Novel/BLL-潔カイ
【サンプル】再壊<1>(全4ページ/2ページ目)
「……!」
皇帝の居室も間近という中。誰ともすれ違うことのなかった廊下の向こうに、やっと現れた人影があった。
——それが別の誰かだったなら、思わず脚を止めることはしなかった。生じていた未来への熱を保とうとしていた心が、急速に凍え鋭くなっていくこともなかっただろう。
「ネス……!」
「……世一」
身構えた俺を暗い眼光で睨み、つかつかと近付いてくる。——俺がカイザーの部屋に来ることを予見して待ち伏せていたのかもと思ってしまうほど、妙に落ち着き払っていた。
「……驚いた。あんな目に遭わされておいて、まだクソ道化の番犬やってたのか」とはいえネスの意図が読めない。先手を打つ。「それとも、もう仲直りは済んだのか?」
「お前にとやかく言われたくはありません」俺の問いを全面的に拒んだ声は、意外なほど毅然としていた。「そっちこそ、何しに来たんです。……この先が誰の部屋か、分かっているんですか」
「ああ。……カイザーに、教わりに来た。オファーのこと、クラブのこと、どう選べばいいのか……。……ただそれだけだ」
「……へえ」
丸くなった大きな眼が、次第に細められていく。
温和を繕う微笑みか、それとも厳正な値踏みか。曖昧にされた境界線を読み切れない。
「結構です。そーいうコトなら、どうぞお通りください」
「……? 何だよ、随分あっさりと許すんだな」
今度は俺の方が驚かされた。唐突かつ無神経な接触の自覚はあったし、俺の前に堂々と立ちはだかるネスの姿を眼にすれば、舌戦に及ぶ心構えくらい、自ずと生まれていたから。
「一体、何を想定して道塞いでたんだ」
「何を……ですか? ……そう、ですね。これまでの報復とか言われていたら、この命に代えても通しませんよ」
「……考えるかよ。そんな、下らないコト」
あれほど完膚なきまでに打ち負かしてやったっていうのに、これ以上どう制裁しろって言うんだ。——もう、何もしてやれるものか。
今の行動だって、カイザーに運良く残っていた、相談相手としての価値だけに基づくものだ。
「キミの答えなんて、何も予想していませんでした。最低限、報復行為でなければ良し。あとはただ……聴いておきたかっただけ、とでも言っておきますか」
「ただ、聴いておきたかった……?」
確かに、俺に質問を返されたときのネスは虚を突かれたような表情をしていた。そして危惧した報復を身をもって防ごうとする姿勢、つまり変わらぬ忠誠が窺える先ほどの回答には、しかし即興で捻り出したかのような響きもあった。あれらは、本人も深く考えていない問いであるコトを示す反応だったのか。
「カイザーに命じられて、ここにいるワケじゃないのか?」
「ええ。全部、僕の意志です。僕はもう、カイザーの言いなりにはならない」
柔和な態度を一変させての、真っ向からの宣誓。〝コバンザメ〟〝玩具野郎〟なんて俺に謗られていたときとは比較にならない輝きを放つ、一人のエゴイストの姿そのものだ。
コイツもまた、俺によってカイザー共々潰されたようなモノ。主君に反抗的なパスだったけれど、心の底では主君に届くことを期待していたに違いない。しかし主君はその期待に背くほど落ちぶれていた。真実の醜態を否が応でも直視させられた今なら、一人での再起だってようやく選べるんだろう。
——だったら、現状はますます不可解だ。力強く述べられたばかりの宣誓に、その眼の輝き(エゴ)に反している。
「じゃあ……どうして、この期に及んで俺を試して……あんなヤツを守ろうとする」
非合理への端的な問いを重ねながら、一歩近付く。答えを待とうと両腕を組む。
「犬ってそういう生き物でしょう?」
即答。自虐交じりのようでいて、揺るぎない自信と決意に溢れた笑み。
「主人にとっていらない人間になったとしても、一度受けた恩(魔法)は忘れないし、信じたモノも絶対曲げない。僕はカイザーの意志のためじゃなく、僕自身の意志のため、彼に尽くすと決めた。……きっとコレが、キミからの一番最初のご質問へのアンサーですね。申し遅れてしまいましたが、納得していただけました?」
「…………」
やはりネスは紛れもない「自分型」で「天才」。この期に及んで「魔法」という何やら抽象的な概念、それから特定対象への個人的感情を第一のモチベーションにし続けられるのは、「自分にとって価値や意味のあるコト」の追求によって最高表現を発揮する「天才」の特権だ。カイザーを熱源とする状態こそ変わっていないとも言えるけれど、そのための技術や発想は飛躍的に進化したってコトを、今日のラストパスが雄弁に物語っている。あとはその発想がどこまで伸びるか、どれほど奇想天外な「魔法」を扱えるようになるか、ってところか。クソ道化がそれに応えられるかどうかは全くの別問題だが。
納得は、できる。発想こそ「天才」のそれだけど、「秀才」として編み出した理屈に当てはめられるから。
——だけど、その本筋とは逸れたところの言葉がどうしても引っかかる。ほんの小さな要素であるハズのそれが、心からの「納得」を阻んでいる。それで阻まれてしまう自分の思考も、どうかと思ってしまうけれど。
「……『カイザーにとって、いらない人間』……?」
違和感甚だしい自己紹介だ。ネスと結びつけるには、あまりにも的外れ。
「カイザーに、そう言われたのか?」
「え? ……言われました、よ。今日の試合中に。……てか、僕にソコ聞きます? カイザーの隣で聴いてましたよね? よりによってキミに……僕からカイザーを奪ったお前に、改めて尋ねられるのは些かムカツきますね?」
「は? ……俺が、お前から……カイザーを?」
——最も触れられたくはない密かな傷口を脆弱な刃先で逆撫でされたような、屈辱的な心地。組んでいた両腕を思わず解き、代わりに両の拳を握る。
ほとんど無意識のその動作は、ただ試し試される問答の中次第に募っていった警戒心による精査を通り越した、臨戦の態勢じみていた。
「……俺とアイツとの、『契約』の話をしてんのか? 確かにアレは、お前に何の断りも入れずに締結した……」
だとしても勘違い甚だしい。カイザーは、結局——。
「……。ああ、そういえば、キミらそんなコトしてましたっけ。じゃあ確かに、それもありますね。僕を差し置いてカイザーと……なんて、カイザーと二人での〝世界一〟を信じていたときの僕にとって、何枚レッドカード叩き付けても足りないくらいの非紳士行為に違いありません」
貼り付いたように崩れないネスの微笑みは、理解し難いモノと相対しカオを強張らせてのものだと伝わってくる。終わってしまった当然の事実をひたすら問われ述べさせられているとでも思っていそうな、最早他人事のような物言いから、強い困惑と僅かな苛立ちをひしと感じる。
(どの面、下げて……!)
過去形で語ったその信念は、カイザーも信じていたモノだろ。——契約者相手にだって譲りはせず、終ぞ捨てるコトはなかった。
だから、その困惑は——全部、全部、こっちの感覚だ。俺の言うコトを、明らかな真実を、「理解し難い」と捉えられる方がクソ怪奇。さすがは「天才」様、分かりきった現実的な道理へのお察しが悪いらしい。おかげでこっちは、微笑みで誤魔化そうとする気さえ湧かないってのに。
「けど、何よりお前だって最後に、カイザーに言っていたじゃないですか。僕を『『ダメな人間だ』と必要以上に特別視した』って。賢明なカイザーに、そこまで見切りつけられてたってコト、誰より、お前が……」
「……お前、ホントに俺の話聴いてたか?」
「はえ?」
——コレ以上、最悪の皮肉を聴いていられる気がしなかった。
「『必要以上に特別視した』って言ったろ。……良かったじゃねえか。あのカイザーが……冷徹で聡明な皇帝が、お前に、だけは……。……お前にだけは、自分が転落するくらいの私情向けてたんだぞ。むしろ誇ったらどうなんだ」
「————は?」
その立場は、全てに勝利した新英雄さえも手に入れられなかった。
このチームで頭角を現していくにつれ、アイツの思考をも侵食していった快楽なんて、遠い昔の錯覚だ。
「それに……カイザーだって、お前のパスを求めていた」
勝利という結果を優先する以上、どちらがゴールを決めてもいい——私情なき冷徹な合意通りの結末を迎えたにもかかわらず、カイザーは膝をついて打ちひしがれた。
やっぱり、アイツにはネスへの私情が残っていたんだ。だから、その私情を根拠とした計算の下、パスを受け取ろうとして失敗した。そしてネスに求めた球もゴールも何もかも俺に奪われた結果を、重く捉えて潰されたんだ。
「……。……今回はただ、お前がアイツの予想を超え、そしてアイツがお前の願望を下回ってたってだけの話……」
固く握った両の拳の中に、カイザーへの特別視を抑え込む。捨てると決めていたはずのそれに捕らわれることのないように、急速に渇き痛んでいく喉は休ませず、ただ真実を唱え続ける。
「だから、アイツはともかく、お前が悲観することなんか何もない。アイツを狂わせる敗因さえ生み出せたお前なら、今後は……」
「——ッ! 黙れ‼ 黙れ、クソ世一ッ!」
突如伸ばされた右手に胸倉を掴まれた。想定以上の腕力によって無理矢理引き寄せられた視界に、くしゃりと歪められた顔が映る。
「っ、何、すん……」
直接ブツけられる、怒り、悲しみ。それ以上の驚愕、愕然。——何で?
「僕でさえ分かるコトを、お前ともあろう者が何で分かってねえんですか! お前が、カイザー、を……! お前の、せいで……カイザーは‼ あんなに……あんなにぃ
……‼」
「は⁉ あ……⁉ おい、何言ってんのか全然……!」
「お前、にぃ……! カイザー、は——‼ 〰〰ッ!」
要領を得ず理論の見えないコトばかり叫ぶだけ叫んで、ネスは右腕を振り払った。
勢いのまま投げ出され不安定によろめく身体のバランスをどうにか整え、皺のついた襟を直す。
「……クソ、世一ッ……!」
ネスもまた多少の落ち着きを取り戻したようではあったけれど、歯軋りしながら俯く様が、なおも激しい悔恨を物語る。この様子じゃあ、俺の説得は届いてなさそうだ。
(……まあ、いいか……)
誤解を解くための努力はした。咀嚼するかどうかはネス次第だ。俺だって、ネスの逆上の理由を完全に読み取れたワケじゃない——ひたすらに感情的だったそれは、到底理解できそうになかったし、しなくても良いものかもしれない——から、何とも不毛なやり取りをしてしまったかも。
「……はぁ。……失礼、もういいです。お前が的外れなコトを言うもんで、つい」呆れと落胆を隠さないため息。俺がそれを向けられてしまうのは心外だったが、反応はせず流しておく。「それに、カイザーを警護するつもりというより……元々、キミに用があったんです。そのキミがあまりにも愚かだったので、危うく失念してしまうところでした。……いえ、愚かだからこそ、思い出せたかもしれねえですけど」
「お前が、俺に用事? カイザーじゃなく……」重ねられた挑発は無視して話を進める。
確かにネスは俺を試そうとしていたようだった。俺に用があってここ——カイザーの部屋の前——にいたというのも本当らしい。やっぱり俺がカイザーを訪ねることを直感していたのか。
だとしても、なぜそんな直感に至れたんだろう。
「お前に、渡したいモノがあります」声にしていない疑問もまた、当然ながら拾われるコトはない。「ですのでほら、手を出してください」
「渡したいモノって……これまた、随分と唐突だな。なんのつもりだ?」
「言うなれば……戦利品、ってところでしょうか。……そう、僕らを、バスタード・ミュンヘンを……。——いえ、カイザーをめちゃくちゃに壊して勝利した、その戦利品です。僕らにとって不本意な結末でも、礼儀くらいは尽くしてやりますよ。なので我らが皇帝に代わり、この忠臣からお渡ししようというワケです」
「……。……そーいう、コトなら」
どこか釈然としない心地を覚えていた。何を寄越す気か皆目見当がつかないし、皇帝に尽くす新たな決意——それがエゴイスティックな感情だったとしても——と、皇帝の意志を離れて俺を称えるような行動を取ったことをすぐに結び付けられず驚いたせいか。はたまた、もっと別の言葉にまた違和感があったのか。
——俺は所詮、言葉なんかでトドメを刺しただけ。アイツが勝手に壊れたんだろ、と。
それでも、固く握られたまま差し出された右拳に応え、こちらからも左手を伸ばす。手のひらを上向きにして、ネスの拳の下側に。
その動作が、精神を引っ張ってくれた気がした。——〝カイザーを壊した〟〝カイザーに勝利した〟という響きと事実も、詳細な真相がどうであれ、きっと極上のモノだった。
「よろしい。……はいどーぞ、新英雄さん」
にこやかに微笑んだネスの手から何かが落とされる。——零れたようなそれは、手のひらの肌と触れ合った瞬間、高く微かな音を立てた。
差し出していた手のひらの指を折り畳み掴んで、確かめる。
「これ、って……」
掌中に収まったのは、小さな金属の感触だった。慎ましく涼やかに奏でられた音とは裏腹の重たさと、「涼やか」どころかひどく冷たい温度を纏っていた。
ネスの手が離れるのを待ってから、それを握りしめていた手を開く。
「……鍵?」
年季を感じさせる、骨董じみたデザイン。しかしその年季を示す錆も些か過剰で、洒落た意匠もただ古めかしいモノのように視えてしまう。繋がれた付属品——一輪の青薔薇を象ったキーホルダーの方がずっと真新しく視える上、丹念に磨かれているようできれいだった。
「……おい、まさか」
「さすがに今度は察せました? ……ええ、カイザーからお預かりしていたモノです。カイザーの……ご実家の鍵、だとか」
「——は」