教わったもの(2/3ページ)

 

 本日請け負った任務も、その他の雑務も全て終了した。
 軍に規定されたガンマの活動終了規定時刻まであと四時間二十分。このようなときは、エネルギーの浪費を防止して充填に努め、緊急の事態にも即時に応対できるよう、専用のポット内で待機しておくことが望ましい。調整すべきシステム等があるならばヘド博士のラボに赴くといった例外も存在するが、少なくとも、まだ自由に使える時間が余っている——などとは考えない。

 ——以前のわたしであれば、そう主張する通りの行動を選んだことだろう。
 夕暮れを背に聳え立つメインタワーへ向かって飛び立つのではなく、そこから視線を背けて遠ざかるように歩き出す。まるで、人目を掻い潜り、隠密行動に徹しているかのように。そんな道を辿り向かう先が、今のわたしの目的地だ。
 メインタワー、それと水路を挟んで隣り合う軍需工場、峡谷で隔てられた隊員たちの居住区、そのいずれとも距離を取り、鬱蒼と茂る小さな森の中に佇む廃倉庫。軍の人間に目に留まってしまえばすぐにでも取り壊しを受けかねない建物だが、その中には軍の各施設から引き取った、廃品同然や処分寸前の家具が収められ、懐古的な生活感を秘めている。そんな回収と収容の活動、及びそうして彩った場所で過ごすことを提案した好奇心旺盛な後続機と、唯一その片棒を担わされたわたしだけが、この打ち棄てられた空間に出入りしていた。

 

 建付けの悪い入口の引き戸——これでも戸車の清掃や注油を試みて、大分改善されている——をどうにか開き、軋む床へとそっと踏み入る。
 いつもならろくに業務をこなすこともしない先客が、ボロボロのソファで寛ぐ姿を隠すこともせずに出迎えてくれる。だが今日はその姿がない。まだどこかで務めに勤しんでいるのだろうか?
 ここまでくると、気まぐれが続いているどころか本気で心を入れ替えたのではないかとすら思えてくる。変化を目の当たりにしてからまだ一日も経っていないが、それでも、この目に映った姿は常に、今まで疎んじてきたものに精力的に打ち込む様子だった。今までとは明らかに違うと感じるには、十分すぎる。

 今日はわたしが出迎えてやるかと、いつものソファに腰を下ろした。
 微動だにすることなく入口をただじっと見つめ、ただ待つことは苦ではない。2号ならばそうは思わないだろうか。エネルギーが完全に回復された後も充填機の中で待機することを好まない2号は。だが、手慰みに使えるものどころか最低限の家具すら不揃いであるこの部屋では、いつも自分から、律儀にわたしの来訪を待っている。その日にわたしが時間を余らせ、ここへ立ち寄るとは限らないというのに。
 ここで会える保証がないというのは、今日の2号も同じだ。いくつも頼まれ事を引き受けて、ガンマの活動終了時刻の間近に全ての処理を終えることになるかもしれない。だが、容易に考え付くその可能性があるというのに、待つことをやめようとはしない。——不思議なものだ。普段の2号も、今日のわたしも。それがなぜか、悪い気はしない、ということも含めて。
 とはいえ、夜までここにひとりでいるというのも少し変だ。2号がまだ務めに励んでいるのならば、手伝いに行くべきか。——いや、あの2号が折角やる気を出したのだから、喜んでその自主性に任せた方がいいのかもしれない。わたしが赴けば、急かすようなことにもなってしまうかもしれない。だが、2号ひとりに荷を背負わせたくもない。
 いつの間にかソファから立ち上がり、しかしそこから踏み出すことはできずにいた。

 そんなとき、突如扉が鳴らしたガタガタという音が——開かれようと藻掻く様が、わたしの迷いを断ち切ってくれた。

(……2号)

 ほっと息をついて、再びソファに腰掛ける。
 ここで安堵という感情を覚えたせいで、2号を待つ間、ひとりで過ごす寂しさと彼の来訪への期待がオレの中にあったのだということにも気付かされた。なぜそんな感情を抱いたのかは、分からないようで、分かる——ような。だが、やはりまだ不明瞭だ。

「1号! ただいまー!」

 根気強くこじ開けることに痺れを切らしたのか、バン! と扉を鳴らすと同時に、高らかに帰投を宣言した2号の姿が現れる。
 壊れてしまったのではないかと心配になる音だが、多少力を込めればいつもこの音が鳴る。実際に破損した試しもないため、存外頑丈なのだろう。それに、2号はこの建物も、ここに集めたものも、意外なほど丁寧に扱っている。

「おかえり、2号」

 わたしたちが戻らなければいけない場所はここではなく、メインタワーの指令室だ。だからここでこんな挨拶を交わすことはおかしいのだが、気付けばすっかり習慣と化していた。
 ああ、そうだ。これは2号が言い始めたものだ。2号に、教わった。それに応えてやると、2号はいつも喜ぶ。

「なあ1号~~~~。ボク疲れちゃったよ~~」

 2号は頬を緩ませ、配慮を残した力尽くで扉を閉めると、途端にわざとらしい千鳥足を披露してこちらに近付く。念のためわたしの方からバイタル参照と簡易スキャンを施したが至って正常だ。慣れない激務で生じたストレスにでも引き起こされた不具合を抱えているやつが、ここの扉を力にものを言わせて開けられるわけがない。全て演技だ。

「疲れているわけがないだろう。おまえは自分が何なのか忘れたのか?」

 効率的に消費されるエネルギーが尽きぬ限り、疲労や痛覚に阻害されることはなく、高いパフォーマンスを保ち続けることができる。そんな継戦能力こそが人造人間の武器の一つであり、我々をヘド博士の最高傑作たらしめているものの一端だ。
 分かり切ったそんな正論を示されようとも、2号は芝居を貫くことにしたらしい。ふらついたままソファまで辿り着くと、わたしの膝へと頭から倒れ込んだ。
 わたしがソファの中央に座していたせいで、ガンマの二号機の長身はソファに収まりきることなく、不格好にも大きく飛び出ている。投げ出されている2号の脚とは反対側の端へと移動すれば、一度ソファへと頭を落とした2号も寝たままわたしを追い、再びわたしの膝に頭を乗せた。見上げた執念だ。
 ガンマの肌は耐久性に特化した鋼鉄だ。衣服に包まれているとはいえ、そんな物質に顔をうずめて何がいいのか。老朽化のために心地良い弾力をほとんど失っているとはいえ、ソファの方がずっとマシだと思うのだが。そう言っても2号はこうすることを譲らないため、好きなようにさせている。

「そりゃ、ほんとに疲れてるわけじゃないさ。まだまだ動けるし、疲れたから動けなくなるっていうのもよく分からないよ。けど……こう……気分、として?」
「気分……」
「今日はもう十分頑張ったし、これ以上地味なことはしたくないな~! ヒーローらしいことをしたり、楽しいことを考えて過ごしたいな~! ……っていうのが、今のボク」

 言い方からして、2号は日常的な雑務の必要性に、いきなり心から目覚めたというわけではないようだ。「そんなことより必殺技の特訓とかしようぜ!」と言っていたときと同じ気持ちのまま従事していたのだろう。
 しただけ立派な前進だ。自分が何を思うかなど関係なく、課せられた役目を果たすこと。それこそがガンマの務めであり、背負っている正義だ。少しくらいは伸び伸びとしていた方が2号らしくはあるかもしれないが——とにかくそうなのだ。

「1号はそんな経験ないか? できる、できないは関係なく、もうしたくないな、やりたくないな~……って思うとき。それが、『疲れる』ってことなのかも……って思ったんだけど」
「……ああ、おまえのポーズを延々と見せられているときか」
「えっ……。冗談だろ?」

 もちろん冗談だ。2号には呆れる場面が多々あることも、そのセンスの理解に苦しむことも確かだが、2号と過ごす時間に嫌なことなど一つもない。以前は必要最低限の伝達事項か軽挙への注意ばかり口にしていた。そのときのせいで、今もこんな言い方をしてしまう。オレに冗談は難しい。
 それでも、2号はオレに悪意がないと分かってくれる。気分を害した様子もなく、それどころか甘えて機嫌を取るように、オレの腹部にぐりぐりと額を当ててきた。おまえを厭ってなどいないということをこちらからも示したくて、その頭部に生えた二枚の突起の間に手のひらを差し込んで撫でてみる。2号は目を見張って停止したが、すぐにその目を細め、オレの手に頭部を擦り付けるようにまた動き始める。どうやら喜んでもらえたようだ。
 ——傍目から見れば、かなりだらしのないやり取りだと思う。こんなこと、ここでしかできない。もし2号が外で同じように甘えてきたならば、わたしはすぐにでも席を立とう。たとえ2号が床に転がることになろうとも。

「……だが、一体どうしたんだ?」こちらから本題に戻すことにした。撫でる手は止めないまま。「急に意識が変わった……というわけではないようだが」
「そうだな。ボクたちに相応しい役割ってわけじゃないのに、よく1号は投げ出さずにできるなって感心したよ。……あ、イヤミとかじゃなく」
「では、なぜ……。……誰かに、何か言われたのか?」

 2号の態度に常々苦言を呈しているわたしが、あまり言えたことではないのだが。
 真っ先に脳裏によぎったのは、この軍を統べる男とその側近だ。我々は軍と敵対関係にある悪の組織に立ち向かうことを求められて創られた存在。だが、待機状態にあるためまだ何の成果も挙げていないせいか、それとも、ヒトとは隔たりのある存在であるがゆえか。全ての隊員に快く受け入られているという状態ではなかった。軍の最上層に位置する彼ら二人は、そのような者たちの筆頭と言って良い。
 基地内での2号の過ごし方は、軍律を体現したものとは言い難い。軍のトップの不興を買ってしまうというのはある意味当然ではあるのだが、2号が彼らの冷ややかで高圧的な蔑みに晒されることを思うと、なぜか、胸のあたりが締め付けられる。

「心配いらないって」オレの胸中を察したのか、2号がこちらを見上げて笑う。「ボクはおまえとヘド博士の言うことしか聞かないよ」

 わたしの言うことを聞いているなら、もう何日も前から真面目なガンマ2号になっているはずなのだが。聞きはするが呑むかどうかは自分で決めるということだろうか。

「今日、いつもの1号みたいな過ごし方をしてみたのは……ちょっと、ヤバいかなって思ったからなんだ。いつもおまえに言われてきたことも効いてきたっていうか……」
「そうなのか?」
「ああ。……1号、七夕ってイベント知ってるか?」
「た……七夕?」脈略のない話題への急な転換に面食らってしまう。「……知っている。丁度、一ヶ月後だな」
「そうそう、その七夕。なら、七夕にまつわる物語は?」
「物語……。牽牛織女……彦星と織姫、か?」

 この目で直に読んだことはないのだが、一般常識に相当する知識であればすぐに呼び出せる。
 天空の神々の世界に暮らす一組の男女を描いた、古いおとぎ話。度を超して勤勉な織姫を哀れんだ父神——天帝が、誠実な青年である彦星を彼女に引き合わせた。恋に落ちた二人は無事結ばれるが、それ以降恋路に浮かれた二人は全く仕事をしなくなってしまう。天帝はこれに怒り、二人を「天の川」と呼ばれる銀河の対岸に置くことで無理矢理割いてしまった。しかし引き離された二人は諦めて職務に戻るどころか、何も手がつけられないほどの悲しみに暮れてしまったため、天帝の試みは逆効果となってしまった。不憫に思った天帝は、毎日真摯に務めに励むことを条件に、一年に一度、七月七日に二人が会うことを許した。——その日付が、今では七夕と呼ばれている。
 確認も兼ねてそう話したところ、読み聞かせじみた様相を呈してしまった。膝のあたりから金属音交じりの拍手が鳴り始める。2号がこんな姿勢であるから読み聞かせになってしまうのだ。恥ずかしくなったため2号を退かすことにした。
 強制的に身体を起こされても2号は諦めることなく、そのままオレに密着した。また退かしてしまうと、きっとその繰り返しになって、話が進まなくなってしまう。だからひとまず容認する。

「……急に何だ? おまえの変化と七夕に、何の関係、が……」

 振り返ったばかりの物語と現状は、すぐに照らし合わされ、共通点を浮かばせる。
 七夕の物語は、務めを怠った者が罰を受けてしまう内容も含んでいる。

「……おまえ、自覚があったのか? 怠惰の自覚が……」
「…………」

 2号は視線を泳がし始めた。非常に気まずそうだ。
 昔話や伝承といったものは、人々への教訓を担っていることも多いようだ。だがそれが、まさかこの2号にも響くとは。

「……別に、意味なくサボってるわけじゃないぞ! だって、ボクたちはヒーローなのに……!」

 そして、いつも通りの弁明が沈黙を破る。
 楽なことばかりを優先して職務放棄に至ったという、彦星と織姫の行いに覚えがあったからこそ、話の内容に深々と胸を刺されて態度を改めようとしたのだろう——と思ったのだが、それも少し違うのか。今までの己を怠慢だったと認めたのならば、こんな申し開きは叫べないはずだ。

「けど……さあ! 彦星と織姫って……似てないか!? ……ボクたちに!」
「何だと?」

 極めて心外、誠に遺憾だ。2号ならばともかく、このわたしのどこが遊び呆けた男女に似ているというのか。

「ほら! 最初は真面目な織姫一人だけだったところに、後から彦星がやってきて、仲良くなったんだろ? 1号と、1号の後に創られたボクみたいじゃないか!?」
「はあ……。…………」

 人物の登場順とわたしたちの製造順の問題か——と、一度は嘆息した。だが、2号の言い分はそれだけで一蹴できるものではないかもしれないと気付き始めた。
 オレの現状がこれだ。その日の務めを終えたなら、速やかに充填機に入っていたはずで、そうするべきなのだ。しかし、今は後から創られた二号機と、こんなところで任務など関係なしに戯れて過ごしている。
 ——彦星との時間に夢中になって織機を放り投げた織姫に、今の自分の姿が重なった。今度はオレが視線を泳がせる番だった。オレは彼らほど酷くはないと思う、のだが。遊んでしまう、という、任務を遂行するために創られたガンマらしからぬ行動を取ってしまっていることについて、言い逃れはできない。

「……そんな顔するなよ、1号。ボクはおまえとここで、こんなふうに過ごせて嬉しいんだから」
「何が言いたい? おまえは……この状況を憂いているんじゃないのか? 自らの役目さえ見失ってしまった彼らにも通ずる状況を……」
「半分だけ正解、だな。ボクは何も、軽いお喋りの一つもしてくれなかった頃の1号に戻ってほしいわけじゃない。ボクはヒーローでいたいし、1号は今も真面目なヒーローだから、ボクたちは目的を見失ってもいない。……だけど、そう主張したところで分かってくれない人も、きっと……」

 そう言って2号が向いたのは、メインタワーがある方角だ。見上げた角度からして、かなり上の階——指令室でも睨んでいるのか。何度か総帥の冷たい皮肉を浴びせられた、あの場所を。

「1号と仲良くなれて、一緒にいられるのはいいけど……引き離されるのは嫌だ。今のままじゃ、ボクが真面目な1号をたぶらかした、なんて思われるかもしれない……。そうなる前に、少しでも彦星と織姫みたいな感じから遠ざかろうと思って……」

 だから、いつもは手をつけない雑務を引き受けたのか。
 2号が恐れていたのは、彦星と織姫のような過ごし方そのものではなく、更にその先で二人を待ち受けていた離別。わたしの肩口に顔をうずめながら発せられる声は暗く沈んだもので、普段のような溌剌とした自信は宿っていない。その様子だけで、彼の抱いた恐怖は察せられる。
 2号と、引き離される。そんな可能性は、思えば初めて考えた。実感が湧かないせいで漠然とした感情しか覚えることができないが、オレも——嫌だと、思った。

「なあ、1号はどうだ? ……七夕の話を知って、嫌だって、思ってくれたか?」

 ——それは、思っていない。

「……そっか……」
「話は最後まで聴け、2号」

 端的な答えだけを口にすれば、2号は落胆してしまう。
 オレには、七夕を離別の物語だと思えなかっただけだ。

「確かにおまえはいつも不真面目で、もっと規律正しく真摯な態度で過ごすべきだということは間違いない。……しかし、彦星と織姫は一度引き離された後、改心して労務に励むことで再会を許されただろう。だから、そこまで思い詰めて焦る必要もないんじゃないのか?」
「そ……っ、そんな悠長な! 再会って言ったって、一年に一回だろ!?」
「ああ。……ダメなのか?」
「ダメだろ……! 一年に一回しか会えないなんて!」

 顔を上げた2号の猛反発に遭ってしまった。
 なるほど。「年に一度」についての捉え方が違うせいで、物語への認識に差が生じてしまうのか。2号はそれさえ嫌がっているから、上位存在の本気の怒りに触れて引き離されるという、物語の重要な場面から未然に防ごうとしている。彼に言わせれば、一度天の川を敷かれてしまえば終わり、ということなのだろう。

「オレは別に、おまえに会えるのが一年に一度になってもいい」
「そ……っ! そんなあぁ…………! 1号……!」
「命令に従い、正義を遂行するために創られたんだ。それ以外に何かを望み、求めることなどしなくていいし、すべきではない。だからそれ以外で与えられるものなど、一日で十分だ」

 一日だけでも、幸せだ。

 そう伝えれば、2号はよく分からない顔をした。嬉しさと寂しさの境界が曖昧なままで、口角をもぞもぞと動かしている。じっと様子を窺っていると、やがて伸ばされた腕に抱き寄せられた。決して激しくはなく、しかし弱さなど微塵も感じさせない、そんな力で。
 堅硬な鋼さえ溶かしてしまうほど、甘い自惚れを覚えていた。大切なものへの触れ方というのは、こういうものなのだろうな——と。

「……どうして、そんなに無欲でいられるんだ。ボクは、おまえと一日離れるのも嫌なくらいだっていうのに……」
「これでも、欲深くなってしまったつもりでいる」
「分かってるさ。前までの1号なら、ボクに一年に一度会えればいいってことさえ言わなかった。『幸せ』なんて感じもしなかったろ。……ありがとう、嬉しいよ」
「2号……」

 これ以上の欲を持てそうもないオレには、共感して慰めてやることもできはしない。——酷く、歯痒い。
 「毎日」と「一日」。対立する願いだが、どちらか一方しか叶わないというなら、せめて、ここまで塞ぎ込んでしまう2号が望んだ前者に叶ってほしい。——オレも、そのための努力はしよう。
 手を伸ばし、青いマント越しに2号の背を撫でながら、静かに誓った。