Novel/BLL-潔カイ
【サンプル】再壊/2-1
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「で?」
「——……んぇ!? は、何…!?」
たった一音で覚醒する。
心地良い微睡み、静穏な香り。それらに満たされた世界を名残惜しみながらも、一瞬で覚めた意識は潔く現実へ戻る。カーテンの間からふわりと溢れる柔らかな朝日を視界の端に捉えつつ。
香りだけは、現実まで続いている。窓とは反対側の隣からほのかに漂うそれに、気は真っ先に惹かれていた。
「……カイザー……」
ずっとこの視界に入れてきた、けれど今は状況と装いのせいで見慣れないとも感じる美貌。
——そうだ。俺、カイザーを連れ出して、監獄の外に。
山奥に建てられた監獄と、麓の最寄駅を繋ぐバスに始発で乗って、それで——。
(めっちゃ寝てた……!)
——クソ薔薇の隣で?
(……!? ……!)その驚愕が、まだどこか夢見心地でいた意識を強烈な衝撃で叩き起こした。
ウソだろ、マジで? 連れてきたんだから隣の席にいるのは当然だけど、だからって、こんな。
——忌み嫌った宿敵だぞ。倒したからって気緩みすぎなんじゃないのか。——それとも——
「……あ……! えっ、と……」こんな思考は後だ。カイザーに何か聞かれてる。
「このバスはもうすぐ着くようだが」
カイザーを呆然と見つめ——内心では慌てふためき——何も答えられていなかった俺に、カイザーが質問の言葉を足していく。カイザーだって「で?」としか言ってなかったような気がするけど。
「その後。……どこに連れていくつもりなんだ」
席の肘掛けを使い頬杖をついて尋ねてくる姿こそ、皇帝然とした立派で高慢な態度に見える。けれどサングラス越しに潔を見遣る瞳は、もう見るモノ全てを嘲るように歪むコトも、眼の前の敵を喰らい潰そうという不遜で挑戦的な輝きを湛えてもいない。別の色のレンズによって一様に塗り潰された碧眼は、ただ暗澹とした色に変わっていた。
〝その後〟になんて、本当は興味も無いのかもしれない。——自分の末期くらいは伺っておこうという、投げやりな問いかけのように聴こえた。
(どこに、か……。……)
——何も考えてなかった。とにかく〝監獄〟の外に出るコトだけ願っていた。
「……。『もうすぐ着く』って、何で分かったんだよ」思考のための時間稼ぎをすべく、こちらからも疑問を投げかける。
別の話をしているうちに、何か良いアイデアが浮かんでくるかもしれない。
「窓のカーテン全部閉まってんのに」
二つ並んだ席のうち、潔が窓側、カイザーが通路側。窓側くらい譲ろうと思ったが固辞された。すっかりしおらしくなってしまった皇帝が、身を乗り出して潔越しにカーテンを開けたとも思えなかった。
「迎えの車に乗せられて、麓から山頂に向かったときも、このくらいの時間で着いた」
皇帝は生気の無い表情で淡々と答える。——今まさに眼に映った走馬灯の内容を、無感動に読み上げたみたいに。
「……。なるほど……」
解禁されたスマホの存在を思い出し、久々に点けてみる。真っ先に表示される現在時刻曰く、シャトルバスに乗り込み監獄を出てから経過した時間はおよそ四十分程度、らしい。
一時間も経っていない。——その短時間で、こんなにも良く眠れていたのか。
「…………」
寝起きの、そして行き先に迷う脳ミソを支えるフリをして頭を抱える。一時間未満の経過時間という具体的な数字付きの情報が脳に加えられ、現状の捉え方がまた一段と進んでいく。
(……ヤバくね……?)
改めて、感じる。嫌悪した宿敵とふたりきりの車内で眠りこけていたという異様さ。そしてソイツの存在を通じて得ていたかもしれない快感の深さ。——潔とカイザーの間で起きていた現象がソレって、あまりにも。
自分自身へと向けるつもりの苦し紛れの笑みを作り、不可解な現象を誤魔化そうとしてみれば、口の端が思ったよりも吊り上がってしまう気がして、慌てて口元を手で覆う。眼も閉じれば欠伸の仕草と変わらないハズだ。どうかカイザーに不自然に思われていませんように。
(こんな自己分析、後回しにするとして……!)結局、問題の棚上げという無理矢理な誤魔化し方を取るしかなかった。
(——。カイザー、は……)
——寝れたかな。
俺ほどの熟睡とまではいかなくても、ほんの仮眠くらいは摂れたかな。
カイザーの眼元は薄く色付けられたサングラスに覆い隠されている。視界に収めたところで、表情なんて映らない。分からない。
(……まぁ、いいか……)
着席するなり瞼も下ろしていた俺を、カイザーは起こした。〝青い監獄〟と降車場所までの距離や時間を考えていた。
つまり、「カイザーは寝ていたか」「休めていたか」への答えなんて、俺が目覚めた瞬間にもう出ていたってコト。——カイザーは、外の状況や俺に対してずっと注意を割き働かせていたんだから。
(寝れる方が……おかしい、か……)
脳、それから胸の奥がズキリと鈍く痛んだ。さっきまで気持ち良くなってたクセに。今更、寝不足のフリをするみたいに。
「……」
——この閉塞感から逃れたかった。窓越しでいいから、朝日を浴びてしまいたくなった。
そんな思いで、ご丁寧にも「BLUE LOCK」の文字とマークが描かれたカーテンの隙間を、指でそっと広げてみる。視界を窓越しの外界へと繋げる。
「……ッ、……」
木漏れ日のようだったそれは、俺の指先の動き一つでたちまち鮮明な光へと変わっていった。白く眩む視界に反射的に瞑った眼をその光に少しずつ適応させながら、光を遮る青い幕を続けて少しずつ解いていく。
「……——」
——梅と菜の花に飾られて、淡く朗らかな暖色に染まる街路。霞がかった中に綿雲を浮かべる柔らかな朝焼け。
都市部ではなく山間部に相当する立地とまだ早朝という時間帯のせいか人気はあまり感じられないものの、その分鮮やかな光景を、印象を存分に享受できる。人を麗らかに弾ませていく空気が、辺り一面からガラスを越えて伝わってくる。
監獄の中からじゃ視れない景色。一ヶ月と半月ほどを遡る前回の仮釈放期間よりも一段と彩りを増した世界が広がっている。
より深く、激しくなった〝青い監獄〟の〝青〟とはまた違う。〝監獄〟で生き続ける潔世一がしばらく忘れてしまっていた、真新しくも懐かしい空の色だ。
——そうだよな。今はもう、春の最終局面。最後の盛りなんだ。
季節とその流れを、ここまで明確に感じ取れている。——俺は今、本当に、〝監獄〟の外にいるんだ。
「……駅で降りたら、電車乗って……」
自ずと、先のコトを口にしていた。
予定や計画は依然として創れていない。ただ、眼の前に広がる春の世界にふわりと駆り立てられて、早く踏み出してみたいという気持ちだけがほんの少し先走ってしまっただけ。
具体性ある想像ならもう即興で編み出すしかない。自分から〝時間稼ぎ〟を解いてしまったんだから、もう先延ばしも後戻りもできないし、しなくていい。
(行き先……。カイザーはこの後、銀座に滞在するんだっけ……)
ただ送り届けるように直行するよりは、寄り道して別の街に行きたい。
「……また、渋谷……にでも行ってみるか……」
——決定を下した直後に、ちょっとだけ後悔した。
(『また』なんだよ……。渋谷なら、前回の休暇で〝青い監獄〟と行ってんじゃん……)
別に、言うほど通い慣れてる街ってワケでもない。渋谷の中でも行ったコトの無い場所に足を運んでみるのも良いかもしれない。そう捉え直せば後悔は多少薄れていくけれど。でも、とにかく——俺らしくない決断だった。
(なんで、こんな選択を……)
成功体験があるからか? 一度〝青い監獄〟と〝休暇中〟に集い遊んだ記憶が、単なる思い出に留まらずに、知らぬ間にある種の方程式として俺の中に確立されてしまったのか?
だとしたって、戦友たちとの集いだったあのときと今とじゃ条件が違う。他の条件を揃えたところで、決した勝敗と再契約で縛っただけの敵に通用するとは限らない。俺が辿りかねない末路じみた今の敗者を否定したいからって、短絡的に勝者の方程式を頼ってしまったのか?
(……間違った選択だったと決まったワケじゃない。ここからだろ)
そう認識できているし、内心何度も唱えて自分に言い聞かせている。それでも、自分の内側に少しだけ奔ったヒビを埋める理論としては、やはりまだどこか欠けていた。
——どうせ、カイザーと出かけるなら。
潔世一にとっても、完全に未知の場所まで行ってみたかった、かも——。
「……何だよ」
窓の反対側から、訝しみの視線に背を刺されて振り向いた。
そちらから尋ねてきたクセに、行き先の希望なんてどうせなかったクセに、皇帝は頬杖をつき文字通り斜に構えた姿勢のまま、そして——サングラスや前髪のせいで多少分かりにくいが——眉間の間に少しだけ皺を増やしていた。
皇帝の態度を咎めるつもりはない。俺にだって、勝者の身分を振りかざして横柄な行動に出ている自覚くらいはあるから。
ただ今は、ちょっと。水を差されたっていうか——掴みかけた小さな欠片を、横から指先で弾かれ呆気なく砕かれた、みたいな気分にさせられて、ちょっとムカツイた。
「別に。大したコトじゃない」
ただでさえ遮られている視線はいよいよふいと逸らされてしまう。
——その言い訳もムカツク。価値の無い発言をする敗者を勝者がわざわざ連れ出すワケないだろ。
「……。……ハァ」
負けじと睨み続けられてしまい、諦めの悪さに呆れ半分で観念したのか。それとも、今の身分でも思い出してしまったのか。カイザーはため息と共にようやく口を開く。
「随分と、らしくないご選択で」
「な……っ!?」
予想だにしなかった不意打ちが、胸の内に隠した自分自身への後ろ暗さを刺した。——まるでこちらの心の中まで完全に読んでいたかのような、正確無比で冷酷な一撃。カイザーに真意を白状させた達成感と優越感から、瞬く間に突き落とされてしまった。
「行き先なんて、ホントは決めていなかったんだろ」
「……あ、ああ……。それはそう、だけど……」
考えながら予定喋っていたのは明らかだっただろう。〝時間稼ぎ〟だって巧妙な出来ではなかったかもしれない。なので無計画がバレるのは全然良いし、隠してるつもりとか後ろ暗さとかもそっちには無かったんだけど。
「世一にしては計画性が無さすぎる」
「え……」
ところが、カイザーはそれにこそ首を傾げていたらしい。
——カイザーの視線に気付く瞬間まで内心に思い浮かべかけていたコト含めて全部把握されてたワケじゃなさそうで、ホッとするやら——それはそれで、少しモヤつくような。
「クソわざとらしいんだよ。完璧な振る舞いに徹するよりも、敢えて抜け目を曝け出してやるコトは、人心掌握のクソ基本だからな」
「は……? はぁ……?」
「それとも、俺ごときには計り知れない魂胆でもお持ちで? そうじゃねぇのなら、ご立派なクソ支配者様であるコトを放棄してまで、んなクソ小細工の手間なんか割かなくていい。……もっと明確で強大な論理が既に出てるだろうが。敗者は逃げも隠れもせずにクソ服従してやるから安心しろ」
「……。……痛くも無い腹探られてたっていうのはよーく分かったわ……」
要するに。——どうやら潔世一のコトを、あらゆる事象を予め視野に入れ、計算し、その結果全てを掌の上で転がすような人間だと思ってるらしい。よって、そんな人物像とはかけ離れた〝無計画〟もまた計画の一環、だと。——皇帝を懐柔するための。
で、そもそも潔に負けてる以上、懐柔なんかされるまでもなく潔に従う他ないから、見え透いた余計な演技なんてするな、と。「明確で強大な論理」っていうのは昨日の勝敗のコトだろうな。
「…………」
何と返すべきか。——何から、想えばいいのか。
一瞬では浮かぶ欠片を処理しきれずに、俺もカイザーから暫し外し、代わりに斜め下の床をどうにか睨んで押し黙る。
(支配者、かぁ……)
——少し熱を帯びてしまった片頬を、人差し指でそっと掻かずにはいれなかった。
潔世一のコト、そんな風に想ってたんだ。
いつから? カイザーはもう皮肉以外言ってるつもりは無いかもしれないけどさ、こんなんもうクッソ褒め言葉だろ。まぁさすがにコレくらいは想うし言うか。結果も出して勝敗もつけた、なら勝者のコト、もう認めざるを得ないもんな。
(……認めて、コレか……)
諸々的外れなんだよバカ。何が人心掌握だ。誰がお前の懐柔なんか目論むか。んな手間言われるまでもなく最初から割いてねぇよ。
——お前相手に、そんな真似に訴えでもしないと近付けないような俺じゃなかっただろ。
(中略)
「まぁ、とりあえずは……。……朝メシ喰えるとこ探さなきゃな……」
早朝に監獄を発ち、車内では熟睡に耽り議論を交わし、その後の道中はずっと気を張ってしまった。ようやく着いた渋谷の人混みも煩わしくないとは言わないが、やっと自分の空腹を自覚した。緊張を上回るほど空腹が進行してきたのかもしれない。昨日の試合後とか食欲出なくて、リンゴ齧ってた記憶しかないし。——ステーキ喰いたかったのにな。
「とりあえず適当に歩いて、良さげなお店探すか……」
人混みの中でもはぐれず正確に随行してくれるカイザーにちらと視線を向けられた。また無計画への文句かもしれない。——仕方ないだろ。そもそも昨日から、お前がこんな惨状になってんのが一番のクソ想定外だ。
(店決めんのにあんまり時間掛けたくもないな……。これだけ人いると動き辛そうだし……)何より腹減ってるから。(俺一人ならコンビニ寄って手早く済ませるのも手だけど)
皇帝相手にコンビニはちょっと——どうなんだろう。
——前回、蜂楽や千切と合流した店でも目指しつつ、道中他に気になる場所を見つけたらそっちにしよう。そうだ、前回の店じゃなく、その向かいの——偶然にも玲王たちがいた店でもいいかも。意識高ぇ組が集った店なら間違いなさそうだ。
「……何視てんの、お前」
駅を出て、圧倒的な人の量で滞る波の中を辛うじて泳ぐ間。カイザーは時折俺を見遣るコトはあるものの、その瞬間以外はずっとある一点を見つめていたようだった。俺は小さな隙間を踏み縫うように足を動かすだけで精一杯だけれど、カイザーの身長ならまた何か視えてくるモノがあるのかもしれない。
「少しは捌けてきたか。間近まで行くのは難しいかもしれないが、ここからでも、視るくらいなら……」
「?」
カイザーは答えを言わなかった。視れば分かるってコトか。
何が何だかよく分からなかったが、それを遮っていたらしい人混みが少しは「捌けてきた」らしいので、背伸びしてカイザーの視線の方向を確かめ、少しずつ前に出てみる。
「……街頭広告?」
駅前に聳え立つ高層ビル群の中には、巨大なスクリーンで彩られているモノも多い。専ら見知った企業や商品の宣伝を繰り返し、都会の背景の単なる一部と化しがちな画面。その一つの膝元に、今は誰もがこぞって集い、指差して歓声を上げ、スマホを掲げて称えているみたいだ。
「——あ」
〝いざ、青き頂へ。〟
〝BLUE LOCK JAPAN U-20 WORLD CUP〟
「おあ……! マジかぁ……!」
凛、士道——そして中心に潔を据えた、〝青い監獄〟の広告が、スクリーンを——渋谷の街を統べている。
いつの間に、こんな。昨日の試合のカットかな。昨日の今日で。用意早すぎるだろ。 ——俺ってこーいう感じだったんだ。
旧U-20との試合の後、両親が何度も俺のインタビュー映像を観たり録ったりしていた。そのおかげで、メディアという大きな鏡に映る自分の姿にも慣れてきたつもりだった、けど。
ここまでデカく描かれて、あのインタビューのとき以上の扱いで宣伝されてるってなると——さすがに、改めて気圧されてしまう。心臓が熱く跳ねて、全身に伝う血に熱が灯って、その温度が頬にこみ上げてくる。
広告を意識した途端、辺りから聴こえてくる称賛の声に翻弄されるがまま視線を彷徨わせる。俺の背中越しにスクリーンへ向けられているだけの熱視線にすら反応してしまって、カイザーにもらった帽子をぎこちない仕草で目深に被ろうとする。
「……真ん中、俺かぁ……」
「真ん中」を飾る人物を「俺」と呼んだ今の発言、周囲でスクリーンを仰ぐ観衆に聴かれてたらヤバいよなと思っていながら。自分をさりげなく誇示するようなその実感を心の内に留められず、わざとらしく潜めた声に乗せて発せずにはいられなかった。
「……」
自分で蒔いた種のクセに、聴かれていませんようにと祈って辺りを窺いつつ——カイザーにくらいは届いてても良いよな、なんておかしな期待を抱いてしまう。カイザーに聴かれたところで何の問題も無いし、矛盾はしてないよな?
しかし凛が見たらキレそうな広告だ。ランキングの結果自体は俺と凛で一位タイだったのに、この広告は三位の士道、そして一位の凛をそれぞれ両端に配置し、潔ひとりを中央に就かせた。P・X・Gの青いユニフォームを着ている二人に対し、俺ひとりが赤と黒を基調としたバスタード・ミュンヘン所属だったから、俺を真ん中に置いた方が視覚的なバランスが良かった、ってだけの話かもしれないけど。
でも。ひとりだけ異なるチームにいた俺が、凛・士道の中央の座に就けてるっていうこのビジュアルが。もう、潔が凛・士道に勝てたって結果を明示してくれているような感じが——!
(俺、ひとりが——!)
——左胸を、抑える。
跳ね続けた心臓が、乗り物酔いに晒されたみたいに気持ち悪い。身体中に巡ったままの熱が、いつの間にか不快な温度に変わっている。
貪欲に溌剌と輝く電光で描かれた壁画が、異様な光景にすら視えてくる。
(……コレじゃ、なかった……)
つい昨日繰り広げられた最新の激闘、その主役とも言うべき選手を絞ったという題材は理解できる。主役はひとりにしろよって我儘を広告一つ相手に訴えているワケでもない。
——その題材なら、三人じゃなかっただろ、被写体。
俺の隣にいたのは、凛でも、士道でもなかった。
(ああ……)
〝青い監獄〟にいるべき存在が、そこにいた事実ごと抉り切られて省かれているような、嫌悪感にも似た違和感。それ以上は、上手く言語化できないけれど。
(……いるべき存在……)
もしかして、そーゆーコトか? ——俺って、まだ凪の敗退を気にして——
「——行くぞ」
踵を返して、スクリーンへと押し寄せる人波に逆らう。アレを拝む場所を明け渡すように動いてやれば、先ほどよりも滑らかに移動できる。歩行の速度も上げられる。もっと、速く。
早く、ここから立ち去りたい。こんなところから逃れてやりたい。
(ここでも、ダメだ……!)
外に出れたと思っていた。〝監獄〟が聳え立つ山を下り、麓からも離れて、皆が自分の関心事ばかりを追えるこの大都市まで来てしまえばひとまず安全だろうと。
——浅い思考だった。俺が今立っている場所が〝監獄〟の内外どちらであろうが最早意味は無い。もう、青い熱狂に侵食されたあらゆる場所が、〝監獄〟と地続きの世界になっているんだ。
こっちは、望んで〝逃避行〟をしてるのに。俺を戴く熱狂が、もう逃げ場なんて無いんだと俺に突き付けてくる。
〝0〟になって、昨日の勝敗の先に進みたいのに。世界は潔世一を新英雄、〝青い監獄〟唯一の頂点に据えて憚らない。
(それは、別に……。だってそれが事実だし……。俺が〝世界一〟になるために、俺が通過しなきゃいけなくて……俺が望んだコト、なんだけど……。……でも、今くらいはもっと……)
——自由に、なりたい。
「……っ」
俺の空けた道を上手く利用し辿るカイザーとも、手を握ってやるなんて真似しなくてもはぐれる心配はなさそうだ。——せめて、腕くらい掴んでやりたかったけど。
(……カイザーさえ、どうにかなれば……)
今の俺が自由を感じられていないのも、数割——少なくとも半分以上——が皇帝のあんな形での皇帝の落城、及び惨状のせいなんじゃないのか。
さっきの広告を視ているうちに息が詰まりそうになった理由だって、本当はもう理解ってる。凪の件だけ考えてるフリして自分を誤魔化すのもいい加減苦しい。
——潔、凛、士道。その三人だけに留められた光景なんて視せられたら、カイザーの独り負けを思い出さずにはいられなくなる。
昨日の試合で主役を争ったストライカーは、俺とカイザーが手を結ぶまで——いいや、結んでからもずっと、その四人だったんだ。
——その存在を無視する、なんて!
(ああクソ、早く……!)
早く、カイザーとの間に結論を出したい。コイツを、あるべき玉座に戻したい。——そうしなきゃ、俺は——。
「……世一?」
「!」
監獄の広告目当ての集団は抜けたよなってタイミングで、カイザーが俺の名を呼んだ。
「あ……」
サングラスに隠れてはいるけれど——さっきまでのように、こちらを訝しむのともどこか違う、窺うような眼差し。
——俺のコト、気にしてた? ——まさか。
「えっと、その……。……ハラ減ってたから」
「……お前は空腹で心臓を痛めるのか?」
「……」
情けない言い訳に対する正論に、今度こそ何も返せなかった。
——やっぱり、俺の様子視てたんだな。
「お前が気にするコトじゃ……」
「…………」
ホントかな。——ホントはいっそ、打ち明けてしまいたいくらいだったんじゃないのか。
そうした瞬間、どうなるかは分かんねぇけど。
とはいえ空腹なのも嘘じゃない。めちゃくちゃ本当。そろそろ本気で店を探したい。
「店が混みすぎ! 入れねぇ……!」
朝の街中に発生した行列を目の当たりにし、それを回避して次の店へ——という移動を何軒分も繰り返すうち、さすがに——さすがに、気付いてきた。監獄を発って最寄り駅に着いてから、ずっと、ずーっと、妙に人が多かった理由。
「……ゴールデンウィークだもんな……」
「……?」
「あ……。もしかしてGWって、日本特有のイベント? ……うーん……。四月末から五月初めにかけて、祝日が偶然続いてくれたおかげでできた大型連休、って言えばいいのかな。『週』って言うだけあって、年にもよるけど大体一週間くらい……祝日と曜日の兼ね合いが上手くいけば、それ以上休めたりするんだぜ」
「……へぇ。日本人は休祝日に店開けて……。……いや、何でもない……」
「何だよ」
そういえば、ヨーロッパでは皆が日曜に休むから、店もほとんど閉まるって話、聴いたコトがあったような。そーゆー類かな。カイザー話すのやめちゃったけど。
しかし「ゴールデンウィーク」なんて、随分と懐かしい響きだ。毎日学校に通ってただの学生として過ごしていた頃は、そりゃあ毎年楽しみにしていた。四月半ば頃になればもう、カレンダーを視てはソワソワしていたんじゃないか。
その一大イベントを当日を迎えてやっと思い出すなんて事態になったのは、もちろん〝青い監獄〟の影響だ。サッカー漬けの日々にのめり込むようになってからは世間一般のカレンダーなんて気にも留めなくなっていた。入寮が確か、県大会後の十一月だったから——俺たちは、冬休みもクリスマスも年末年始もサッカーに捧げたんだ。前回の休暇が辛うじて春休みには該当するかもしれない。——なんて、今やっと考えたくらいには、大型連休なんて存在すら忘れていた。
(案外、こーゆー生き方ってできるんだな)
かつてあれほど待ち侘びた連休も、サッカーに占められた思考からは自然と弾き出される程度のモノでしかなかった。俺はサッカーさえあれば生きていける存在なのかもしれない。
実際、サッカーだけで生きていく本職にもうなれたような獄中生活をさせてもらえていたおかげで、自分たちの休暇というコトしか考えていなかった。でも今はとにかく、社会全体が休みなんだな。同じ渋谷でも、二月末に訪れた前回とは人の数も陽気も桁違いになるワケだ。モーニングの時間帯から店が激混みというのも頷ける。
(原因分かったところでどーすんだこの混みよう……)
「何をそんなに迷ってる」痺れを切らしたのか、とうとうカイザーから声を掛けられてしまった。
「入れそうで……良い感じの店が……なかなか……」
「……ふーん。……案外、贅沢なお食事をご所望で? 勝利の宴じゃ物足りなかったか?」
「は……? 贅沢ってレベルのコトは考えてねーけど……?」
あと昨夜は宴なんてやる空気じゃなかったし、誰もそんな気分じゃなかったよ。俺含めて。不参加のお前は分かんねぇかもしれないけどな。
「だったら選り好みしなくたっていいだろ? 朝から行列を作るような銘店に、虜囚を連れて入る王がどこにいる?」
「あ…!?」
コイツ、またそんな卑屈を。虜囚と王って何だよその喩え。
(——落ち着け……)
ここで戦り合うのはやめとけと、本能と理性が一致した部分が最後の力を振り絞るようにして警告を下す。空腹——極限レベルの——状態で舌戦に及ぼうものなら、負荷に晒された脳ミソの制御が外れ、想定外の言葉まで口走ってしまう恐れがある。しかも相手は殺したいほどムカツク敵なので、そうなる可能性は絶対跳ね上がってる。殺意対象をいくら罵ったところで良心が痛むコトは無いとしても、今はダメだ。今はコイツを蹴落とすんじゃなくて、もっと上手く操らなきゃ。
自虐に富んだ言い回しこそ、残念ながら紛れもない本心なんだろう。だけど裏を返せば。その修飾——コイツの猛省込みの事実——さえ度外視してしまえば、至って真っ当な主張が視えてくる。そう理解してやる。
——自分は何でも良いから、潔もカイザーのコトなんか気にせず、楽な選択をしろ。そーゆー意味だよな。
(確かに……)
〝俺ひとりだったら〟とも考えてた。——カイザー相手に、見栄を張る必要もないのか? 「俺ひとり」と仮定した場合と、同じ結論にしても——。
「……。眼の前のコンビニに行こうと思います」