ネット・フォー・ユー

 

 ——食事会、当日。
 会場についても色々と協議を重ねたけど、こっちは宝食堂で落ち着いた。ジムリ・四天王・トップが揃ってパルデアを空けるのはまずくない? っていう至極真っ当な理由で。世界トレンドの最先端の地でバズりたかった、という気持ちはまあ、正直あるけど。でも宝食堂だって、チャンプルが誇る有名店。そして何より、大勢の豪華ゲストだけでお釣りが来る! 事前告知も万全にした。あとはもう、スマホロトムを漂わせ、約束されしバズを引き起こすだけ!
 ではでは、今宵のドンナモンジャTV特別版、とくとご覧あれ~! 皆の者の憧れが勢揃いだ!

 

「コルサ氏~! コラボがダメでも、写真一枚くらいいいでしょ!? ほらほら、ハッサク氏と一緒にどう!?」
「リップ氏にチリ氏の美人さん二人~! こっち向いて~! ……え、ボク!? アワワワ……そりはちょっと、遠慮しておこうかなー……! 畏れ多……いや、今日のボクはみんなの様子をパルデアにお届けする役に徹するからー……スリーショットはまた今度でー……!」
「ポピーちゃん氏にトップ……! ほ、本日は御日柄もよく……! ……ん? 今一瞬、トップの髪にポケモンが……? 気のせいだよね……?」
 

 くぅ~~~~~~~~! 何という激バズ!! 配信の同接数、SNSにアップした写真投稿への反応数、共に今年——どころかドンナモンジャTV始まって以来の値と言っても過言じゃないのでは!? ヤバい、召され——るわけにはまだいかない。なんとこの後、ライム氏がタウンの広場で即興ライブしてくれるんだって! つまり、数字はまだまだ伸びるってこと!! もう十分満足の域なのにこれ以上伸びるの!? 幸せすぎる~~~~!
 ——え? グルーシャ氏のところに行かないのかって? ——そりゃあ、行くけども! 一番最初に行ったら、まるでボクが彼を目当てに参加したみたいで恥ずかしいし! 少し後回しにするくらいが丁度いいんだよ、きっと。視界の端に留め続けているうちに、機会というのは回ってくる。

(……今、なら……!)

 万年欠席人だった彼だけど、今日はジムリや四天王の人たちとそれなりに会話している姿を、密かに捉えていた。だけど今はタイミング良く、隣がガラ空きだぞ。——物珍しさもあって人に囲まれていた彼がようやくフリーになったので、配信への協力を頼みに行く。うん、何もおかしなことはないよね?

「それじゃあまたね、ハイダイ氏、カエデ氏! 師弟コラボの新作スイーツ、ボクも皆の者も楽しみにしてるぞ~! ……以上、カラフシティとセルクルタウンの師弟コンビでした! んじゃもー、次のゲストの席に赴くぞよ~! 皆の者、画面はそのまま! もしくは、ボクのSNSをチェックしていてね! 激レアなショットを随時更新中だぞ~!」

 一旦配信を切って、席を立つ。どくりと心臓が高鳴ったのは、高まり続ける数字を目にして興奮したから——じゃないってことくらい、分かってる。
 配信業とこの人気に慣れていくうちに、緊張なんて感覚を味わうことはなくなっていったのに、たったひとりに話しかけに行くだけで、思い出すとは。しかも、トップみたいなスゴい人ならともかく、ボクと同じジムリ相手に。
 普段はこういう集まりに参加しない彼も、超特別なゲストの一人だから。コラボってほどじゃなくても、大物に出演を願うなら、多少緊張するのは当然では? 言い訳をするように自分に言い聞かせながら、座敷を一歩一歩踏みしめていく。配信のためだけに会いに行くわけじゃないってことも、心のどこかで分かっていた。
 

「おはこんハロチャオ~、グルーシャ氏! キミのお隣、エレキネットしてもよい~?」
「……どうぞ」

 ——よし! 普段通りの調子で挨拶もできたし、お隣も許してもらえたぞ! 座り方もごく自然にできてる、よね?
 ここで「ダメ」とか言われなくて本当に良かった。誠に残念ながら、現在ブルベリへの同時招待NGを食らっている身なので、その可能性も考えてたけど。言われなかったから、配信の必要性——リーグの宣伝にもなるということで、部分的な配信はむしろ、トップにぜひと言われている——を盾にして強引に居座るという手段も取らずに済む。彼とは、できるだけそういう事情を抜きに接することができたら、と思ってしまう。ボクがストリーマーとして名を馳せる前から、見守ってくれたひとだからかな?

「あれ、グルーシャ氏もお酒飲むんだ?」
「普段から飲んでるわけじゃないけどね。サムさも凌げるから、たまに……」
「なる~、防寒のためかあ。それにしても、けっこう強そうだねえ」
「そう? 確かに、酔ったことはないと思うけど……」

 その頬は白いまま、涼しい顔でグラスを傾けている。傍らに置かれているお酒のボトルに気付くまで、てっきり、水を飲んでいると思っていた。美少年健在な容姿のせいか、元々、お酒を飲むイメージもなかったし。
 それに加えて。食事中だから当たり前だけど、宣材写真でも彼の口元を隠しているマフラーが、今は外されている。だから、露わになった唇がグラスに触れる様に、二重の新鮮を感じている。

「……グルーシャ氏! お酒飲んでるとこ、数秒でいいから配信させて! もし配信がダメだったら、写真アップさせてほしいな~!」
「……え?」見開かれた目がこちらを向く。「そんなの撮って何がいいの?」心底理解できない、とでも言いたげに尋ねられた。
「こういうとき、ジムリのみんながどんなふうに過ごしてるのか……パルデアのみんなは気になってるよ~? そしてそれを伝えるボクの人気も相乗的にシビルドン登り……じゃなくて! グルーシャ氏ほどの大物なら、お酒飲んでる姿だけでも、みんな喜ぶものなんだって!」
「意味がわからないな……。……まあ、別にいいけど」
「いいんだ!? わーん、とにかくありがたし~~~~!」
「宣材みたいなものでしょ」
「およよ、バレとる……」

 自分の人気は分かっていないみたいだけど、裏事情も汲みつつのOKを出してくれた。トップたちまで出席していて、それに合わせて参加した以上、多少撮られることは承知していたのかも。
 ——あくまでリーグと合同の企画の一環だから、彼とのコラボってわけじゃないけど。でも、ドンナモンジャTVに彼が出てくれるのは初めてだ! こんなにドキドキしているのも、それが理由? そうじゃなかったら、まるでボクが彼のファンみたいじゃん。彼がボクのファンなんだよね!?

「……で? 配信と写真、どっちにするの?」
「あーっと! そうだった、決めなきゃ!」ふいうちで話しかけられ、驚いてしまった。スマホの準備もしていなかった。「……飲んでるところを写真に撮るって難しいし、配信で頼めるー!?」
 

「……よし、バッチリ! ありがとう、グルーシャ氏~~~~! キミのおかげで視聴者数がまたまた爆増! うう、幸せ~~!」
「……そう」
「いや~、キミを見込んだボクの目に狂いはなかったよ!」髪飾りコイルを浮かせて、「目」をアピールしてみる。「ゲストが一言も喋らずお酒飲んでるだけの短い動画でこんなに数字取れるなんてある~!? さすがはパルデア有数の実力者にしてこの美形よ……! キミの場合、いつものメディア露出の少なさもおいかぜになったよね~!」
「あの程度でここまでいくんだ」ドンナモンジャTVの視聴者数を示した画面を見せれば、彼も少し驚いたみたいだ。でも、「人が酒飲んでるだけのサムい光景で数十秒もトークできたあんたの方がすごいと思うけど」と、冷ややかに目を細める。
「おっとグルーシャ氏ー? 皮肉かねそれは~?」

 期待以上の結果が出たのは本当で、それには、心から満足してる! ——でも、普段のボクなら、もっと話を続けて配信をさらに盛り上げることだってできたはずだ。配信を始めて、彼の軽い紹介をして、彼がこの場にいること、そしてドンナモンジャTVに出演していることがいかにレアであるかということを語って、顔色一つ変えずにお酒——配信前にラベルを見て少し調べたんだけど、かなり強いらしい——を飲み干す姿を称えて、ってところまでは上手くいった。で、そこから彼個人を褒めちぎって視聴者の熱気も高め、その数を増やしていきますか! ってところから、何だか妙に気恥ずかしくなっちゃって、急遽上手く締めながら配信を中断したのだ。こういうアドリブの上手さも一流ストリーマーの証! 「ナンジャモ急にトーク終わらせたな」というコメントは一つも見受けられない。コメント欄は、彼に見惚れた人たちで今も溢れている。
 変なの。グルーシャ氏がボクの往年のファンだと知ったときには、無性に自慢したくなって、名前は伏せつつ雑談配信の話題にしたっていうのに。今は、秘密にしようとした。彼の登場に湧きたつコメントを見て、嬉しくもなったけど、悔しさと、気恥ずかしさがあった。彼がここにいるのはボクが頑張ったから! と言いたくなって、言ったらご執心バレしちゃうじゃん! と気付いて、それを意識すればするほど頬が熱くなって。だから彼を映した配信ごと終わりにして、ボクのフクザツな気持ちは秘密にするしかなかったのだ。——まあ、何とも謎な、そんな気持ちより。

「さっすが、古参勢は違うね~! ボクのトークが短めだったってこと、分かるんだ?」
「…………」

 グルーシャ氏は一気に表情を苦くして、グラスの中身を呷った。やっぱり、古参——とかあれこれボクに言われたこと、気にしてるんだ。ボクにとっては、そのお酒の方がずっと苦いものなんだけど。

「まあまあ、気にしないでよグルーシャ氏~」長い袖をゆらゆらと揺らして励ましてみる。「ボクのトークが短かったのは、キミのせいでも何でもないし! 現に、そこの視聴者数すっごいぞ~? アーカイブの視聴者数もシビルドン登り中!」まずは、そこの誤解から。
「なら、何で……」
「……それは! ヒミツ! だけど信じてほしいな~?」
「はあ……?」

 疑問符をいくつも浮かべてる様子のグルーシャ氏だけど、それ以上追求してくる様子はなかった。信じてくれたのだと信じることにしよう。
 お酒を嗜むグルーシャ氏を見続けていたら、ボクも何か飲みたくなってきた。こんなこともあろうかと、リンゴジュースの入ったグラスを片手に移動していたのです。メニュー表によると、キタカミ産100%なんだって! ——キタカミってどこぞ?

「……う~ん、ぬるい。けどおいしい……」

 ずっとあちこちの席を回って、みんなを尋ねての配信や撮影に勤しんでいたから、ボクが何かを口にするのは今が初めてだ。おかげで、最初に注いでもらったリンゴジュースはすっかり温度を得ている。冷えていたらもっと美味しかったかもしれない。まあ、これはこれでいっか。

「……あんたは……」
「ん?」

 隣からかけられた声に気付く。微かな声ではあったけど、興味深げにこっちを見ているんだから、逃すわけがない。
 口角が上がっていることを自覚する。誰かに興味を持ってもらえるって、こんなに嬉しいことだったんだ。

「……いや、何でもな……」
「グルーシャ氏! いかにも『何かあります』って顔しておいてそれはズルいぞ~! 気になって昼しか眠れなくなっちゃうじゃないか!」
「寝れてるじゃん……。っていうか、昼に寝てるの……」

 うんうん、適切なツッコミをどうもありがとう!

「まあ……実は……割と……?」

 今やボクは老若男女に愛されるエレキトリカル★ストリーマー。そのみんなが観やすい時間に配信をするべき、となると、基本的な配信時間は夜になる。日中だと、学生氏や社会人氏のスケジュールと噛み合わない場合も多いからね。だから自ずと、ボクは昼夜逆転気味の生活を送りがちになるのだ。昼間にに配信の準備をすることも多いから、睡眠時間も少なめかも? 元アスリートのグルーシャ氏から見れば、あまり褒められた生活じゃなさそう。

「……あんたが平気ならいいけど、健康上感心はしない。……ほどほどにね」
「はーい……」

 案の情、苦言を呈されてしまった。でも、こんなことで心配されて、お叱りを受けるなんていつ以来だろう。何だかこそばゆい。けっこう、悪くない、かも。

「……で! グルーシャ氏は、ボクになんて!?」
「……あんたは、お酒じゃないんだね」
「ああ! そりゃもー、もちろん!」まだリンゴジュースが残るグラスを掲げてみせる。「一身上の都合といいますかー。飲み配信はしないって言ってるし」

 このボク、ナンジャモは年齢不詳——ということで通している。ナンジャモの酒飲み配信観たい! って声も少なくないけど、それよりもボクは、ナンジャモ十代説・未成年説の支持者を選んだのだ。そっちの方が数多そうだし。

「…………」

 グルーシャ氏が小さくついたため息には、明らかに呆れの意図が込められていた。なぜ? 未成年の少女かもしれないナンジャモはお酒を飲まない、ということは、ボクの動画を観てくれているなら分かるはずだけど。
 まあ、年齢を尋ねられるようになったのも、非公開の方針を固めたのも、大勢のファンがボクについてくれるようになってからだ。それ以前は、そんなこと気にしてなかったな。誕生日を迎える度、数少ない視聴者に向けて報告していた。

「……あ」

 グルーシャ氏は多分、ボクが飲まないこと自体に呆れたわけじゃない。「一身上の都合」——年齢の秘匿という、ボクの誤魔化しが誤魔化しであると見抜いて呆れているんだ。「飲める歳ではあるくせに」と。かつてのボクを知っているグルーシャ氏は、ボクの年齢だって当然、知っているはずだから。

「……グルーシャ氏~? このことは、どうか~……」
「他言無用、でしょ。……分かってるよ」

 声を潜めて懇願するボクに、彼も同じ声量で返す。呆れたままで片目を瞑るその仕草が、何とも様になっている。ああ、この瞬間を配信していれば、すっごく再生数稼げただろうな。だけど、ボクの——ボクたちだけの秘密が含まれているから、オンエアじゃなくて良かった。グルーシャ氏ファンの皆の者、ごめーんね!
 この密約を確かにしたくて、リンゴジュースのグラスを持ち上げる。ボクのやろうとしていることに気付いたグルーシャ氏も、同じようにお酒入りのグラスを手に取った。どちらからともなくそれを寄せ合って、高く心地良い音を鳴らす。いつも使っているドンナモンジャTV印の契約用紙より、ずっと軽い約束の証を交わした後のリンゴジュースは、さっきよりも甘くて美味しかった。いい感じにひんやりとしているようにも感じるのは——ボクの体温が上がっているからかな。

「……ヤバ。……居心地が良すぎる……!」
「は……?」

 この体温も気持ちがいい。純粋な喜びで、穏やかに高揚しているから、だと思う。
 ずっとドキドキしているのに、まるで十年来の友達同士みたいな雰囲気も味わえている。人気のために、ボクが忘れてきたボク自身を知ってくれているひとの傍って、こんなにも安心できて、こんなにも楽しいんだ。

「ねえ、グルーシャ氏! ライム氏のライブが始まるまで、ここにいてよい!?」
「……他の人のところ、行かなくていいの? ぼくは配信のネタなんて、何も持ってないけど」
「一人一人の様子を紹介するのはもう終えてて……実は、グルーシャ氏には大トリを飾ってもらいました~」

 最初にグルーシャ氏のところに向かうのは、いかにも彼目当てって感じがして憚られる——という理由で後回しにし続けた結果の順番だけど、これはこれで恥ずかしいかも!? ショートケーキのイチゴを最後に食べるのと同じで、ボクがグルーシャ氏を特別視しているのが分かりやすくない!?

「……だから、ライブまで配信は休憩にしてもいいかな~って! 情報の大洪水に遭った視聴者たちのためにもね~」少し冷や汗をかく気持ちになりながらも説明し切った。
「……そう。あんたがそうしたいなら……好きにしたら」
「やったあ!! ありがと~、グルーシャ氏!」

 ボクも、頭上のコイル二つもニコニコだ。キミの隣にいれるのがこんなに嬉しいって、まだ不思議そうにしているグルーシャ氏は、分かってないかもしれないけど。できることなら、ずっと隣にいたいくらい——とは、言わないでおこう。サムいと言われて追い出されたらボク泣いちゃう。

「……あんたには」独り言のように、彼が静かに零す。
「ん!?」
「……嫌われたと思ってた」
「なっ、なぜに~っ!? ……って、聞くまでもないかあ」ボクが彼を嫌う。あまりにもあり得ないことだから、彼の口から告げられたそれに、オーバーなリアクションを返してしまった。「……やっぱり気にしてたんだねぇ。……『めんどい古参ファン』」
「気にしてたって、いうか……。面倒って言われておきながら、嫌われてないって信じられる方が……サムいし図太くない?」
「まあ……褒めるときに使う言葉じゃないのは確か……だけども!」

 ——ああ、もう、言ってしまおうかな。ボクが彼を嫌っていなくて、むしろ、その逆——というのを、証明するもの。言い訳を使って、上手く立ち回って、ファンはもちろんジムリのみんなにも隠し通せていたけど、彼になら、ボクの秘密を打ち明けてもいいと思えるから。既にいくつもあるんだから、一つくらい上乗せしたところで。

「……この食事会にさー、トップや四天王のみんなも呼ぼう! って提案したのはボクなんだけど」
「……? ……知ってる。グループチャットのやり取りは見てたよ」
「トップたちとかかわる機会も増えたからとか、ボクもみんなの様子を配信したいから~っていう理由も本当だけど。……一番は、キミと話したかったからなんだよ」
「……え……!?」
「アオイ氏から聞いてるぞー! グルーシャ氏ってば、ブルベリでボクとの顔合わせNG出してたって!」見開かれたパールブルーの目に、イタズラを仕掛けるように笑いかける。「NGの理由も察しはついた。だから、何とか会って、話して、誤解を解きたいな~って思って……。そのためには、ジムリで集まれるこの機会しかなかった。そして、いつもは不参加のグルーシャ氏だけど、トップたちも来るとなれば、さすがに出席せざるを得ないのでは!? と。……どう!? ボクの作戦!」

 グルーシャ氏はこめかみを抑えて深くため息をつく。——ただの勘、あるいは期待だけど、嫌がっての反応じゃない気がした。だからコイル二つと一緒に、彼が顔を上げて言葉を紡ぐのをワクワクと待つ。

「……あんた、普段はバカのフリしてるけど、実際は賢くて強かだよね……。しかも、やたらとアクティブだし……」
「バカのフリ!? ……は置いといて……。そりゃもー、行動力なんて配信者には必須のスキルぞ!? 伊達に十年続けてるベテランじゃないってこと、分かってくれた~!?」

 バカのフリというのも間違いじゃなくて。例えば、野心を露わにした「失言」をして、それを慌てて撤回する——っていう芸はウケがいいことを分かって繰り返している。でも、いつだって大事なのは、とにかく行動する方だよね。ボクにその力がなければ、今キミと話していることも、そもそも、キミと出会うこともなかった。

「……ベテランって自分で言っててちょっと傷付くかも~。ボク、いつまでも若いポジションでちやほやされたいのに……」
「若くないって歳でもないでしょ……。まあ、大衆ウケに成功してるってことは、年季を感じさせるような内容にはなってないわけだし……大丈夫なんじゃない?」
「ニシシ……キミに言ってもらえると自信つくねえ」
「……今の、皮肉なんだけど」
「ボクの大衆向け路線ってそんなにサムい~!?」

 たとえ皮肉だろうと、全部知っているひとの言葉は心地が良い。その彼が少しだけ、おかしそうに口の端を上げていたから、ボクもつられて笑顔になれた。

「とにかく! キミのために企画を立てたボクが、キミを嫌ってるなんて絶対ナイって話!」 「……わからないな。あんたにとってぼくは……そんなにこだわるような相手だった? ……弱みでも握られていると思ってるなら安心して。あんたのことを誰かに言いふらしたことはないし、これからも、するつもりはない」
「え、弱み!? ……そんなふうに考えたことなかった……!」
「……楽観的。リスク管理怠ると痛い目見るよ」

 確かに過去の配信は、今のファンに見せたいものじゃない。客観視に努めても色々と拙いなと思うし、それこそ、ボクの歳のこととか、今隠しているものだって平気で話している。だから、致命的ってほどじゃないけど、ボクの弱みにはなり得るのか。
 でも、彼がずっと配信を観てくれていると知ったときから——今この瞬間も、嬉しさしか感じていない。誰よりもボクのことを知ってるひとがいて、そのひとが見守ってくれているということが、たまらなく嬉しいし、そのひとを失いたくないと思う。ここまで思い切ってしまえるくらい、信頼しているんだ。その理由は、いくつか思いつく。

「……仮に、昔のボクの配信を言いふらしたり、それをネタに強請ろうとするならさ、もうとっくにできてるじゃん。で、グルーシャ氏はそんなことしなかったって、分かってるし。だから信じてるぞよ~!」
「そりゃあ、そんなことはしないけど……。……サムいな……」

 そもそも、彼がボクのファンだったってことでさえ、ボクはリーグ部の部室で彼と顔を合わせ、そのとき彼に打ち明けられて初めて知った。同じジムリ同士なんだから、もっと早く公表していれば、その繋がりがバズって、一緒の仕事も舞い込んで——なんてことも狙えたのに、彼はそうしなかった。ナンジャモとお近づきになりたいと夢見るファンが星の数ほどいる中で、昔と変わらず見守ってくれている彼の姿勢に惹かれて、信じられると直感したのかも。
 ——でも、一番の理由は。

『変な挨拶やり出す前から知ってる』

 職業柄、誰かの態度が演技か否かを見分けられるようにはなっているつもりだ。——自分の歴を告げたときの、ただ純粋な好意を湛えた彼の笑顔は、本物だって分かるから。
 ただでさえ困り顔で「サムい」と言われているのに、これまで言ってしまったら本気でその苦言を繰り返されてしまいそう。だから、これは伏せておくとして。

「……キミだけは、これからも、ボクに言えること全部言ってほしいな」

 よし、やっと言えた。これを言いたくて、この会を練り上げて、このときを待った。
 キミだけなんだ、グルーシャ氏。ボクのことを、もしかすると今のボク以上に分かっているのも、そんなひとがいる嬉しさと心地良さを教えてくれるのも。そんなひとは、キミだけだし——キミだけでいいから、ちっぽけな誤解で離れてそれきりとか、嫌なんだ。

「…………。……あんたさ、自分がサムいこと言ってるって分かってる?」
「あり……これもサムかった……?」
「……ぼくは、あんたが思ってるほど大層な人間じゃない。有料メンバーシップには加入してないし、グッズを買ったことも、競い合って投げ銭したこともない」
「そうなの!? グッズ売り上げ効果ってけっこうデカいから、コラボ商品だけでも手にとってほし……じゃなくて! そんなの二の次でいいからお願い~! 昔のボクだって、そういう展開してなかったでしょ~!?」

 うん、なんかすごいこと言ってる気がする。あのボクが、ボクの人気に直結するものを「二の次」って言った。結局、一番大事なのは視聴者数だから——って言い訳も通用するかどうか怪しいくらい、真剣に。ドンナモンジャTVの地位さえ揺るがしかねないのでは? でも、言ってしまった以上引き返せないし、引き返したくない。こんらんしていても引っ込められない大事な場面くらい、バトりに打ち込んだことがあるなら理解できる。

「……わかったよ」
「……!!」
「そこまでされて……言われておきながら意地張るのも、プロとしてどうかと思うし」
「ぐ、グルーシャ氏ぃ……!」

 コイルと一緒に、自分の目が潤んでいることが分かる。表情豊かでいられるよう、常日頃から努力しているけれど、今は、そんな意識も必要なかった。

「あんたのファンと同じ反応はできないけど……めんどいの嫌じゃなかったら、好きにして。時間さえ合えば部室にいるから……互いに、問題にならない範囲で」
「うん……!! うん!!」

 言いたいことを言えた。欲しかった答えを、返してもらえた。勝手に涙目になってしまうのを、瞬きを繰り返して誤魔化す。最近は、キミに嬉し泣きさせられてばかりだ。

「ありがとう、グルーシャ、氏——」

 不意に飛び出したボクのスマホロトムが通知音を鳴らす。こんなときに——! と思ってしまうけど、心当たりもあって、その心当たりもまた大事なものだから、眼前に移動させた画面を見る。

「……ヤバ! ライム氏のライブ、そろそろ始まるって!」

 場所はタウンの広場だから、ボクもそっちに移動しなくちゃ。でも、この席が、キミの隣が名残惜しい。——と思った瞬間に、また豆電球が浮かぶ。最近のボク、冴えてるぞ!

「グルーシャ氏も一緒に行かない~!? ライム氏本人に配信の許可を得てるボクと一緒なら~、特等席も手に入るぞ~!」
「行かない。外サムいし」
「行かないーッ!?」

 気温を理由にこのナンジャモの誘いを断るとは、やはり大物、おもしれー男……とはならない。普通にショック。
 それに、ライム氏の生ライブぞ——と言いかけたものの、ナッペ山でジムをしているグルーシャ氏は、フリッジジムのライム氏とはある意味ご近所さんか。少し街に出向けば、その歌声が耳に届くくらいの距離だろうから、めちゃめちゃプレミアってわけではないのかも? う~ん、羨ましい。——どっちが? コラボすれば激大バズり間違いナシの世界的大スターといつでも会えるところにいるグルーシャ氏が? それとも、グルーシャ氏とご近所の関係にある、ライム氏が?

「みんな行くみたいだね」周囲に目を向けたグルーシャ氏が呟く。ガタガタと席が動く音、逸る人たちの声が増えて、店内に満ち満ちた期待が、外へ外へと動いていく。「ほら、あんたも早く行きなよ。どさくさに紛れて特等席取られちゃうかもしれないし」
「はぁ~い……」

 ライブを観に行くというのに、なぜにのろのろと立ち上がらなければならぬのか。ボクの誘いをバッサリと斬った人物に行けと言われるのも、何とも惨めである。未練を込めた視線を向けてみるも、スマホを取り出した彼と目が合うことはなかった。

「……あれ。グルーシャ氏、それ……!」

 その画面の端に映ったものが目に入って、思わず声を上げた。ボクだから気付けたというか。水色とピンク色でできたそのマークは、ボクがデザインしたんだから、見覚えがあって当たり前であるわけで。

「ここで観てるよ。あんたが配信してくれるんでしょ?」ボクの方に向けて傾けられた画面にあったのは、やっぱり、ドンナモンジャTVのチャンネルだ。「視聴者の一人程度で、動画の勢いが左右されることはなさそうだけど」
「——分かってないなあ~! たったひとり増えるだけでも、召されるくらい幸せなの~!」

 ずっと、前から。キミがくれる「1」には、それだけの力がある。
 また、キミのおかげで、みんなに笑顔を見せられる。

「……そいじゃあね、グルーシャ氏! チャンネル、変えないでよー!」
「はいはい、行ってらっしゃい」

 視聴者と配信者。もっと互いに当てはまる言い方をするなら、画面の向こうにいる側と、その向こうを見つめる側。トレーナー同士、ジムリ同士になる前に、ボクたちはそこから始まった。隣で同じものを見るよりも、見守り、見守られでいる方が、ボクたちらしいかもね。
 ——でも。それを越えてしまってもいいなんて、ワガママさえ覚え始めている。

「あ、待って」
「……ん? 何かねグルーシャ氏?」

 そのワガママを秘めているせいで、こうして呼び止められるだけで、嬉しいと思ってしまう。

「ライブ終わったら、その時点で現地解散だったりする?」
「いや~? そんな話は出てないし、そうはならないんじゃ? まだ七時半だし」
「……そう。ならいいや。ここで待ってる」
「……! ……うん!」

 ここで待ってる。それは、ライム氏やみんなじゃなく、ボクひとりに向けられた言葉だと思ってしまっても、いいかな。キミの隣にいてもいいと言われているって、夢見がちなことを考えてもいいかな。
 ずっとボクを観てくれていたキミの傍に、ボクもいたい。ストリーマーらしからぬワガママが、僅かな時間でも叶うかもしれないということに、胸を弾ませながら駆け出した。