ラスト・トゥ・スタート(1/3ページ)

以下の内容を含みます

  • SV主人公♀(アオイ)の存在・そこそこ喋る
  • グルーシャ・ナンジャモの過去捏造要素(特にナンジャモ)
  • グルーシャの落ち込み(杞憂)
  • ナンジャモの字の文(心情)はナンジャモ節じゃない

 

「…………さん、……ル……さん、……グルーシャさん!」
「!! な、何……!?」

 何度も呼ばれていたということを、一度——ようやく耳に響いた声だけで理解できた。
 ここまで周囲を遮断していたなんて。まるで大会本番前、緊張感と一体になって集中していたときみたいだ。でも、あくまで似ているだけ。今のコンディションは最悪。この状態で滑りに臨めば、目も当てられない結果になるだろう。——あと、ぼくは緊張に身を投じるようなタイプじゃなかった。愚かなくらい自信に満ちていたときの方が、却って結果が出ていたし、多分、性に合っていた。——今思うと、サムい。

「……気付くのが遅れて悪かった。……それで、ぼくに何か用?」
「あ、いえ、その……。もしお時間があるなら、お手合わせお願いできないかな……って」

 振り返った先にいたのは、パルデアの新人チャンピオン兼、ブルーベリー学園「特別講師」制度の担当者。交渉と調整に勤しみながら、招いた講師を誘ってポケモン勝負に明け暮れる。どれだけ強くなっても満足せず、また戦いに挑む姿には感心せざるを得ない。去年ぼくのジムを突破した学生も、こんな感じだったような。そういえば、その子もチャンピオンランクになったんだっけ。

「……でも、やめた方が良さそうですね。調子悪そうですし。空調のせいですか?」
「空調……? ……ああ。上げれるなら上げてくれない?」
「他の部員さんに聞いてみますね。やり方知ってる人いるかなあ……」

 あんた知らないのか、という言葉は吞み込んだ。留学して日も浅いなら、知らなくてもおかしくないか。他の人も知らなかったら困るけど。
 第一、今はそれどころじゃない。効きすぎている空調も確かに由々しき問題だけど、それ以上の問題を早急に解決しなければ。サムさは百歩譲って数時間耐えれないこともないけど、この問題は、ぼくのジムリーダー生命をも脅かす。

「空調は急がなくていいよ」周囲を見回す彼女を制止する。「ぼくはもう帰るから」
「え。……聞いてないです」

 今決めたことだ。ぼくだって、本当はこの後講義を任せられてる。ここでその予定をキャンセルして空港に向かえば、双方の評価に傷が付く可能性だってある。でも、首を切られるよりは、多少の傷の方が、まだ。彼女には申し訳ないけど。
 ああ、せめて同時に招待されていたのが、パルデアリーグ本部の人間だったらな。でも、ぼく以外の一人が——日程の都合上、同時に招く講師は二人までと決められているらしい——彼らのうち誰かだとしたら、そもそもこんな事態は起きていない。他の誰でもない、「彼女」だったから、こんなことになっている。

「……!」

 そう、いえば。目の前にいるのは、本部の人間ではない——とは言い切れない。一度、お互いリーグの仕事として会って、戦ったことがある。

「……あんたさ、リーグ本部の人……それこそ、オモダカさんに直接話を通すこととか、できるよね?」
「で……っ、きなくは、ないと思います、けど」

 委員長兼トップチャンピオンの名を突然出されてたじろいだ彼女は、両手を隠すように後ろで組んだ。
 視察を任されるくらいなんだ、できることくらい分かってる。オモダカさん相手に緊張するのは分かるけど、そんなことを気にかけている余裕はない。

「そんなに大ごとなんですか……!?」

 チャンピオンが声を潜める。部員たちは各々賑わっているとはいえ、用心するに越したことはないだろう。

「……ちょっと、まずいことになるかもしれない。……全部、ぼくの責任だけど」
「な、何があったんですか……!?」

 彼女の声が強張ると同時に、冷たい汗が自分の身体を伝っていくのを感じた。
 もう、話すしかない。まだ話しやすいリーグ関係者がこの場にいたことは、不幸中の幸いだった。

「……ナンジャモの、ことなんだけど」

 

 そうして、つい先ほど「彼女」と交わした会話のことを、恥を忍んで口にした。ぼくは現役時代から、彼女の配信を観ていたこと。それを彼女本人に打ち明けたこと。そして、昔の方が好きだったと言って、今の彼女を「サムくなってる」と評したこと。——言葉を重ねれば重ねるほど、嫌になる。厚手のコートも手袋もマフラーも意味がなくなって、身体中が酷く冷えていく。
 きっと、浮かれていた。ずっと、前から——ぼくがこうなる前から、憧れていた、画面の向こうの女の子。今は同じジムリーダーでも、住む世界は違うと理解していた。大都会で人々に希望を与えて活躍する彼女と、雪山で挑戦者に絶望を与えるぼくだから、顔を会わせる理由も機会もなかった。なのに、偶然ここに呼ばれるスケジュールが重なって、偶然、部室で鉢合わせて。話して。——それで、言わなくてもいいことまで、喋ってしまった。
 今の彼女の配信より、ぼくの方が、ずっとサムい。

「なるほど……」話し終えると、相談相手は深く頷いた。「……ナンジャモさんと、仲直りしたいってことですか?」
「……さむ。ケンカしたわけじゃないから」
「……すみません」

 トラブルに遭っても、逞しく乗り切る配信の最中であるように。「めんどくさい古参ファン」と言って、明るく叫んで流してくれた。その後、配信の準備をすると言って彼女は部室を出たから、今に至る。
 その場を平和に収めてくれる代償として下されてしまった自分への評価にも——思うところがないわけじゃないけど。そんな、極めて個人的なサムい事情よりも、危惧しなければならないことがある。

「ケンカしたわけじゃないなら、何が問題なんですか?」
「……今、ぼくが言った話を、彼女がそっくりそのまま、配信のネタにしたらどうなる?」
「……あー……」

 本当に、短慮だったと思う。ぼくは一視聴者ではなく、ジムリーダーとしてここにいるんだから。彼女に対する自分の発言が、どんな形で自分に返ってくるのか。冷静に考えていれば、分かったはずなのに。

「一定数、彼女を適度ないじりの対象にするファンもいるけど……。本気で彼女を好いている人だってもちろん多い。さっきの話が彼らに知られたら、ぼくは間違いなく叩かれる。ナッペ山ジムに乗り込む輩だって出てくるかもしれない。発端がぼくである以上、大々的な問題に発展してしまったら、ジムリーダーの資格だって……」
「う~ん……。そんな理由でオモダカさんがグルーシャさんを降ろすとは思いませんし……。それにナンジャモさん、ファンのことちゃんとまとめてくれると思いますけど……」
「どうかな……」

 彼女の手腕を信用していないわけじゃない。彼女のファンが厄介事を起こしたという話は聞かないし、そういうところが、彼女がこの地位に上り詰めた要因の一つでもあるんだろう。でも、人気の形を完全にコントロールするのは難しい。いくら彼女でも、限界はあるんじゃないか。何事もないうちは穏やかでも、何かの切っ掛けで牙を露わにするのは、人も自然も変わらない。

「今からナンジャモさんを追いかけて、口止めをしてみては? 何なら、わたしからお伝えしてもいいですよ」
「……無理だと思う。もうすぐ配信の時間だ。今から行っても間に合わない」
「なら……とりあえず配信を観てみませんか?」
「……え」
「杞憂で終わる可能性だって、あると思います」

 俯いた視線の先に、ぼくのスマホが浮かぶ。いつも以上に重たげな瞼の表情が映る黒い画面が、ひとりでに起動して、ポップでキャッチ—なデザインの画面に遷移する。ドンナモンジャTVのホームだ。その場は既に多くのファンで賑わっていて、同時接続者数はじき百万を簡単に上回るだろう。
 ドンナモンジャTVの定期的な生配信。軽い習慣だったこれの視聴が、今は重くのしかかる。彼女の栄光を示す見慣れた数字が、今は恐ろしく感じる。

「……やめない? 手は早めに打ちたい」
「確証もない状態でオモダカさんに連絡できませんよ……」
「それは……確かに」

 最初から、祈る以外の選択肢はなかったのかもしれない。深く溜め息をついてから、イヤホンを取り出す。ちらと横に視線を向ければ、チャンピオンも自分のスマホとイヤホンを用意しているのが見えた。観る人が増えたところで、結果は変わらないけど。
 まあ、視聴者数が少しでも多い方が、彼女にとっては良いか。もう随分と桁は違っているけど、そこが増えると喜ぶところは変わってない。昔は今のようにがめつい態度を出すこともなかったけど。

(……ジムリーダー……やめたくないな……)

 ぼくも彼女も変わってしまった。そして、もう元に戻ることはないのだろう。今やパルデアを代表するスターとなった彼女が、ひとりの少女として画面に映ることは、きっと誰も、彼女自身も許さない。それと同じ——と言うのは烏滸がましいけど、ぼくにも今しか、これしかない。これしかないなりに、もう少し前向きになろうとは思えているけど、それとこれとは別。奪われてはならない座で、奪われることを恐れないなんて、できない。
 ——そういえば、ジムリーダーになろうと思ったときも、彼女がいたっけ。病院のベッドから一歩も動くことができなくて、何もかもがどうでも良くなっていたとき。寝たままできる怠惰な暇潰しに、動画サイトを開いていた。そこで、ジムリーダーのテストに合格した彼女の配信を観て。ぼくも、クラブの仲間と気晴らしにポケモン勝負をしたとき、負けなしだったと思い出して。真似をしたつもりはないけど、画面の中で嬉しそうに報告をしていた彼女の姿と、自分のささやかな栄光が重なって。漠然と、でも強烈に、これしかないのだと直感した。
 その彼女の言葉で、ぼくはこの座を失うことになるかもしれない。自業自得とはいえ、何とも皮肉な話だ。だけど、もし本当にそうなったとしても、ぼくのことは気にせずに、やりたいことをしてほしい。
 諦めと願いを胸に、配信の開始を待った。