不可能への覚悟(全6ページ/5ページ目)

 やられた。
 家中を何周も駆け回った末、リビングにあったはずのあいつのスマホが忽然と消えていることに気が付いた。——窓の近くに散らばっていた破片ごと、完全に失くなってしまったみたいに。電話をかけて耳を澄ましたところで、何も聴こえなかった。
 寝室に向かえば、いつも得意げに羽織っている貴族みたいな部屋着が乱雑に脱ぎ捨ててあった。開けっ放しのでかいクローゼットは、盗みにでも遭ったような有様だ。ただ、無作為というよりは、初めから目当ての何かがあって、それを引っ張り出すための——って雰囲気もなくはない。だとしたって荒れている。
 スマホの電源は切っているのかもしれない。服はわざと着替えたのかもしれない。そうして俺のミスリードを誘いながら、まだ家のどこかにいる——という可能性だってある。皇帝専用の鍵付きの書斎は探せないし。でも、あいつがここまでの鬼ごっこを仕掛けてきている、ということ自体が問題なのであって。
 ——そして。
「~~~~……ッ‼ クソ、クソ……ッ‼」
 痛むほどの強さで拳を作った両手の中で、紙切れの端がぐしゃりと音を立てる。——「Es tut mir leidごめんなさい」。あいつが口にしないであろう言葉が、あいつの字で書かれてあった書き置きだ。
 消して軽くはなく、それゆえにらしくはない謝罪の言葉は、この鬼ごっこがただの戯れではないのだと物語る。だったら、見つかるリスクをわざわざ冒して留まるより、本気でこの家を出てしまったと考えるのが妥当だ。——悔しくて、認めたくなくて、叫んでしまいたくなるけど。
「ちく、しょう……! 俺、は……!」
 しつこい酒の香りと格闘するついでとはいえ、長考に及んでいたのは悪手だった。俺があの場を去る直前のあいつの様子は確かにおかしかったし、酒被った程度の俺の状態がどうであれ、あいつを独りにする方がまずかったと、もっと早く気付いていれば!
「……でも……」
 カイザーが心中で取り乱していたのは分かるけど、行方を眩ます事態にまで発展したのは完っ全に想定外で、未だに信じ切れていない。
 だって、崩れ落ちる敵を視て口の端を上げ、忠臣のネスさえ躾けの行届いていない犬みたいに扱うあいつが、俺にたった一度酒浴びせたことを、ここまで気にするか? やっぱり、俺の認識が不十分なのかな。それとも案外、特別扱いで大事にされてるとか? だとしたら、嬉——。
(……いやいやいや!)
 この考えはマズいだろ。酷い恋人の優しいところ探して、悦に浸って依存する人への入り口じゃん。カイザーとの関係を明かしたとき、「潔くん、気ぃ付けえや。アレは絶対、そういう洗脳してくるタイプのヤツやで」と氷織に言われたことが頭をよぎる。なかなか失礼な台詞に聴こえるかもしれないけど、カイザーの方が超絶無礼なのは誰の眼にも明らかだ。昔から。
「…………」
 だったら、どうする? とんでもない訳アリ物件に当たってしまったと再認識して、手遅れになる前に、今のうちに契約解消の方向を固めるか?
「まさか」
 訳アリなんて、こちとら100%承知だ。承知したから近付いた。
 誰よりもあいつを視てきた俺だから、分かる。自分のやったことを認識したときの態度も、血色を失った顔も、グラスを割ったことも、姿を消して残した書き置きも。全部、あいつの本心だ。この確信は、決して盲目な恋によるものじゃない。あの鮮烈な宿敵を前にして、盲目でいるなんてできやしない。
 カイザーはきっと、ギリギリの精神でここを出ていった。俺なんかよりあいつの方が、ずっと手遅れじみている。
「迎えに、行かないと」
 あいつの危うさを目の当たりにした日。月が綺麗だったあの夜が、再び現実になろうとしている。俺は、それだけは止めるために。
(……でも、どこ行ったか分からないんだよなあ!)
 この辺りの地理には、当然俺より詳しい。そしてお気に入りの場所とか、故郷、とか、そういうのは全然分からない。あいつは言葉巧みに、自己開示を避けるから。
 いきなり告白してきた俺をあいつが面白がって受け入れただけの関係じゃ、これが限界なのかもしれない。悔しいけど仕方ないな。今はそのことで落ち込んでる場合じゃない。
 ——そうだ、仕方がない。不本意、クッッッソ不本意だが、非常事態だから、頼るしかない。
 

『この……っ、バカ世一‼ カイザーを傷付け悲しませ、挙句家から追い出した、なんてえぇ……! なんって、ことを‼ 万死に値します‼』
「いや、俺が追い出したんじゃなくて、あいつが……」
『黙れ……! 黙れ黙れ黙れ! キミがカイザーを怒らせたのが悪い言い訳世一! 駄犬世一! クソ世一! 今からそっちに行きます、カイザーのお手を煩わせるまでもありません、僕が抹殺してやります‼』
「そんなことする暇があるなら、早くあいつが向かいそうな場所を……」
『はあぁ⁉ そんなの知るわけないでしょう⁉』
「は……っ、おまっ、知らねーのかよ⁉ あれだけ邪険にされててもべったりなくせに!」
『そんなカイザー見たことねぇですよ! 一人でふらりとお出かけになられても、いつの間にかお帰りになられてました! というかカイザーはご自分のために敢えて僕を突き放しているのであって、僕自身はキミみたいなやらかしをした経験なんてねぇです! 許さない許さない、クソ世一許さない!』
 前言撤回、ヒステリック番犬なんか頼るんじゃなかった。黒名や氷織と知恵を出し合っていた方がずっと良かった。
 いつもは端的な言葉で言い返している罵詈雑言。今回は俺にも責任があるし、スマホの画面と耳との間に距離を空けながらも、甘んじて聞き入れていた——けど、半狂乱の吠え声が続きすぎて段々ムカツいてきた。こいつ、ドラマさながらの話通じない小舅すぎる。あと酒かけられた件に関してはどう考えても完全に向こうが悪いだろ。俺の理論だって間違いだと思えないし。
 でも、一つだけ収穫がある。ひとりでふらりと出かける、という前例があるなら、今回もその例に従ってくれている可能性がある、ってことだ。あいつ自身ヤケになって知らない場所に向かって、迷子になって——という、最悪なケースには陥っていないかも。
 ——収穫、これだけかな。
「なあ、もう吐ける情報なくて、協力もしてくれねーなら切るぞ。俺だって急いで……」
『——ねえ、世一』
 画面の向こうから漂う怒気が一変した。思いのまま怒り狂うのやめ、より鋭く、真剣なものへ。
『以前、キミに言いましたよね。『やめておきなさい』と。キミじゃあ、カイザーには釣り合わないと』
 しんとした空気の中に、画面越しの静かな声だけが響いた。
『……ああ』
 「誰に言う言わないはお前の勝手だが、ネスには伝えさせてもらうぞ」とカイザーは言った。後々バレて暴れられるよりは——という経緯と理由で、この小舅にはふたりで挨拶に出向いた。「俺がお前の側についているところを見せれば、あいつも矛を収めるだろ」というカイザーの作戦に乗って、ふたりで。
 あのときも、今と同じだった。ネスはひとしきり発狂した後で、急に真剣な面持ちになって、「やめておきなさい」と俺に言った。台詞だけならいつもの嫉妬や負け惜しみだけど、そうじゃないと分かるただならぬ雰囲気に、思わず息を呑んだことを覚えている。詳しく話を聴く前に、カイザーが「やってみなければクソ分からんぞ?」と軽い調子で話を収めてしまったけど。
『僕は何も、キミを軽んじるつもりで言ってるんじゃない。……本っ当に悔しいし腹立たしいけど、キミのことは認めざるを得ません。キミのせいで散々な目にも遭いましたし許してませんが……それでも、キミと出逢って、カイザーはますます強くなった。キミが来てから、カイザーは前よりも楽しそうにプレーするようになった。だからこれからも、カイザーの踏み台とか、無様な引き立て役であってほしいと……そう願っています』
「……」最後の一言が余計すぎる、切りたい。いや耐えろ、一大事だろ。
『でも……ダメだ。そのキミでも、ダメなんです。世一がダメ、なんじゃない。……カイザーと釣り合う人なんて、いません』
「お前も、その一人ってことか?」
『はい』
「……!」
 怒られることは覚悟で言ったから、予想だにしていなかった素直な返事に狼狽えてしまう。
『信じてもらえないかもしれませんが……。僕、昔は彼と、けっこう友人みたいな雰囲気だったんですよ。彼の些細な命令に言い返して、二人で笑い合ったこともありました』
「……⁉ マジかよ、それ……⁉」
 俺と氷織みたいに、「最高」のエゴをぶつけ合うサッカーじゃなく、主従然としたプレーをしてたこいつらが? そういう姿しか見たことがないから、想像できないだけかもしれないけど。
 ——カイザーは、どう捉えているんだろう。あいつに何か心境の変化でもあったのかな。それとも、最初から——。
『でも、そんな気安い関係は長続きしませんでした。……僕の方から、諦めたんです』
「……お前の、方から?」
『ええ。カイザーは腹心である僕にさえ、終ぞ多くは語りませんでした。だけど……僕なんかが足元に及ばないくらいの『何か』を秘めている。それを抱えて一人で強く立ち上がる、孤高の人です。神聖、という言葉さえ似合うほど、不可侵の存在です。その彼に、対等な理解者なんていらないし……彼自身も、きっと求めてないです』
「……だろうな。概ね、同意見だ」
 〝新英雄大戦〟のユーヴァース戦で、あいつが決めたオーバーヘッドを思い出す。ネスとの連携が通用しないと見るや、あいつは俺を利用するやり方へと切り替えた。ネスの代わりに俺が一枚噛んだことになるのかもしれないけど、共闘じゃなく、あくまで「利用」にすぎない。同志である黒名や氷織との連携で点を決めた俺に対し、あいつは独りでゴールを決めた。
 それを可能とする力は、ストライカーとしては羨ましい限りだ。ただあいつの場合、そういうところがフィールド外のプライベートにも出ているのか? それともあいつ自身が「そう」だから、ストライカーなのか。
『でしょう? だから僕は、従者を——『盾』の立場を選びました。『剣』なら、彼ひとりで十分ですので。そうしてやっと、畏れ多さを抑えて、傍にいることが許されるような——いや、それでも、許されなかった。……カイザーは、そういう人ですよ』
 やっぱり、な。カイザーの人間関係は、潰すか潰されるか、従わせるか従うか、しかないんだろう。周りが自然と傅いてしまうのか、カイザーが意識的にそうさせているのかは、分からないけど。でも、あいつの性格を考える限り、ネスも含めて、多分、後者——。
『世一。キミは愚かにも、カイザーにまだ屈していない『敵』です。そのままで対等な『恋人』になろうだなんて、不可能にもほどがあります』
「……不可能、か」
『不服そうな声ですね。それが理解できないバカ世一には……一つ、賭けでも仕掛けてみるしかありませんか』
「は? 賭、け……?」
『カイザーは、キミなんかのためにフットボーラーとしてのご自身を棒に振ったりしません。明日になれば、必ず練習に来るでしょう。……だから、それまでにキミがカイザーを見つけて、キミの手で連れ戻すことができたなら、キミの勝ちです。ただしできなかったら……僕の勝ちということで』
 ——そのときは、カイザーから手を引いてください。キミから手を引こうとしているカイザーに、従ってください。
「……」
 唐突に持ちかけられたはずのそれは、まるで用意されていたかのように、滑らかに読み上げられた。カイザーの失踪は偶然でも、こいつはこいつで、俺とカイザーが離れるチャンスを狙っていたんだ。
 普段のネスなら、喜々として言いそうな台詞だ。だけどいつになく真摯で、まるで——カイザーに語りかけるような声色が、ネスの真情を示している。
「……条件が悪すぎないか? ノーヒントなんだろ、これ」
『うっせえ。言ったでしょう、『不可能』なんですよ。キミとカイザーが……いえ、カイザーは、他の誰にとってもね。それを前提とした賭けになるのは、当たり前ですよ』
 「不可能」。あいつに刻まれた青い薔薇は、かつてそんな意味を持っていたらしい。あいつ自身も度々口にしているから、きっとその言葉に、並々ならぬ思い入れがあるんだろう。
 カイザーに手を伸ばすなら、それに挑まなきゃいけない。

「だとしても、このままじゃ絶対負ける……!」
 ネスとの電話を終え、画面に表示されたデジタル時計を見て項垂れる。
 日付は変わって零時十分。練習が開始されるまで——いや、いつも早起きしてランニングしてるし、あいつは身支度にも時間をかける。睡眠は投げ打つとして、俺に与えられた猶予はおよそ五時間程度。
 一見潤沢な数字だけど、ノーヒント、土地勘の差、そしてあんな言葉を残したあいつは戻る気がなさそう——等々を踏まえれば、一気に俺が不利になるゴミ環境だ。ったく、元々はヒントを求めて、恥を忍んでネスに電話したっていうのに。

『僕なんかが足元に及ばないくらいの『何か』を秘めている』
『それを抱えて一人で強く立ち上がる、孤高の人です。神聖、という言葉さえ似合うほど、不可侵の存在です』

 「概ね」同意見と返した、ネスの言葉を改めて思い出す。「『何か』を秘めている」っていうのには今更なレベルで完全同意。付き合う前から察してる。
 それより、少し引っ掛かったのは——「孤高」「神聖」「不可侵」あたりの賛美だな。なんというか、合ってるのか、合ってないのか、分からない。——そうだ、少なくとも今は、「孤高」は違うんじゃないか? 確かに普段はそうだけど、顔面蒼白になって取り乱して家出したあいつは、どちらかというと「孤独」だろ。
 じゃあ、他の二つは? 「神聖」はネスの主観が強すぎる気もするから保留だな。「不可侵」は合っていそうだけど——。
「……クソッ」
 ダメだ。あいつの性格をもっと理解すれば、向かいそうな場所も分かるかも、と思ったけど。今ある情報の欠片(ピース)だけでは、手がかりとして未完成な、抽象的な想像のままで留まってしまう。家の前に停めてある車が出る音はしていなかったし、明日の練習に来る気があるなら、ミュンヘンから出ていることはなさそう——なんて、とてもじゃないけど小さな欠片だ。
 この想像に、答えがほしい。想像を重ね合って、俺を答えへと至らせる人間が欲しい。——恋人捜すのに他人を頼るのは情けないかもしれないけど、俺は使える手駒全てを駆使しながら、戦場を支配するプレイヤーだから、大目に見てもらいたい。カイザーだって、個の力で戦場を蹂躙できる力の持ち主だけど、そういうプレーこそが本領だろ。
「氷織って、確かゲーマーだよな……。だったらワンチャン起きててくれねーか、な……」
 画面に並ぶ連絡先をスクロールしていく中で、ふと手が止まった。
「……いる」
 カイザーのことを、嫌ったらしいほど知っていそうな人間が。
 意外と気さくなヤツなんだよな。〝新英雄大戦〟の後、連絡先を交換してたはず。頻繁に会ったり話したりする仲ではないから、ちょっと底の方にいるかもだけど。
 ——まあ、こいつはこいつで、頼るのかなり癪だな。もしかすると、ネス以上に。

「……よぉ。やっぱゾンビは、この時間でも起きてるよな」
『そっちこそ、夜更かし電話OK? 怒られちまうぞ、ミヒャのtesoro』
「て……? 何?」
『tesoroは宝物。そっちで言うschatz。まぁ要するにぃ、あいつのカレシ様ってコト。OK?』
「ええ……何で知ってんだよ……。……てかさぁ」
 二本目の電話の相手はドン・ロレンツォ。カイザーとも並び称される新世代世界11傑で、ズバ抜けた予測力と身体能力を武器とする稀代のDF。俺もカイザーも幾度となく苦しめられている強敵だ。
 欧州五大リーグを渡る王冠配達士・スナッフィーに付き従っているからか、語学能力もあるらしい。そのおかげで、俺が渡独のために必死に学んだドイツ語で話せている。
 スナック系の菓子の咀嚼音、そして大勢の笑い声と派手なBGMとで、耳に添えた画面の奥はかなり騒がしい。パーティーの最中か何かかな。あいつはクソうぜぇパリピだって、カイザーも言ってた気がする。
「前々から……ず~~っと気になってたんだけど。……お前、カイザーの何なの?」
 圧倒的実力に加え暴君的で人間嫌いな性格のせいで、あいつの周りにいるのは犬と宿敵くらいだ。——だから、いくら人当たりのいい性格の持ち主とはいえ、ロレンツォがあいつを愛称で呼べることが不思議でならない。
 俺は、愛称どころかファーストネームすら呼ばせてもらえないっていうのに。一応恋人になったし、そう呼んだ方がいいのかと思い尋ねたところ、「クソ呼ぶな。呼んだら殺すぞ」と凄まれた。まあ、カイザーは俺のこと好きじゃないしな。悔しいけど。——じゃあ何でこの金歯はいいんだよ!
『だぁー、心配しなくても、お前が心配してるようなことはねぇよ』見透かしたように、ケラケラと笑う声が聴こえてくる。俺も声に機嫌を乗せ過ぎたかもしれない。『俺が勝手に呼んでるだけで、ミヒャはずっと嫌がってる。OK?』
「……何で呼んでるんだよ? 友達でも何でもなさそうだけど」
『友達ではないなぁ! 『仲間』……いや、『同類』?』
「同……類?」
 どこがだ? 皇帝然としたFWのカイザーと、ゾンビのようなDFのロレンツォの、どこが?
 同じ新世代世界11傑って程度の意味じゃないよな。カイザーはロレンツォの金歯が象徴するような、金に眼がないところも嫌っているから、センスも価値観も一致してない。それからカイザーは存外静かな空気を好んでいそうなところがあるから、電話の向こうの乱痴気騒ぎなんて御免だろう。違うところしかなくないか?
『まぁ……『同類』なんて言ってしまえば、それこそミヒャはキレちまうなぁ』
 菓子の音が一段と響く。いや、他の音がなくなったんだ。考え込んだ俺が黙っている間に、ロレンツォは静かなところに移動したらしい。
『俺はスナッフィーに出逢えたが……ミヒャは、なぁ』
「……それって」
 ロレンツォとその恩師スナッフィーの関係は、俺でも知ってる。ロレンツォ自身が、過酷な境遇とそこからの救済を、誇らしげに公表しているからだ。
 過酷な、境遇。ロレンツォは実の親に捨てられ、貧民街で——。
『直接訊いたワケじゃねぇけど、俺は職業柄、人間のクセは見抜いちまう。似た人間ならなおさらだ。だからミヒャも、俺と同じ……』
「——黙れ。その話はもう終わりにしろ」
 少なくとも、第三者の口から正答に等しい推測として聴くべき話じゃない。そのパンドラの鍵は、あいつ自身に委ねたい。
『OKOK!』尋ねてきた側に突如暴言吐かれたにもかかわらず、ロレンツォは愉快そうに笑った。『でも、お前はミヒャのことで連絡してきた、OK? とうとうミヒャに逃げられちゃったかぁ?』
「! なん、っで、それを……」
 そういえばこいつ、俺をいつものように年俸価格で呼ばず、敢えて「カイザーのカレシ」っていう言い方をしてきたな。最初からお見通しかよ。
 でも確かに、もしカイザーが傍にいるなら、この時間にロレンツォに電話することはしないな。カイザーもやめろって言うだろうな。
『だぁー。……いつかはやると思ってた。寧ろ今までよく保ったなぁ』
「やるって、破局のことかよ。……ネスみたいなこと言うんだな、お前」
『ひょー、ネス坊⁉ アイツから交際許可、OK⁉』
「あのときはカイザーも乗り気だったから、何とか……。まあさっき改めて、手を引けって言われちまったけどな」
『だろうなぁ。……俺も、ネス坊と同意見。お前、とんでもねー奴と惚れ合っちゃったねぇ』
 間延びした話し方はそのままに、ロレンツォの声が一段と低くなった。
 ロレンツォも、ネスと同じだ。俺より長くカイザーを見ている人間は、口を揃えて警告する。
『あいつの性格、どう思う? ああ、何も陰口のつもりはない、OK? ただ、事実として……歪んでいる、破綻している……そう感じたことは?』
「……」
 沈黙は肯定と受け取られるだろうが、構わない。ただ、ロレンツォ相手に言葉で答えてやる義理はないだけだ。あいつの、他人と——自分をも進んで傷付ける言動の数々を。
『残念だろうが、ミヒャはもう手遅れ。カワイイ恋人がどれほど懸命に働こうが、あいつは愛を解せない。そーいう『壊れた』人間のまま、フットボーラーとして『完成』された。……戦うこと以外、致命的に向いてないって思うねぇ』
「……壊、れ……」
『だからせめて、フィールドの上で可愛がってやれ。それがお前に一番できるコト、OK?』
「——んなこと、とっくに分かってる」俺も、あいつも。最終的には、そのつもりだろう。「だけど、その瞬間を迎えられる前にくたばられたら意味ねえだろ。それが本当の『手遅れ』なんじゃないのか?」
『へぇ……⁉』
 想いを告げた夜に誓ったようなことを即答してやれば、ロレンツォの驚愕の声と、息を呑む音が返される。菓子の音も止んでいた。
『驚いた……! お前、ミヒャがそーいうヤツだと分かって付き合い続けてる、OK⁉』
「付き合う前から薄々感じてたし、付き合って確信した。それでも、フィールドで喰い尽くしてやるときまで……生きててほしいからな。そのためには、もうちょっと穏やかになってくれたらいいんだろうけど……。とにかく、あいつをこの手で繋ぎ留められるなら、俺はそれでいい」
『利己的ぃ……! ……ミヒャとやってこれたわけだ』
「えっ、マジ⁉」
 真剣に話していた最中だっていうのに、子供みたいな声を上げて喜んでしまった。カイザーの失踪、そして二人に連続でやめとけと言われてしまったことも重なって、思ってたよりダメージ入ってたみたいだ。
 でも、そうだよな。——俺たち、相容れないエゴイスト同士だけど、だからこそ合うこともあるのかも。だから俺も、魅かれてしまったのかも。
『だぁー、あくまでここまでの話でイキがるな?』揶揄うような口振りでまた否定される。
『フットボーラーとしてだけじゃなく、一人の人間としてのミヒャなんて、難攻不落の皇帝サマそのものだ。あいつの言葉を使ってやるなら、まさしく『不可能』の化身! お前、そんなヤツを抱え込む覚悟、OK⁉』
「何も人格矯正までするつもりねーよ。だけど最低限、『人間』のあいつをどうにかしないと、『フットボーラー』のカイザーが死にかねないっていうんだから、やるしかねえだろ。——覚悟なんざ、とっくにできてる!」
 自傷するあいつから、あいつ自身を助けようとしたときから? ——いや。

『ちゃんと、俺の人生に立ちはだかってくれよ』

 あの言葉を、叶えてやると答えたときから。
 あいつを殺すのは俺だと決めた。あいつ自身にだって、その役は譲らない。

『いーねぇ、イカレたベストカップル』電話の向こうでロレンツォが笑う。
 懐かしい。〝新英雄大戦〟当時からその言葉で多方面に揶揄われてたんだよなあ。怒り狂ったのもいい思い出だ、マジでカップルになってしまった今だとやや恥ずい。
『なら、ミヒャのカレシの意気込みに免じて、俺からの餞別。お礼はCLのときでOK? ふたりまとめて、がぶっといかせてもらっちゃお』
「上等。お前もカイザーも凌駕するゴール決めてやるよ。……それで、餞別っていうのは、もちろん……」
『ああ。この俺自慢の観察眼と予測力、お前に貸してやる、OK?』

 ——俺の同類なら、きっと薄暗い路地裏の先に、独りでいる。カスみたいな大人たちの、悪ぃ金と欲が渦巻くような場所の先に。