天井から響く、オーケストラのクラシックBGMに包まれて、艶やかなシルクの絨毯——ここは1000万ボルト級のホテルだし、こんなにもスベスベツヤツヤしてる感じなんだから絶対シルクだよねー!? ——の上を軽やかに進む。ただでさえ、ビリビリと高鳴りが収まらないままの胸が一歩ごとに弾んでいるのに、五感に訴えかけるプレミアがさらなる浮遊感を与えてくる。ふゆうはでんきタイプ使いのボク的にも大好きな特性なので、つまり、気分はシビルドン登りってこと!
つい最近ハッコウシティの高級タワマンに住居を移し、ロイヤル空間にも慣れてきたかなって思っていたところだったけど。未知の映えスポットってやっぱりアガるよね~!
「……ニッシッシ!」
今日だけで色んなところに行けたし、有益情報もたくさんエレキネットできたー! 今後の配信でお世話になれそうな映えスポットの目星をいくつも付けられたのが本当に大きい! しかも、その中にはボク好みのものも多そうな予感!
——全世界に愛されるようになった動画配信チャンネル・ドンナモンジャTVのナンジャモとしては、人気をくれる映えスポットは分け隔てなく大好き。余すことなく画面に収めて数字を得たい。でも、「ボク」自身に好みがあるのもまた事実。そういうのでバズれたら一番気持ちいい!
豪華絢爛なこのホテルも、間違いなく、「ボク」の好み。——でもこれは、映えスポットとして好んでるわけじゃなかった。その証拠に、ボクが目をコイルにして見てしまうのは、左右の壁を彩る美麗な絵画じゃなく、背後のエレベーターホールを飾るシャンデリアでもなく、コートの襟内側にしまったスマホの液晶。——だって、このナンジャモの栄えあるパシオデビューの反響が止まないのだよ! この人気を実感して堪能しない手はなかろ~!?
「……いやいや! 今はせめて一枚くらい撮っておかなきゃね~?」
襟元から浮かび上がったスマホが、画面越しの絵画やシャンデリアをボクに示す。位置と角度の微調整をして、シャッターボタンを一押し。慣れた加工の操作——といっても、元の素材が良いからあまり必要なかった——を施してからSNSを開き、「宿泊先のホテル~!」という文章と共に投稿。「廊下が既に豪華すぎる~~! この召され必至空間を用意してくれたライヤー氏に感謝感激電撃ビリリ!」という投稿も続けざまに。
「わわっ、爆速で伸びてますなあ~!」
ブルベリに赴いたときも思ったけど、やっぱり新天地効果は偉大だ。新鮮ネタに心湧く皆の者のなんと多いことか~!
そしてこれも、ブルベリのときと同様。今回も、強力なスポンサーがいる。今の投稿でも触れたライヤー氏というのがその人で、なんとパシオを作った超絶お偉いさん。ボクのパシオデビュー配信にして、そのライヤー氏の全面バックアップを受けてパシオ「公認」と銘打たれた今日の動画は、それはもー、すっさまじい盛り上がりを記録した。——まさか、いきなり超大型公式コラボ配信ができるなんて~! しかも撮影終了後にライヤー氏が主催した打ち上げの席にて、第一回目のパシオ版ドンナモンジャTVの成果は大いに褒められ、パシオとドンナモンジャTVは今後も持ちつ持たれつつのバズり合いをするという契約もできちゃった! パシオ公認配信者の称号を得たボクは、何人もの世界的大物ゲストのお招きに成功した今日の初回に続くバズを約束されたってこと~!
確約バズの見返りとして配信者たるボクが求められるのは、もちろんパシオの宣伝になる投稿。ついさっき撮って投下した、廊下の写真もその一つ。ホテルの写真も自由に取って投稿していいって、ライヤー氏にも言われている。セキュリティも万全なので凸に遭う心配もナシ。ならもちろん、ご期待にはお応えするぞよ~! 今日の配信だけじゃなく、このホテルに関しても、恩があるので。
『ええーッ!? 予約が取れてない!? そんなはずはぁ……! こちらご覧くださいませぇ、確かに予約完了のメールのお受け取りを~!』
『ひ、日付? ……あっ!? ……ら、来月の今日で予約してあるー……!?』
四日前のこと。「せっかく遠出するならいいとこ泊まろうぞ~!」と思い立ち、「ボクにまっかせたまえー!」と行ったホテルの予約に、言い訳しようもないミスがあったことがパシオ入り当日に発覚。急ぎビジホを確保できたから宿無しは逃れたものの、そのホテルの部屋は二日後に予約で埋まるということなので、いつまでも滞在してはいられなかった。すぐに次の宿泊先を見つけなきゃいけないけど、世界中のトレーナーが集うパシオのホテルに急な予約を入れられるという奇跡は、なかなか続けて起こってはくれなかった。
そんな中迎えた「二日後」。公認配信者をもてなすためにということで、最初予定していたところに勝るとも劣らないパシオ公営超高級ホテルの部屋を空けてくれたのがライヤー氏だ。ほんと恩人すぎる。この借りはバズりで返すとしよう。
「ちょっとした旅行記的な投稿でもこの数字~! よきよき~! ……フヒヒ、ではでは、旅行記バズりの続きは明日のおったのっしみ~!」
ボクがこのホテルを好いている理由。パシオでの配信成功を約束してくれるスポンサーが提供してくれたもので、ここ自体がバズりのネタになる、というのもなくはないけど——一番の理由じゃない。ちょっと前までのボクなら、きっとそんな気持ちだけだったろうなー。
だから、館内施設をあちこち巡って写真を撮ってSNSに載せる——泊まっていたのは昨日からだけど、配信準備で忙しかったから、そういうことはまだできていない——のは後回し。今は「ボク」自身に正直に、このまま、真っ直ぐに。ゲスト呼びまくり視聴者数シビルドン登りまくりの配信も楽しかったけど——ボクひとりだけに向けられる純粋な想いに魅かれずにいられるような、無欲な人間じゃないから。
浮遊感に身を任せて、誰もが一度は夢見るお城のような世界の奥へ。ボクにとっての夢はそこにある。夢をふりまくインフルエンサーであるからには、まずボク自身が夢を堪能しないと! 入念な根回しも賢明な打算も、ここから先は必要ない。ボクが「ボク」であることだけが、目の前のスイートルームの鍵になってくれる。ただ無邪気に野望を追っていた頃と、同じ感覚だ。ボクはもう数歩だけ進んで、その扉を叩いて、お馴染みの挨拶でも唱えればいい。そうすれば、扉は開くとわかっている。
——バズりが気持ちいいのは、注目と人気を浴びていることを感じられるから。でも、誰よりもボクのことをみてくれて——愛してくれて、今まで手段を選ばず数字を得ることでしか掴めなかったその実感を、ずっと温かくしてくれるひとのことを、ボクはもう知ってる。その大好きなひとが、この先の扉の向こうで、きっとボクを待っててくれている。——それが、このホテルをボク好みの特別な場所にしてるものだ。フヒヒ、けっこう単純でしょ?
あと三歩、二歩——ああ、待ちきれない! 思えば、人気者になりたかった——誰かに愛されたかったボクを救い続けていた存在。ずっと焦がれて、ようやくこの手に繋げても、求めることはやめられない。早く、早く、誰よりも「特別」を共有できるそのひとのところへ! ——せっかくのスペシャルゲストなのに、SNSを大いに賑わせたさっきの打ち上げにひとりだけ不参加なんだから、もうずっと、もどかしかった!
「————」
辿り着いた場所で、少しだけ深呼吸をして。美しくも力強いヴァイオリンに、高らかなノックの音を混ぜた。続けて口を開こうとした瞬間、重厚な扉で隔てられたところから近付いてくる足音が微かに聴こえて、声を発することを忘れてしまった。
——ここで、ひらめき豆電球。ちょっとしたいたずらごころが灯った。
「……まいど! おはこんハロチャオジュール! 人工島・パシオでの第一回ドンナモンジャキラくるグロリアスメイっぱいチャンピオンタイムTVの配信を終えたナンジャモの帰っ還っだぞー、……グルーシャ氏!」
どんなもんじゃ!? 最新の動画——打ち上げの一部始終の配信でも少しだけ披露した、パシオ版新ナンジャモ語! 人気の先人同様にバズりたい欲求——じゃなく! 数多くの栄光ある先輩たちへのリスペクトに富んだ、実にパシオらしい挨拶なんじゃなかろうか~! もはや乗っ取られくらいにバズの先例を詰め込んだこれは、「長すぎ」といじられつつも、皆の者にもウケていたのだ。
「————!」
盛り上がった配信の記憶に浸っていた思考が、ガチャリという解錠の音に呼び止められる。内側から下げられる金のドアノブ、そしてゆっくりと動き出すドアに、目がコイルになって釘付けされる。
少しだけ露わになった空間から覗く姿。ドアノブを握る白い素手と、隠されていない口元。彼のトレードマークである厚手の防寒具が取り払われたその様が、ここから先がどんな場所であるかを——ボクたちだけの、プライベートな世界だってことを物語る。
——ところが。
「……その挨拶、やめて」
気分シビルドン登りで満面の笑みを浮かべているであろうボクとは実に対照的な、であいがしらの拒否。色濃い不満を宿した氷の瞳が、ボクのことを拗ねたように睨んでいる。まるで子供のようなその様子に、イタズラが成功した満足を感じて——いる場合じゃない! グルーシャ氏、ドア閉めようとしてないー!?
「ちょ、待った待った、待たれよー!」袖越しの両手で、外側のドアノブを慌てて掴む。
向こう側の力が緩むのを感じたけれど、彼の目は相変わらず。——なので。
「はーいはい! ……おはこんハロチャオ—! ……もー、古参ファンはめんどいなあ!」
呆れたような言い方こそしているけど、ボクはさっき以上に笑顔だったと思う。あの頃のボクが考えに考え抜いて、これだと思ったその響きは、やっぱり舌にも耳にも、心にも、よく馴染んでいる。
新ナンジャモ語を聴かせてそれへの反応を窺うというイタズラの結果は、実のところ予想できてはいた。めんどい古参ファンことグルーシャ氏にとって、乗っ取られ気味のナンジャモ語なんて「サムい」に決まってる。——だから、その通りに否定されて、ただの「おはこんハロチャオ」を言わせてもらいたかったんだろうな。パシオの配信だって楽しいし、流行を追って変わり続けなきゃ生き残れない生き方をしているけど、変わらずボクを好きでいてくれる彼が恋しかったし、そのことを示されたかった。
「……おかえり、ナンジャモ」
正解の合言葉——これが正解っていうよりも、さっきのが彼にとってあまりにも不正解すぎた——に応えるみたいに、グルーシャ氏はもう一度ドアノブにかける力の向きを変えた。微かに表情を綻ばせ、ほっと息をつくように「おかえり」と言った彼は、さっきまでとは打って変わっての安心を感じているみたいだった。色んな意味での「おかえり」なのかもしれない。
「たっだいま、グルーシャ氏!」
廊下と部屋の境を軽く踏み越え、後ろ手にドアを閉めてから、軽くハグを交わした。今朝だって——なんなら、日中だって近くにいたときがあったのに、すごく久々な気分だった。近くにはいたからこそ、かもしれない。
ずっとこうして——もっと深く抱きしめ合いたいような気持ちにもなるけど、それは追々のお楽しみ。今はとりあえず、このコートを脱ぐために、名残惜しくも腕を話す。部屋のエアコンはすっかりグルーシャ氏好みの温度になっているみたいだから、このままだと汗をかいてしまいそう。
「あ、ごめん……。暖房、勝手にいじった」
ボクから求めたハグに応えてくれていたグルーシャ氏が、ふと思い出したように後ろを振り向く。彼の手にも額にも汗なんて少しも浮かんでない。やっぱり、これくらいがいいんだろうな。
「下げようか」
「ううん、このままでいいよん!」
これでいい。プライベートのナンジャモスタイルも、ノースリーブでけっこう薄着だから。ボクも、これくらいが丁度いいのだ。