敵の目を欺くため、上空に施された偽装ホログラム。その間際まで飛び上がれば、基地の全景が一望できる。中心部を縦にくり抜いたような峡谷と聳え立つメインタワーの周囲には、若々しく穏やかな緑色が広がっている。
最新鋭のテクノロジーが敷き詰められた軍事施設ではあるが、その実自然との共存を成していた。総帥は経営する製薬会社にて環境への配慮を掲げているらしいが、その理念をこの基地にも生かしている、ということなのだろうか。
「意外と緑豊かだよなあ、ここ」重なっていた思考を、2号が口にする。「群生地はいくつかあるんだけど……。手始めにあっちの方とかどうだ?」
「……直接行って探すつもりなのか?」
指差した方に飛行しようとする2号を背後から呼び止める。振り向いた2号は、何でそんな当たり前のことを聞くんだ、とでも言いたげな顔をしていた。
「ここからでもズームをかければ探せるだろう」
「分かってないなあ、それじゃつまらないだろ。やっぱり、その場に行かなきゃな」
「そうだろうか……」そもそも、四つ葉のクローバーを探すという行為自体、果たして楽しいものだと言えるのか。「……それに」
基地の内部なのだから、当然、兵士たちの活動場所でもある。2号が指したそこの近くにも、いくつかの人影が見えた。
「彼らの目の前でそんなことをしてみろ。遊んでいると思われる……」
いや、そう疑われたところで反論の余地はない。疑われても仕方のないことを、しようとしている。これはヘド博士から仰せつかった任務でも何でもない。これから行うことへの恐れにも似た思いが高まって、焦りすら生じる。
「そっか。1号が嫌なら、場所を変えるか」
溺れかけた思考は、その言葉で引き上げられた。
「そうだ、入口のトンネルを抜けて……。基地の岩山の外周の辺りとか、どうだ? トンネルには兵士が何人かいるかもしれないけど、そこから少し離れちゃえば、誰もいない……と思う」
「……そうだな。そこなら……。……こっちだ、2号」
トンネルに続く崖へと降下する。
空のカムフラージュを突き破って直接外に出ることは、基地の秘匿性を保つという防衛の観点から禁止されている。それを忘れて破ろうとしていた2号を引き止め、トンネルに続く崖へと降下する。
「飛行機は空から出入りしてるのにな」
「……それは致し方ない事情だろう。我々は歩行ができるのだから、軍の重要な重要な規則は守るべきだ」
「あ、ガンマさん! こんにちは!」
「訓練には午前中も行かれてましたよね、もしや任務ですか!?」
「まあそんなとこ」
2号は笑って誤魔化したが、本当は、任務とは程遠い目的だ。それを思うと後ろめたくて足が竦んでしまいそうになる。だが2号がわたしの肩を押してくれたから、トンネルの向こう側を目指せた。ここまで来た以上はもう、弁明も撤回もせず、2号に従うしかない。
歩みを進めるにつれ、兵士の数はすれ違う兵士の数は一人、また一人とに減っていく。最寄りの群生地に辿り着けば、2号の目論見通り、その数はゼロに達していた。
「よし! 張り切って探すぞ!」
溌剌として宣言する2号に続き、草むらの前で腰を下ろす。
それくらいの意気を日々の任務——2号にとっては雑用も多分に含まれているのだろうが——に向けることはできないのか。普段の姿を見ている以上、どうしても思ってしまう。
だが、まあ。小言を言うのは、2号が飽きてからでも遅くはないはずだ。
2号が宣言を響かせてから、数時間が経過した。
高く輝いていた日は赤みを帯びて傾き、カラスの鳴き声が大きくなっていく。
「1号……! そっちはどうだった?」
「いいや。見つからなかった……」
「そっかー……。ボクの方もだ……」
捜索は難航の一途を辿っていた。瞬時に精細なスキャンをかけた段階で、三つ葉だらけであるということは予測がつくのだが、同じ操作をしているはずの2号がそれでもと真剣に探すため、わたしもじっと目を凝らしていた。そうして得られるのは、もしやと思ったものの結局三つ葉、という結果のみ。草むらの半分を手分けして、互いの持ち場の精察及び成果なしの報告の共有を終えて、別の群生地へと移動することを繰り返している。もう少しで、基地を覆う崖の外周を一回りしてしまう。
「……一説によると、何らかの刺激を受けて葉の成長点が傷付くことが、四つ葉の条件となるらしい」
搭載された機能による情報検索を行い、即時に獲得した知識を伝える。「条件? 刺激?」と、2号は興味深そうに尋ねてくる。
「その傷によって、一枚になるはずだった葉が二枚に分岐するそうだ。具体的な刺激の種類はいくつか考えられるが……人に踏まれる、ということが主な例として挙げられている。だから……比較的、人通りの多い場所に生じやすいのでは」
「……ってことでは」
「ああ。……この辺りでは、難しいかもしれない」
この基地周辺にも、この一帯の警備にあたる兵士のためのハウスや、物資を貯蔵する倉庫などが点在している。人通りが全くない、というわけではなかった。だが、トンネルで繋げられた崖の内外それぞれに割かれる人員数の差は大きい。それに加え、「外」の茂みの地点と、各施設や人と車の通り道の間には距離が空けられている。わざわざ道を逸れて、草地に足を踏み入れる者がいるとは考えにくい。
「おまえが最初に指定した場所の方が、発見できる可能性は高そうだ」
あちらは多くの兵士たちの居住区に位置しているものだ。人の往来量はここの比ではない。
「ふ~ん……。……でも、いいよ。こっちで探そう」
「……なぜだ?」
「1号とふたりで探したいからさ」
——驚いた。この推測に食いついて、戻らせてほしいと言い出すものとばかり。
可能性の高いポイントを選ばず、なぜこちらでの捜索を続行しようとするのだろう。——わたしとふたりで探したいという理由は、目当てのものを見つけ出すことよりも重要なのだろうか? 兵士たちの目の前で膝をつき草むらを凝視して漁るという行為を働くことは、わたしとしてはやはり、かなり嫌だが。最初にわたしが拒否したことを重んじているのか? 自由気ままで素直な2号が、そんな気遣いをするなど——あるのか?
「こっちの方だって、まだ全部探し終わったわけじゃないだろ? 次行こうぜ、次!」
「……ああ」
こうして粘り強く探し続けているということも、わたしの予想とは異なっていた。
常日頃から「もっとカッコいいヒーローらしいことがしたい」と主張して雑務に難色を示している2号の性と、この地道な捜索活動は真っ向から対立している。早々に音を上げて、探しながら思い描いていた別のことにでもすっかり興味を移して切り上げるに違いないと思っていたのに。まじない程度の言い伝えを頼って、普段見せることのない根気強ささえ発揮してしまうほど、幸せになりたいのだろうか。もしそうであるなら、トンネルをくぐった先の草むらに行けばいいものを。
「……続けるのなら、急いだ方がいい。クローバーは日没すると葉を閉じてしまうそうだ」
「げ、それほんと!? じゃあ夜になるまでに、気合入れて探さないとな」
もう空の色は青から赤へと変わっているのだから、タイムリミットは近い。近いどころか、もう終わりにしても不思議ではない時間に指しかかっている。そう判断できる材料を伝えられてもなお、2号は諦めようとしなかった。
「……なかったー……」
「そうか……」
2号が一足先に、先ほどまでと同一の報告をする。
手持無沙汰となった彼は、自身のエリアを離れてわたしのすぐ傍へと移動した。わたしが確認を終えた箇所に視線を一度辿らせてから、わたしの顔と、葉の群れをかき分けるわたしの手元を交互に覗き込む。
「……気が散る」
「ごめんごめん」少しだけ顔を離して、2号は笑う。「端の方、随分と入念に見てるんだな。何かあるのか?」
「先ほど、四つ葉が生じる原因についての話をしただろう」
「ああ。刺激に晒されると……ってやつだよな」
「そうだ。人に踏まれることを例として挙げたが、それには限定されない。他のものに面し、接触が起こっている場所なら、あるいは……」
「そっか! 端の方……崖と接することも、刺激になっているかもしれないってことだな!」
2号は勢いよく立ち上がり、元いた自分の場所へと戻っていく。「もう一回探してみる!」 と意気込みながら。
(……なかったな……)
結局は変わらぬ結果に終わった、担当区域から視線を上げる。2号は未だ再捜索の最中であるようだ。
今度はわたしの方が2号を眺めるだけの状態となってしまった。先ほどの2号のように隣に移動することはせず、あくまでも正面から、だが。
担った場所を探し尽くしたのならば、ひとりでも次の——今はもう残り一つになってしまった——群生地に向かえばいいとは思う。だが、2号はわたしより捜索を早く終えたとき、わたしが顔を上げて見つからなかったと報告するまで、移動を待った。ならばきっと、わたしもそうすべきなのだろう。
(……2号。……そんな顔も、できるのか……)
いつになく真剣なその表情は、それこそ本気の戦闘訓練の際にしか見たことのないようなもの。執念さえ漂わせている。
本当に、今日は2号に驚かされてばかりだ。おまえは派手好きで、堅実さを要求される働きを厭っていたのではないのか?
なぜだ。どうして、今日は、こんなに。
——そして。
「——! 1号! 1号!!」
「!? どうした、2号!」
突如わたしの名を叫んだ2号の元へと、すぐに駆け寄って腰を下ろす。
強い動揺、そして湧き上がる期待と興奮を湛えた眼差しを、2号は到着するまでのわたしに浴びせていた。移動などほんの一瞬のことであるのに、随分と強く、長く待ち侘びられていたような気分になった。
「なあ、見ろよこれ……!」2号は群がる緑を左手で抑え、その奥に生え立つものを右手の指で差した。「四つ葉、じゃないか……!?」
「…………!」
草むらの間近まで身を乗り出し、2号が指した葉を凝視する。
——明らかに、今まで見てきたものとは形が違う。それぞれの葉は隙間を作ることなく、互いに空間を埋め合って——四方に広がっている。2号が右手でも他のものを抑え始めたから、視線をよりその葉だけに注ぐことができた。別の葉が重なっていただけという、今まで何度も落とされてきた罠はない。他の個体と引き離されてもなお、その葉の枚数は変わらなかった。
「……四つ葉、だな……!」
「!! やっぱり……やっぱりそうだよな! 見間違いじゃないよな!」
「ああ、身ての通りだ。……やったな、2号」
「……!! ああ、1号……! やったな~~!」
顔を合わせて自然と溢れる笑みを交わし、互いの両手のひらを重ねて喜びを分かち合う。グローブ越しの金属同士がぶつかる高音は、思っていたよりもずっと力強く、そして軽やかに弾んでいた。
「あっ……!」
2号が両手を草むらから退けてしまったため、先ほどまで遮られていた三つ葉たちがまた元の位置に戻り、一つだけの四つ葉を埋めてしまおうとする。2号もわたしも声を上げて焦った。
だが、幸いにもわたしたちは、最新にして最高の性能を誇る人造人間。一度把握したものの位置を逃すことはない。再度草むらへと向き直れば、すぐに四つ葉が目に留まった。ふたり同時に安堵のため息をついて、それが何だかおかしかった。ちらと隣を見れば、2号はまた目を細めて笑っていた。
「いやあ、ほんとに良かった! 時間、けっこうギリギリだったな」
空を見上げた2号の言う通りだ。昼の明るい青色ではなく、夜を示す紺青が、夕日を上書きして広がり始めている。メインタワーを出て、ここを訪れたときの淡い空色とは違う。一変したその色を眺めて、その葉のために随分と時間をかけていたのだということを実感させられた。
「それじゃあ、1号! これ」
「……?」
2号の方で何かが千切れる音がしたかと思えば、差し出された手にはわたしたちの時間の結晶とも言うべき植物が握られている。吹き始めた穏やかな夜風に、四つの葉が小さく揺られた。
「わたしに……やる、ということか? おまえが見つけたものだろう?」
「元々、見つけたら1号に渡すつもりだった」
「は、あ……? そう、なのか……?」
2号の意図が読めない。読めないままおずおずと手を出せば、先端に幸運の象徴を宿した細い茎が手渡される。わたしだって、欲しいとは一言も言っていないのだが。
鋼鉄をも容易く砕くガンマの掌中に収められたそれは、すぐ手折れてしまいそうで恐ろしい。わたしとは似つかないこの可憐な生命体を、手にしていて良いのか分からない。だが、吹き始めた穏やかな夜風に小さく揺られる四つの葉を見ていると、不思議と心が凪いでいくような気がした。少なくとも、これを握った状態で手に力を入れようとは思わない。
「……埋めるか」
「はぁ!? 何で!?」
プレゼント——かもしれないものを受け取った直後に取る行動としては、あまりに不適切だ。だが、他にすべがない。
「私物を保管する場所などない。携帯できるものでもないのだから、持ち帰るわけには……」
「そんなこと言われてもなあ。もう取っちゃったし」
「おまえが勝手に……」
そう。これは任務とは何も関係なく、2号が軽率に下した判断。汲み取って従う必要もない、が。
「…………」
2号の落胆の様を見ていると、さすがに申し訳ないことをしているという気持ちにさせられる。実際、心ない対応ではあるのだろう。いや、少し考えれば、保管場所がないことなど分かるはずだ。それに気が付かず、受け取れないものを渡してきた2号の早計が発端であり。——だが。でも。
「……このくらいであれば……エネルギー補給装置に入れておく……という手も取れなくはないか……」
「! だろ! そうだよな! そうしてくれ!」
2号の表情が一気に明るさを取り戻す。心弛びか呆れかは分からないが、ため息をつきたくなった。
2号がわたしに何かを贈ろうとしたのは、これが初めてではない。今までは受け取らずに終わったものの、今回のこれに味を占めて、また保管できない変なものを渡そうとして来なければいいのだが。その可能性を危惧して「今回きりだぞ」と念を押せば、「はーい」と間の抜けた上機嫌な声が返ってきた。絶対分かっていない。
「しかし、このままではすぐに枯れてしまう。材料……せめて、ティッシュペーパーや新聞紙、それから重しになるようなものがあれば、乾燥させて押し花にできるが……」
「なんだ、それくらいならボクたちでも揃えようと思えばできるんじゃないか? やってみよう!」
2号の提案に頷く。これを保っておける、枯らさずに済む。——何だか、ほっとした。そんな感情に至った理由は、よく分からなかったが。