非実現(3/6ページ)

 

 「『たまには』、こうやって過ごすのもいい」と言ったのは、つい昨日のこと。でも、ボクにだって気分はあるから。

「1号! 読書スペース、今日も一緒に行かないか?」

 自分から言った「たまには」を守れず、早速の誘いをした。覚えたての楽しいことには、すぐにもう一度手を伸ばしたくなる。

「ダメだ」
「え、何で」

 しかし、いつものように断られてしまう。昨日は結構乗り気だと思ったのに。

「……この後、ヘド博士は別棟のラボへと向かわれる。わたしは警護のため、博士に同行しなければならない」
「何その予定!?」驚きのあまり大声を出してしまった。「聞いてない……。……っていうか、ボクも行った方がいい?」
「おまえが席を外しているときに立てられたスケジュールだった。偶然、そのときにわたしが居合わせたから、わたしが指名された。……どちらかひとりでいいと、博士は仰っていた。研究の妨げとなってしまうことを避けるためにも、警護はひとりで十分だろう」

 思っていたよりもずっと、ちゃんとした理由でのお断りだった。用事の内容が内容で、もうれっきとした決定事項となっているみたいだから、ボクがじたばたしたところでどうにかなるものでもなさそうだ。

「そっか~……。仕方ないけど……寂しいな~」
「……そこまで時間のかかるものでもなかったはずだ」
「本当!?」勢い良く返事をして、1号にぐいと近付く。我ながら正直な反応だ。
「ああ。それさえ終わればおまえと合流することはできる。だから、読みたいものがあるなら、先にあの部屋に行ってくれていい。わたしも後から向かう」
「読みたいもの……」

 次は、雑誌をふたりで読むと決めていた。ひとりでも、読みたいもの。

「……分かった! ちょ~……っとだけ、気になるものがあるから、ボクはそこに行ってる。……でも、今日はポーズも見てほしいし、あと模擬戦闘もしたい……から、1号の用事が終わったら、ボクがそっち向かう」
「言うことがすぐ変わるやつだな……」
「ゴメンゴメン、今回だけ」

 怪訝に思われながらも了承は得られたので、この場は一旦別行動を取ることになった。
 ——今日も、いい日になりそうだ。

 
 

(……あったあった!)

 図書スペースに入ったボクが目指したのは、昨日と同じく、雑誌が並んだマガジンラック——ではなく、とある本棚の一角。文学図書を揃えたコーナーだ。
 詰められた本の背表紙を眺め、昨日見たキャラメルカラーを探し出す。次に、背表紙に記されたタイトルを。昨日の記憶と一致するものを見つけ、人差し指の腹で傾けてから取り出した。
 ——昨日、1号が読んでいた本だ。ボクもこれを、ちゃんと読みたかった。
 昨日、ここで過ごしていたときから考えていたことだ。ボクは読んでいた雑誌の内容を1号と共有したいと思ったけど、1号のものもまた、共有できればいいなと。1号に感想を聞きたいと思っておきながら、詳細な部分まで尋ねずに留めたのは、ボクが読了する瞬間に取っておこうと思ったから。せっかくなら、同じ話題で盛り上がりたかった。
 本を手に、昨日と同じ空席に座る。向かいの席に1号がいないのは寂しいけど、また後で、この本のことも含めてたくさん話せるんだ。上向いた気分のまま、分厚い本の一ページ目を開いた。

 ——小さな字を追い始めてから、一時間ほど経過した頃。

『2号。今いいか?』
『1号!』1号に合わせ、ボクもちゃんと、内部音声での通信を返す。この場所でのマナーを忘れてはいない。『大丈夫だ。そっちはもう終わったのか?』
『ああ。今はメインタワーの入口にいる。……だが、おまえはいいのか? この時間で読めたか?』
『へーきへーき! ……でも、少しだけ指令室に用事があるんだ。すぐ終わるから、そこで待っていてくれるか? 模擬戦用の演習場、そこからの方が近いだろ?』
『分かった、待機している。……切るぞ』
『ああ!』

 実のところ、読み進めた部分は本全体の半分にも達していない。これからもっと面白くなりそうなのに、ってところで終えなきゃならない。名残惜しい——昨日、読書を中断しようとした1号の気持ちも分かった。
 だけど、その感覚はすぐに打ち消せる。ボクには、ある秘策があった。
 この部屋の入口付近にはコンピューターが設置されている。本に割り当てられたものと、それに、隊員一人一人に付与されるもの、それぞれのIDナンバーを入力すれば、その本は一定期間入力者に貸し出されることになる——というシステムが用意されていた。その期間内なら室外への持ち出しだって自由だ。しかし人造人間であるボクたちは隊員という扱いではないから、ナンバーを持っていない。——でも。

(確か……ヘド博士のナンバーは……っと)

 心優しく寛大なヘド博士は、ボクたちがここで過ごす上で不自由がないようにと、ご自身のものをボクたちも教えてくださっていた。この休憩室のように、ただ任務をこなしているだけなら利用機会のない施設も多いから、1号は遠慮して滅多に使わないものだけど。せっかくの博士のご厚意だから、ボクはありがたく頼ることにした。
 入力を終えれば、無事「ドクター・ヘド」名義での貸し出しが完了したと表示される。得意げな気分で部屋を出た。

 

 指令室への用事というのは、この本をボク用の補給装置の中にしまっておくことだ。ガンマの私物を保管できる場所となれば、それくらいに限られてくる。そして続きは今夜、装置の中での待機状態に移行しなきゃならないとき、その中でこっそり目を開けて読むつもりだ。ちょっと、いやかなり狭いとは思うけど、この本のサイズなら何とかいけそうだ。1号にバレずに読み終えるなら、この方法しかない。
 別に、バレたらマズいことではない。でも、サプライズにしてみたかった。いつの間にか、ボクは1号が読んでいた小説をこっそり読み終えていた——ということを1号が知れば、驚きとともに、意外な一面もあると思って、ボクへの好感を高めてくれるかもしれない。
 そうなることも、ふたりで感想を話し合えることも、楽しみだ。
 楽しみと言えば、まだまだ途中の、本の続きも。物語の主人公とヒロイン——舞踏会で出会った瞬間に恋に落ちた彼らには、けっこう共感できていた。思い返せば、ボクも1号には一目惚れのようなものだったからな。どうにか困難を乗り越えて、幸せになるところを見届けたいものだ。
 ——今は本の続きよりも、この後の模擬戦の作戦を考えなきゃな。待ち遠しい予定がたくさん詰まっている。

 

 機械的な寝床に運び込んだ恋愛小説について、大まかな知識は備わっている。——だけど、昨日、1号がこれを選んだ瞬間から。それに抱いた衝撃と感動とで、ボクの思考からはあることが抜け落ちていた。——有名なあらすじに含まれてしまうくらいの結末。そして、この物語が属するジャンルが、本当は何であるのか。
 当たり前の知識であること以上に、とても、とても重要なものだった。それを忘れていたから、浮かれていられた。