「……ってわけだ。どんなに激しい闘いになっても崩れないマニキュア? を作ってくれ。頼む」
場所は変わって、第7宇宙の惑星、地球。
気絶した合体ザマスを部屋に運んだベジットは、瞬間移動で地球に帰還した。彼ほどの実力者ともなれば、異なる宇宙間をも跨いだ移動ができた。丁度ビルス星で孫悟空たちが修行をしている最中だったため、そこを中継地点として。
太陽が真南で輝いく時間帯をいいことに、真っ直ぐにカプセルコーポレーションへと向かった。建物の一角、若き新星の研究室のドアを叩き、今に至る。
「…………」
「ヘド博士だって暇では……」
「いや、いいとも。新薬の研究も一段落したところだからね。息抜きに何か別のことをするには丁度良い頃合いだ」呆れる二体の人造人間——普段はガードマンとして働いているが、今日は足りない人手を補うため研究室の方に詰めていた——を制し、ヘドは承諾した。「それにお得意様の……しかも神様のご所望とか、悪い気はしないしね」
「本当か!」
上機嫌にひひひと笑ったヘドの快諾に、ベジットの表情も明るくなった。
「要は、トップコート……ネイルの仕上げに塗って、崩れないように保護するためのものだけど、それの強度をうんと上げてやればいいだけの話だ。一色だけ頑丈なものを作るより、そうした方がどんな種類の製品にも対応できる」
「後付けのコーティングでどうにかするってことか? よく分かんねえけどなんとかなりそうなら良かったぜ。どのくらいかかる?」
「ベースとなるデータは既にあるから簡単さ。この超天才のドクター・ヘドにかかれば、数時間で完璧なものを仕上げてみせるとも」
「数時間か、そりゃいい、よろしくな。……それと、二色ほど買わせてほしい」
「今から新製品作れってこと? 別にいいけど、待ち時間は増えることになるよ」
ベジットは言葉を詰まらせ逡巡した。あまり時間を掛けたくはない、というのが本音である。あの神の機嫌のための注文なのだ、待たせる時間は短い方がいい。
「……そうだな、既製品のサンプルがどこかにあったはずだから、まずはそれ見てみたらどう?」
「! ああ、それでいい、頼む」
「決まりだな。ガンマ、サンプルを探してくれないか。ボクはトップコートの開発に取り掛かるから」
「分かりました、ヘド博士」
控えていた人造人間のうちひとり、ガンマ1号は見本を探しに。ヘドは早速製品開発を行うために、それぞれ研究室の奥へと向かっていった。
その場に残ったガンマ2号に、ベジットは「急に押しかけて悪かったな」と声を掛けた。
「博士に感謝しなよ。……でも、ボクが呆れたのはそこじゃなくて……。好きな子泣かすのは良くないだろ」
「好きな子って……」
訂正の訴えをしようかと思ったものの何だか面倒になってしまったベジットは、呆れたように呟くだけに留めることにした。
おまえはどうなんだよ、と返そうとも思ったが、戦闘のレベルとは裏腹にいつも低次元な自分たちの喧嘩と同列に扱うのも気が引けたため、口を噤んだ。不用意な発言での失敗は先ほどしたばかりだ。
「やだな、ボクがそんなことで好きな子を泣かすわけないじゃん」しかしベジットの意図を察したのか、2号は自ら言及する。「ま、そもそもボクたちはネイルしないけど……」
「そうかよ」
「好きな子」とは架空の存在なのか。それとも、「ボク『たち』」と言ったのはそのもう片方の存在こそが「好きな子」であるためなのか。深く追求する気もなかったため、ベジットは適当に流すことにした。
「さっきの話を聞く限りだと、その神様がキレたのってネイルが剥がれたからじゃなくて、キミが『無駄』とか言ったからなんじゃない?」
2号は些か興味なさげではあったが、正答を口にしていた。
「だろうな……。分かってるよ」
それはベジットもよく理解している。だからこうして詫びの品を求めて急ぎ地球に来ているのだ。
人と神との矛盾に苦悩する不安定な心を抱え込みながらも、掲げる理想を称え合うことで誤魔化してきたふたりを素体として形成されたのが合体ザマスの人格だ。そのためか、彼は良く言えば感情豊か、悪く言えば乱れやすく傍から見れば面倒な気性の持ち主である。だが、それでも付き合ってやるかと思えるくらいにはベジットは彼のことを好いていた。自分と渡り合える唯一の存在なのだ、気に入らないわけがない。
「……あ! 1号! サンプル見つかったんだな!」
2号が振り向いた先には、色彩豊かな数々のボトルが詰まった透明なケースを抱えた1号がいる。
反省会をお開きにして、ベジットと2号はサンプルを覗き込んだ。
「なるほどな、プレゼントするんだ」
「好きな子を泣かせた男」から、2号はベジットへの評価を少しだけ改める。
「何選ぶか決まってるのか?」
「前回は主にボルドーやそれに近い鮮やかな色合いのものを希望していたと記憶しているが」
「あいつはそういう……紫っぽい派手な赤色が好きみたいだからな。だから、そうだな……。まずはこれと……」
そう言ってベジットがまずつまんだものには、華々しい真紅のローズマダーに金銀のグリッターがぎっしりと詰まっている。好みに合わせた的確な判断に、選定を眺めるガンマ両名も頷く。
「あとはこれだな」
「えっ」
だが次にベジットが手を伸ばしたものには、心底意外だという反応が示された。
「いいの? それ」
彼が二つ目に選んだものは、正解とは正反対とも思える色——陽光を受けて強く輝く、真夏の海のような、玲瓏たるゼニスブルーだった。
「オレも正直そう思うけどな。こっちに行ってあいつが喜びそうなもの取って戻ってくるって話したとき、あいつの弟分に言われたんだよ。この色欲しがってたって」
「じゃ、世話になったな。ドクター・ヘドにもよろしく伝えといてくれ」
「武運を祈っている」
「ちゃんと仲直りしてきなよ」
その日の夕方。ヘドに特注した透明な保護液と、選んだ二色の塗料の計三点の土産を携えたベジットは、ガンマたちに見送られながら一瞬で姿を消した。
「瞬間移動かー。カッコいいよな」
「……珍しく意見が合ったな」
「ほんとか!?」
ガンマ2号がはしゃぎ出す。ガンマ1号が言った通り、技の見た目に関しての意見の一致は彼らの間で頻繁に起こるものではなかった。
「ヘド博士に頼んだらボクたちも使えるようにならないかなー。……それにしても、泣きながらキレての喧嘩か。想像つかないな」
「わたしたちに涙腺はないからな」
「……だな」
ゆっくりと頷いた2号は、先ほどベジットと交わした会話と、隣に立つ同型機に思いを馳せる。
2号がどんな言動をしようとも、1号が涙を流せることはない。だが、一度。そのような思いをさせたことならば。
(……ま、いいけど……)
後悔はない。たとえそのひとを泣かせることになろうとも、そのひとを助けたかった。だから、ベジットに言った「『そんなこと』で好きな子を泣かすわけない」という言葉は正しい。「そんなこと」は、相手のことを慮れなかったこと。1号を想って決断した2号には当てはまらない。今日のベジットの場合は合体ザマスの繊細な心情の扱いを間違えたためにこの事態を招くこととなったが、慮るべきは常として心だけではない。2号は然るべき場面で、1号の——「好きな子」の命を救うことを選んだ。
——とはいえ、今ふたりを包んでいるのはあの死闘の中の空気ではなく、穏やかで平和な時間。このようなときに泣かせるつもも必要もない。
「……1号は遊び心ないけどセンスいいから、1号が自分で選んだ私服っていいよな。1号によく似合ってて、カッコいいしきれいだと思う」
「何だ急に」
自分はあなたの着飾り——「着『飾り』」という言葉は些か似合わない、シンプルで洗練された服装を1号は好むのだが——を否定せず、好んで称賛します、というアピールである。当の本人には伝わっていないが。
かの神の意図について、2号は何となく察しがついていた。闘いというのは、彼らが何よりも重んじているもののはず。その場に完璧な装いをして臨むというのは、拳を交える相手への敬意への表れ以外の何だというのだろうと。派手好きの2号は休日に1号と出掛ける際、とびっきりの気に入りの服やアクセサリーを身に纏う。そして1号が、前日の夜には自身の衣服に丁寧にアイロン掛けをしていることも知っている。ある意味、かの神のそれは2号にとって覚えがあることなのだ。
「そうだ! 明日休みだろ、一緒に新しい服見に行こうよ」
「先週もたくさん買っただろう、まだ欲しいのか?」
「じゃあ今度は別のお店でさ!」
自分たちの光景を思い出してしまったがために、ベジットが装いの意味を理解できるかということから、「好きな子」にデートの約束を取り付けることへと、2号の関心はすっかり移っていた。
この恋のために忘却したものの中には任務すら含まれてしまうのだが、2号にとってはヒーローとしての道標ともなった、大切な恋だ。