ラスト・トゥ・スタート(2/3ページ)

 

『おっはこんハロチャオ~~!! 皆の者お待たせ~~! あなたの目玉をエレキネット! 何者なんじゃ? ナンジャモです!』

(……やっぱ、変な挨拶……)

 思わず、ほんの少し、ほんの少しだけ笑ってしまいそうになって、慌ててマフラーを上げた。今は、笑顔で観ていられるような状況じゃない。

『皆の者も盛り上がってるね~~!! コメント欄も大盛況で嬉しい……って、なんかいつも以上じゃない!? ……うう、感激~~!! これも新天地効果かなあ!? ブルベリに来て良かったあ~~!! ボクもまだまだ人気者に……!』
『いや、違うね!? 皆の者、ボクのこと心配してくれたんだね!? そうそう、ボク、遅刻しちゃったんだよね!? ごめんなさ~~い! このとーり、お詫び申し上げます……』
『……でもでも、これほど多くの皆の者に心配してもらえるなんて、人気者の証だよね……っ!? トレンドにも入ってるし、視聴者数もいつもよく多いし、注目されたのは良かっ……あ、いやいやいや!! わざと遅刻したとかじゃないぞ!! 皆の者信じて~~!!』

 そう。本人が語り、洪水のようなコメントも示す通り、今回の配信は、予定時刻から遅れて開始された。コメント欄に集った視聴者も——まあ、ぼくも、心配したけど。幸い、本人はこの通り、いつもの元気な姿で登場した。いつも以上に元気な気もする。新天地効果に浮かれているのは彼女の方かもしれない。
 でも、彼女が遅刻するのは珍しい。ずっと、視聴者の扱いは大事にしている印象があるから。滅多な理由がない限り、視聴者に対して提示した告知を破ることなんてなかったはずだ。場を盛り上げるための計算された行いではない気がする。すっかりお馴染みの、欲望を覗かせるサムいトークがいじられる中で、彼女を心配して遅刻の理由を尋ねる視聴者も少なくない。

『ジュエル氏、いかずち氏、クラボ氏、ありがとう~! 心優しい視聴者に恵まれて、ナンジャモは幸せぞ……!!』
『あ、遅刻の理由はも~~ほんとに気にしなくて大丈夫だから!! 今ボクがいるここは、用意してもらった学園内の部屋なんだけど……ほら、ここって新天地ジャン!? だから、その~~……ま、迷子と言いますか~~……』

 抜けた一面を見せて笑いを誘い、また愛嬌を感じさせることは、今の彼女の常套手段の一つだ。その「抜けた一面」が素であるのか、それとも計算であるのかは、時と場合によるだろう。——今は。

(……何か、誤魔化したな……)

 ぼくよりも彼女の方が、ここへ足を運んでいるらしい。学園内での配信だって、何度もしてきたはずだ。部室から自室へ移動することだって。学園内は、凝ってはいるけど複雑な造りじゃない。一度通れば覚えることは容易だろう。その場所で、彼女が、今さら道に迷うか?
 普段なら、彼女の発言一つに対して、ここまで疑り悩むことはない。だけど、「迷う」ということを考えれば、心当たりが、あって。

『昔のほうが体張ってて好きだったかな』

 彼女は、視聴者数と彼らの満足を重視する。その中に、ぼくも含まれているとしたら。明るく受け流した態度とは裏腹に、彼女はぼくの言葉を、真剣に受け止めて——迷ったのだとしたら。

(まさか……そんな、サムいこと……)

 あり得ない、とは思う。何百万にも上るファンは、今の彼女に満足している。だからぼく一人ごときの意見なんて、一蹴されて然るべきだ。通したときに得るものより、失うものの方がずっと大きい。彼女だってそれは分かっているはずで、現に今画面に映っているのは、いつも通りのサムいノリ。——でも、彼女の視聴者思いな一面も、ずっと前から分かってる。それでも昔は、たまに届けられる過度な指示に従うことなんてなかったように思うけど、少しずつ、彼らのニーズに応えていった結果が、今の彼女を作り上げているわけで。

「…………っ」

 マフラーで覆い隠した唇を潰すように噛む。指が折り曲がって拳の形を作る。手袋をしていなければ、爪が立てられた手のひらが痛んでいただろう。手袋越しでも、痛みを覚えられるくらいなんだから。
 今のぼくは、自意識過剰なサムいやつかもしれない。でも、それで済んだ方がずっといい。動画の方針を見直してほしいとか、また昔のような配信をしてほしいとか、そんな要望をするつもりなんて、本当になかった。ただ、何も考えずに思ったことを口に出してしまっただけ。素直で愚かな子供のように。——昔の自分に戻ったみたいに。
 「昔の方が好き」なんて、ぼく自身の過去への未練の表れだ。そんな、身勝手でサムい感情を、押し付けたくは——。

「グルーシャさん……! 配信、配信!」
「え……? あ……」

 隣で配信を見守る彼女に呼ばれて、イヤホンから流れる音声に、全く集中していなかったことに気付く。
 どうやら遅刻の話はとっくに終わっているようだ。全然聞いていなかったから、今はどんな話になっているのかはよく分からない。だけど少なくとも、画面の中の彼女は今のぼくと違って、楽しそうだ。演技——最近の彼女の配信には、それは多かれ少なかれ含まれているんだろうけど——ではないことを祈る。

『そう!! 皆の者、よくぞ聞いてくれました!! ボクの気分がとってもプラスルな理由! 気になるよね!? ……あ、皆の者はプラスルってポケモン知ってる? ボクもブルベリの生徒氏に教えてもらったばかりなんだけど、パルデアにはいないでんきタイプのポケモンでさ……』

 配信開始直後に受けた印象が確かになる。ああ、本当に何割か増しで元気だったんだ。
 ささやかな答え合わせで正解を得たところで事態が解決するわけはなく、また焦りが募っていく。こっちは最初から、あんたとあんたのファンの出方次第で、早急に動かなきゃならない立場にいるのに。

「配信、まだ続くよね……」

 でんきタイプのポケモンの話に花を咲かせる姿は相変わらずで——サムくない、と思うけど。でも、もしもぼくの失言に言及する気なら、一思いにやってほしい。こっちには、余裕がないから。

『皆の者、予想ありがとだぞ~! ……あ、もちものはじしゃく氏! いつもありがとう! ……でもゴメン、プラスルを捕まえられたわけじゃないんだ~~』
『テラリウムドームの中にいるみたいだけど、まだお目にかかれてないんだよねえ~。……おっ、こだわりハチマキ氏ありがとう! もっちろん、今度探しにいくときも配信するつもりぞよ~! そのときは目をコイルにして、応援よっろしくね~!』

 コイルの髪飾りが浮き、彼女自身も両腕を広げて飛び跳ねる。
 視聴者にコメントを促し、それを拾い上げ、話を適度に脱線させつつ、自然に宣伝を行う進行はいつも通りすぎて、張り詰めて観ていると無駄に消耗してしまいそうだ。ドンナモンジャTVを緊張しながら観るというのが、そもそも変な話だ。

『んじゃもー、そろそろ答え合わせいってみよっか! フヒヒ……皆の者の予想、もっと聴いていたかったから、ちょ~っと名残惜しいけどね~? このままじゃ配信が緊急延長版になりかね……皆の者的にはそっちの方が嬉しかったり!?』
『う~ん……でも今日はちょ~っと厳しいかな~! でも、皆の者の声援にお応えして! 近いうち長めのやつやりますか~~!』

 ようやく話が進むらしい。ここまで引っ張るくらいだ、余程嬉しいことがあったんだろう。しばらくはその話題に終始しそうだ。ぼくへの審判は、気長に待った方がいいかもしれない。

『ではでは、皆の者お待ちかね、今日のボクの最っ高のハイライトの発表~! 知ってる人も多いと思うけど、ボクは今、イッシュ地方のブルベリの学園に来てるんだ! そこでね……』

 ——油断は、いつだって命取り。

『——ボクの、とびっきりの古参ファンに会えたんだ!!』

「……は? ……はあ……っ!?」

 ひとりでに、叫んでしまう。もう声は大きい方じゃないし、マフラーで遮られてもいるから、部室に響き渡ることはなかったけど。
 衝撃、動揺、緊張。それらが身体中を急速に冷やしていくのに、頬のあたりだけ妙な熱さがある。熱を逃す方法としては逆効果だと分かっているのに、何だかそこを隠したくて、マフラーをいつも以上に上げてしまう。籠る熱をどうにかしたい、なんて感覚は初めてだ。思えばずっと——夢を、生命そのものを断たれたあの日から、サムさだけ凌いで生きてきたから。

(……ナンジャモ……どうして……)

 また、彼女の声に意識を割く余裕がなくなって、画面の中の姿だけ見つめた。長い袖を駆使して両頬を隠しながらの笑顔が、今のぼくには眩しくて、目を伏せてしまう。
 ——どうして、そんなに嬉しそうにできるの。サムく、ないの。

「……良かったじゃないですか」隣から、静かに称えるような声がする。「ナンジャモさん、喜んでますよ?」
「……良くないよ。第一、ぼくのことだって決まったわけじゃないし……」

 これこそ、自意識過剰かもしれない。サムすぎる。まあ、ぼくの名を出されるよりはマシなのか。

「それに、コメント欄を見てみなよ。こんな発言したら……」

 ただでさえ盛況のそこは、さらに勢いを加速させて激流を起こしている。視聴者も、配信者も、それを追うのは困難だろう。でも、この現象は、彼女を喜ばせるものだ。髪飾りコイルの二匹と共に、彼女は目を輝かせている。

『ハイパーボール氏……『自分は三年前から応援してます!』、わざマシン25氏……『四年前から欠かさず配信観てる!!』、エレキン氏『七年前からナンジャモ一筋:70,000』……うむうむ! みんながずっと応援してくれてること、ボクはちゃ~んと分かってるぞ! っていうかエレキン氏はこんなに大丈夫!? ありがとうだけど!』
『……あ、新米トレーナー氏~~!! 大丈夫だぞ!! ボクは長い付き合いの者のことも、最近好きになってくれた者のことも、ぜ~んいん、大っ好きだから!! あ~~も~~、皆の者にい~っぱい愛されて、ボク幸せ~~!! 召され~~!!』

 彼女が読み上げる通り、コメント欄は各々が彼女を観ていた年数を公表し、それによって暗に‟マウント”を取り合う、電子の戦場になってしまった。それでも彼女が拾えたコメント全てに好意的にな返答をして、敗戦者にも愛を注ぎ、ファンの言葉全てに嬉しがっているから、まだ穏やかで、彼女への熱意で団結する平和が保たれている。何かの切っかけでその均衡が崩れない限りは、大丈夫そうだ。
 ——崩れない限りは。状態としては、かなりまずい。崩れてしまえば、彼らの矛先は一斉に、ぼくへと向きかねない。

(……ぼくの名前とか、出されないといいけど……)

 いや、そもそも、ぼくじゃなければいい。ぼく以外の誰かが、彼女の前に現れていたかもしれないし、そういう人が、コメント欄にも現れてくれたらいい。
 どう考えても、そっちの方が自然だ。余計なことまで言っていたぼくの言葉で喜ぶなんて、あるわけない。

『チュロス氏もありがとう~! えーっと、『ナンジャモちゃんに直接古参アピできるブルベリ生徒? 先生? とにかく羨ましい』……? ……フヒヒ、ニッシッシッシ! そうだよねぇ~!! オフイベントに参加しなくても生ナンジャモに会える者は、いつものハッコウ民以外だと、ブルベリにいる人だけかも~?』

「……あ……」

 上がった口角を袖で少しだけ隠しながら、イタズラっぽく笑う彼女と目が合った。
 こういう視線は、熱心なファンにはたまらないだろう。自分ひとりを見つめてくれていると錯覚できてしまう。ぼくは彼らほど熱烈じゃないから、サムい勘違いに耽ることなんて、今までなかったけど。——今回ばかりは、理解してしまった。

「……これ、ぼくのことだ……」

 観念して、宣言する。隣で、「やっぱり」という声がした。
 学園の「生徒」や「先生」を挙げた視聴者に対し、彼女は意味深な笑みを浮かべていた。そしてその後、学園にいる人、と言い直して答えていた。「生徒」や「先生」に含まれている人間ではないと、言外に告げたんだ。そんな人間は外部講師くらいしか思い当たらないし、今それに当てはまるのは、彼女以外ではぼく一人だ。
 そして何より、彼女の反応。一つ一つのアピールに対して、感涙しそうなくらい、喜びを示しているけれど。

『そんな前から!? あーん、うれしや、恥ずかしやー!』

 ぼくに向けられた、恥じらいすら含む驚愕が、この配信で繰り返されてはいない。
 本当に、ぼくだけなんだ。彼女は今、何百万もの人を集めておきながら、彼らの向こうにいるぼくのことを見ているんだ。

「……なんで……」

 そこまで喜ばれるようなこと、していないのに。

「……ひとまず、安心していいのでは? ナンジャモさん、グルーシャさんが言ったこととか、お名前だって、出す様子ないですよ?」
「……そうだね。それは、良かった……」

 付き添い視聴者の言う通り、矛先がぼくに向く気配はない。コメント欄に集う猛者たちの関心は彼女が語った「古参ファン」へと移ってゆき、その人のことを尋ねる人が出始めている。その度に彼女はのらりくらりと上手く誤魔化しているから、いずれこの場は収まりそうだ。

『匿名希望氏もコメントありがとう! なになに、『その人のファン歴は? ナンジャモって七年前に活動始めたんじゃないの?』……。……ニッシシ! そうだねぇ、そのくらいだったと思うぞ~?』

 ああ、また、わざとらしいカメラ目線と答え方。
 彼女も、分かっているんだ。「その人」と彼らの、歴の勝敗を。分かっているから、誤魔化さなきゃならない。彼らの夢と希望を、守るために。
 ——誤魔化しなんてやり方は、いつの間にか覚えていたみたいだけど。誰かの心に寄り添えるところは、変わってないな。

「グルーシャさん?」

 スマホをポケットへと戻す。配信はまだ途中だったから、驚いた付き添い人に声をかけられた。

「確認は十分だ。ぼくは無事で済みそうだから……講義に向かうよ。帰らないでおく」
「それは良かった」

 続いてスマホをしまった彼女は、心底安心したように微笑んだ。これでお互い、首の皮が繋がった。一時はどうなることかと思ったけど、本当に良かった。

「後でナンジャモさんにお礼言います?」
「言わない。……あんたが言いたいなら好きにすればいいけど……」

 「グルーシャがナンジャモに暴露されて炎上することを危惧していましたよ、なのでグルーシャの名前を出さないでくれてありがとうございます」なんて報告されるのもサムいことだけど。でも、もう。彼女とかかわることは、ないだろうから。

「そんなことより」ぼくを見送る彼女の方を振り向く。変な提案をしてくれたおかげで、必須の要望を伝え忘れずに済む。「もう、ぼくと彼女を呼ぶタイミングは重ねないで」
「え、どうして……? この流れで……?」
「この流れだからでしょ」

 何を勘違いしているのかは想像がつくけど。——「お近付きになれた」とか、サムい自惚れをするような人間じゃない。

「もう、彼女に余計なことを言いたくないから」
「……グルーシャさん」
「……サムいことに付き添ってくれてありがと。それじゃ」

 担当者の返事を待たずに、部室の出入り口へと進んでいく。そのくらいの調整は、してくれるだろう。

 

 準備時間を含めても、講義までにはまだ余裕がある。
 リーグ部から離れ、廊下の物陰へと身を潜めるように移動して、しまっていたスマホをもう一度浮かべる。点いた画面に映っているのは、ドンナモンジャTVの生配信の続きだ。雑談配信が続いているけど、今はテラリウムドームの様子が語られている。あの話題は終わってくれたみたいだ。コメント欄を上にスクロールしてみても、荒れた形跡は見つからない。ぼくは安心して良さそうだ。
 でも、安心しきって何もしない、というのは違うだろう。彼女に直接かかわることがなくなるとしても、念には念を入れた方がいい、から。

(……配信観るの、これきりにした方がいいのかな)

 彼女の大事な視聴者数を一つ減らしてしまうのは、申し訳ないけど。今日の彼女の喜び——演技だとしても、何であんなに喜べるのかは分からないけど——を裏切ってしまうことにも、なってしまうかもしれないけど。彼女に近付くことが、自分にも、そして彼女にも、良くない結果をもたらす可能性を痛感した。今回は、それが現実になることはなかったけど、次があるとは限らない。

「…………」

 一つの決意を思い描いた途端、彼女の姿を含めた視界全てが滲みかける。咄嗟に目頭を押さえて、瞼も下ろす。イヤホンから聴こえる愛くるしい声だけが響いて、冷え切った心に降り注ぐ。

(……そっか)

 サムくなる一方の配信のはず、なのに。今も観るのが当たり前で、それをやめようと思うことを、心のどこかで——拒絶するくらい。自分で思っていたよりも、ぼくは、彼女を好いていたのか。
 当たり前かもしれないな。良くも悪くも自分だけを信じていた頃のぼくが、唯一と言っていいほど心魅かれた相手だ。特別じゃないわけがない。夢を追い続けていたときも、それに敗れたまま進まなきゃいけなかったときも、彼女は一台のスマホを通して、ぼくの傍にいた存在だった。だから、彼女から離れるということは、今までの人生に区切りをつけることだと言っても、過言じゃないのかもしれない。——サムい表現だけど。
 視聴者から配信者へと向けるその想いは、所詮は一方的なものに過ぎない。なぜか喜んでもらえているのは幸運で、「めんどい古参ファン」と本人に評されたぼくは、彼女の重荷となり得る存在だ。この学園の特別講師として一緒に過ごすことはなくなっても、今後のパルデアの仕事で、顔を合わせる機会くらいはあるかもしれない。そのときに、今日のような失敗をせずに済むように。辛くても、離れなければ。——何かを失うなんて、今さらだろ。

(今まで、ありがとう)

 せめて、その感謝は込めて、最後に何か贈ろう。コメント——は、今何を送ってもサムく感じてしまいそうだ。スタンプ一つにしておこう。
 ——これでいいか。ドンナモンジャTVの一周年を記念して配布されたもの。思い出にケリをつけるには、きっと相応しいはず。

 またスマホをしまって歩き出す。両耳のイヤホンはどうにか外したけど、配信の画面は綴じないまま。視聴者数には貢献しておこう。これが最後なら、なおのこと。
 「最後」と言い聞かせる言葉に凍て付く心には、気付かないフリをした。