絵心さんや帝襟さん、愛空や冴を嘆かせしかし〝青い監獄〟を生んだ国、そして俺がこれからW杯で優勝させてやろうというこの国に改めて向き合い、暫しのお別れを告げるための時間が欲しかった、とか。無名のFWでしかなかった自分の原点を、あの頃の自分が視ていた景色を、もう一度胸に刻んでおきたかった、とか。
——けれど記憶を手繰ればいつでも浸れる感傷そのものより、戦場に身を置いて自分のサッカーを一分一秒でも速く進化させる行為こそが、想像だけでこの胸を熱くさせて、潔世一が必要とする本能的な衝動をくれるってコトも、やはり間違い無かった。
だから「これからの俺のサッカーのために高校卒業はしない」という選択肢に対抗できるのは、「これからサッカーをするために高校を卒業する」と心から想える理論だけだった。
「俺のサッカー」に繋がる〝過去〟じゃなく、〝今〟まさに、そして〝将来〟においても直結している——そんな、理論が。
『……世一は、学校に通っているんだな』
『まだ十七だからな。……あ、もしかして、日本とドイツじゃ、年齢と学校のシステム違う?』
『クソ知らん。学校行ってねぇから詳しくない』
『……は? 学校行ってない? ……じゃあ、何でそんなに博識なの、お前。……ミュンヘンに移ってから、教えてくれる人でもいたのか?』
『そんな都合の良いヤツいるかよ。ニンゲンから何かをまともに教わった経験なんてあるもんか。ただ使えるかもしれないと判断した知識に、手当たり次第眼を通していっただけだ』
俺の人生全てを戦いに懸ける意志。その証とするため傍に置くと決めたフットボーラーとの会話だった。
渇いた笑いを交えた口振りだったけれど、自分の目的のため合理化された手段を選ぶ思考と、眼に映るモノを自分の道具に変えてサッカーに利用し尽くす貪欲さが、俺には眩しくてならなかった。
アイツの思考を創り上げる要素のうちいくつかが学術的な質をしているなら、俺も少しは勉強に向き合ってみようかなって、自分から思えた。完全な独学でここまで昇り詰めているヤツの傍らで、潔世一はこの成績のまま高校抜け出しました、っていうのもダサいだろ。
(それって、ホント……。……見栄のため、なんだよな……)
少しでも、アイツに誇れる自分でいたい。胸を張って再会したい。マウントを許してしまいかねない弱点をできる限り埋めておきたい。そして——あわよくば——さらに高次元のモノになったアイツの理論を同じ次元で喰い返すコトができたら、俺はもっと〝世界一〟に近付けるし——アイツの思考を、俺のモノにできる。
卒業を志す第一の理論に向ける想いというのが結局それだ。——癪だけど、迷いに迷っても捨てきれない欲望だったから。不要なプライドなんかじゃなく、俺の未来のため昇華しなければならない挑戦なんだと認めてしまうコトにした。
『卒業したら、今度は俺が、お前に逢いに行ってやるから』
——とも言ってしまったし。
ちょっとカッコつけたつもりで口にした台詞に、まさか自分に跳ね返ってくる厄介な条件が含まれていたなんて。ほんの一週間くらい前の自分を小突きたいような、「しょうがねぇな」と頭を撫でてやりたいような。そんな気持ちで右手の指を擦った。——ドイツでは、結婚指輪は右手に着けるらしい。
合宿に参加するならそれよりも早い再会になるだろう。だったらなおのコト、目下の憂いを断った状態で、堂々と逢えるようにしなければ。
(……よし!)
半月と数日先の追試。絶対に合格して、卒業を勝ち取ってやる!