【05.26サンプル】レミニセンス・ライト(2/3ページ)

 

「……できた〰〰〰〰‼ お待たせしました、グルーシャ氏〰〰‼」
「うん、おつかれさま。……さっきも聞いたけど」
「ニッシシ……」照れくさくって、頬をかいた。「さっきは出来上がったのが嬉しくて、つい叫んでしまいましてー……。んでんで、味見役の反応も良さげだからー、今度こそグルーシャ氏をお呼びした……ってとこ!」
「味見役?」
「ほらもー、ボクたちの周りに!」
 ハラバリーにムウマージたち——ボクの手持ちポケモンだ。それぞれの分の出来上がったサンドウィッチを、勢いよく頬張っている。食べるのが早い子は既に完食して、おかわりをねだる視線をボクに向けている。多めに作っておいたので、もちろんあげた。——おいしそうに食べてるとこ、今度は最初から、彼に見せることができた。
「大喜びだね。上手くできてるんじゃない?」
「グルーシャ氏にもそう見えるよねー⁉ フヒ……そうだといいなあ……!」
 緩む頬を両手で抑える。その言葉だけで、既に嬉しい! ポケモンたちにおいしいサンドウィッチを振る舞える立派なトレーナーだって思ってもらえたかなー⁉
 ——少し浮かれたところで、なんとか我に返る。いつもなら——今までなら、ポケモンたちのその反応だけで良かった。でも、今回は違う。上手くできてる、と思ってくれたそのひとに、今度は、本当にその予想の通りだったと思ってもらわなくちゃ。ボクも味見はして、大丈夫、だと思ったんだけど——どうだろう。知らず知らずのうちにボクのクセが盛り込まれて、それに慣れてるハラバリーたちはおいしく食べれてるだけ、って可能性もある。考えれば考えるほど、不安に陥る一方だ。
「そいじゃー、グルーシャ氏の分がこれで、アルクジラの分がこれ……」
 考え続けているわけにもいかないし、不安もかき消したかったから、やることを進める。サンドウィッチを乗せた皿を、彼らの前に置いた。
 グルーシャ氏には、一番盛り付けが上手くいったものを渡した。それでも、完璧とは言えないかも。パルデア流サンドウィッチとやら、パンを被せて具材の盛り付けを誤魔化すことができないから、これはこれで難易度高いのでは?
「……ほんとに、上手くなったね……」
 皿の上をまじまじと見つめたグルーシャ氏が、目を見張って呟いた。比較対象が勝負にならないレベルだったということもあって、上手と見なしてもらえたみたい。ならばよ〰し! 彼さえ認めてくれたのなら、細かな粗なんてないも同然! 完璧! ハードルを下げてくれてありがとだぞ、過去のボク!
「さあさあ、どーぞお召し上がりくださいませませ〰!」と、言った瞬間、盛り付けへの評価で得たさっきまでの安堵が嘘みたいに、心臓がどくりと鳴る。「……ちょっと、食べにくいかもだけど……」誤魔化すような自虐。パルデア流サンドウィッチ、食べる難易度も高くない? 具材が挟まれてないから落ちやすそう。
「こういうサンドウィッチも、ないわけじゃないし……。パン半分の糖質抑えられるのはいいと思った」
 言いながら、彼が手袋とマフラーを外していく。普段は晒されない素肌に視覚から刺激されて、否応なしに緊張が高められる。
 食事会のときとか、部室で飲み物を飲んでるときとかも見たけど、悔しいような情けないような、未だに慣れてない。そして、今回も、それらも、全部ボクが作り出した機会。だから、彼の素手や首元が目に入る度、彼の近くにいれているんだと実感する。彼の近くにいたいという夢が、叶っているんだと思える。耐えられなくなりそうなくらいのドキドキと、こみ上げてくる嬉しさのせいで、目を逸らすか逸らさないかで迷ったまま、頬が熱くなっていく一方だった。
 肌の見える部分と見えない部分を作り出して、見えない部分をたまに覗かせるように——っていうのはボクもこのファッションでやってる高等テクニックのはずなんだけど、グルーシャ氏、やるなー。そういえばボクたちの服、カラーリングがちょっと似てない? ——鼓動がさらに早くなる。ただでさえ緊張してる今、それを考えたのが間違いだった。
「……!」
 少し戸惑いながらの不慣れな様子で、彼がサンドウィッチを持ち上げる。その指に支えられたパンが小さく開いた口に近付くのが、スローで再生されているみたいだった。落ち着かずに視線を上に逸らせば、降りた瞼と青色の長い睫毛があって、心臓が無際限にうるさくなる。
 目を閉じている彼からは見えないのをいいことに、両目をぎゅっと瞑って、捲った袖から出したままだった両手を固く組む。緊張しすぎだって自覚はあるけど、せずにはいられない。ずっと静かな世界に逃げ込んでいるのもなんかダメで、薄く視界を開けば、白い喉仏がゆっくりと上下するところを目にしてしまって、どうしていいかわからなく——なってる場合じゃなくて!
「グルーシャ氏、どうー⁉ どんなもんじゃー⁉」
 張り詰めた空気——実際のところは、ボクが勝手に気を張っているだけだから、彼にとっては別にそんな空気じゃないと思われる——をビリリと破くように、努めて明るい声と笑顔を作る。向こうから言われる感想を固唾を呑んで待つなんて、できそうになかったから。
「…………あ……」
 ——と、思っていたのに。
 言葉なくても、思わず目が惹き付けられたその表情だけで、答えなんてわかってしまった。——たった一口だけで、眦を優しく下げていたから。
 安堵以上に、感動していた。——このひと、こんなに柔らかい表情するんだ、って。それを知っているひとが、見れるひとが、引き出せるひとが、この世界にどれだけいるんだろう。それはわからないけど、今この瞬間は、ボクだけが——。
「あれ……もう食べ終わったの」
 静かに味わうような食べ方をしているトレーナーとは対照的に、アルクジラはいつの間にか完食していた。また一段と元気になって、ボクのポケモンたちのところに向かっていく。異なる反応だけど、ふたりの感想は一緒なんじゃないかって思えた。
「ん……。……ありがとう、ごちそうさま」
「ニッシシ……! どういたしまして〰!」
 口の端についたソルトに赤い舌が触れる。それによって口内に足される僅かな味にさえ、彼は目を細めていた。
「やきチョリソー、久々に食べたな」
「ほんと〰⁉ 塩気も効いてて、ボク的に好みでおすすめ具材! レシピはボクのオリジナルなんだけど、入れてよかった〰!」
 上手くいったようだから良かったものの、今思うと、ちょっとどうかしてる気もするような。絶対に失敗できない場面でもあるんだから、料理系配信者の激バズレシピを堅実に再現すれば確実だったのに。——まあ、ちょっと冒険してでも、やりたいことがあったんだけど。
「……味については、最初から心配してなかったよ」
「え……? ……え⁉」
 な、何事? 突然、とんでもないこと言われた。聞き間違いも疑った。過去のボク作、見た目崩壊サンドウィッチを観てる人間がそれを言うって、どゆこと⁉
「昔、あんたも、あんたのポケモンも、おいしそうに……楽しそうに作って、食べてたから」
「そ……っ! ……そ……っ、か……!」
 そう、だった。楽しかった。視聴者数は今よりずっと少なかったけど、これから伸びるんだって、無根拠に信じていたし。——彼のような視聴者だっていてくれたから、信じ続けていられた。そう思わせてくれるひとに見守られる中、やりたいことをやっていた。
 今も、そう。自分とポケモンたちのために焦がれていた数年振りのピクニックは、彼が一緒に来てくれたことで、こんなにも、もっと、心弾む時間になっている。
「……それを味わえて嬉しい。……ありがとう、ナンジャモ」
 ボクの心をくすぐって、何よりも喜ばせる笑顔。たまらなくなるけど、何度でも見たいと思えるもの。
「いえいえ〰! ……こちらこそ!」
 ボクのこと、観てくれて、覚えていてくれて、思い出させてくれて、ありがとう。何度、この感謝をしただろう。これからも、たくさんできたらいい。
 今も昔も、キミと一緒にいる時間は楽しいよ。画面越しでも、そうじゃなくても。——今の方が、会えるし、知れるし、近付けるし、言うことないかも。
「ただ、あんたが塩味好きなのは知ってたけど……。スパイスの辛味……? 効いてるのは意外だった。辛いの、好きだっけ?」
「フヒ、フヒヒ……! 限度はあるけど、このくらい丁度良いのは嫌いじゃないぞよー!」
「……? ……まあ、ハイダイ倶楽部とコラボとかしてたし、そうか……」
 ボクが急に、愉悦の笑みを抑えきれずに零したのには理由があって。——彼の言及が、よくぞ言ってくれました、ってことだからだ。
「辛いの食べると身体温まるよねー? 寒がりなグルーシャ氏に合うかなー! と思いまして〰!」
 このお忍びを約束した二週間前から練りに練っていた。彼に合いそうな味と、ボクの好みを上手く合わせた具材と味付け——というのが、先人のバズに倣うという安定策を放ってまでやりたかったこと!
それに、正真正銘、彼のために作る一皿で、他の配信者の案に頼るというのがなんだか癪だった。同業者への対抗意識ならいつも燃やしてるけど、話はもっと単純で。ボクが、彼のためになにかしたくて、そこに他の誰かを入れようという気が起きなかった。
「……そ、う……」
 さっきまで口にしていたものを思い出すように、彼は見開いた目で空の皿を見つめ、薄い唇に指を添わせる。その頬には——少しずつ、色が灯っていく。
(え——)
 え、と声に出さなくて良かった。声を出したら、彼はこっちを向いてしまうかもしれない。そうしたら——きっとボクも、同じ顔色をしてるって、バレてしまう。
 先月末の記憶が蘇る。強いお酒を顔色一つ変えずに呑み干したところを配信のネタにさせてもらったけど、その彼が、こんな。ボクが本当に、彼のための料理をした——ってことを知って、こうなってるの。だと、したら——! これは、全世界に自慢してやりたいような、誰にも見せたくないような!
 そっか、そんな顔して照れるんだ。やっぱり、キミのこと知れるの嬉しいや! ボクのことを知っているキミのことを、ボクも知れるのが嬉しい! ——ボクだけが、知っていたい! 「ボク」のことだって、キミだけが知っているようなものだから!

(中略)

「そいじゃー、グルーシャ氏からボクへの好感度も、全体的にシビルドン登りになってきたかなー……ってところで!」
「は?」
 サンドウィッチ食べてたときの優しい顔とか、味の意味を知ったときの照れ顔はどこへ行ってしまったのかー、と思っちゃうくらい冷ややかな反応〰! まあ、彼はこういう人物だと分かってきているので気にしないでおく。拒絶とかじゃなく、唐突な言葉を理解できないだけの顔だ、きっと。
「グルーシャ氏は、ポーラエリアで何してたの〰⁉」
「……。……?」
「二週間前、部室で話したよねー! 曜日とか時間帯ごとのポーラの人通りを把握してるくらい、ポーラに詳しくって……詳しくなれるくらい、ポーラに行ってる理由! 今日まで覚えてたら教えてくれるって! ……ボクはちゃんと覚えてたぞ〰!」
「ああ……。あれか……」
 高らかに勝利宣言をするボクに対し、当の本人は「そういえばそんなこと言ってたな」程度の反応だ。もしかすると、そんなに重大な秘密でもないのかも? それでもいいけど——。
「……グルーシャ氏?」
「え、あ……。いや……」
 期待を込めて見つめれば、彼の視線はさまよう。難しがって悩んでいるような様子だから、やっぱり、それなりの——しかも、言いにくいようなことなんじゃ。
「……仕方ない。別にいいよ」再度ボクが声をかけるよりも早く、彼が口を開いた。今は、真っ直ぐにボクの方を向いている。「話したくない相手に、そんな勝負しかけない。あんたにならいいと思ったから、約束した」
「ほ、ほんと⁉」
 思わず、背筋が伸びる。あんたにならいい、あんたにならいい——うん、実にいい響き!
「……。ここの、雪山で、その……」重たげなため息をついて、また視線を逸らして、彼が話し出す。「……ボード、乗ってるんだけど……」
「え⁉」
 ブルベリ生だってピクニックとかしてるんだし、ドームにレジャー目的で来たって何らおかしくはない——んだけど、彼が、そのスポーツをしているって聞いたら、そりゃあ驚く。
「…………」
 こんなこと打ち明けられたら、ボクと同じか、それ以上の世代の人なら、誰だって考え込む。
 現ナッペ山ジムリーダー・グルーシャは、もうスノーボードには乗らない。現役復帰はない。それが、パルデアの——世界の、暗黙の了解だった。怪我の容態や治療の進行が報道されたときも、彼がジムリーダーに就いたときも、色々話題になったけど。彼はメディア露出を避けながら、現役復帰を望む外の声を退けてきた。こおりタイプのジムリーダーになったことで、現役時代からの異名だけがそのまま残った。
(これ……ボクが聴いてよかったのかなあ……⁉)
 なかなか、デリケートな話題な気がする。思わず驚いてしまったという反応は、間違いじゃなかったかな。
 ちらりと、彼の様子を窺ってみる。——話した瞬間は気まずそうにしていたけど、今は、ボク持ってきたジンジャーティーを飲んでくれてる。これも身体が温まるから、彼のために選んだ飲み物だ。飲んでくれて——それで表情を和らげてくれて、嬉しい。
「……なるほどね〰、グルーシャ氏が上手く人目避けようとしてたのもナットク。もし隠れてなかったら、今頃とっくにバズってる」思っていたより普通にしてくれた彼の様子を見て、ボクもようやく、普段通りに返答できた。「キミがすべるとなったら、きっと大勢のファンが集まってきちゃうよね〰。……『現役復帰するんですか⁉』……って言う人だって」
「わかってくれる?」片目を瞑って、もう一度お茶に口付けた。「ありがたサムい期待なんて、聞きたくないから」
 何もかもを切り捨てるような言い方。冷蔑は、勝手な重荷を背負わせるだけ背負わせた世界に対してだけじゃなく——それに応えずに夢を諦めた自分にも向けられているのかな。
 でも、それだけじゃないんだろう。彼の中にそれしかないのだとしたら、再びボードを持ち出したりなんてしないはず。氷のような目の奥には、きっと、滾るような未練が秘められている。自分への失望と期待との狭間で揺れている。
「まあ、ぼくも大概、そう言われても仕方ないくらいのサムいことはしてるけど」
「いいんじゃない? グルーシャ氏も、やりたいことやってよ。誰にも邪魔されずに」
 ボクが確実に、自信をもって言えることを言った。
 今のドンナモンジャTVが、100%、ボクのやりたいことだけでできているかは置いといて。こうしてキミと一緒にいるときは、ボクはいつもよりずっと自由だから。話したいひとと話して、全力で戦って、ピクニックにも出かけられた。キミが、そうさせてくれた。
 そのキミが、自分のやりたいことについて、誰かにとやかく言われるのはやだな。その誰かが、たとえキミ自身であっても。
「……誰にも邪魔されずに……ってことは」
「もっちろん! ボクが配信で喋ったり、SNSで一言呟けば神バズ間違いナシのネタだけど! ……とっくべつに! キミとボクだけの秘密にしておこうぞ〰!」
 親近感、なんて言ったらイヤがられるかもしれないけど。キミも、色んなものを抑え込んで、ここまできたんだなって思えた。そんなキミの、抑え込んだものを——秘密を託してもらえたことも、嬉しかった。特別待遇の一つや二つや百くらいあげちゃうよ。というか、もう既に特別扱いしてるつもりだし、特別だと思ってるけどね⁉ なんたって、ドンナモンジャTVを支えた最古参ファンだし!
「……ありがと」強張らせていた力を解いたような笑顔だった。「ああ、一応言っておくけど……ぼくとあんただけじゃないよ。特別講師担当のチャンピオンにも話した」
「は……っ、はぁ〰〰⁉ なぜなぜ、どうしてそんなことを〰〰⁉ 秘密じゃなかったの、グルーシャ氏〰〰!」
「取り乱しすぎ」今度は、おかしなものを目にして、それを窘めるような笑み。「他の人には言ってないし、言うつもりもない……って言えば、満足してくれる?」
「まあ、うん……。……アオイ氏なら、うん……。……他はもうダメだぞー⁉」
「ぼくの事情なんだから、こっちの台詞なんだけど……」
 口は尖らせたまま、溜飲はなんとか下げて。秘密の主が彼である以上、誰がそれを共有していようと彼の自由だってわかるのに、ボクだけが良かった——と思ってしまうのはどうしてなんだろう。大丈夫コレ? メンドクサイ女と化してない?
「……そいじゃー、もう一個しっつもーん!」
 悔しさが残ったままなので、二つ目の札を切ることにする。これは、一つ目と比べれば秘密なんてものでもなさそうだけど、もしかすると、ボクだけ——に、繋がるものかもしれない。
「……他に、何か話すって言ってたことあった……?」
「ううん、ないない。でも、二週間前から地味〰に気になってて、今日も、聞けたらいいな〰って思ってたこと!」
「ふうん……? いいよ、お好きにどうぞ」
「お〰っし!」
 許可をもらえた。それだけで、なんか楽しくなる。
「グルーシャ氏って、ボクが雪の中にいるの、イヤ?」
「……。……イヤ、というか……。サムい中にいさせるのは、誰だって……」
「そういうお気遣いってよりも……。グルーシャ氏の視覚的にとか、感覚的にイヤなのかなー……って」
「……なんで、そう思った?」
「ボクをポーラに連れてくことをやたら渋ってたときから不思議だったぞよ〰。今日、エリアの入り口で会ったときも表情硬かった、し……」
 ——そう、その顔。ただでさえ色白いけど、蒼白、って言葉がぴったりなくらいに青ざめて。せっかく、あんなに柔らかい表情するひとなんだって知れたのに、今はもう強張って。 「……ぐ……っ、グルーシャ氏……?」  どうしよう、聞かない方が良かったかな。なにか、イヤなこと思い出させちゃったかな。どう、すれば。不安を湛えて大きく揺れるその目を見ていれば、どうにかしたいって思うのに ——。