Novel/BLL-潔カイ
【サンプル】再壊/2-1
(全4ページ/4ページ目)
完全に解いて安心し切っているワケでもないし、行き交う人たちの話し声、視線、それらに俺やカイザーへの関心または害心が含まれていないかどうかには気を配っているつもり——というか、嫌でも反射的に気付くだろう。でも幸い、そんな事態にはなってない。俺は海外の大都市に紛れてしまえば邦人の若い旅行者と見分けがつきにくい見た目だろうし、皇帝がトレードマークを徹底的に全部隠したのも、やっぱり功を奏してるのかも。
これなら、ホテルに着いた後、部屋での思考に脳が限界を迎えたときにでも、散歩に繰り出してみるのも悪くないかもしれない。思いついた有名なスポットに赴くような観光ばかりじゃなく、海外の街をあてもなく歩いてみるほんの贅沢だって、きっと楽しい。
——なんて。向けられる悪意にだけ敏感になって、その有無だけで安全かどうかを判断していたのは、結果論として「油断」だった。
悪意以上の脅威に気付けず、まんまと喰らってしまったから。
「——ミヒャエル?」
街角を通り過ぎようとした瞬間、背後から聴こえてきたその一声にぴたりと足を止めてしまった。
雑踏を構成する声とは違う。——明らかに、こちらに向けられていた。しかも——
「お、おい……!」ところがその名の持ち主が意にも介さず進もうとするので呼び止めた。「お前、呼ばれてね……!?」小声にした程度の警戒心は辛うじて保っていたものの。
「あのな……」フードに覆われた呆れ顔が、俺のコトは無視せずに振り向いた。「その名前この国に何人いると思ってんだよ」
「いや、でも……!」
「ミヒャエル……!」ほら、また。「やっぱり、ミヒャエルなのか……!?」
スーツを着込んだ一人の男性。さっきすれ違った人だ。声を震わせながらも、力強く迷いの無い早足で、こちらに——カイザーに向かって、真っ直ぐに引き返してくる。
「ほら、やっぱお前だろ……!」
「……チッ」
皇帝には顔を背けられているが、距離を詰めただけで確信できたんだろう。こちらに近付くにつれ、驚愕で染め上げられた表情に柔らかな微笑みが浮かび始める。信じられないモノを眼にしているかのような、単なる喜びだけじゃ説明のつかない動揺は依然として見受けられるけれど——少なくともそこに、皇帝への敵意、あるいは狂信も感じられない。
この人は、至極純粋な気持ちで皇帝を呼び止めてる。
(ミヒャエルって、呼んでたしな……)
間違いない。——昔のカイザーを知ってる人だ。
「ここじゃ目立ってしまうかもしれない」と、人気の無い路地裏に通されても素直に従ってしまうくらいには、俺はこの人の話を聴いてみたかった。
本人はあまり乗り気じゃなさそうだけど、ここは俺の探究心優先で。——向こうも、悪い人じゃなさそうだから、って。
もしかするとカイザーの消極的な雰囲気は俺の危機意識の無さへの呆れなのかもしれないが、いざとなったらスペインのスリから俺の財布を取り返してくれたときみたいに——凛の衝突蹴弾を防いだときみたいに、どうにかしてくれるだろう。——という、甘えた根性が呆れを招いてしまうのかもしれない。
「ミヒャエル……。本当に、キミなのか……。……大きく、なったんだな……」
周囲に人もいないというコトもあり、観念したようにフードを脱いだカイザーを見て、男性は茫然と呟き続けていた。ミヒャエル、ミヒャエルと。これが夢なのか現実なのかを必死で探るみたいに。
最早、生き別れの我が子と再会した親みたいな反応だ。——皇帝の帰郷は、そんなにも信じ難いコトなんだろうか。
「……ハァ」埒が明かないと判断したのか、カイザーは大きくため息をついた。「お仕事ヒマなんすか? 俺相手に油売ろうとするくらいに」
「お仕事?」
「ミュンヘン・ノイパーラッハ探偵事務所、だったか。その名の通り探偵業だ。昔、俺を嗅ぎ回ってた探偵……の、一人」
「……——ぇ?」
心底面倒そうにしてくれたカイザーの説明こそ、現実離れした響きをしていた。
物語の中での方がずっと見聞きする機会のあるような、その職業名もさるコトながら。
(お前のコト……嗅ぎ回ってたって、何だよ……!?)
品が良く穏やかそうな男性の雰囲気を大きく裏切る言葉に思考回路が停止して、一言も声を発せない。遅すぎる警鐘が脳内で激しく谺する。
——俺が、カイザーを呼び止め、この男に会わせてしまった。
「ハハ……。やはりバレていたか」苦笑一つで、男は自らの行いを認めた。「ある人……と言っても、キミはそこまで知っているのかもしれないが。とにかく、依頼を受けてね。フットボーラーとしての才能を秘めた原石のコトを知りたい……と」
そして、俺とカイザーの両方に向かって、安心させるように微笑みかけた。
「試合、観てるよ。……依頼人の眼に、狂いは無かったんだろう」
——強張る身体と神経が、たちまち解放されて軽くなる。
なんだ。そーゆーコトか。
(〝青い監獄〟だって、入寮前に身辺調査されてたからな……)
この人の口振りからして、カイザーがバスタードにスカウトされるときの出来事だ。ミュンヘンの事務所だって言ってたし。
(つまり……。カイザーの言い方が大分悪かったってだけか……?)
嗅ぎ回られてたっていうのはある意味事実でも、目的が目的だからな。皇帝がフットボーラーとなる道の中に設けられていた調査と思えば、責め立てる気にはならない。
ただならぬ事情を勝手に早計し、皇帝と対峙する眼の前の人物を疑おうとしてしまったコトを恥じつつ、ほっと胸を撫で下ろした。
——手のひらで触れた胸の、早鐘が未だに収まらない。驚きすぎたのか?
(……。……気のせい、だよな……?)
皇帝の活躍を称える彼の微笑みが、どこか——ぎこちなく感じてしまったせいか?
(つーか、『やはりバレていた』って……。その状態を完全に認めたのは、今が最初なんだよな? 探偵と、調査対象の関係だし……)
向こうはカイザーを調査していた探偵で、カイザーもそれを把握していたようだけど——知り合い、って呼べる関係でも無いのは、変わってなくね?
(……どんな気分、なんだろう……)
俺は、身辺調査をされてたとか全く気付いてなかったけど——気付きながら、過ごすのって。「嗅ぎ回ってた」という表現は——その印象は、一概に〝悪い言い方〟ってワケでもないんじゃ——
「……失礼。ご挨拶が遅れてしまいました。ミヒャエル……彼に言われてしまった通り、私、こういう者でして」
「おぁ、ど、ども……!」
探偵は再度俺に向き直り、恭しく一礼すると、スーツの内ポケットから名刺を取り出し両手で差し出してくる。
やっぱり、悪い人にも視えないんだよなぁ。名刺に書いてあるコトは当然のようにちっとも読めないけれど、それは分かる。
「アジアの……もしかすると、日本の方ですか」咄嗟にダンケと言えずに日本語で礼を述べてしまった俺に気を悪くしたり不審がったりする様子も見せず、男性はにこやかに話しかけてくる。「確か……彼がつい最近まで滞在していた先が日本だったハズだ。現地からのお知り合いで?」
「あ——! は、はい! そんなトコ……!」
覚えたての初歩的なドイツ語を繰り返し唱えながら、首を素早く縦に振る。片耳分のイヤホンを渡すべきかと思いつつ、「お知り合い」という言葉への頷きを優先してしまう。
——あー、焦った。「ご友人ですか」とか言われたらどうしようかと思った。
いや、コレはコレでどーなんだ? 「知り合い」なんて言葉じゃ片付けられないくらいには色々ありすぎただろ。
(……? あれ——……)
〝色々ありすぎた〟関係を——カイザーを打ち負かし、跪かせた潔世一を、「知り合い」程度で済ませた? 監獄での試合を観たらしいのに?
(あるいは、ただ、最初から……)
カイザーのコトしか、見ていなかった?
俺が横目で隣の様子を窺うのと同時に、カイザーはぴくりと片眉を吊り上げ両腕を組んだ。
「そうでしたか。……良かった」今は知人の方を見ている探偵は、皇帝の仕草には気付かない。柔らかな笑みが深くなる。「日本から、遥々、彼に……。……少し、安心しました。彼が誰かと行動を取るコトなんて、ほとんど……」
「いーんすか、守秘義務とか」
皇帝がため息混じりに遮る。——警戒的な姿勢はそのままでも、昔の話を勝手に零された不快感の表明というより、ただただつまらない話にうんざりして欠伸をするみたいに。
「あの日のガキの現在を……あるいは、ご贔屓の選手が辛うじて生きてるのを見れて安心? クソ違う。——何か言いたげなその眼は変わってねぇな。そーゆーときは守秘れるってところも」
「——。……ハハ、全く……。……敵わないな、キミには……」
片手で頭を抱えるように掻きむしり、首を重たげに横に振る。日の当たらない地面に落ちる視線が彷徨い揺れ続ける。
何度も、そうして——やがて、その顔が上がる。
「——どうして」
紳士的な微笑を湛えていた表情が、くしゃりと歪められていた。
温厚な人柄と、夢見心地の安堵の影に見え隠れしていた、強張った憂い。この人が決した意に呼応して、ドロドロになって溢れ出す。
「ああ、ミヒャエル……。どうして、この街に……ベルリンに、戻ってきてしまったんだ」
「……。戻ってきた……とか言われてもねぇ。試合観に来ただけっすよ」感情を剥き出しにしていく彼に対し、カイザーは表情を変えずに淡々と構える。「それでもダメだって?」
「当たり前だろう!」
いよいよ荒げられた声が寂れ乾いた路地を裂く。尊んでいた皇帝相手に物腰の柔らかさをかなぐり捨てて対峙する様が、偽らざる思いとその激しさを物語る。
「危険すぎる! この街にいる人間が、この街にある全てが! ただの一度でもキミを傷付けなかったコトが……キミを救ったコトがあったか!? あの男も……それから、キミを巻き込んで非行を繰り返していた少年たちだって、まだこの街にいるんだ! もし彼らに見つかったらどうなるか分からないぞ!」
「クソ酷い言い草だ。……過去がどうであれ、チケット取れた試合の開催地になっただけでこの言われよう」
肩を竦め、首を傾げる。明確な対立を紙一重の軽やかさで躱しながら、視線の角度だけ抉るように深くして、激昂する男を刺す。
——挑発してんのか? この状況で? どーゆーつもりだ。——コレ以上、何を聞き出そうっていうんだ。
「今日は見物に徹したが、俺も一応、普段は戦場内にいる側だ。アウェイ試合のためにベルリン来た経験くらいあるぜ? 遠征先を選びたがるようじゃ、フットボーラーやってらんないんだが……。——それでも、クソ苦情を入れんのか?」
「……。——ああ」暫しの逡巡の後、両の拳を握りしめ、強い足音を乗せた一歩でこちらに近付く。「入れる。入れさせて、もらう」
「——は?」
——その線への踏み付けに反応したのは、潔の声だった。
「我々は依頼人に、キミを早急に保護するよう願い出た。だが——ミュンヘンに移って以降のキミは、果たして『保護された』……『更生できた』と言えるのか!?」
「Nein」せせら笑いを微かに含めた声で、皇帝は無慈悲に切り捨てる。「弱肉強食のプロの世界に、安全なんてモンは無い。それに加え、この皇帝の態度、所業……生き方……。……ハッ、保護・更生がアンタらの望みなら、クソ見事にクソ打ち砕かれてしまったってワケだ」
「あんまりだ……! なぜキミが、そんな場所で……そんな生き方をしなければならない!? キミを虐げたこの街から逃れられたというのに、今度はキミ自身が、他の誰かを蹴落とすコトを迫られるなんて! 非行少年にも染まらなかったキミが、まるで……キミをひたすらに虐げた、あの男のような悪辣な振る舞いを、他の選手相手に繰り返す様は見ていられなかった!」
皇帝本人の皮肉にも怯まず、男はほとんど泣きじゃくるように訴える。街角で出会った当初の穏やかさや落ち着きは最早見る影も無くなっていたが、唯一——カイザーへの優しさだとか、慈しみだとか、そんなモノを芯に据え、貫くコトを選んだ結果なんだろう。一人の大人が無遠慮に吐き出す叫びから、旧知の子どもを痛切に案じる思いが、部外者にまで伝わってくる。
(……なのに——)
——なんだ、この感覚。
じわり、じわりと、腐朽させられていくこの身全ての内臓や細胞を今すぐにでも捨てなければならないという焦燥。腹の底から込み上げてくる強烈な吐き気じみた思い。眼前で繰り広げられる光景への理解を拒んだ脳がぐらついて目眩になる。理解したら吐くからだ。
過熱していく男の声を蚊帳の外で聴きながら、冷たく痺れた指先がひとりでに震えている。ガラガラに渇いた口内の機能が失くなっていく。肌に纏わりつく日陰の温度も湿度も分からなくなるくらい——揺れる眼と脳だけが、熱かった。ソコにだけ血と神経が流れ込んでいるみたいに。存亡の機に晒された心臓が、血液全部託そうとしてるみたいに。
(願い出た……って、なんだよ……! 今サッカーできてんのは、この才能駆使して勝ち上がって世界に認められたからだろーが……! 誰かのキモチのため、なんかじゃ……! ——)
この感覚を——俺は知ってる。比喩を重ねるまでもなかった。
『でも、お前ってマジ〝ラッキー〟だよなぁ』
『100%〝運〟だもんなぁ!』
潔世一のこれまでを。これまで、破壊も創造も繰り返してきたモノを。——人生を。——自分を知る誰かに、全否定される衝撃。
『だってあのボール……たまたまお前のトコに落ちてきただけだろ?』
もう二度とわかり合えない次元まで隔たれた人間と対峙する、怒りにも似た虚しさ。悲しみとも言えない遣る瀬なさ。
(アレだ……)
分かっている。彼らは無邪気な善人だ。何の罪も悪気も無い。変わってしまったのは、俺の方。
救いようの無い、手遅れのフットボーラーとなったのは。
(分かっている、から……)
何も、言い返さなかった。何も知らない相手にせめてこちらの何もかもを打ち明けたとしても、相互理解になんて至らないと確信しているから。
(カイザーも、そうなのかな)
男から言葉を引き出せるだけ引き出そうと自然に煽り立て誘導していく様は、曖昧な空返事をするフリをした俺とは対照的なようでいて——ある意味、同じ自棄を含んでいるんじゃないか。
カイザーも同じコトを分かっているというのなら、殊更に俺が出る幕なんて無いってコトまで分かる。あのときと同じように、静観に徹して。嵐が——嘔気が、過ぎるのを待って、それまで耐えて。
——分かっている、のに。俺、は——
「だが、クソ醜く育ってしまったそのガキ……。遂に、潰そうとした相手に、潰し返されたようじゃないか」
意外にも、皇帝は潔世一の存在に言及した。暴走しかけていた思考が、その声に引き寄せられるように現実を向く。——向いて、しまって——
「それで一区切りはついただろう。アンタらの思い通りにならなかったガキが破滅するザマまで見届けたんなら、いっそ清々しい気分にでもなれるんじゃないのか? 行くところまで行ったソイツに、何を求めようってんだ」
「オチが、ついた……なら、そうだな。——良い機会だ、ミヒャエル。こんな行いは、もう終わりにしよう」
「な——」狼狽えたのはまた潔(おれ)だった。
「『こんな行い』っつーのは……。そのガキでも勝てる相手を選び潰して生きるコトか? それとも……」
「フットボールをだ」
(中略)
「実家に、顔出す」
「——。——は……」
「世一は何も考えず無我夢中で進んでただけかもしれねぇが……クソ奇しくも、クソ覚えのある景色だ。ここからなら歩いてすぐに着く」
戯言じみた空気なんて一切纏わせない、真剣そのものの響きでも、心なしか少しだけ弾んでいる。
その声を、どこか遠くに感じていた。
「……実家に、って……」
「何をクソ狼狽えてんだ」立ち竦む俺を、カイザーは呆れ顔で振り返った。「……敗者を、自由にさせるつもりか?」
「あ……——」潔も、行って良いって意味だ。「い……行く! 行く……けど!」
咄嗟に選んでいた返事がそれだった。なのに返事を聞くや否やまた前を向いて歩き出そうとしたカイザーを呼び止める。
「でも、その……!」呼び止めた後でようやく、呼び止めなきゃいけなかった言い訳(理論)が浮かんでくる。「き、急に行って大丈夫なのかよ!? お前はともかく、潔まで……! ……お前の父親、いるんじゃないのか……!?」俺は、玄関先で待っていればいいだけかもしれない、けど。
「急なのは確かだが、クソ仕方ねぇだろ」カイザーはまた少しだけこちらを振り返ると、すぐに首を横に振った。「それが目的なんだからな」
「……」
それが、目的。——父親に、逢うコトがか。
そりゃあそう、だよな。子どもが実家に帰るっていうんだから。
(……ん……!? あれ……!? ……俺は!?)
「潔まで」って、俺聞いたよな。カイザーが実家の中で父親と逢っている間、俺はどうしていればいいのかという疑問への回答は貰えてないままだ。俺って、結局どうなるんだ。
(……それが、目的……って、まさか……!)
潔も——カイザーの父親に逢っていいってコトなのか。
逢わせる、気なのか。
「————」
心臓の高鳴りが逸る。急速に血を巡らされた全身が熱く震える。ロクに動かせなくなっていた口の中の潤いも、熱に奪われ渇いていく。
(多分、俺は——)
カイザーに、認められた。
そうでもなければ、自分の帰省に同行させて親に逢わせようなんて発想にはならないだろ。
俺が懺悔した同一視が、認められた——とは、まだ言い切れないか。カイザーが見せつけようとしているのは、俺との共通性じゃなく、代え難い過去に起因する相違性だって可能性もある。それを明かして、俺を試そうとしているのかも。
(——でも……!)
深いミゾすら超えて、この同一視を証明できれば。俺の、理論の——潔世一の、勝ちだ。
(勝ちたい。証明したい……!)
いよいよ眼の前に待ち受けているのは、俺が俺を証明するのと同じ決戦だ。
それに。そこに行けば、俺はもっとカイザーを知れる。今まで分析できた性質の答え合わせも、曖昧だった輪郭の理解もできて、俺が捉えるカイザーの姿を更新していける。幼い自分の面影すら俺はカイザーに見出せたから、コイツの昔の話だってもっと知りたい。もっと、知って——記憶の中で眠ってしまった俺の性質を刺激して、呼び起こしてみたい。カイザーを子どもの頃から知っている父親とも話せるかもしれないし。
ああ、あの探偵の言うコトがホントなら、昔の話はさすがに厳しいのかな。まぁ、別に聴かずとも、実家に行ってこの眼に視えてくるモノは絶対にある。聴かせるか聴かせないかはカイザー次第だろ。それくらいは任せてもいい。
この胸と脳に沸々と湧き上がってくる予感は、他人への下卑た好奇なんかじゃない。間違いなく、自分自身の可能性を追求する探究心で、俺ひとりに帰結する渇望だ。カイザーはあくまで、そのために必要不可欠な媒介。——低俗な詮索心とはまた別の意味で非人道的な思考なのかもしれないけれど、俺とカイザーが了承できるなら良いだろ。寧ろその確信こそが、勝利への自信にもなっている。
〝潔世一の好奇心〟なら、悪意に満ちたこの皇帝にも通じる、って。
(もうすぐ、勝てる……! 完全に認められる……! ……から、だよな……!?)
心臓が、異常なほど跳ねているのは。
ただ歩いているだけなのに、息が切れてしまいそうになって、鳩尾のあたりが酷く痛むのは。冷たい汗が止まらないのは。——興奮、してるからだよな?
(——。なん、だ……コレ……)
この先にあるモノを望んでいる。それに胸を弾ませている。
その思考が高じての症状とするには——度が、過ぎていて、いっそ興奮と矛盾しているんじゃないか。
「……」
震える手で、左胸をぎゅっと抑える。
コレは本当に、「弾んでいる」と言っていいのか。この手と同様、震えて、いて。——何かを、拒み、踠くような拍動になっているんじゃないのか。
なんだ、この——胸騒ぎは。
(……ッ!)
背後の俺の様子には気付かないまま、カイザーは躊躇無い足取りで暗い路地を進んでいく。足音はごく静かながら歩くのクソ速い。自分の症状ばかり考え込んでいればすぐに置いて行かれてしまいそうだから、その背に、速さに合わせて揺れる青に、必死に喰らい付いて進んでいく。
腕は引かれてないけど、俺がカイザーを連れてあの探偵を撒いたときとは立場が入れ替わっているかのようだった。今は行き先があって、それを知っているのがカイザーだけで。だから、何もおかしくはない。俺だってそこに行きたいから、カイザーが辿る道に続かなきゃならない。——なのに。
(行くな……! ダメだ、そっちに行っちゃダメだ……!)
拍動に喰われかけている脳ミソの一欠片が、気付けばそんな警鐘に侵食されている。地を踏むほど。心臓が鳴るほど。息が荒んでいくほど。警鐘の音量は加速度的に上昇して頭と胸を痛めつけてくる。
立ち止まって引き止められるなら良かった。でも、先に進むコト、そしてカイザーを知るコトは、こんな状態になってなお恐れてはいない。そのキモチだって昂り続けているくらいだ。だから、止まるとか止めるとか、時間稼ぎに話しかけるみたいな選択肢さえ取れないし、取らない。だけど、ただ——
(……カイ、ザー……!)
——迷いなく進むカイザーの後ろ姿を視ていると、どうしようもないほどの不安が掻き立てられていく。
敗者ぶられるよりもずっと良いハズの姿なのに、今は、こっちの方がタチ悪いくらいに感じている。敗戦後に練習用のフィールドに閉じ籠ってひたすらに自分を追い詰めていたのを視たときは——未来の自分の可能性を、コイツに重ねてしまったから——この手でどうにかしてやると思えていた。それができると信じられた。
今は、まるで違う。——カイザーが一歩進む度に、俺が続く道が崩れ始めている気がする。
(崩れ切る前に、どうにか追いかけているけど……)
カイザーが進みきったとき、潔がそこに及ぶ想像がつかない。
このまま、行かせてしまったら。——カイザーが、俺の手の届かない存在になってしまいそうで。
(中略)
〝クソおつかれさま。俺の最高道化〟
だから、あんな勝利宣言言ったんだ。
——あれは、勝利宣言なんかじゃなかった。俺たちの勝敗を分けたのはネスへの認識の差だ。差に基づき、カイザーは自滅して、俺はしなかった。その現象は——〝潔世一がカイザーに勝った〟と、俺自身が認められる勝ち方から外れている。
だとしてもカイザーの敗北を蔑まずにはいられなかった。不快で仕方がなかった。互いが同じ次元に立っていて、余計な私情を捨てられるコトを前提条件として締結した契約。その条件を悉く破られたんだから腹も立つだろ。
——感謝、していたんだ。未だかつてないほど熱い挑戦を共にしていたんだ。——本当は、もっと、別の言葉を言いたかった——
(……ッ! 違う……! この期に及んで、その程度で結論付けて思考止めんなよ! ムカツイたのも……悔しかったのも……それでもカイザーに勝ったんだって思うようにしたのも、全部、あの言葉に詰められてる……! ——だから!)
あの、言葉は——俺の、負け惜しみだった。
ゴールを決めたのが俺だったのは良い。カイザーが契約を破った末に転落したのなら、思いきり罵って殺意を果たせば良い。
——でも、カイザーの敗因は潔世一じゃなかった。
それだけで、潔はカイザーに勝ったとは言えなくなってしまう。
(俺、は——)
カイザーの、〝特別〟にはなれなかった。——別の敗因が、いたんだ。
(そんなん、もう——)
俺だって、負けてるようなモノじゃん。