「そうだ。答える前に、一応確認しておきたいんだけど」
「んー? なになにー!?」
伝説のシェフのサンドウィッチ——大変美味でございました——を食べ終えたボクたちは、ボクにとっても試練であるデザートタイムに突入していた。
ボクは自分で作った自分の分——画面に映すための大皿とは別のところに乗せていた——を齧り、ちゃんと作れてると心の中で唱えながら、同じように甘味を噛むグルーシャ氏の口元を見て、心臓を激しく鳴らしていた。心に訴えかけて自信を促す言葉なんて、緊張に呑まれて途端に力を失ってしまう。ポケモンたちは初めてのスイーツを大喜びであっという間に頬張り、今では思い思いにロイヤルな部屋に浸り遊んでいるので、この場でこんな思いをしているのなんてボクだけだろう。
けれど代わりに、一つ食べ終えるごとに「おいしい」と告げられる言葉が、優しく綻ぶ表情が、ボクの心を救っていた。安心を覚えながら、心臓は電流を流されて鼓動を早くしてるままだけど。
そんな調子だから、グルーシャ氏にかなり弾んだ声を返してしまった。こんなんじゃクイズの答えがバレてしまう、気を付けないと。
「あんたが作ったものは一つだけ? それとも、いくつかある?」
「おっ、いい目のつっけどころ~! ボクは『このお菓子の中に、ボクの作ったものが入ってる』としか言ってないからね~?」
頬が緩みそうになるのを堪えて、なんとかいつも通りのわるだくみ笑顔を見せる。コートの長袖を口元に添えれば表情をもっと隠して誤魔化せたんだけど、あいにく今はハンガーに預けている。
「じゃあ、複数回答でもいいんだ?」
「いいぞよ~? まあ、答えは一つじゃないとは限らない……とは言っておくけど~?」
「ううん、複数回答にする」翻弄を狙う言葉なんて物ともせずに言い切ってから、グルーシャ氏は最後に残ったティラミスをその口に含んだ。「……これもおいしい。……もう食べ終わっちゃった、ごちそうさま」
「——! ……いえいえー! グルーシャ氏のお口に合ったなら、お土産にしてよかったー!」
「おいしい」という響きを聴いた時点で、フヒヒと声に出して歓喜を示してしまいそうだったところをこらえる。振る舞ったスイーツはこれで終わり、どうにか耐えきった。グルーシャ氏、全部褒めてくれて——いやいや、感想を言ってくれるからさ。「食べ終わっちゃった」という響きも、スイーツを包んでいた袋に視線を落として、何重にも折り畳んで片付けようとしてる様もなんだか名残惜しげなような気がして、甘い期待を覚えた胸が締め付けられた。
「……全部」
「——え?」
次の瞬間、その視線は真っ直ぐにボクへと向けられた。どくりと心臓が跳ねて、狼狽える。
「全部……あんたが作ってくれたやつだと思ったんだけど……違った?」
「……どうしてそう思った? グルーシャ氏」
出題者の余裕を窺わせるような尋ね方。実際は、そう装ってるだけ。この質問へのキミの答えを聴きたくてたまらないし、結果だって、打ち明けてしまいたい。
「……それ聞く? 間違えてたらサムいよ」形の良い眉が寄せられる。そこは躊躇するんだ?
「いいからいいから!」大丈夫、だから。
「……。……今、あんたがくれたもの、全部……」目を瞑って額を押さえてから、グルーシャ氏は意を決したように、ボクと視線を重ねた。「……今日の配信の中で、完成品として映してたものより、小さかったよね」
「ふむふむ……! やはりお気付きで~?」
あげたものを見ただけじゃなく、それらをオンエアのものと比較しての判断。やっぱりこのひと、ボクの動画をよく観てくれているんだなあ。
「規定のレシピに従った方が楽なはずなのに、配信の裏で、わざわざ分量変えて作ってたってことだよね。……ぼくに渡すための、気遣いなのかなって」
「……フヒ、フヒヒヒ……!」
とうとう、笑みの声を零してしまった。もちろん、喜びと幸せの笑みだ。
スイーツのサイズを控えめにした、もう一つの——一番の理由。食べ比べがしやすいようにってだけじゃなく、そもそも、糖分の摂取量に気を遣っているひとにあげるためのものだから。——気付かれちゃったなあ。
「そりゃーボクはキミのことが大好きだし、キミの食生活のことも知ってるから、キミにスイーツをプレゼントするなら、そのくらいのことはしちゃうかも~? ……でも」刺激されたいたずらごころが、ボクを食い下がらせた。「ゲストのトレーナーさんにも、食事制限をしてる子とか、あるいはそういうお友達や……想い人がいるかもしれないよね?」ボクみたいに。「ボクがその子が作ったものをもらった……って可能性もあると思うんだけど、その点はどうお考えでー?」
「彼女らの交友関係なんて知らないけど、でも……。……いや……」
「?」
答えに詰まった様子はなく、明らかになにか言いかけていたのに黙ってしまった。さっきまでは割と普通に答えてくれていたのに、どうしたんだろう。——白い頬まで、微かに染めて。
「……さっきの答えじゃ不十分?」
「言いかけて途中でやめられると気になっちゃうぞよ~。なぜ躊躇うー?」
「さっきのも、大概だったけど……。……それ以上に、自惚れっぽくてサムいから」
「……ニッシッシッシ……! 自惚れ……キミの勘違いじゃないのなら、サムくないよねー?」
聴きたい、聴かせてほしい。キミのことが大好きだって、言ったばかりでしょう? だから絶対に、勘違いなんかじゃない。ボク自身も全く想定していなかった質問だから、キミが用意した答えがどんなものかはわからないけど——だからこそ、知りたい。ボクに好かれているという自覚が、キミにどれほどあるんだろう。
細めた目に期待を宿して、彼を見つめた。
「……仮に、あんたのゲストたちもそういう意図で、このサイズの菓子を作っていたとしても」
「ふむふむ……?」
「……あんたが、それをぼくに食べさせようとする? ……あんたが作ったもの以外の菓子が褒められる可能性を、許容する?」
「——あ゛……っ!?」
そ、そ、そうくるー!?
ボク自身も模範解答を用意せず、純粋な興味のままに口にした問い。だからなにを言われても多少は驚いたのかもしれないけど——これは、とびっきりのものだった。返された答えにボクが納得すれば、その時点でそれが正解になるもの。——納得を通り越して、完敗を覚えていた。
グルーシャ氏の言う通りだ。世界的シェフが手がけた一品を共有するのとはまたワケが違う。若いトレーナーさんたちの作ったスイーツが、ボクのを差し置いて目の前で彼に褒められでもしたら——うん、絶対。少しばかりでも妬いてしまう。そうなるくらいなら、無意識に、必然的に、全部をボク製のにするという手段を取るだろう。こちとら、ずっと——視聴者のキミに出会ったときから、ボクひとりに向けられる褒め言葉に——愛に、飢えているから。
「……さすがは古参ファン。ボクのことをよ~くわかっていらっしゃる」
「……じゃあ」
「そうだよ、キミの勝ち! ぜ~んぶ、ボクが作ったものでしたー! 美味しそうに食べてくれて、ありがと!」怖いくらい頬に籠る熱を感じながらも、心からの感謝を笑顔で述べる。「バレ方、後半部分は不測の事態すぎたけど……」
「どういうこと?」
「いやー、ボク自身も半ば無意識だったことを言い当てられて驚いたってのもあるしー……。……それにさあ、ボク重くないー?」
声は明るく、冗談めかして。衝撃から不安に転じたそれを、率直に告げてしまった。
エレキトリカル★ストリーマーに、しめりけなんて似合わない。人気への執着心を「うっかり」口を滑らせる程度に覗かせるくらいなら、みんな笑ってくれるけど。かといってその正直をやりすぎてしまえば、大衆が気軽に推し続けられるような配信者じゃなくなってしまう。思い返せば、ディナータイム前にも重さを見せてしまっていた。二連続で正直をやらかしてる。しかも二回目のコレはグルーシャ氏に指摘されて気付いた重さだから、彼にはもう既にバレているわけであって。
「……よく言う」
グルーシャ氏は呆れたように、おかしそうにため息をついた。——ボクが駆られた不安さえも見抜いているかのようで、それでも、柔らかく微笑んだ。
「人には散々めんどいとか言っておいて」
「……! ……ニッシッシ、それはそうじゃないー!?」
皆の者には好評のはずの企画に難色を示したり、なんでそんなこと覚えてるのー!? ってくらい大昔のネタを平然と口にしてきたり。振り返れば振り返るほど、彼に向かって言ったその言葉は撤回できなくなっていく。——そのめんどさも、「ボク」を好いてくれるがゆえ、だと思えてしまうから。断じて、決して、キライじゃないぞよ。
「……ありがと、グルーシャ氏!」
やや遠回りな励ましだったけれど。彼も、同じことをボクに思ってくれている、ってことかな。だったらいいし——きっと、そうだ。皆の者と同じようにはいかないこの古参ファンなら、ボクの本音を純粋な気持ちで望んで、そしてそれに応えてくれる。
だったら、お望み通り——いや、お望み以上の特大ファンサを。キミへの朗報になるであろう次回予告! これをもって、スイーツの包装を指先で弄り続けるその未練を期待へと変えたまえ!
「……ところでさー。キミにスイーツを振る舞ったのは、今回が初めてだよねー?」
「そういえば、そうだね。作ってるところなら、何度か観たことあるけど。……その料理回も久々だった」
「でしょでしょー? 久しぶりのお菓子作りだったけどさ、伝説の講師をお招きできたってこともあって、今まででイチバンの出来だった気がするんだー! ……でも、今回は言わば予行演習! 来月の本番、ぜひともおっ楽しみに~!」
「来月? また料理回やるの?」
「それ以前のハナシだぞー! 毎年、ナッペ山ジムにもプレゼントがほうでんされる時期じゃないのかねー?」
「え……? ……あっ」
考え込んでいたグルーシャ氏が、驚きの声を上げる。頬を微かに染めているところを見る限り、答え合わせをする必要もなさそうだ。——一ヶ月と数日が過ぎれば、年一のバズイベントであるサンクスデイの季節。感謝を伝えたい大切なひとに向けて手作りのスイーツを贈ることは、世界共通の定番だ。
「……少し、不思議だった。名高いシェフを講師に招いておきながら、あんたの得意なサンドウィッチじゃなく……スイーツをテーマに絞るなんて。ゲストの趣味に合わせたのかもと思ったけど……」
「それもあるよん。ボクもクリームとバターとフルーツたっぷりのサンドウィッチ作って、みんなに食べてもらってたでしょ? でもでも、今回ゲストのみんなからのご指導の下、色んな地方のお菓子を作れたことで、ボクの製菓スキルはシビルドン登り! 本番で取れる選択肢は爆増して、その出来栄えにも磨きがかかったこと間違いナシ!」それを示すために、今彼に振る舞うメニューからは、敢えて自作のサンドウィッチは外したのだ。「フヒヒ、いい予行演習にできたんじゃないかなー?」
各地のトレーナーが集い、必然的に世界の文化を網羅するパシオの一端を紹介する企画を進行すると同時に、ボクは伝説のシェフの知識と技術含めたそれらの文化を学んでいた。カンの良い者は「来月グルーシャにあげるため?」とかコメントしてくれたけど、ぶっちゃけそのとーりというワケだ。
この世界最高峰の練習環境をゲットできたのも、豪華コラボを実現できるくらいに培われたボクの地名度と、そしてパシオという場所のおかげ。グルーシャ氏にとってはサムい手段だったかもしれないけど、一度ここまでのストリーマーになっておいてよかったし、なにより、パシオに来てよかったー!
「…………」
今ボクが贈ったお菓子にどれほどの意味が込められているか、わかってくれただろう。グルーシャ氏は目を見開き、その甘味に触れていた唇に指を添えて固まっている。彼の脳裏にあるのは、さっきまで堪能していた味か。それとも、昼間の動画にて、ボクが製菓に励んでいた光景か。
あれも、ある意味「匂わせ」だ。彼の協力を得たものと、彼にさえもサプライズとなったもの。両方できちった!
「あんた、今日の配信……けっこう自由にしてた?」
「フヒヒ、そうだねー! 楽しかったぞよ!」
キミのおかげだ。「匂わせ」なんて、キミがいなければ望むことも叶うこともなかった自由だ。——キミと一緒に、来れてよかったな。
「……ずるい」
「へ?」
思わぬ言葉。片膝を抱えたその仕草も、ボクに向けられる表情も、彼が再び拗ねへと陥ったことを示している。
そう、再びだ。ここに戻って、部屋のドアを叩いたボクの第一声を、お馴染みのナンジャモ語から離れてしまった挨拶を拒んだときと似ている。あのときも、古参ファンは拗ねていた。——でも、違うところだって。一度目ではひたすらサムがっていたけれど、今は——物欲しげな熱を、その目に一層濃く宿している。
「コラボ案件に大勢のゲスト……。……ゲスト多すぎ、あんたの出番もっとあってもいいのにって思いながら、観てたのに……」
「……ニッシッシ! ……やっぱり、キミならそう思ってくれたよね」
想定内、かつ——一番、期待していた感想だ。
「なのにあんたは……ぼくのこととか、考えて……あんなに楽しそうにしてた、なんて。ぼくはずっと、くやしい思いしながら……下手な企業よりは合ってるとか、あんたが宣伝役に起用されたすごさとか、言い訳唱えながら観てたのに。……その差がくやしい。あんたが満足してるのはいいけど、それを悔しがりながら観なきゃいけなかったのも、くやしい」
「まあまあ……!」
堰を切ったように「くやしい」と繰り返す様が、愛おしかった。その想いは熱烈な電流になって、ボクの心へと迸る。
今まで穏やかに過ごしていたように見えたけど、ガマンしてたのかな。——彼も。
「終盤の『匂わせ』、ご協力してくれたでしょ? あの時点でもう、キミは悔しがるどころか、余裕を溢れさせちゃってもいいんだぞー? それに気付いて羨ましがるファンとかさ、SNSにもいたんでないー?」
さらに募っていく期待に、身体が内側から焦がされようとしている。だけど、まだ待って。もう、少し。
「そんなの知らない」
ささやかなフォローを、熱が両断する。——フォローを装った煽惑によって、高められた熱が。
「外野に騒がれるだけ騒がれてる間、あんたは打ち上げから帰ってこないし。帰ってきたかと思えばサムい挨拶してくるし。それがあんたの仕事だってわかってるけど……。今日一日、ずっと……あんたが足りないって思いで、過ごしてたのに」
「……フヒヒヒ……! ……豪華ゲスト目白押しの神回を目にしながらも、ボクひとりにこだわり続ける視聴者なんて、キミだけだぞ」
キミが、そんなひとでよかった。そんなキミに愛されていることがたまらない。
ああ、もう、ガマンしたくない。
「じゃあ……そんなグルーシャ氏に、とっておきの朗報!」
隣り合っていた距離をさらに縮める。触れるか、触れないかくらいのところまで。すぐに、この距離さえ、こらえきれなくなるんだろう。
「ボクがただ、楽しんでただけだったと思う? パシオの内と外、全世界の皆の者だけじゃなく、密かにキミひとりに向けた配信をしてる間。キミのこと、皆の者に気付かれた瞬間。心の中、ずっとビリビリってしてるのに……ううん、してるからこそ、もどかしかった。……早く、キミに会いたかった。長時間、ボクが進行役に徹した配信を観続けて……ボクに飢えたキミの感想を伝えられるのが、楽しみで仕方なかった……!」
自分の言葉を言い終えることも待てず、膝立ちになって両手を伸ばし、彼の両頬に添わせる。指先で感じた素肌の体温の高まりは、よく効いた暖房のせいじゃないだろう。——この温度でさえ、グルーシャ氏はサムいって言うこともあるのだ。
「……煽ってくれるね」
見開かれた恋人の目が、次の瞬間には細められてボクを睨む。
氷柱のような鋭さと、その硬い氷さえ溶かしてしまいそうなほどの熱さを同時に宿したそれは、彼がバトりで窮地に立たされた際に見せる表情と同じだった。——背筋に電流が走って、ゾクゾクとシビれてしまう。
「まさか……一日中、そのつもりだったの?」
片手が、彼の手によって掬われる。同じ温度の手のひらが重なり、熱い指と指とが絡み合う。
「……焦らされてるのはボクも一緒だってことも、お忘れなくー?」ボクへの、一番の愛。それを秘めていてくれるひとの存在なんて、それだけで、もう。「キミにイタズラをしかけるつもりだったのに……巻き込まれてじばくしちゃったなあ」
「あんたの目論見自体は残って、こうして成功してるんだ。……だから、あんたの勝ちだよ」
さっきしかけた問いかけと合わせて、ふたりとも勝ち。だったら、遠慮なんていらない。
腰へと腕を回され、抱き寄せられるのに従って、今日一日のもどかしい距離全てを自分からなくして。一番欲しかった戦利へと、互いに口付ける。自作したお菓子の味を残す唇は、緊張しながら試食したそれ以上に、ずっと待ちわびた甘味だった。