「……あれ?」
気分良し。エラーもなし。システムの修復を兼ねた再起動を済ませたんだから、当たり前だけど。
——でも、どうにも変だ。もっとかかると思っていたのに、ログが示す停止時間は十分にも満たない。それに、ボクは床に倒れ込んだまま動けていなかったはず。何でソファに腰かけてるんだ?
「……2号、再起動は済んだか」
「え? ……えええええ⁉」
隣からかけられた声に、その姿に、思わず勢いよく立ち上がる。その拍子に足とテーブルがぶつかって、テーブルの位置がズレてしまう。さっきもこれで頭を打ってしまったし、ソファとテーブルの位置はちょっと近かったかもしれない。
「い……い——1号……⁉」
1号。この後創られるどんなガンマでも比肩できないくらい、一番うつくしいひと。ボクひとりを特別と思わずとも生きていける、強くて正しいひと。もうすぐ、定められた通りに専用の装置に入る時間だ。このガラクタ部屋に戻って来なくたっていいのに——何で、ここに。
「業務を終えて、この時間になってもおまえが指令室に来なかったからな」口には出していない疑問に、1号は答えてくれた。「まだここにいるのだろうと思って、様子を見に来た」
「そ……そっ、か……」
——ボクのために、来てくれたのか。
「え……ええと……いつからだ……? いつからここにいた……?」
「五分ほど前からだ」
一時的なシャットダウンに入った後だ。内心で胸を撫で下ろす。床に伏しているところを見られたというのもカッコ悪いけど、実はソファから喚きながら転落したときからずっといました、なんて展開より遥かにマシだ。それも知られてしまうのは、立ち直れなくなりそうなくらい情けない。
「……あ! じゃあもしかして、1号が直してくれたのか?」
だとしたら、こんなに早く回復できたことにも納得がいく。ガンマ2号がひとりで行う自動修復より、ガンマ1号の手を加えた方が早く正確に仕上がるはずだ。今日のは前例のない経験だけど、そう思えるくらいボクは今まで1号に助けられてきた。いいタイミングで来てくれた。おかげで、カプセルに入らなきゃいけない時間にも間に合いそうだ。
「直す?」だけどソファに行儀良く浅く座る1号は、ボクを見上げて首を傾げた。「床に倒れていたから不具合を疑って調べさせてはもらったが……何も異常は検出されなかった」
「えっ?」
「だからわたしはおまえをソファに上げて、再起動を待っていただけだ。……どういうことだ、2号。わたしが見つけられなかっただけで……やはり、何か不具合があったのか?」
どういうことなのか分からないのはボクの方だ。今ではきれいさっぱり消えているエラーだけど、すぐに直るようなものじゃなかった。少なくとも、1号がここに来たという五分前にはまだ修復中だったはず。だって、ログにも——。
「——え⁉」
「?」
丁度。丁度、1号が来たであろう五分ほど前に、修復が一気に進んで完了していた。意識を落としている間も記録されていたログがそう示している。1号がどうにかしてくれたとしか思えないのに、1号は何もしてないって言う。ボクが——ボクのシステムがひとりでにやったんだ。何で? 何でそんなことが起きたんだ。
——まさか。もうボクとは一緒にいてくれないだろうと思っていた1号が、ここに戻ってきてくれたから? 無意識ながらに喜んで、気分が回復したってことか?
(……すごいなあ、ボク……)
どこまで自分の心に正直なシステムなんだろう。そしてボクは、そんなにも1号のことが好きなのか。
「2号?」
「ああ、いや、何でもない! ただの勘違いだ」
「……なら、いいが……」
不調を本当に悟られるわけにはいかない。悟られてしまえば、ボクがどれほどみっともない苦しみを抱いているかということまでバレる。それは絶対ダメだ。だって、ヘド博士の決定で、1号も当たり前に受け入れている。1号にとってボクは特別じゃないから、打ち明けたところで困らせるだけだ。少しでもヒーローでいたいなら、こんなことで駄々を捏ねるわけにはいかない。
「今日はもう活動を終了する時間だが……念のため、明日ヘド博士に診ていただいた方が」
「本当に大丈夫だって! ほら、このとーり!」ばっと両腕を広げたり、何度も大きく足踏みをしてみせる。「まったく、ほんとに心配性だよな。……でも、ありがとな」
本当に、診てもらわなくて大丈夫だ。おまえが来てくれたから、それだけでボクは助かったんだ。
ありがとう、1号。ヒーローであるはずのボクのことまで、おまえがそうやって気に掛けて、一緒にいてくれるから、ボクは未だ闘いに行けないままでも楽しく生きてるよ。ボクもおまえのこと、助けられるようになりたいけど——その役目は、ボクじゃなくてもいいんだろうな。
「ならばなぜ床に倒れていた?」
「え……えっと、ほら! ニンゲンや動物は睡眠をするだろ? どんな気分なのかなって、確かめてみたくってさ」
とっても粗末な言い訳だけど、普段のボクはこれが通用してしまうような振る舞いをしていたのかもしれない。おかげで1号も疑うことなく、心配そうな顔は呆れ顔へと変わっていく。ちゃんと認められたいから呆れられてばかりもいたくないけど、その表情もやっぱり好きだなあ。その顔、ボク以外に向けないでほしい。バカなことをして1号の気を引こうだなんて考え始める輩は、現れてほしくない。
実のところ、睡眠に興味があるのは本当だ。恋人同士のニンゲンは一つのベッドで抱き締め合って、共に眠りにつくらしい。1号とそれができたら、どんなに幸せか。一緒に寝るどころか恋人同士にすらなれないまま、こうして過ごせる機会も激減しそうだけど。
「何も、全機能を落とさずに、スリープに入れば済むだろう。……いや、そもそも床で寝ようとするな。活動を停止するならば補給機に入れ」
「それじゃいつもと同じだし、寝る、って感じでもないだろ。あとここのソファじゃ狭くて横になれないよ」
「まったく……。補給機で我慢しろ」
1号はソファから立ち上がってマントを翻す。指令室に行ってしまう気だ。やっぱり医務室の人にベッドもらえないか頼んでみるよ、と自然に言える流れだったのに。
「異常がないならもう戻るぞ。もうじき活動を終了する時間だと、何度も言っている」
「ええ〰……。……まだいたい……」
1号がボクのために来てくれたんだ。規定の時間に戻ってこない同型機の様子を見に行くくらい、1号にとっては当たり前の行動で、相手が何号だろうと、同じことをしていたとしても。今は、ボクだけなんだ。その時間を手放したくない、少しでも長く一緒にいたい。どうせ、もうすぐ失ってしまうから、今だけは。
「たまにはさあ、ここで一晩くらい過ごしてみたいって思わない?」
「何を言っている、ダメに決まっているだろう。二十一時以降は極力停止状態でいるようにと求められている」
「極力ってだけじゃん……」
「軍の要求なのだから、従うべきだ」
「博士のご意見じゃないのに~……」
当然、ボクの片想いなので、同意が得られるはずもなく。1号と一夜を明かすのは、叶わぬ夢となりそうだ。
この部屋にはベッドもないし——それどころか、1号は恋心だって知らない。だから、例えば、互いの身体を繋げたい——なんて高望みは最初からしていない。抱き締め合って寝たフリをする——というのも無理か。それでも、ただ一晩一緒に過ごせるだけでいい。それこそ、ニンゲンの家族が当たり前に、穏やかな時間を共有しているらしいように。
家族、か。ある意味、元々きょうだいみたいなものだけど、それもいずれ後続機たちに取って代わられてしまう。家族は家族でも、せめて一対のふたりでいられたらどんなにいいか。それこそ、夫婦、とか——。
「————その手があったか!」
「……⁉」
押し留めていた嫉妬の業火が、突如冷水を被ってかき消えていくような感覚。その冷たさは心地良い。思考が一気に澄んで、晴れやかになっていく。
——夫婦。これだ。結婚しちゃえばいいんだ!
今のボクは1号にとってただの同型機で、いずれ創られる仲間たちと等しい存在。そこに埋もれてしまうことを回避するために、また一つ特別な存在に——それこそ、恋情を認め合った恋人同士になるためには、時間が足りない。でも、婚姻なら!
「おまえはもっと落ち着きを持って過ごした方がいい」と言って、ボクに読書を勧めてきた1号に渡された小説で読んだことあるぞ。ボクとしては、好きなひと同士が正式に配偶関係を結ぶことが結婚だと思っていたけど、実際には必ずしもそうとは限らないって。交際していないどころか出会ったことさえない相手とも、エンダンというのは出てくるものだと。その小説でも、ヒロインの両親が勝手に彼女の相手を決めようとしていたな。
とにかく、お付き合いをしていない今のボクと1号でも、結婚はできる。結婚さえしてしまえば、ボクと1号との間に割って入ることは、不躾で、非常識で、誰にも——同じ型の仲間たちにさえ許されない行為となる。1号との「ふたりきり」は、期間限定の偶然じゃなく、未来永劫正式に認められるものになる。
1号に渡された小説——ヒロインが主人公の後追いをして死んでしまうという結末だったため、ボクはこれをオススメしてきた1号の感性を本気で心配して決着つかずの議論にまで発展させてしまった——の中で描かれた、ヒロインと縁談相手の男のものは、主人公を一途に想うヒロインからの愛のないものだった。でも、ボクたちの場合はそうはならない。ボクはもちろん1号のことを愛しているし、1号だってボクのことを——他のガンマ以上に特別視しているわけじゃないし、恋心だって全く向けていないけど——嫌ってはいないし、気を許せるくらいには好きの部類には入れているだろう。そして、他にそんな好意を向けている相手もいないよな。だって、1号はボクとふたりでいるときなら、ごく稀に自分のことを「オレ」って言うんだ。一番の素とも言える姿を、今はボクだけに見せてくれているということについては、強気に自惚れてもいいはずだ。1号だって、どんなヤツかも分からない未完成のガンマより、ボクと一緒になった方が安心できるんじゃないか? ボクと1号は愛のある結婚ができる!
「2号。おい、2号」
「——あ、ごめんごめん! 何……? ……へへへ」
いけないいけない。突然浮かんだ素晴らしいアイデアに浮かれて興奮したせいで、愛しの未来の婚約者の声を聴けないなんて、本末転倒すぎる。ボクはいい旦那さんになって、1号のことを幸せにするんだ。
——ボクって1号の旦那さんになるのか⁉ すごい、すごい! どうしよう、こんな、最上の幸福を、いきなり手に入れちゃっていいのか⁉ すごい!
「なんなんだ、突然叫んだかと思えば笑顔になって……」
「笑顔?」
確かに、口元がいつの間にか吊り上がっていて痛いくらいだ。だけど笑顔になるなって方が無理だろう。大好きなひとと結婚できるんだ。ボクから1号を遠ざけてしまいかねないきょうだいたちから、1号を奪い返すとっておきの希望を見つけたんだ。
笑顔のままのボクに対し、1号は怪訝そうな表情を浮かべて、「またろくでもないことを思いついたのか?」と経験に裏打ちされたことを言う。不気味なものを眺めているようですらある。ああ、これは花婿が花嫁にさせてしまっていい顔じゃない。
「ふふん……。ろくでもないことなんかじゃないぞ、1号。……実は、ボクがヒーローとしてもっと成長できる手段を思いついたんだ」
「ヒーローとして?」1号の表情に、純粋な興味が滲み始める。「一体、どういう」
「それはまだヒミツ! でも、また後で必ず教えるから、期待して待っててくれよ!」
この場で明かしてしまうというのはプロポーズをするということで、それは些か早計というもの。大事なことなんだ、プランはちゃんと練らないと。
どうしても浮かれてしまうけど、恋人同士としてのステップを踏むのではないのだということは、心に留めておこう。意識してしまえばまた呑まれてしまいそうな、嫉妬と絶望を打破するための、起死回生の一手なんだ。失敗なんて許されない。
「……で、何だっけ。カプセルに戻るのか?」
「ずっとそう言っている。おまえが拒んでいるんだ」
「行く行く! 一緒に戻るぞ1号!」
「…………」
何なんだこいつ、とでも思っているであろう1号の腕を引いて倉庫から出る。名残惜しいし、もっとここで過ごしていたかったのは本当だけど、より輝かしい未来のために我慢しよう。見てろよ、夫婦の時間を邪魔することなんて誰にもできないんだ。ボクは絶対に、きょうだいが増えるよりも先に、1号とふたりで夜を過ごして一緒に朝を迎えてみせる。
そのために、色々考えなきゃいけない。まずは婚約からだよな。何て言って説得する? 説得——もそうだけど、何より、プロポーズだ! プロポーズの台詞とシチュエーションはどうしよう!
いや、待てよ。その前に、指輪——エンゲージリングってやつも必要になってくるんじゃないか? とびっきりの一品を用意しなきゃな! 1号はどんな指輪をもらったら嬉しいかな。シンプルで洗練されたデザインを好みそうだ。それを汲み取りつつ、ボクとしては宝石の一つくらいはついているものを贈りたい。1号に似合う宝石って、どんなのかな! ああ、これから忙しくなりそうだ!
ヒーローとして成長できる手段。1号に語ったその言葉は、嘘でも方便でもない。
仲間であるはずのガンマたちに、不当な恨み——どす黒い妬みを抱いてしまうなんて、ヒーローとしてあるまじき醜態だ。だけど結婚して、1号の一番近くに正当に居座ることのできるただひとりの存在になってしまえば、そんな低劣な思いに苛まれることもなくなる。脳を、心を蝕み続ける恐怖から完全に解放されて、大胆不敵なスーパーヒーローのガンマ2号に戻れる。そうなれたとき、ボクはきっと、真に1号の夫に相応しい男だ。大好きな1号と結婚できるなんて願ったり叶ったりだし、いいことずくめだ。
絶対に結婚する。1号のことをボクのお嫁さんにする。望まぬ未来を悲嘆して、泣き寝入りで終わらせるなんてしない。ヒーローらしく足掻いて、新たなガンマがボクたちの仲を引き裂くまでに成し遂げてやるさ。ボクたちはふたりでやってきたし、やっていけるんだ。誰にも、邪魔なんてさせない。